2014年2月24日月曜日

Rimbaud Musical について続報。~Richardよりメッセージ~

* If you prefer to read in English, see here.

さて、シンガポールの公演のときにリシャールにお願いしていたランボーアジア公演に関する質問リスト(話のなりゆきはこちら。)。ですが、リシャール本当に答えてくれました。しかも、想像以上に丁寧に答えてくれて、かなり感動…。いやはやなんて親切な人なのだろう。

まだ、詳細未定、の部分も多いようですが、リシャールがいろいろ答えてくれたお陰で、大分、ランボーのミュージカルの概要が具体的にわかりました。

というわけで、リシャールの回答をさっそく書いていきたいと思います。
おそらく、リシャールの言葉をそのまま聞きたい方も多いと思うのでリシャールの回答の原文も併せて載せておきます(リシャールは快く掲載の許可をしてくれました。)。

※翻訳については、私の責任で訳しており、かつ一度他のフランス語が堪能な方にチェックしていただいているので、大きな間違いはないかと思いますが、ところどころリシャールの意図を汲みとって訳しているようなところもあるので、その辺ご了承いただけると幸いです。

※ミュージカルができた経緯はこちらのページ、登場人物等に関してはこちらページにまとめてあります。下記は、これらの情報を前提にして話している部分もあるので、このミュージカルの概要を知りたい方は、先にこちらをお読みください。

Q1: ミュージカルのタイトルは?ミュージカルはランボーの人生全体をカバーしたものになるのか、それとも一部分(たとえば、彼が詩作を放棄する前までとか。)にフォーカスを当てたものになるのか?
 
Pour le moment, le titre de travail est : RIMBAUD (UN POÈTE EN PLEIN COEUR) / Spectacle Musical. Il s’agit de l’histoire du jeune poète entre l’âge de 15 et 20 ans. De 1870 à 1875. Cela couvre donc la totalité de sa période de création. J’ai mis quelques uns de ses textes en musique mais il s’agit essentiellement de chansons originales racontant son histoire ainsi que celles des gens qui l’ont cotoyé.

今のところ、仮のタイトルは「ランボー(心を貫く詩人)/スペクタクル・ミュージカル(RIMBAUD (UN POÈTE EN PLEIN COEUR/ Spectacle Musical))」。15歳から20歳(1870年~1875年)までの間の若き詩人についての物語だよ。だから物語は、創作をしていた時代(註:ランボーは21歳頃に創作活動は放棄し、37歳で死ぬまで創作活動は行わなかったとされている。)を全部カバーしている。何曲かはランボーの作品に曲をつけたものだけど、基本的にはオリジナル曲で、ランボー自身の話や彼と交友があった人たちについて語ってるんだよ。

→タイトルは?という質問は、若干バカっぽい質問ですが、現状のofficial siteには、Rimbaud Musicalと書いてあったけれどこんなプレーンなタイトル?と疑問に思ったのと、以前リシャールが出していた写真で、RIMBAUD (UN POÈTE EN PLEIN COEURと書いてあったので、気になり聞いてみました。やっぱりこれが仮題だったようです。そして、物語のフォーカスは「詩人」だった時代ということで、彼の死までは描かれないようですね。

Photo Credit: Richard Charest
 
Q2: 今作っている新バージョンは、2007年に上演されたものとはかなり違ったものになるのか(新曲や修正もいっぱいあるのか?)?2007年版は、完全版だったのかそれともまだプレビュー段階だったのか?
 
C’est un spectacle 2/3 chanté et 1/3 joué. Beaucoup de scènes de jeu. 25 chansons au total. 6 personnages principaux, 16 ou 17 personnes au total sur scène. Beaucoup de nouvelles chansons et quelques révisions de chansons existantes. La « version » 2007 était en fait une lecture de 14 chansons sans véritable mise en scène.

2/3が歌、1/3が芝居のミュージカルで、演技の部分もいっぱいあるよ。全部で25曲。6人の主要人物(註:主要人物についてはこちら。)がいて、全部で16人か17人の舞台になる予定。新曲はいっぱいあって、すでにあった曲にもいくつか修正を加えている。2007年「版」は、実は、実際の演出は行っていない14曲の試作品だったんだ。

→かなり芝居の部分があるよ、とわざわざ書いてくれている…(汗)。日本でやらないとなると結構厳しいなあ。2007年版の写真とかを見ていると、なんだか本番のようには見えないなと思ったら、やはり2007年版はプレビュー公演で、今回が完全版ということだったようですね。(リシャールによると、lectureは、special representationだそうなので、特別公演といったところでしょうか。ことばそのものを訳すと読み合わせですが(ブロードウェイのミュージカルでこの表現を見かけたので間違いと言うわけではないと思いますが。)、実際に歌手の人たちは歌を歌っています↓)

http://www.youtube.com/watch?v=HRsdVemwVJg
リシャールが言っている2007年のlectureの様子が収められた映像。
映像が若干粗いですが、何となく当時の雰囲気が伝わります。
ちなみにBGMで使われている曲の歌詞は、ランボーの
Sensation (1870年)(日本語訳はこちら)という詩そのもので、
若き日のランボーの瑞々しさが
よく伝わってくる詩です。曲も爽やかで素敵。



http://youtu.be/Z6nV_qyPZhw
"Charleville, mon soupir"
こちらもlectureのときの映像と思われるもの。 
こちらはちゃんと音声も入っています。
ピアノの伴奏と一緒だととても切ない気分になる歌。

Q3: 今、プロダクションはどんな段階?
 
Les chansons sont terminées (paroles et musique) et les dialogues –le livret- sont terminés également. J’ai commencé la production musicale en studio en décembre dernier de la version définitive des chansons.


曲(詞と音楽)は完成していて、セリフ-台本-も完成しているよ。スタジオで、曲の最終版の音楽制作を去年の12月から始めているんだ。

→この感じだと、プロダクションは最終段階ということのようですね。がんばれー。

撮影アルノーさんによるプロダクション風景
(Photo Credit: Arnaud Kerane)

Q4: キャスティングは?キャスト(歌手)は2007年版とは違う人になるのか?リシャール本人は前回ポール・ヴェルレーヌ役を演じていたが、今回は歌手としての出演は?
 
Il y aura 6 personnages principaux, donc, et 10 personnes supplémentaires sur scène. La distribution n’est pas arrêtée pour le moment. J’ai approché des gens, je ne sais pas encore si des chanteurs de la version 2007 seront de la distribution finale. Je n’ai pas encore pris de décision quant à ma participation en tant que chanteur. Je me concentre pour le moment sur la création.

6人の主要人物がいて、他に10人が出演予定なんだ。今のところ、キャスティングはまだ終わっていないよ。いろいろな人に当たってはいるけれど、2007年版の歌手の人たちが最終的な配役になるかはわからない。自分の歌手としての参加についてもまだ決めてないんだ。とりあえず今は、製作のほうに自分は集中しているよ。

→キャスティングは始めているけれど、まだいろいろ模索段階の模様。リシャールも出るかどうかまだ決まってないということなので、出演の可能性は、ないわけではなさそう。個人的にはとっても出てもらいたいですが…。ポールじゃなくて、ランボーの先生のイザンバール役とか、かなり似合うと思うんだけど。


Q5: 今のところ、ツアーではどんな都市を回る予定?

Mon objectif serait de mettre en place une tournée avec des partenaires provenant de pays visités avec Notre Dame de Paris. J’ai maintenu de bons contacts avec des gens en Russie, en Chine, au Japon, à Taiwan, en Corée du Sud ainsi qu’à Singapour. J’espère pouvoir compter sur leur soutien pour aller présenter mon spectacle dans leur ville respective.

自分としては、ノートルダム・ド・パリで訪れた国々で縁があるパートナーの人たちと一緒にツアーを実現するのが目標だよ。ロシア、中国、日本、台湾、韓国、そして、シンガポールの人たちと連絡を取り続けているんだ。自分のミュージカルをそれぞれの国の都市で上演できるよう彼らのサポートに期待しているよ。

→実は、リシャール、以前、FBで巡る都市の名前をいくつか出していた時に、日本は入っていませんでした。日本には? と聞いた時もJ'espère (I hope so.)と言ってはくれていたけど、個人的には、可能性は薄そうだなあと思っていたので(英語でhopeを使うときって、すごくやりたい気持ちはあるけれど、でも可能性としては、かなり低い、というイメージだし。)、台湾公演に行くしかないかなと思っていました。でも、この回答を見て、リシャールは実際に日本の方とコンタクトを取っているようなので、可能性がゼロではないということを知り、ちょっと日本公演の希望が見えてきたかなという気がします。Good newsが聞けるといいなあ。
  
Q6:  音源や歌詞を聴く/見ることはできないのか?
 
Je dois terminer l’enregistrement des chansons dans leur version définitive avant de faire circuler les paroles sur internet. Beaucoup de choses peuvent encore changer. Un album de 10 chansons est prévu pour faire la promotion et accompagner les représentations du spectacle. Je n’ai toutefois pas encore de date de sortie à annoncer.

インターネット上に歌詞を公開する前に曲の最終版でのレコーディングを終わらせなければいけないんだ。いろいろ変更がまだある可能性があるよ。10曲入りのアルバムを出したいと思ってるんだ。プロモーションをやるためと舞台上演に合わせてね。まだいつリリースするかとかはわからないけれど。

→字幕がない場合、前もって音源がないと、話を追うのは相当厳しいなあと思ってこの質問をしてみたのですが、公演の前に歌詞&音源がいくつか公開になるとのことで、ちょっとだけほっとしました。


Q7:  ランボーが偉大な詩人だったということ以外で、彼に魅了された部分は?

Rimbaud n’attendait personne avant de prendre une décision ou de poser un geste. Il est pour moi l’exemple absolu de la liberté libre, comme il l’appelait lui-même. Je suis touché par son acharnement à devenir un grand poète, son talent, bien sûr, mais sa détermination plus encore. Ses rapports avec sa mère, son professeur et son meilleur ami me touchent énormément. Et le fait de mourir très jeune, 37 ans, sans savoir qu’il était devenu une figure importante de la poésie représente pour moi un élément dramatique très fort.

ランボーは、決断をしたり、行動を起こしたりするときに誰かを期待したりしなかった。僕にとっては、彼は、究極の自由な自由(liberté libre)の例なんだ。彼自身がそう表現したんだよ。もちろん、偉大な詩人になろうとした彼のがむしゃらさや才能にももちろん感動するけれど、彼の断固とした決意にもっと感動したんだ。アルチュールと彼の母親、先生、そして親友との関係性にもすごく心を打たれた。そして、詩の世界において、重要な人物になったとも知らずに37歳という若さで亡くなったという事実も自分にとっては、非常にドラマチックな要素を象徴していると思う。

→以前、Twitterで同様の質問をしたとき、ランボーは偉大な詩人だから!とかなり漠然とした答えが返ってきたので、ちょっと具体的に聞いてみました。そして、すっごい具体的に書いてくれた^^ 「断固とした決意」というところに感動した、という回答は個人的に結構意外でした。彼の型にはまらない生き方とかとういうところに惹かれたのかな、とかちょっと思っていたので(まあある意味、そういう自由な生き方をする「断固とした決意」と捉えることもできるのかな。)。確かに10代後半、二十歳とかで、大人のおじさんと旅に出ちゃうとか、断固とした決意/決断力がないとできないことな気はしますね(本当に究極に自由な人笑。)。

リシャールが答えの中で言及しているliberté libreですが、たぶん、下記のイザンバール(ランボーの修辞学の先生。)に宛てた手紙に出てきたものを指しているのだと思われます。

この手紙は、ランボーが家出をしたのちに実家に連れ戻され、そこでの単調な田舎暮らしにうんざりし、(「僕は死んで、腐りそうです。」という文言で始まる。)自由への渇望を吐露する、といった内容の手紙のようです。

自由にさらに自由をつけるあたりが、まさに究極の自由。さらに、"je m’entête affreusement à adorer la liberté libre"は、entêteは頑固な、affreusementはひどく、adorerは大好きであるということなので、さらに強調して自由が好きということをランボーが述べていることがわかります。その直後にはダメ押しの"vive la liberté !"。

こんな場所になんで俺はいなければいけないんだ!俺は自由になりたいんだ!という熱い(いや、暑苦しいぐらいの)思いが伝わってきます。こういう閉塞感から脱したいっていう気持ち、意外と誰しも持ってる気が。。。ここまで情熱的に思うかはどうかは別として笑。
"Je meurs, je me décompose dans la platitude, dans la mauvaiseté, dans la grisaille. Que voulez-vous, je m’entête affreusement à adorer la liberté libre, et... un tas de choses que « ça fait pitié », n’est-ce pas ? Je devais repartir aujourd’hui même ; je le pouvais : j’étais vêtu de neuf, j’aurais vendu ma montre, et vive la liberté ! - Donc je suis resté ! je suis resté ! - et je voudrai repartir encore bien des fois. - Allons, chapeau, capote, les deux poings dans les poches, et sortons. - Mais je resterai, je resterai. Je n’ai pas promis cela ! Mais je le ferai pour mériter votre affection : vous me l’avez dit. Je la mériterai."
 ランボーがイザンバールに宛てた手紙(1870年11月2日。部分的に抜粋。
全文(フランス語)はこちら


シャルルヴィル=メジエールにあるLe Musée Rimbaud

  
Q8: 去年(2013年)の5月のソウルのガラコンで歌っていた「ヴィタリー」はどんな歌だったのか?リシャール、マットが演じていたのはそれぞれ誰だったのか。
 
Au Sejong Center, nous avons interprété la chanson VITALIE (celle-là même qu’Arnaud et moi avons créé en premier). Matt interprétait le rôle de GEORGE IZAMBARD, le professeur de Rimbaud. J’interprétais le rôle d’Arthur Rimbaud. Il s’agit d’une discussion un peu violente entre le jeune poète qui ne supporte plus l’emprise de sa mère et le professeur qui tente de le ramener à la raison en lui disant de respecter sa mère. Cette chanson marque la fin de leur amitié.

セジョン・センターで、僕たちは、ヴィタリーという曲を歌った(これは、アルノーと僕が最初に作った曲なんだよ!)。マットは、ランボーの先生であったジョルジュ・イザンバールの役を演じていて、僕は、アルチュール・ランボーの役を演じていたんだよ。この曲は、自分の母親の支配に我慢ならない若き詩人と、もうちょっと冷静になって母親を敬うべきだと彼を説得する教師との少々激しいやりとりについての曲なんだ。この曲は彼らの友情の終焉を表している。
→曲自体は良かったけど、内容が全くわからず困っていた「ヴィタリー」。詳細、ありがとう、リシャール!そして、いろいろ謎が解けました。マットはイザンバール役だったんだ。。。そして、リシャール(ランボー)が最後マットを置いて去っていく、という演出は、二人がヴィタリーに関する見解で、最後決裂したということを表わしていたと判明。どうりであんなにシリアスだったわけだ。
この映像の2曲目がVitalie。
1曲目がFils du soleil 、3曲目がCharleville, mon soupir。
静止画で左に映っている金髪の青年がランボー役のJonatan Cerrada、
イザンバールは、途中で出てくるメガネをかけた人物(Pablo Villafranca)です。

Q9:  「ヴィタリー」はミュージカルの中で最初にできた曲だと、オフィシャルサイトに書いてあったが、どうして、「母-息子」というテーマを最初の題材に選んだのか。

J’ai rencontré mon partenaire Arnaud Kerane lors d’un atelier d’écriture en 1999, tout juste avant de commencer Notre Dame de Paris. L’un des tout premiers textes qu’Arnaud m’ait montré concernait Vitalie Rimbaud, la mère du poète. J’ai été stupéfait que ce poète génial était en fait un mauvais fils. Je crois que chaque homme porte en lui une part de mauvais fils. Je trouvais le propos universel alors je lui ai proposé de mettre son texte en musique un jour. Sans savoir que 5 ans plus tard, en décembre 2004, je lui proposerais d’écrire un spectacle sur Arthur Rimbaud.
 
ノートルダム・ド・パリが始まる直前の1999年に僕はパートナーであるアルノー・ケランと作詞のワークショップで出会った。アルノーが見せてくれた最初の文章の一つが、詩人(ランボー)の母親であるヴィタリー・ランボーに関するものだった。僕は、かの偉大な詩人が実は親不孝な息子だったことにすごく驚いた。思うに、男というものは皆、自分自身の中に親不孝な息子の一面を持っていると思うんだ。僕は、普遍的なものを感じて、アルノーにいつか君の詞に曲を付けようと言っていたんだ。まさか5年後の200412月に、ほんとにアルノーにアルチュール・ランボーのミュージカルを書こうと提案するとは思っていなかったけどね。
ミュージカル製作のパートナーのアルノー・ケランさん。

→ランボーと言えば、ポールとの恋愛の方がスキャンダラスだし、映画等の題材としてはよく取り上げられる気がし、ちょっと個人的には意外だったので聞いてみました。

そして、どんな男性も「親不孝な息子」の一面を持っているというリシャールの回答。何か哲学的。リシャールは親不孝な「息子」、と言っていますが、これは、男女関係なく、ある程度こういう側面はあるんじゃないかと思ったり。やっぱり親子というのは血のつながりはあるとはいえ、違う時代(パラダイム)を生きている人間であることも多いので、残念ながらお互いの考え方が受け入れられないことはそれなりにある気がします。特に自分の思う方向が親の考えと逆方向だった場合(ランボーは完全にそうだけど笑。)、残念ながら「親不孝」という結果になってしまうのかなと思います。(完全に個人的な感想ですが。)

あと、最後のメッセージまで読んでいただけるとわかるのですが、実は、リシャールにとって、この「普遍的(universel)」ということばは結構キーなようです。私もちょこちょこランボーについて調べていたら、彼の生き様自体は、小説級に波乱万丈ですが、でも、ミクロで見てみると、上記のような彼の母親との確執、鬱積する若者としての感情、等々、そこかしこに、人間誰しも経験するようなことを鮮やかに時に生々しく描き出している気がして、確かにリシャールが言いたいことは何となくわかるかも、と思ったりしました。いつかこの辺のことについて、もっと詳しく聞けるといいなあ。


Q10: ソウルのガラコンで演奏していたもう一つの曲の"Sauver les Apparences"の歌詞はどのような内容だったのか?

VITALIE, la mère de Rimbaud, vit des heures sombres puisque son fils se comporte de façon inacceptable. MATHILDE, la femme de Paul Verlaine, vit un peu la même chose puisque son mari pose des gestes scandaleux. Il est important pour ces deux femmes de garder la tête haute et de faire comme si tout allait bien. En français, il existe une expression qui illustre bien ce comportement. Les deux femmes tentent de SAUVER LES APPARENCES.

ランボーの母であるヴィタリーは、息子が彼女には受け入れ難い振る舞いをするために、暗澹たる日々を送っていた。ポール・ヴェルレーヌの妻であるマチルドも、夫が、スキャンダラスな行動(註:ポールはランボーと同性愛の関係にあり、妻と息子を置いて、2年ほどヨーロッパを2人で放浪していた。)を取っていたため、やはりヴィタリーと同じような経験をしていた。この2人の女性にとって、毅然とした態度を保ち、全てが順調であるかのように装うことは重要だったんだ。フランス語には、このような態度をとてもうまく表現した言い回しがあって、この2人の女性は「体面を保とう(=SAUVER LES APPARENCES)」としているんだ。

→さて、こちらの曲は一応、映像が存在していたので、歌詞の解読を試みてはいたのですが、あんまりその内容について自信がなかったので、改めてリシャールに聞いてみました。この曲、メロディーはかなり美しいのですが、歌詞の内容は、2人の女性が息子と夫の裏切りについて、深く傷ついた様子が切々と語られています(多分)。ですが、リシャールが述べているように、彼女たちはその感情を押し殺し、毅然とした態度を貫こうとします。というわけで、ある意味、とても悲しい曲であると同時に、でも、私たちは、それでも顔を上げて毅然として歩いていくの(marcher la tête haute)という歌詞にもあるように、女性としてのプライドも感じられるすてきな曲だと思います。

Q11: 「ランボー」のミュージカルを通して観客に伝えたいことは?あと、ファンにメッセージを。

NOTRE DAME DE PARIS m’a permis de visiter un grand nombre de pays tous plus fascinants les uns que les autres. J’ai découvert à quel point les fans de comédies musicales sont des gens passionnés, curieux et ouverts sur le monde. Je souhaite plus que tout partir à la rencontre des fans aux 4 coins du monde avec mon spectacle RIMBAUD.

J’ai choisi de raconter l’histoire d’un jeune poète prêt à tout pour réaliser son rêve parce que son histoire est universelle, que son travail est magique et que j’ai senti que le public des pays visités semblait apprécier au plus haut point les oeuvres de langue française. Vous m’avez supporté de belle façon partout où je suis passé. VOUS avez fait de Gringoire, le plus beau rôle qu’il m’ait été donné d’interpréter. J’aimerais vous rendre justice en vous proposant un spectacle magnifique, émouvant, touchant, parfois drôle et résolument moderne. MON spectacle. Je me donne rendez-vous... avec vous, le plus rapidement possible ! Merci encore de votre soutien.

ノートルダム・ド・パリのおかげで、僕は数多くの国を訪れることができた。どの国も同じぐらいみんな魅力的だった。そこで、僕はミュージカルファンがどれほど情熱的で好奇心が強くて、世界に対してオープンな人々であるかということに気づいたんだ。だから、何にもまして、自分のミュージカルである「ランボー」と共に世界中のファンに会いに行きたいと思っているよ。

自分の夢を実現しようと必死に生きた若き詩人の物語を上演しようと思ったのは、彼の物語が普遍的で、彼の業績が偉大で、僕が訪れた国の観客たちが、フランス語の作品の価値を最大限に理解してくれていると感じたからなんだ。僕がどこに行っても君たちは僕をすごく応援してくれた。まさに「君たち」が、僕が演じる機会を与えられた最も素晴らしい役であるグランゴワールを作り上げたんだよ。だから、君たちにすばらしくて、感動的で、でも同時に笑えて、大胆にモダンなミュージカルを上演することで君たちにその価値を認めて欲しいと思っているんだ。「僕」のミュージカルだから。約束するよ、できる限り早く君たちに会いに行くって!いつも応援してくれてありがとう。

→実は、私、このメッセージを最初に電車で読んでいたのですが、読みながら電車で泣きそうになりました(笑)。ランボーは、ある意味、リシャールにとって、NDPで応援してくれたファンへの恩返しの意味合いもあったんですね…。


グランゴワールは君たちが作りあげてくれたんだよ!という言葉にはもちろんグっときてしまいましたがどれほど彼が「ランボー」に強い情熱を注いでいて、どれほど誇りを持って取り組んでいるかが、言葉の一つ一つから伝わってきて何だか胸がいっぱいになってしまいました。 そして、ファンに対する感謝の気持ちをいつも忘れないリシャールらしいメッセージ。なんていい人なんだ。。。


また、個人的にフランス語での上演について、きみたちが理解してくれるから、と言及してくれていたこともうれしかったです。自分は、ノートルダムドパリを初めて知った時点で、仏語上演がかなり厳しい状況になっていたし、最近は仏語オリジナル版が日本に来るというよりは仏語ミューの翻訳版が日本に輸入されるというパターンが増えていたので、本国フランスやフランス語圏まで出向かなければフランス語上演にはなかなか出会えない状況になっていました。。。そういう意味で、フランス語で上演したいんだ、と言ってくれる人がいるというのは、とてもうれしかったです。ありがとう、リシャール!


そして、面白かったのが、リシャールから見たファンの印象(笑)→「情熱的で好奇心が強くて、世界に対してオープンな人々」。演じてる人たちからするとこういう風に見えるのかーとちょっと笑ってしまいました。確かに、外国語のミュージカルって、言葉が違うってだけじゃなくって、世界観も全く違うし、ある意味異文化交流みたいな要素って確かにある気がします。でも、こうやって言葉にされるとちょっと恥ずかしいな(笑)。


さて、以上で、今回のプチインタビューは終わりです。


翻訳にあたって、フレンチミュージカルの草分け的存在のMewさんにご協力いただきました。
どうもありがとうございます。


最後に。リシャール、本当にありがとう!

→インタビューこぼれ話はこちら

2014年2月22日土曜日

ランボーの話

最近、更新がまったくもってスロー(汗)。

リシャールのランボーについての記事を今書いているのですが、もうすぐ終わる予定です。というわけで、いまさら、ランボーの本をちょこちょこ読み、付け焼刃な知識を吸収中。
でも、ランボー、想像していた以上に面白くて、個人的にちょっと深く知りたくなりました。

リシャール、おもしろい機会をくれてありがとう。

 
 
詩が苦手なので、とりあえず、彼の手紙や彼を取り巻く人々のエッセーをチラ見。もっと前からきちんと読んでおくんだった苦笑。
 


2014年2月20日木曜日

仏検準2級ホルダーになりました。

さて、1ヶ月くらい前に2次試験を受けた仏検準2級の結果発表が今日ネットで開示された。
 
 
 
結果は合格、だったが、結構ギリ合格でちょっと焦った。。。一応、真実味を出すために、結果表も載せてみます。。。22/18点(満点30点)。ネット開示ではどこが引かれたとかわからないのですが、まあ、1問目はきっと間違っていたんだろう。。。と勝手に予測。
 
 

そして、見て分かるように合格率は、1次は62.2%。2次までだと、52.3%。というわけで、単純に割合で考えると2人のうち1人が受かる試験。(そういう割合になるように合格者を線引きしているのだとは思うけど。。。)これが、2級になると突然合格率が3割に減る…。

少なくとも2級までがんばりたいとは思うのですが、手が回るものかしら。。。

そして、未だに私、愛しのGoogle翻訳から足を洗うことができません。とりあえず、考える前にGoogle翻訳にかけてから、意味が正しいかの検証をしてしまいます。その方法が一番早くて確実なので、この癖が抜けない。。。そして、コメントとかメッセ作成のときも然り。。。というわけでいつまでたっても、自力でフランス語を書く力がつかず、新しい単語も右から左へ流れて行ってしまうことも多い。。。反省だわ。

最近、フラ語をちょこちょこ使ってるわりに、本当の意味でのフラ語力が全く向上しておらず(いや、むしろ退化してるな…(汗))、ジレンマに陥ってばかりです。。。私の語学力が私のやりたいことにまったく追いつかない。。。歯がゆすぎます。

でもとりあえず今日だけは、素直に合格できたことを喜ぼう。
そして、また、明日からがんばろう。

 

2014年2月15日土曜日

The Beautiful Game鑑賞 ~ベルファストの思い出~

実は、それなりに準備をしている記事があるのだが、ちょっと時間がかかりそうなのでまたつなぎの記事(苦笑)。
若干番外編になるが、ちょっと前、The Beautiful Gameを見た。普段、日本語で上演されるミュージカルはあまり観に行かないのだが、今回、テーマが北アイルランド紛争ということで、興味を持ち、観に行くことにした。

実は、自分は、昔、アイルランドやアイルランドの音楽、歴史にハマっていたことがあり、大学のイギリスの語学研修に行ったときに、週末を利用して、クラスメートと一緒にアイルランドにshort tripに行った。しかし、一緒に行ったクラスメートは台湾人で、台湾は、アイルランドと国交がなく、万が一トラブルに巻き込まれるとまずいので、英国領である北アイルランドのベルファストに行くことになった。
バルコニー席から。
わかりにくいが、この壁のセットの後ろにも客席があり、
この街の「対立」をよく表している。

もちろん、ベルファストは内戦があった場所だったことは知っていたし、アイルランドの血なまぐさい歴史も、それなりに背景知識としては知っていたつもりだった。とにかく、アイルランドの歴史と言うのは、2000年に入るくらいまでは、貧困、移民、英国からの独立までの戦い、分裂、内戦、紛争、等々暗い話ばかり。。。でも、自分は、そんな悲惨な物語の中に、人間の哀しさだったり、そういう背景があるからこそ、あのような素晴らしい音楽の文化が存在するのだと、一種の歴史の深みのように捉えているところがあった。

だが、これは実際に、ベルファストの街を歩き回って、こんな甘っちょろい考えは、持ってはいけなかったのだと感じる。

ミュージカルの中に出てくる若者たちが、この街には何もない、とにかく、この街を出ていきたいと心のうちを吐露するシーンが出てくるが、私が行った2005年のときでさえ、この街には、未来というものの明るさがほとんど感じられなかった。街の雰囲気がとにかく荒んでいる。その雰囲気にとにかく圧倒された。平和ボケしている自分をすごく恥じた。

 
 
郊外。
 

この写真を見ているとあの荒んだ空気を今も思い出す。

ベルファストにはこのように政治的なプロパガンダが
書かれたpolitical muralsが当時でも至る所に残っていた。
これは、見てもわかるようにプロテスタント側の地区。

こんなものを日常的に見ながら生活するってどんな
気持ちなんだろうと思わずにはいられなかった。

ユニオンジャックがこれ見よがしに掲げられていた。 

 
ツアーに行ったときに、ガイドのおじさんが、このバーは
テロに遭ったため、このようなケージが付けられたのだと
説明してくれた。背筋がゾクっとした。この街では
暴力は、歴史ではないのだと思い知らされた。
 
しかし、海は、本当にエメラルドグリーンで透き通っていて
美しかった。街の暗さとのコントラストに、唖然とした。
 
さて、私のプチ思い出はここで終わりにして、本題の舞台。
 
ストーリーとしては、暴力の応酬の無益さをサッカーチームでチームメートだった若者のそれぞれの人生を追いながら、問いかけるというもの。タイトルのThe Beautiful Gameは、このチームが宗派やそれぞれのイデオロギーの違いを抱えつつも、優勝を収めた最後の試合を示しており、それぞれの若者たちにとって最も幸せだった瞬間を象徴している。(というか、この幸せな瞬間が写真として、何度もリフレイン的に登場し、その後のそれぞれの若者を襲う悲劇をより鮮明なものにしている。)
 
初台の新国立劇場には初めて行ったが、小劇場だったので、会場はこじんまりとしていて、一番後ろの席から見ていても舞台が全く遠く感じなかった。そして、舞台は360度観客が入るようになっており、舞台も両サイドの観客に向かってダンスが作られている等の演出がなされていた。また、キャストたちが客席も使って演技をする(人によっては真横でキャストに歌ってもらえる。)シーンが数多くあり、まさに、観客、キャストが一体となって舞台のなかにいるという感じがして、とても良かった。
 
キャストの人たちも恥ずかしながら、全然知らないまま見に行ったが、みな自分と同世代ぐらいの人が多くて、若者のフレッシュさ、エネルギッシュさを感じられてすごく瑞々しい舞台だった。歌も、みんな上手だった。
 
また、サッカーシーンなどでの群舞もキレがあってとても良かった。
 
あと、もう一つ面白かったのが衣装。どの衣装もよく見ると、アイルランド側の人たちの衣装には緑色がどこかに入っている(真っ白なはずのウェディングドレスや真っ黒な神父の服にまで。)。ある意味この演出はモダンというか、見ていてスタイリッシュに感じた。
 
曲としても泣けるシーンや、まさに私がベルファストに行って感じたあの何とも言えない「哀しい」感じを思い出すシーンがいくつもあったのだが、なぜか、アイルランド関係の映画(「麦の穂を揺らす風」とか「マイケル・コリンズ」とか。ちょっと時代は違うけど。)を見たときよりは、グッと来なかった。でも、周りで泣いている人はいっぱいいたし、自分でもなんで感動に入れないんだろうと不思議に思ってしまうぐらいだった。
 
思うに、やっぱり現地の印象が強烈すぎて、やっぱり、日本でアイルランドを語るっていうのが、ちょっと「平和」にやっぱり見えてしまったからなような気がする。あと、北アイルランドの対立は、カトリックvsプロテスタント、と紋切り型に割り切れるものではなく、さらに入り組んだ複雑なものだったりするので、そのあたりを北アイルランド問題になじみの薄い日本で全部表現するというのはやっぱり難しいなという印象を持った。
 
でも、舞台としては本当によくできていたと思うし、同年代のキャストたちが精一杯、演技をする姿にはすごく勇気をもらえた。
 
日本語だからと食わず嫌いをしないでこれからはいろいろやっぱり見に行こうと思った。というか、観に行けるといいな(財布と要相談だけど。。。)。