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2014年12月15日月曜日

En quête des traces de Rimbaud vol.2 - Rencontre avec Arnaud 〜アルノーさんとの出会い〜 

前回のシャルルヴィル探訪からのつづき。

ランボーの足跡を求めて、シャルルヴィルに向かった次の日。
ついに、リシャール(・シャーレ)とRimbaud Spectacle Musicalを一緒に製作した、作詞家のアルノー(・ケラン(Arnaud Kerane))さんにお会いすることができました。

リシャールに10月のフレンチ・ミュージカル・ガラコンのときに書いてもらった
"Vitalie"の歌詞と一緒に写真を撮らせてもらいました笑。
素敵な笑顔^^
■ アルノーさんとrencontre

アルノーさんにお会いする予定だった日は結局、アルノーさんに会うまでアパルトマンで準備をずっとしていたため、観光は夜景を撮ったぐらい笑になってしまいました。もったいないといえばもったいない使い方でしたが、(しかも、準備して頭にいれていたことは、結局あまり役に立たなかった。。。)まあ仕方ないかなあと今になっては思います。

お話を伺ったカフェ。クリスマスの飾りがついていてきれいだった。
マレ地区のカフェで待ち合わせをしたのですが、いやはや緊張しました。待ち合わせ時間ほぼぴったりに着いて、周りをきょろきょろしていると、youtubeで何度も見た(笑)アルノーさんが目の前に。アルノーさんも、FB上で私の写真を見てくれていたからか、私にすぐ気づいてくれました。リシャールのときと同様、Ca va?とまず聞かれました。会えてうれしいよ、と言ってもらいちょっとほっとしました。youtubeよりも、ハスキーな感じの声で、かっこよかったです。。。

話始めの定番としてまずプレゼントを渡しました。いろいろ何にしようか迷ったのですが、結局、クリスマス仕様の雪だるまの落雁と、ランボーの文庫本(1年前リシャールにソウルガラコンのときにプレゼントしたものと同じもの)という至ってシンプルなプレゼントにしました。

文庫本はリシャール同様すごく喜んでくれて、現代のランボーだと自分が勝手に思っている(爆)、ケベコワ映画監督のグザヴィエ・ドランの今年のカンヌでの審査委員賞受賞時のスピーチの引用("Tout est possible à qui rêve, ose, travaille et n'abandonne jamais")を書いておいたら(アルノーさんが、以前、このスピーチをFB上で絶賛していたこともありますが、自分もこのスピーチにすごく感動したので、今回引用してみました。)そのことをすごく喜んでくれて、この話でちょっと盛り上がりました。予想以上に喜んでいただけたみたいで、これはすごくうれしかったです。



その後、リシャールに"Vitalie"の歌詞を書いてもらった「ヴィタリー」の本をお見せしました(冒頭の写真。)。アルノーさんはFBで既にこの本のことを知って下さっていたので、サインページを見るとアルノーさん笑顔に^^「リシャールは、兄弟みたいなんだよ」、とアルノーさん言っていたのですが、まさに同じフレーズを日本で会ったとき、リシャールも言っていて、二人本当に兄弟みたい、と心の中で自分は爆笑していました。FBに載せたらちょっと面白いかもね、ということで、リシャールが書いてくれたページとアルノーさん、という写真を撮りました笑。

せっかくなので、アルノーさんにも何か書いてもらうことにしました(というかそのために本を持参した笑。)。何がいいかなあ、とちょっと考えていたアルノーさんですが、結局、今回私が、シャルルヴィル巡りをしたこともあって、Charleville mon soupir(シャルルヴィル、僕の溜め息)の歌詞を書いてもらうことになりました。そしてリシャールのときと同様、この瞬間もぱちり笑。でも、こうして、日本、ケベッックのリシャール、パリのアルノーさん、とこの本を通じて一つになった気がして、ちょっと感動的でした。

Paris-Québec-Tokyoがこの本でつながりました。
何だかこれは胸にジンときました。
書いてもらった歌詞がこちら。
"C'est Charleville, 
C'est mon soupir
C'est avec elle que je m'ennuie
Je veux l'oublier et partir
Etre poète... mais à Paris."
シャルルヴィルに飽き飽きしたランボーがこんな街を出て、パリに行って
俺は詩人になりたいのに、と溜め息をつく、という内容の詞
だそうです。
字が汚くてごめんねー。とおっしゃってましたが、
ヨーロピアンの中では全然汚いの範疇に入らない気がする笑。
"Charleville mon soupir"
書いてもらった部分はこの歌のサビの部分です。

その後は、私のパリでのあれこれ等の雑談もしていたのですが(というか大半がそうだった爆。自分が、曖昧なお願いをしていたことが大きいのですが。)、その他のおもしろかったことについてまとめると、

・シャルルヴィル巡りの話
小さくて静かな街だと思った、と印象を言うと、どうしてランボーがこの街を脱出したくなったか、わかったでしょ?と言われました(素敵な街だけど、田舎町で退屈(笑))。あと、前述のランボーの家で歌を歌った話等のエピソードもお聞きしました。

・ランボーについて、
ランボーは天才だけど、同時にすごく傲慢で我が侭、そして、他人に自分がして欲しいことをさせるためにすごく悪賢い一面もあったと思う、とアルノーさんおっしゃってました。そして、ランボーの人生は、お母さんとの関係、ヴェルレーヌとの恋愛(当時としてはすごい話だよね、と)等々、すごくhumaineな話がいっぱいあるよね、と力説してくれました。この辺もリシャールが言ってたこととすごくよく似ている^^

・フランスのミュージカルについて
2年前に1789を見にパリに行って、セットや衣装、光等はすごくよかったけど、お話はめちゃくちゃだった、という話をアルノーさんにしたら、アルノーさん、フランスにはたくさんミュージカルはあるけれど、話が面白くないのが多いんだよね、とおっしゃっていました(リシャールと僕が、ランボーを題材に選んだのは、話がとっても面白かったからなんだともおっしゃっていました。)。また、ミュージカルはお金もたくさんかかるので、興行的に成功しないものもたくさんあり、作るのが大変なんだよね、という苦労話もしていました。この辺りも、リシャールと言っていたこととよく似ていました。



実は、アルノーさん自身について、どんな方だかあまり知らなかったので(爆)、どういったお仕事をしていらっしゃるのかも聞いてみました。彼は、作詞家で(本は1冊書いたことあるけれど、でもその他はみんな歌詞を書いてるんだよ、とおっしゃっていました。)、ミュージカル(ランボー以外にもフランスの作詞家についてのミュージカルも今、作っているそうです。)や他の歌手の方へ詞を提供しているそうです。

アジアの国にとても興味があって、日本もぜひ見てみたいんだ、とおっしゃていました。あと、話の成り行きで、ケベックについて話していたのですが、モントリオールを絶賛していました。やっぱりいつか絶対行こう、と心に誓った私笑。



最後の方になって、そういえば、質問準備してくれていたんだよね?と聞かれて、もぞもぞとi pod touchを取り出して、質問のメモを見てもらうと(実は、1年ほど前に、リシャールにプチインタビューをしていたときに、アルノーさんにもいくつか質問を送っていたのですが、結局そのままになっていました。でも、アルノーさんはそのことも覚えてくれていて、「そういえば、僕その質問答えていなかったよね?」と言及してくれて、ちょっと驚きました。)、メールで送ってくれたら、答えるよ、とおっしゃって下さったので、また後ほどリストを送ることになりました。というか、私があまりにフランス語が下手過ぎて、「書いた方が(話すより)きっといいよね?」と言われました。→リシャールと同じ展開(爆)。ちゃんと時間をとって書くから、とおっしゃって下さいましたが、なんだかすごくお忙しそうなので、運が良ければ、、、と思っています。



1時間ほどお話させていただいたのですが、自分が話下手ということもあり、ほとんどアルノーさんが、話を展開してくれていて、私はそのレールに乗っかってるだけでした。。。(社交性低し。。。)でも、すごく親切&細やかな配慮がある方で、「ガサツでエゴイスト(爆)」という私のパリジャン感が覆りました笑。本当にアルノーさんには感謝です。



途中で英語を話し始めてしまったり(汗)、、、あまりにひどいフランス語すぎて、(メッセの文章はよく書けてるよ、とアルノーさんにおっしゃってくださいましたが、あれは、私の力ではなくGoogle翻訳と、ひたすら検索して書いてる文章なのです、と告白するしかありませんでした苦笑。)自分で絶句&自分の至らなさを反省しましたが、それでも、今年の初めには妄想でしかなかった「アルノーさんに会ってフランス語でランボーについて話す。」という夢が叶ったのはすごくうれしかったです。今回、観光はほとんどせず、終わってしまいましたが、本当に唯一無二の思い出を作ることができました。そういう意味で本当に貴重な旅だったなあと思います。

いつか日本で会えたらうれしいなあー、とまた勝手に妄想笑。でも、きっとアルノーさん日本にいらっしゃったら、日本を気に入ってくれる気がします。またこの夢もいつか叶うといいなあ。

以上、今回のランボー関連のレポでした。

En quête des traces de Rimbaud vol.1 - Petit voyage à Charleville 〜ランボー探訪〜

実は、今回のパリ旅行の目的は2つあって、1つはもちろんフレンチ・ミュージカル観劇でした。が、実は、もう1つ大きなテーマがあり、それが、ランボーの生まれ故郷であるシャルルヴィルを巡ること、そして、ランボーのミュージカルをリシャール(・シャーレ)と共同制作したアルノー・ケラン(Arnaud Kerane)さんにパリでお会いして、ランボーのミュージカルについてお話を伺うということでした。

というわけで、今回は、シャルルヴィルでのランボーゆかりの地巡りのレポをしていきたいと思います。

Mont Olympeの前で。この橋でアルノーさんとリシャールは、
youtubeの映像を撮影していたみたいです。
なんだかその場所に自分がいることが不思議でした。
http://youtu.be/cPoz10q_At4
私が、ランボーのミュージカルについて
知るきっかけになったyoutube映像。
時期も多分同じぐらいだったのか、まさにこの風景が
自分の前に広がっていました。

■ そもそものことのなりゆき

今回のパリ行きのそもそもの目的はもちろん、フレンチ・ミュージカル鑑賞(当初は、ミスタンゲットとVampire。)でした。、ちょうど10月のフレンチ・ミュージカル・ガラコンが近づいている頃で、「ランボー」の曲はやるんだろうか、と考えていたら、そういえばランボーの生まれ故郷のシャルルヴィルってパリから行けるんじゃ?、と突然(爆)思い立ちました。で、調べてみたら、2時間くらいだったので、日帰りで行けるなと思い、これも旅程に加えることにしました。個人的に人でごった返す都会はあまり好きではないので、田舎に行けて(爆)ちょうどいいなと言う気持ちもありました。

初TGVに乗りました。快適。
で、そうだ、パリに行くんだったら、アルノーさんってパリジャンだったじゃない、とまた突然思い出し、もしかしたら、会ってもらえないだろうか、と夢物語みたいなことをふと思いつきました。

リシャールにもいつもダメもとでお願いをしているので、とりあえず、アルノーさんにもダメもとで、ランボーについてお伺いできる機会を設けてもらえないでしょうかと聞いてみました。我ながら、大胆、、、(っていうか普段絶対こんなことしない。。。)と思ったのですが、驚いたことにアルノーさんは、忙しいけれど、パリのカフェでちょっと話をするくらいなら喜んで、と快諾していただきました。。。

Charleville-Mézièresの駅。
大きくはないけれど、クラシックで素敵な駅でした。
確か、この最初の約束をしたのがちょうどガラコンの直前で、ガラコンのときに、リシャールに、アルノーさんにパリに会いに行くんだ、と言ったら、「アルノーはね、mon frère(兄弟)なんだよ。」ととってもうれしそうに話してくれました。

Musée Rimbaudの前にあるオブジェ。椅子一つ一つにランボーの
言葉が刻まれています。
で、その後、日にちを改めて設定してもらって、さて、手はずは整った、、、ということになったのですが、、、フランス語が(汗)(結局、これは、今後の課題にもなってしまったのですが。)。あー、そしてランボーの本をいろいろ読み終わってなかったり、なんと言うか準備不足のまま(そう、やるだけやってツメが甘いのです、私。)パリに旅立ちました。会う約束をしていた日はちょうどシャルルヴィルに行った次の日だったので、シャルルヴィルはいろいろ情報収集も兼ねて歩き回りました。

気温はかなり低かったですが、まだ秋の名残が所々見られました。
■ シャルルヴィル探訪

シャルルヴィルは、一言で言うと、いたって普通の田舎町、でした。言い方が正しいかどうかわかりませんが、可もなく不可もない、本当に小さな静かな街。9:30に街に着いて、17:00くらいにシャルルヴィルを出る予定になっていましたが、15:00くらいで街の見所はほぼ全て回っていました笑。

街のメインストリート。旅行者としてはかわいらしい小さな街
と言う感じで散策しているのは結構楽しかったです。
旅行客としては、街並みもきれいだし、ムーズ川の湖畔は、冬なので若干寒々としていましたが、夏などに歩き回ったらかなり心地良さそうな感じでした。たぶん、Marché de Noël などがやっている時期は夜もかなり美しい街だと思います。ですが、ここで生まれ育ったとしたら、、、多分ランボーでなくとも退屈だったろうなあ=パリに出たいと思うだろうなあとは思いました。ただ、あまりに静かでこじんまりとした街だったので、こんな地味な街(という表現が正しいかはわかりませんが。。。)からあんなextrêmeなぶっ飛んだ考え方をする詩人が現れるというのが、個人的に意外というか、ちょっとしたギャップのように思えました。

ムーズ川湖畔。本当に人がいなくて静寂でした。
でも、都会の喧騒から離れてとても落ち着く場所でした。

街の中のランボーという本屋さんのショーウィンドーに飾ってあった絵。
シャルルヴィルにはランボーやランボーの作品にちなんだ
名前のお店がいっぱいありました。
そういえば、ヴィタリーに関する本に、アルデンヌ地方の人は、気象環境が厳しかったり、場所柄、国境付近の街なので、よくドイツ軍の侵入を受けたり、生活が厳しかったので、フィジカルでもメンタルでもタフというようなことが書いてあったのですが、街の人を見ていると確かに、パリの人とは違いました笑。パリの人は小洒落ているけれど、シャルルヴィルの人と比べるとそういえば、軟弱に見える(笑)。逆に、シャルルヴィルの人たちは、あまり洗練されている印象はないけれど(ちょっと、グラスゴーの労働者階級の人たちの雰囲気と似ている。)無骨なタフさを感じる人たちが多かったです。あと、やっぱり、ちょっと保守的な感じ(私の記憶では、白人でない人はほとんど見かけなかったと思います。なので、自分が浮きまくりだった。)がしました。

本屋「ランボー」

さて、シャルルヴィルでは、ほとんどアルノーさんとリシャールがyoutubeの映像で巡っているところをそのまま回っていただけなのですが、ランボーのお墓、デュカル広場、カフェ(バー)・ドゥ・リュニヴェール、アルデンヌ博物館(ミュゼ・ランボーが改修中のため、遺品が一部こちらに展示されていました。)、ムーズ川、ミュゼ・ランボーの建物となっている水車小屋@改修中、ランボーが通っていたコレージュ跡、教会、ランボーが少年時代を過ごした家(今は、ラ・メゾン・デザユールというランボーの人生や作品に関するインスタレーション等の展示が行われている記念館になっている。)を巡りました。

水車小屋。
2014年12月現在改修中ですが、普段はMusée Rimbaudとして
彼の遺品等が展示されている場所です。

デュカル広場

ムーズ川

バー・ドゥ・リュニヴェール
ランボーが通っていたコレージュ跡
実は、これらの場所は、リシャールとアルノーさんが製作したミュージカル「ランボー・ミュージカル」の楽曲の1つである”Charleville mon soupir(シャルルヴィル、僕の溜め息)”の歌詞にも出てきます。
個人的に一番印象に残ったのは、La maison des Ailleursかなあと思います。ここが、現代アートの展示場になっていることは事前に知っていたのですが、実際行ってみると、おー、という感じでした。部屋によって赤だったり、緑だったり、テーマカラーのようなものがあって、部屋の内部にはランボーの詩作の音読がこだまし、壁にはプロジェクターで作品の文が写されていました。一応、部屋一つがランボーの人生のある時期に関する説明になっていて、その説明のすごく小さなプラカードが置いてありました。

プロジェクターでいろいろなものが映し出されていました。
蜷川さんの「皆既食」のランボーの台詞に確か、「いろいろな色を見てみたい。」(とってもうろ覚え。。。)みたいな台詞があった気がするのですが、まさにこの展示はその彼の色彩のvividさが表現されているように思いました。という意味で、ある意味、ランボーの頭の中を探検しているような気分になりました。=ある意味、人を不安にさせるというか、安定からの脱却、みたいな感覚を味わうことができました。(そういう意味でちょっとしたお化け屋敷(爆)的要素もなきにしもあらず。)。

La maison des Ailleurs。ランボーの頭の中?みたいな
不思議な空間でした。

部屋によっては水車小屋が見えました。

建物自体は、もちろん、ランボーが住んでいた当時のままなので、古くてきれいな洋館なのですが、そこに現代アート、というギャップがまた新鮮でした。係員の人に片言のフランス語+英語で聞いたところ、現代アートを入れている理由はやはり、ランボーはmoderneな詩人だったから、そのスピリットを現しているいるということらしいです。

ランボーが少年時代を過ごしたという部屋。
ここでランボーは詩作を始めたそうです。
ちなみに、アルノーさんともこの展示の話をしたのですが、この展示は光とか音とかいろいろな演出があって、まさに「舞台」みたいだねとリシャールと話していた、らしいです。確かに。そして、彼らはここでランボーの歌を実際歌っていたらしい(笑)。フランスって自由笑。でも、私が行ったときもお客さんは私以外に一人だけのようだったし(すっごい熱くランボーについて係の人に語ってました笑。)、確かに何しててもあんまり怒られなさそうな気はします。

 La maison des Ailleursの入口

ランボーが先生であるイザンバールに宛てた手紙の一部が
記念館の壁に書かれていました。
この手紙、私も結構好きなのですが、アルノーさんも、この写真を
見せたら、この手紙の言葉暗唱してるよ、と笑って答えてくれました。
あと印象に残ったのは、やはりお墓とランボーの遺品でしょうか。お墓は、最初ぼけっとしていて気づかなかったのですが、ランボーと妹のヴィタリーのお墓が2つ立って並んでいる下に、ランボーの母のヴィタリーとランボーの祖父のお墓が固まって配置されていました(ランボーは他にも兄や妹がいるのですが、彼らのお墓はどこにあるのだろう、っていうか、ランボーとヴィタリーだけなんで特別扱いなんだろうと素朴に思いました苦笑。やっぱり母ヴィタリーにとっては特別な子ということだったんでしょうか。)。

ランボーのお墓(向かって右側)。
息子アルチュールと母ヴィタリーがすぐ近くで眠っているというのも何だか感慨深いですが、それと同時に、息子の墓は立派なものであるのに対し、母の墓はいたってシンプル、かつ目立たないように配置されているところに、ヴィタリーの愛というか、溺愛(というと言い過ぎかもしれませんが。。。)を感じました。

ランボーの母ヴィタリーと祖父のお墓。
墓石に刻まれている言葉はどのお墓も一緒でいたってシンプル。名前、年齢、亡くなった日、「彼(女)のために祈って下さい。」の一言。そのシンプルさにちょっと拍子抜けしましたが、お祈りしました。少年時代も家出をしたり、詩作を放棄した後もアフリカなどの土地を転々としたランボーが最後に眠るのは、大嫌いだと言っていたシャルルヴィルというのも、なんだか皮肉なようで、感慨深い気がしました。(でも、故郷って、誰にとってもそういうambivalentな場所であるとは思うので、それほど驚くべきことでもないとは思うのですが、なんだか、ランボーでもそうなのね、と妙に納得してしまいました。)。

最後に戻ってくるのはやっぱり故郷。
お墓の前にいたときは、もっと感慨深いかなと思ったのですが、意外とそれほどでもなく(爆)、でも、今年の頭に、いろいろ調べ始めてからほぼ1年くらい経っていたので、なんだか不思議な気持ちでした。ちなみに墓地もひっそりとしていて、自分以外誰もいませんでした。

墓地の入口
墓地の中。静かでした。

ランボー宛の手紙を書けるポストも。
そして、ランボーの遺品たち。ミュゼ・ランボーのオリジナルの展示の規模がよくわからないので、アルデンヌ博物館に移設して展示してあった品々がどれくらいの割合のものなのかわかりませんが、メジャーなものは全て集結しているような印象を受けました。ランボーのスーツケースは思ったよりも大きくて、スカーフなどはエスニック色が強い感じのものでした。

ランボーのスーツケースや時計、スカーフなど。
ランボーの写真や手紙。ただ手紙はみんなレプリカだったような。
アルノーさんが以前一緒に写っていた等身大のランボー写真

ランボーの本。ボロボロでした。

ランボーの胸像。アルノーさんとも話したのですが、
ランボーって今の基準から言ってもかなりの
美少年だったと思います。

有名な絵。ただこの絵のランボーはかなりもっさりしている笑。

教会も、特別に大きな教会というわけではなかったのですが、Vitalieの曲の中にjusqu’à l’égliseという歌詞があって、ここでヴィタリーは、アルチュールのことを思ってお祈りしたんだろうかと思うとちょっと感慨深かったです。


教会。ヴィタリーもここで祈ったのだろうか。
教会の中。ここも誰もおらず一人でお祈りしました。
そんなこんなで、ランボーの過ごした街を探訪し、その空気感を知ることができたのは、とても良かったです。でも、、、確かにランボーがこの街を脱出したくなってしまった理由もわかる笑。
引き続き、今度はアルノーさんとのトーク・レポ(こちら)を書いていきたいと思います。

2014年3月17日月曜日

ソウルでの思い出 〜 Séjour à Séoul - Ce que l'interview m'a appris〜

ソウルでは、目的のガラコンは散々だったけれど、実は、とても思い出に残る出会いがあった。

ソウルから帰ってきて2週間以上経っているので、ちょっと記憶が薄くなってしまっているが、思い出せる限りで書いていこうと思う。

最近よく思うのが、人とのつながりの深さというのは、必ずしも、その人と物理的に頻繁に会っているとか、近くにいるということとは比例しないということ。むしろ、たった1回しか会わなかった人とか、年に数回しか会わない友人とか、そういう人から言われた一言というのは、振り返るとすごく心に刻み込まれているということがけっこうある。

今回の旅でもそういう出会いがあった。

ホステルがあった通り。かなり薄暗く、まさに裏通り。
予算の問題と、前回のシンガポールで予想外にホステルの面白さにハマってしまったので、今回も、再びホステルに宿泊。主要な目的はフレンチガラコンだったので、とりあえずセジョンセンターにほど近く、かつ清潔そうな場所をいくつかピックアップしてみた。本当はこのホステルではなく、カプセルホテルのようにプライバシーが確保しやすそうなホステルにしようとしていたのだが、あいにくそのホステルは、1日空きがない日があったので、2番手のこのホステルにした。最寄りは、安国駅。

バスで仁川空港からホステルに着いた頃は既に23:00を回っていたと思う。(18:50成田発の飛行機に乗った。)。

ホステルには事前に遅く着くことは伝えてあったので、この時間に着いたときも、スタッフはちゃんと私のことを待ってくれていて、暖かく迎えてくれた。やはりこういうところはホステルの素晴らしいところだ。

そして、泊まる部屋に案内される。
4人部屋に予約を入れていたはずだが、泊まっていたのは私以外は一人だけ。しかも、若者ではなく(でも、前回のシンガポールも、みんながみんなすごく若い人ばかりが利用している訳ではないということは知っていたので、それほどの驚きはなかった。)西洋人のおばちゃんだった。とりあえず、この日は夜遅かったので、Sorry to disturb you.とだけ言って、就寝。


そして、次の日起床。シンガポールのときと同様、黙っていると大変気まずいので、とりあえず、Good morning.と言ってみる。昨日は、気づかなかったが、おばちゃんというより、おばあちゃんという感じの初老の女性だった。アクセントから、アメリカの人かなと思い、Are you from the States?と聞くとオハイオから来たという。早期退職をして、世界中を旅して回っているらしい。ソウルにも既に結構長い間滞在しているようだった。話した感じ、とても優しげな感じの人でほっとする。

朝食を食べにいくと、たまたまそのおばちゃんと私だけだったので本格的にトーク開始。ホステルの最初の会話はだいたいどこから来たか?か、何をしているか、から始まる気がするが、今回も例に漏れず。案の定、いつものように学生と間違われる。これは、想定内なので、実は働いてるんです、と説明し、翻訳とかまあそういったたぐいの仕事をしているんだと説明する。

すると、おばちゃんに、「Do you like what you're doing now?」と朝から、直球に人生への問いかけをされてしまう。

そして、一瞬言葉に詰まる私。
日本だったら、「ええ。」+適当にニコニコ。で済ますのだけれど、なぜか、このとき、このおばちゃんには、正直にいろいろ話をしてもいいような気がして、「Well, that's a difficult question...」と話し始める。



ここ2、3年、実は、自分のやっている仕事をこのまま続けるべきなのだろうか?と自問する日が続いていた。だが、だからといって、何か他に別の夢があるとかそういうこともなく、また、自分に何か、今やっていること以外で特技があるのかといえば、これもNOでとにかく、人生に行き詰まっていた(苦笑)。

趣味といった趣味もない人間だったので、本当に人生がとにかく「からっぽ」だった。自分が世間一般からすれば、とんでもなく幸運な立場にあることはわかっているのだけれど、その有り難さをきちんと享受できていない自分がいつもいた。いつも何となく空虚で、生きる意味って何なんだろう?とよからぬことを考えてしまうこともなくもなかった(苦笑)。

というわけで、おばさんに、今の仕事が自分にとっては、自分でなくとも誰かができるreplaceableな仕事であること、やりがいや楽しさをなかなか見いだせないこと、等々、よくわからないが内訳話をしてしまった(笑)。

そして、さらにつっこんで、最近、フレンチミュージカルに出会って、その中で、自分の好きな歌手の人のインタビューの翻訳をしていて、そのとき、初めて自分は、「これこそ、自分がしたかったことなのだ。」と気づいた、という話もした。そして、なぜか、i pod touchに入れていたシンガポールで撮ったリシャールの写真を見せて、この人のファンなんだ、とかフレンチミュージカルってこんな感じ、みたいな説明をしてしまう。(こういうとき写真って役立つ笑。おばちゃんにもリシャールはintelligentそうな人ね、と同感してもらえた笑。)

でも、リシャールのインタビューの翻訳をやっているとき、これほど自分が「生きているってすばらしい」と思えた瞬間は今までになかった気がする。今まで、もちろん楽しかったりうれしかったりした瞬間はいろいろあったけれど、今回感じた感覚はそのどれもと違った気がした。まじめに作業していた分、言葉で言えば「大変」ではあったが、それが全く苦にはならなくて、とにかく、頭を抱えながら、リシャールの言わんとすることを考えることが楽しくて仕方なかった。以前訳したローランの"Le choix"のときもそうだけれど、とにかく無心になって翻訳をしていた。



趣味の翻訳は、お金をもらえるわけでもなく、実際に書いたところで読んでもらえる人もそれほどたくさんいない。でも、不思議なことにお金をもらってしている仕事よりもずっと「幸せ」を感じることができた。自由に、自分の思った通りに表現できるということが、やっぱり大きかったんだと思う。

仕事の翻訳も確かに出来上がったときは達成感はあるけれど、こうして趣味で訳したいと思うものを訳しているときは、本当に自分が知りたいこと、表現したいことであったりするので、充実感が全然違う。

そして、もう一つ。微力であるけれども、応援するリシャールの頑張っているプロジェクトをちょっとだけでも、他の人に知ってもらうことができた、そして、リシャールに若干うざがられつつも(苦笑)、「応援ありがとう。」と言ってもらえたことは、とてもうれしかった。基本、内勤業務をしている自分にとっては、自分がやる作業に対する評価が直接的にはわかりにくいことが多い。だからこそ、「顔」が見える、というか、直接「ありがとう」(まあ、もちろん多分にお世辞の部分もあるとは思うけど(苦笑))と言ってもらえたり反応をもらえることは、普段感じたことのない喜びだった。

そして、そんなことをしながらふと思ったことが、「仕事」って本来はこうあるべきなんじゃないか、ということだった。朝起きるたびに、何のために自分は「仕事」に行くんだろうと疑問を持つ日々って正しいことではないんじゃないかという気がした。

確かに、今の仕事を続けながら、仕事は仕事と割り切って、趣味で、今のミュージカルのファン活動(爆)をして充実した生活を送るという方法ももちろんあるし、今やっていることが、直接仕事になるとは実際のところちょっと考えにくい。でも、リシャールの翻訳をしながら、こんなに生き生きとした時間を過ごすことができるはずなのに、それをしないで、これからうん10年も人生の大半の時間を占める「仕事」をしていくことに果たして自分は耐えられるだろうか?と疑問を持ってしまった。


死ぬ前にしたいこと…チョークの様々な書き込みを見ながら
自分だったら何だろうとふと考えた。

ちょっと脇道に逸れてしまったが、こんなようなことをおばさんに話したら、おばさんが意外にも「I know what you mean。」と返してくれた。そして、卒業から50年記念同窓会で会った同級生の話をしてくれた。彼女の同級生は、自分の仕事は必ずしも「好き」ではなかったが、その仕事自体をこなすことはすごくうまくできていたのだという。でも、その仕事にやりがいを見いだすことはできず、数年前、ボランティアで移民の人たちに英語を教えるボランティアを始めたのだという。そして、そこで、これこそ私が好きなことだ、と気づき、今でも彼女はそのボランティアを続けているのだという。彼女は本当に輝いていたわ、とそのおばさんは話してくれた。

彼女自身は、ソーシャルワーカーとしてずっと働いてきたが、ソーシャルワーカーには、世の中のありとあらゆる悲しいことに毎日出会うことになる、やりがいはあったけれど、毎日悲しい現実と向き合う生活をずっと続けるのはもうこれ以上いいと思い、早期退職をして、数ヶ月おきにいろいろな国に滞在しているのだと話してくれた。そういう生活をするのが長年の夢だったという。最近では、コロンビアの児童福祉施設か何かで英語を教えるボランティアをしたりしていたらしい。なかなかバイタリティーのあるおばちゃんだ。

朝からこんな打明け話をするとは思わなかったけれど、すごく有意義な会話をした気がした。年齢も境遇も全く違うのに、自分の話にこんなに共感を持って聞いてくれる人がいることにすごく驚いたし、全く知らない人にこんなに素直に自分について話をすることができたのにも自分自身驚いた。これは、彼女の誰に対してもオープンで寛大なパーソナリティーに依るところが大きいのだと思うのだけれど、時として、そういうちょっと「重い」話をするのは、逆に自分のことを全く知らない人の方が話しやすいということもあったように思う。とても逆説的なんだけれど、こう思うことって今までも結構あったりした。



博物館見学後疲れて休憩。たそがれてました。

韓国ミューデビューをしました。

さて、その後一人で大韓民国歴史博物館を巡り(この博物館あんまり面白くなかった…。)夜は直前の思いつきで現地のシアターでWickedを鑑賞し、ホステルに戻ってきたのはやっぱり23時過ぎだったと思う。

この日も当然、おばちゃんは寝ているだろうと思い、そっと部屋に戻ると、明かりが未だついている。「まだ起きていたのね。」というと「今日は起きていることにしていたの。」とおばちゃん。

そして、ここからよなよな1:00くらいまでおばちゃんと本当にいろいろなトークをした。
朝もディープな話をしたが、夜はそれ以上に個人的な話をいろいろしてしまった。おばちゃんはすべての話を本当に親身になって聞いてくれた。

まず、年を重ねれば重ねるほど人生の重大な選択をするときに「間違ってはいけない」と思ってなかなか思い切った決断をすることができずにいるんだ、という話になった。

するとおばちゃん。実にシンプルな答えを返してくれた。

「正しいと思ってやっていたことだって、結果としては、全くうまくいかなかったことなんていくらでもあるわ。だから、とりあえず、やってみて、これは自分に向いてないとか、これは違うと思ったら、また違うことを試して修正していけばいいのよ。」

そして、悩める子羊さらに質問(笑)。
実は、アラサーで、ミュージカル歌手の追っかけなんてしてしまってヤバくないだろうか、という葛藤が実は以前は結構あった。20代前半のヤングガールなら、青春+エネルギッシュだね、となるだろうし、逆に、私より年上の人たちは、ちゃんとした仕事人であったり、家庭があったり、お子さんがいたりして、既に自分の中で何かしらちゃんとした役割があって、その上でアーティストたちを暖かく見守っているという感じがする。

周りはみんな結婚してきちんと家庭を築いたり、自分の信じる新たな進路の選択をしたり、現実的、堅実な生活を送っているというのに、仕事上でも私生活でもきちんとした「何か」を築けていないのにもかかわらず、自分は「夢の世界」に浸っているなんて、かなり痛々しいよなという気がしていた。。。

アラサーにもなったというのに、既婚者の一回りも歳上の歌手(リシャールを客観的に表すとこうなる苦笑。)に「Vous êtes super!」とか書いちゃってる自分(いや、もちろんそれだけじゃないけど…。)、というのが、何とも痛々しい、というかそれを通り越して、何か生々しい(苦笑)と最初の頃は自分で自分に結構引いていた(苦笑。今はそんな片鱗すらないけれど笑。)。だから、自分の中の理性的な部分としては、こんなことにうつつを抜かしている場合じゃないだろ、これって現実逃避じゃないか、と思うことも、ままあった。

でも、その一方で、万年無趣味な自分にとって、こんなにも、「これって面白い。」、「これって大好きだ。」と直感的に確信を持って思えたことはなかった。理由なんてない。まさに「頭」ではなく「ハート」で「これだ!」と思うものがあった。今まで自分は、「あるべき姿」(これは、自分の中でのあるべき姿というより、どちらかというと世間的に自分がどう見られたいか、という「あるべき姿」に近い気がする。)をまず思い描いて、そこにたどり着くにはどうすべきかということを常に考えてきた。だから、その「あるべき姿」に辿りつくまでの道のりは、必ずしも、自分が楽しいと思えるものであるとは限らなかったし、ある意味常に、打算的で、人生に「得」、「損」みたいなところで全ての価値を判断していたように思う。だから、人生の中での「生きる喜び」とか「豊かさ」とかそういったもっと根源的なものはいつも後回しだった気がする。



いつもだったら「理性の私」のこんなバカなことはやめて、もっと「まともな」道に行くべきだという内なる声に従っていたと思うのだが、なぜか、今回だけは、この先どうなるか全くわからないけれど、この船に乗っかってみよう、と思った。後ろめたい気持ちは、まだまだあったけれど、こんなにも熱中できるものを見つけられたのに、それを、年齢的に「不相応」だから、とか、これからの自分のキャリアや人生には邪魔だから、という理由で、あっさり辞めようと思うことができなかった。

ファン活動を始めた頃は、この公演が終わったら、とかコンサートが終わったら、この世界から離れようといつも思っていたのだけれど、回を重ねるたびに、公演や作品そのものから学ぶことももちろんあったし、それだけではなく、いろいろな人との出会い、その中で得た新たな世界、価値観等々、こんな大事なものを得ることができたのに、あっさりこれら手放すことなんてできない、という思いが常にあって、「理性の自分」と「ハートの自分」の間で、いつもジレンマを抱えていた。


で、おばちゃんがくれた一言。

「自分にとって、大事だ、大好きだ、ということは他人がどう言おうと気にしていてはだめ。何歳になっても恥ずかしいと思う必要はないわよ。だって、つまるところ、人生の最後に、つまらないことばかりしている人生だったと思うなんて、最悪じゃない。誰かがどう思っているかなんて関係ないもの。自分の頭ではなくて、心が正しいと思っていることを追うことは間違いではないわ。それこそ、本当にあなたの求めていることだもの。」

そして、アラサーにもなって…、と言っていたことについても、おばちゃんはちょっと面白い話をしてくれた。

「私が17のとき、祖母に(当時祖母は70代くらいだったと思うけれど。)70歳になるってどんな感じ?って聞いてみたの。そしたら、祖母は『17のときと全く同じ気持ちよ。』と言っていたわ。それを聞いて私はすごくほっとした。人間はいくつになっても、変わらない部分があっていいんだって、思えたから。何歳になっても、うれしいことがあったら、誰しも子どものように喜んでしまったり、「子どもっぽく」なってしまうことは往々にしてあるものよ。だから、○○歳になったからって○○歳らしく振る舞わなきゃなんて、ずっと思う必要はないのよ。」

おばちゃんの言うことは、決して目新しいことではない。むしろ、自分の中で思っていたことではあるけれども、それを心から自分が信じてみることができなかった、というか信じることを恐れていた言葉だったように思う。

誰かに、あなたの思っていることは間違ってないんだよ、と自分は肩を押して欲しかったのかもしれない。

おばちゃんと話をしていて、もっと自由に思うように生きればいいのかもしれないと思った。


おばちゃんとよなよな話していたホステルの部屋。


他にもおばちゃんとはいろいろな話をした。

上記のような人生談義だけでなく、その日に行った博物館の善し悪しや、韓国で驚いたこと、日本で観光したら面白い場所(おばちゃんは実はこの後、日本にくる予定らしかった。理由は、残りの人生、限られているから、自分が動けるうちに見るべき物は見ておこうと思ったの、とのこと笑。)等、他愛ない話もいろいろした。

とにかくおばちゃんとは、いろいろな点で気が合った。お互い、旅に出るならホテルに閉じこもるのではなくて、自分の足でローカル巡りをするのが好きとか、グルメやショッピングにはそれほど興味がないとか(笑)、スケジュールを詰め込んだ旅行は嫌いとか、特に計画を立てず"unexpected"なものに出会うのが好きだとか…。親友と呼べる友達よりもひょっとすると共通点が多かったかもしれない(笑)。


おばちゃんの言葉は、年を重ねた人だからこそ真実味があるというか、一言一言が、心に染み込んでいく気がした。

そして、この年齢だからこそ、人生を俯瞰して見れるというか、細かいことなんて気にしないで人生を楽しむことが大切なのだ、という、シンプルだけれど普段の生活で忘れがちな大事なことを身をもって示してくれた気がする。

おばちゃんが何度か繰り返していた「もう私の時間は限られているから…。」という言葉。こんな言葉をサラリと言ってしまうおばちゃんに最初ちょっとびっくりしてしまったけれど、終わりが見えているこそ、それまでの時間を一瞬でも無駄にせず生きるのだ、というおばちゃんの「生き方」を端的に示している言葉な気がする。

さて、ダラダラ思い出話を書いてしまったが、とりあえず、「縁」や「出会い」って本当に不思議だし、すばらしいものだ、と今回の旅で改めて感じた。そして、期せずして、自分の仕事やら人生やらについて考えるいいきっかけになったと思う。

ファン活動を始めるまでは、運命とかそういうものはほとんど信じないタイプだったけれど、でも、「出会い」というのは、時として、本当に自分でもびっくりするほど、ベストタイミングで起こったりする。"unexpected"なものが昔は、一番嫌いだったのに、今では「何が起こるかわからない。」ということをむしろ楽しもう、と思う自分がいる。本当に不思議だ。

フレンチガラコンが残念な感じで帰ってきたとき、おばちゃんが言ってくれたことば。
「確かに、何事もうまくいかないこともある。でも、たとえうまくいかなくても、何事もinterestingじゃない?」


おばちゃんのように、うれしいこと、悲しいこと、自分に起こるすべてのことを"interesting"だと思って、人生を楽しめる自分に早くなりたいものです。。。

おわり。