2014年12月15日月曜日

En quête des traces de Rimbaud vol.1 - Petit voyage à Charleville 〜ランボー探訪〜

実は、今回のパリ旅行の目的は2つあって、1つはもちろんフレンチ・ミュージカル観劇でした。が、実は、もう1つ大きなテーマがあり、それが、ランボーの生まれ故郷であるシャルルヴィルを巡ること、そして、ランボーのミュージカルをリシャール(・シャーレ)と共同制作したアルノー・ケラン(Arnaud Kerane)さんにパリでお会いして、ランボーのミュージカルについてお話を伺うということでした。

というわけで、今回は、シャルルヴィルでのランボーゆかりの地巡りのレポをしていきたいと思います。

Mont Olympeの前で。この橋でアルノーさんとリシャールは、
youtubeの映像を撮影していたみたいです。
なんだかその場所に自分がいることが不思議でした。
http://youtu.be/cPoz10q_At4
私が、ランボーのミュージカルについて
知るきっかけになったyoutube映像。
時期も多分同じぐらいだったのか、まさにこの風景が
自分の前に広がっていました。

■ そもそものことのなりゆき

今回のパリ行きのそもそもの目的はもちろん、フレンチ・ミュージカル鑑賞(当初は、ミスタンゲットとVampire。)でした。、ちょうど10月のフレンチ・ミュージカル・ガラコンが近づいている頃で、「ランボー」の曲はやるんだろうか、と考えていたら、そういえばランボーの生まれ故郷のシャルルヴィルってパリから行けるんじゃ?、と突然(爆)思い立ちました。で、調べてみたら、2時間くらいだったので、日帰りで行けるなと思い、これも旅程に加えることにしました。個人的に人でごった返す都会はあまり好きではないので、田舎に行けて(爆)ちょうどいいなと言う気持ちもありました。

初TGVに乗りました。快適。
で、そうだ、パリに行くんだったら、アルノーさんってパリジャンだったじゃない、とまた突然思い出し、もしかしたら、会ってもらえないだろうか、と夢物語みたいなことをふと思いつきました。

リシャールにもいつもダメもとでお願いをしているので、とりあえず、アルノーさんにもダメもとで、ランボーについてお伺いできる機会を設けてもらえないでしょうかと聞いてみました。我ながら、大胆、、、(っていうか普段絶対こんなことしない。。。)と思ったのですが、驚いたことにアルノーさんは、忙しいけれど、パリのカフェでちょっと話をするくらいなら喜んで、と快諾していただきました。。。

Charleville-Mézièresの駅。
大きくはないけれど、クラシックで素敵な駅でした。
確か、この最初の約束をしたのがちょうどガラコンの直前で、ガラコンのときに、リシャールに、アルノーさんにパリに会いに行くんだ、と言ったら、「アルノーはね、mon frère(兄弟)なんだよ。」ととってもうれしそうに話してくれました。

Musée Rimbaudの前にあるオブジェ。椅子一つ一つにランボーの
言葉が刻まれています。
で、その後、日にちを改めて設定してもらって、さて、手はずは整った、、、ということになったのですが、、、フランス語が(汗)(結局、これは、今後の課題にもなってしまったのですが。)。あー、そしてランボーの本をいろいろ読み終わってなかったり、なんと言うか準備不足のまま(そう、やるだけやってツメが甘いのです、私。)パリに旅立ちました。会う約束をしていた日はちょうどシャルルヴィルに行った次の日だったので、シャルルヴィルはいろいろ情報収集も兼ねて歩き回りました。

気温はかなり低かったですが、まだ秋の名残が所々見られました。
■ シャルルヴィル探訪

シャルルヴィルは、一言で言うと、いたって普通の田舎町、でした。言い方が正しいかどうかわかりませんが、可もなく不可もない、本当に小さな静かな街。9:30に街に着いて、17:00くらいにシャルルヴィルを出る予定になっていましたが、15:00くらいで街の見所はほぼ全て回っていました笑。

街のメインストリート。旅行者としてはかわいらしい小さな街
と言う感じで散策しているのは結構楽しかったです。
旅行客としては、街並みもきれいだし、ムーズ川の湖畔は、冬なので若干寒々としていましたが、夏などに歩き回ったらかなり心地良さそうな感じでした。たぶん、Marché de Noël などがやっている時期は夜もかなり美しい街だと思います。ですが、ここで生まれ育ったとしたら、、、多分ランボーでなくとも退屈だったろうなあ=パリに出たいと思うだろうなあとは思いました。ただ、あまりに静かでこじんまりとした街だったので、こんな地味な街(という表現が正しいかはわかりませんが。。。)からあんなextrêmeなぶっ飛んだ考え方をする詩人が現れるというのが、個人的に意外というか、ちょっとしたギャップのように思えました。

ムーズ川湖畔。本当に人がいなくて静寂でした。
でも、都会の喧騒から離れてとても落ち着く場所でした。

街の中のランボーという本屋さんのショーウィンドーに飾ってあった絵。
シャルルヴィルにはランボーやランボーの作品にちなんだ
名前のお店がいっぱいありました。
そういえば、ヴィタリーに関する本に、アルデンヌ地方の人は、気象環境が厳しかったり、場所柄、国境付近の街なので、よくドイツ軍の侵入を受けたり、生活が厳しかったので、フィジカルでもメンタルでもタフというようなことが書いてあったのですが、街の人を見ていると確かに、パリの人とは違いました笑。パリの人は小洒落ているけれど、シャルルヴィルの人と比べるとそういえば、軟弱に見える(笑)。逆に、シャルルヴィルの人たちは、あまり洗練されている印象はないけれど(ちょっと、グラスゴーの労働者階級の人たちの雰囲気と似ている。)無骨なタフさを感じる人たちが多かったです。あと、やっぱり、ちょっと保守的な感じ(私の記憶では、白人でない人はほとんど見かけなかったと思います。なので、自分が浮きまくりだった。)がしました。

本屋「ランボー」

さて、シャルルヴィルでは、ほとんどアルノーさんとリシャールがyoutubeの映像で巡っているところをそのまま回っていただけなのですが、ランボーのお墓、デュカル広場、カフェ(バー)・ドゥ・リュニヴェール、アルデンヌ博物館(ミュゼ・ランボーが改修中のため、遺品が一部こちらに展示されていました。)、ムーズ川、ミュゼ・ランボーの建物となっている水車小屋@改修中、ランボーが通っていたコレージュ跡、教会、ランボーが少年時代を過ごした家(今は、ラ・メゾン・デザユールというランボーの人生や作品に関するインスタレーション等の展示が行われている記念館になっている。)を巡りました。

水車小屋。
2014年12月現在改修中ですが、普段はMusée Rimbaudとして
彼の遺品等が展示されている場所です。

デュカル広場

ムーズ川

バー・ドゥ・リュニヴェール
ランボーが通っていたコレージュ跡
実は、これらの場所は、リシャールとアルノーさんが製作したミュージカル「ランボー・ミュージカル」の楽曲の1つである”Charleville mon soupir(シャルルヴィル、僕の溜め息)”の歌詞にも出てきます。
個人的に一番印象に残ったのは、La maison des Ailleursかなあと思います。ここが、現代アートの展示場になっていることは事前に知っていたのですが、実際行ってみると、おー、という感じでした。部屋によって赤だったり、緑だったり、テーマカラーのようなものがあって、部屋の内部にはランボーの詩作の音読がこだまし、壁にはプロジェクターで作品の文が写されていました。一応、部屋一つがランボーの人生のある時期に関する説明になっていて、その説明のすごく小さなプラカードが置いてありました。

プロジェクターでいろいろなものが映し出されていました。
蜷川さんの「皆既食」のランボーの台詞に確か、「いろいろな色を見てみたい。」(とってもうろ覚え。。。)みたいな台詞があった気がするのですが、まさにこの展示はその彼の色彩のvividさが表現されているように思いました。という意味で、ある意味、ランボーの頭の中を探検しているような気分になりました。=ある意味、人を不安にさせるというか、安定からの脱却、みたいな感覚を味わうことができました。(そういう意味でちょっとしたお化け屋敷(爆)的要素もなきにしもあらず。)。

La maison des Ailleurs。ランボーの頭の中?みたいな
不思議な空間でした。

部屋によっては水車小屋が見えました。

建物自体は、もちろん、ランボーが住んでいた当時のままなので、古くてきれいな洋館なのですが、そこに現代アート、というギャップがまた新鮮でした。係員の人に片言のフランス語+英語で聞いたところ、現代アートを入れている理由はやはり、ランボーはmoderneな詩人だったから、そのスピリットを現しているいるということらしいです。

ランボーが少年時代を過ごしたという部屋。
ここでランボーは詩作を始めたそうです。
ちなみに、アルノーさんともこの展示の話をしたのですが、この展示は光とか音とかいろいろな演出があって、まさに「舞台」みたいだねとリシャールと話していた、らしいです。確かに。そして、彼らはここでランボーの歌を実際歌っていたらしい(笑)。フランスって自由笑。でも、私が行ったときもお客さんは私以外に一人だけのようだったし(すっごい熱くランボーについて係の人に語ってました笑。)、確かに何しててもあんまり怒られなさそうな気はします。

 La maison des Ailleursの入口

ランボーが先生であるイザンバールに宛てた手紙の一部が
記念館の壁に書かれていました。
この手紙、私も結構好きなのですが、アルノーさんも、この写真を
見せたら、この手紙の言葉暗唱してるよ、と笑って答えてくれました。
あと印象に残ったのは、やはりお墓とランボーの遺品でしょうか。お墓は、最初ぼけっとしていて気づかなかったのですが、ランボーと妹のヴィタリーのお墓が2つ立って並んでいる下に、ランボーの母のヴィタリーとランボーの祖父のお墓が固まって配置されていました(ランボーは他にも兄や妹がいるのですが、彼らのお墓はどこにあるのだろう、っていうか、ランボーとヴィタリーだけなんで特別扱いなんだろうと素朴に思いました苦笑。やっぱり母ヴィタリーにとっては特別な子ということだったんでしょうか。)。

ランボーのお墓(向かって右側)。
息子アルチュールと母ヴィタリーがすぐ近くで眠っているというのも何だか感慨深いですが、それと同時に、息子の墓は立派なものであるのに対し、母の墓はいたってシンプル、かつ目立たないように配置されているところに、ヴィタリーの愛というか、溺愛(というと言い過ぎかもしれませんが。。。)を感じました。

ランボーの母ヴィタリーと祖父のお墓。
墓石に刻まれている言葉はどのお墓も一緒でいたってシンプル。名前、年齢、亡くなった日、「彼(女)のために祈って下さい。」の一言。そのシンプルさにちょっと拍子抜けしましたが、お祈りしました。少年時代も家出をしたり、詩作を放棄した後もアフリカなどの土地を転々としたランボーが最後に眠るのは、大嫌いだと言っていたシャルルヴィルというのも、なんだか皮肉なようで、感慨深い気がしました。(でも、故郷って、誰にとってもそういうambivalentな場所であるとは思うので、それほど驚くべきことでもないとは思うのですが、なんだか、ランボーでもそうなのね、と妙に納得してしまいました。)。

最後に戻ってくるのはやっぱり故郷。
お墓の前にいたときは、もっと感慨深いかなと思ったのですが、意外とそれほどでもなく(爆)、でも、今年の頭に、いろいろ調べ始めてからほぼ1年くらい経っていたので、なんだか不思議な気持ちでした。ちなみに墓地もひっそりとしていて、自分以外誰もいませんでした。

墓地の入口
墓地の中。静かでした。

ランボー宛の手紙を書けるポストも。
そして、ランボーの遺品たち。ミュゼ・ランボーのオリジナルの展示の規模がよくわからないので、アルデンヌ博物館に移設して展示してあった品々がどれくらいの割合のものなのかわかりませんが、メジャーなものは全て集結しているような印象を受けました。ランボーのスーツケースは思ったよりも大きくて、スカーフなどはエスニック色が強い感じのものでした。

ランボーのスーツケースや時計、スカーフなど。
ランボーの写真や手紙。ただ手紙はみんなレプリカだったような。
アルノーさんが以前一緒に写っていた等身大のランボー写真

ランボーの本。ボロボロでした。

ランボーの胸像。アルノーさんとも話したのですが、
ランボーって今の基準から言ってもかなりの
美少年だったと思います。

有名な絵。ただこの絵のランボーはかなりもっさりしている笑。

教会も、特別に大きな教会というわけではなかったのですが、Vitalieの曲の中にjusqu’à l’égliseという歌詞があって、ここでヴィタリーは、アルチュールのことを思ってお祈りしたんだろうかと思うとちょっと感慨深かったです。


教会。ヴィタリーもここで祈ったのだろうか。
教会の中。ここも誰もおらず一人でお祈りしました。
そんなこんなで、ランボーの過ごした街を探訪し、その空気感を知ることができたのは、とても良かったです。でも、、、確かにランボーがこの街を脱出したくなってしまった理由もわかる笑。
引き続き、今度はアルノーさんとのトーク・レポ(こちら)を書いていきたいと思います。

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