2014年11月6日木曜日

French Musical Concert 2014 @ Theatre Orb (番外編/Les photos 〜シンガーたちの写真〜)

さて、今さら感満載ですが、ガラコン後のキャストたちの写真です。
今回のガラコン、コンサートにも、もちろん感動したのですが、公演後にキャストたちに会って、彼ら自身がすごく喜んで日本に来ていることが感じられたことも、すごくうれしかったことの一つでした。ファンとの交流も、今回はすごく一人一人丁寧にみんな対応してくれていて、キャストのシンガーたちの、できるだけファンの人と交流したいという思いがすごく強く感じられました。(感動。。。)

また、近いうちに彼らと再会できればなあと思います。

マットが、このときの様子を映像で記録してくれていました^^ほんと素敵な映像。
日本のファンがすごいクールだ、なんて僕はラッキーなんだ、と熱く語ってくれてるマット。
うれしいなあ。こんなこと言ってくれて。

 


そういえば、もう一つとて もいい思い出になったのがほかのファンの方たちとのリアル・ミーティング笑。普段は大阪-東京でなかなかリアルに会えない彼女たちとディープなファントーク ができたのはすごくうれしかったです。ロミジュリやノートルダム・ド・パリの東京公演のときは、私は他のファンの方との交流というのは実はほとんどなかっ たので、こんなにたくさんのファンの方たちと「あらー、ご無沙汰してます」トーク(笑)をしたのは初めて。

どの席で鑑賞していても必ず近くに知り合いがいる…笑。面白い経験でした^^

さてさて、本題。

一人一人との思い出と共にガラコンを振り返りたいと思います^^

が、、、これは私の性格なのですが、カメラ目線の写真がほとんどありません(汗)。
というのも、ナチュラルな感じで撮った方がその場の雰囲気がよくわかるのと、今回、シンガーたちがみんなとっても楽しそうだったので、その様子をぜひ収めようと思ったというのもあります。

ちょっとでもその場の雰囲気が伝わればと思います!

On y va!

友人のTさんが作っていたpoupées。
ゴキゲンなロベールさんとリシャール、人形を振りながら、
Florenceを歌っていました笑。
気づいたらマット(・ローラン)(Matt Laurent)の写真がツーショとこれだけ。
マットには、しどろもどろに
CD1位おめでとう!というもなんだか取ってつけた感があって申し訳なかった。。。
「気に入ってくれた?」といつものスーパースマイル。
「いつもあなたの曲を聴くと夏の気分になれます!」と言ってみましたが、
本当だけど、もう少しまともなことが言えてればよかった涙。。。

1日目公演後。わらわらとキャストたちがでてきました。
この日はパーティーがあるとかで、ちょっと待ったのですが、
他のファンの方たちとトークをし、全く飽きませんでした笑。
ひょっとすると会えないかもと覚悟していたので、
彼らを見たときはとってもうれしかった^^
左端に写っているカメラを持っている方、たぶん上記のマットの映像を
撮ってくれていた方です。

シリル&リシャール。この2人に挟まれてのツーショ。
ちょっとうらやましい^^

初来日のナディア・ベル(Nadia Bel)。歌ももちろんすばらしかったですが、
この素敵スマイルにみんなイチコロでした^^
(写真ボケちゃってますが。)
一応、しどろもどろになりながら去年と今年ガラコンで
あなたのエスメラルダ、野性味があるんだけど、
でもとっても美しくて大好きでした!と対面告白(笑)。

素敵スマイルをもういっちょ。
初日、スタスタふつうに帰ろうとしていたナディア笑。
みんなあなたのこと待ってたのよーと思わず言いたくなってしまいました。
ナディアはフランス人ですが、やはり外国だからか、フランス語
で話しかけられてもなぜか英語。ちょっとはにかみながら
Merci~、thank you~と言う姿がほんとうに愛らしかった^^
「初演から出ているんだよね?」と聞くと
「でも、もうエスメラルダをやるのはやめたけど。」とナディア。
ちょっとさびしいけど、またガラコン等であなたのエスメラルダを
見たいです<3

楽しそうにファンからの写真だかプレゼントを見て
笑顔のシリルとリシャール。
シリル(・ ニコライ)(Cyril Niccolai)。予想はつきましたが、モテモテでした^^
したがって、気づいたら自分、ツーショ撮り損ねました。。。

なんとなくいい感じに写っていたリシャール(・シャーレ)(Richard Charest)。
3日間とも公演後会いに行きましたが、
ファンの写真大会があるのをわかってか
毎日みんな全然違う服で来ていました(わりとカジュアル目だったけど。)。
リシャールは今回毎日違うスカーフをしていました。
この赤いスカーフも似合ってたなあ。

poupéeをてにはめるリシャール。
楽しそうでした。
ちなみに、なんで今回ランボーの中でも
「ヴィタリー」を選んだのか聞いてみたら、デュオ曲だからだそう。

ソフィー・(トランブレー)(Sophie Tremblay)さん。彼女とは去年の
ソウルでのヴィクトル・ユゴー・ガラコン以来の再会でした。
今回は生まれたばかりの息子さん&旦那さんも一緒。
あれ、息子さんですか?と聞くとOuiii!とかわいく答えてくれました。
彼女もケベコワーズなので、英語もフランス語もペラペラ。
ちゃんと、ファンの人の名前を聞いてサインしていて、とても丁寧にファンと交流していました。
2日目だかに、みんな帰ってしまって、自分一人になってしまったとき、
「あらやだ、On my ownだわ!」とジョークを言っていました。
気さくでキラキラ女子でしたー。
そして、フランス語上手ねーと言ってくれた(涙)。ありがとうございます。。。



ファンに丁寧に対応するナディアと奥でにっこりのシリル。
こういう場面が今回本当にあちこちで見られました。幸せ。


今回、 レミゼの'what have I done'/'Valjean's soliloquy'で観客を
釘づけにしたロベール(・マリアン)(Robert Marien) さん。
ほんと異次元でしたが、公演後は
この笑顔^^実は以前から、NDPのフロロで、ロベールさんのフロロだけは
単なる悪人ではなく人間としての悲哀が漂うフロロになっているのは
演技なのか、それとも自然とそうなってしまうのか気になっていたのですが、
その質問をロベールさんにしてみました。するとやはり、これは「演技」なのだとか。
フランス語で最初質問しようとして意味不明になりかけて、もごもごしていると
英語で大丈夫だよ!とロベールさん。(だが、フラ語と英語がぐちゃぐちゃになり
余計変なことになった苦笑)「多くのフロロ役のシンガーたちは、単なる「悪人」として
フロロを演じますよね。」と言うと、「うん、それは知っているよ。でも、人間ていうのは
もっと複雑なものだよ。」とロベールさん。やっぱり発言が一言一言かっこいい。
そして、ロベールさん、こういった質問お好きなのか、目がキラキラ輝いてました。
来年、NDP韓国ツアー行けたら、また質問してみたいなあ(夢)。

以上、ちょっと「あの楽しかった日を」リライブでした。
また日本に来てね^^ みなさーん。

2014年11月5日水曜日

Les Paroles de "Vitalie" (Rimbaud Spectacle Musical) ~「ヴィタリー」の歌詞~

前回のリシャールとランボーに関するガラコン絡みの記事からの続き。

早速、フレンチ・ミュージカル・コンサートで披露されたRimbaud Spectacle Musicalの「Vitalie(ヴィタリー)」のオリジナルのフランス語詞と日本語訳(拙訳で恐縮ですが。。。)を載せていきたいと思います。

前回のミニ・インタビュー(下記参照)に引き続き、厚かましいお願いではあったのですが、前回と同様、快く歌詞を教えてくれたリシャールには感謝です。本当にどうもありがとう!

Rimbaud Spectacle Musicalの詳細を知りたい方は、以前まとめたものがありますので、下記のリンクをご覧ください。

・アルチュール・ランボー(Wiki)→こちら
・ミュージカルの登場人物、背景→こちら
・Rimbaud Spectacle Musicaleに関するリシャールのミニ・インタビュー→こちら
・ミュージカルができたいきさつ→Part1Part2

************************************

まずは、この歌の背景から。
リシャールに会場であまり説明がなかったんだ、とメッセに書いていたら、下記のような説明も付けてくれたのでそちらも載せておきます(会場で販売されていたパンフの解説と被るところもありますが、ちょっとだけこちらのほうが詳しいかと思います。)。

Explication de la scène : Arthur est parti à Paris sans avertir sa mère. Il s'est fait arrêter par des policiers dans le train puisqu'il n'avait pas d'argent pour payer son billet. Il fut reconduit chez son professeur (en mentor) George. George croit qu'Arthur devrait montrer plus de respect à l'égard de sa mère, Vitalie. Arthur n'est pas d'accord. (La chanson VITALIE représente cette discussion entre le jeune poète et son professeur à propos de la mère d'Arthur)

舞台の説明:アルチュール(・ランボー)は母に事前に何も言わぬままパリへと旅立った。彼は切符代を払うお金がなくなり、電車の中で警察に 逮捕されてしまった。アルチュールは先生(師でもある)ジョルジュの元へと送り届けられた。ジョルジュは母であるヴィタリーに対してもっと敬意を払うべきだと思っている。しかしアルチュールはそうは思わない。(「ヴィタリー」は、この若き詩人と彼の教師とのアルチュールの母に関しての口論を表現している曲なんだ。)

註)リシャールは、はっきりとは書いていませんが、この歌は、1870年、ランボーが初めて家出したとき(おそらく当時16歳ぐらい。)のことを歌っている曲なのだと思います。ランボーが生まれ育ったシャルルヴィルという街(現在は、他の都市と合併して、シャルルヴィル=メジエールとなっている)は、フランスといっても、まさにフランスの外れ(ベルギー国境の街。)に位置しており、アルチュールにとっては、こんな退屈な田舎暮らし、してられるかということで、家出をしたということのようです。


シャルルヴィルの様子。アルノーさんとリシャールが
ランボーゆかりの場所を巡っています。

シャルルヴィル・メジエールの様子(恐らく観光局のオフィシャルビデオ。
後半にランボー関連の博物館などが出てきます。個人的には素敵な街に
見えますが笑。)。


もともと、アルチュールは母と大変折り合いが悪く(反逆的、前衛的な息子と、とっても厳しい、全てをコントロールしようとする保守的なお母さん、なのでまあこういう関係になってしまうのは驚きではありませんが苦笑。)、そんな母から逃れるという意味合いもあったのだろうと思います。

ジョルジュは、アルチュールの学校の先生であると同時に詩や文学の世界へアルチュールを導いた師でもあり、理解者でもあったようです。というわけでアルチュールからすると、兄、あるいは父(年齢的には6歳しか違わないのですが。)のような存在であり、母よりもむしろ頼りにしていた相手だったようです。

この家出事件の際に警察に拘束されたときも最初に連絡したのは、母ではなくジョルジュだったようです。ジョルジュはこの曲にもあるように、ランボー家(主にヴィタリー)とアルチュールの間に入って関係を修復するよう働きかけをしていたようです(ランボーを保護したときも、すぐにシャルルヴィルの家には帰さず、彼の親戚の家に滞在できるよう取り計らいをしました。)。しかし、その努力もむなしく、、、この1回目の家出のあと、すぐにアルチュールはまた家出をし、その後も家出を繰り返します。そして、ヴェルレーヌとのアヴァンチュールを始めます。。。
 
歌の主人公であるアルチュール・ランボーの母、「ヴィタリー」。
確かに意志の強そうな女性。
一応、楽曲も。00:30ぐらいから"Vitalie"の一部分が聴けます。

***********************************

VITALIE (ヴィタリー)

Paroles : Arnaud Kerane - Richard Charest Musique : Richard Charest)
歌詞:アルノー・ケラン&リシャール・シャーレ 
曲:リシャール・シャーレ
(歌詞については上記お二人のものなので、無断転載はご遠慮ください。)

(G: Georges (ジョルジュ)、A: Arthur(アルチュール))

GEORGES : Vitalie erre petite femme en noir  
Discrète et fière et sans histoire           
Vitalie erre sombre et fragile            
Entre Mézières et Charleville            

ARTHUR : Vitalie sème ses faux sourires    
Jusqu’au marché jusqu’à l’église       
Vitalie reine d’hypocrisie               

ARTHUR : Vitalie traîne son coeur de pierre 
De marbre froid de cimetière           

GEORGES : Vitalie pleure le soir venu     
Ce fils qu’elle ne reconnaît plus        

ARTHUR : Vitalie elle je la méprise      

GEORGES : Mais qu’a t-elle fait de si terrible ?

ARTHUR : Vitalie elle détruit ma vie      
                             
GEORGES : Vitalie elle tu la détestes    

ARTHUR : Dans chaque vers dans chaque geste 

G+A : Vitalie elle détruit (ta) ma vie           

G+A : Vitalie perd fils et mari                

ARTHUR : Sut-elle vraiment nous retenir 

G+A : Vitalie c’est (ta) ma déchirure    

GEORGES : Ta mère Jean Nicolas Arthur 
        Ta pauvre mère                                       
GEORGES : Ta mère               

ARTHUR : Mon ombre              

G+A : (Mon) Ton sang              

G+A : Complice                   

G+A : Vitalie saigne se sacrifie         
         En nous toujours sommeille              

A : Un mauvais fils                    

G : Un mauvais fils 

****************************
 
 (日本語訳)

*詞なので、わりと自由に訳してしまっている(文法通りでない)ところや、訳出上、仏語の文と語順が異なっているところがあります。というわけで、あくまで参考程度に読んで頂ければと思います。
仏語的な観点に興味がある方用にちょっと注釈もつけておきました。ご興味がある方はそちらもご覧ください。(内容は、前回の記事に載せた「ヴィタリー・ランボー-息子アルチュールへの愛(クロード・ジャンコラ著)」やWiki情報を参照しています。)。
                    

ジョルジュ ヴィタリーは彷徨う*
         彼女は、小柄な女性で黒い服を着て
         質素で誇り高く、平凡な生活を送っている**
      
         ヴィタリーは彷徨う
         メジエールとシャルルヴィルの間で
         彼女は、陰気で脆い人間だ***

*errerという「さまよう、さすらう」という意味の動詞が使われていますが、これはおそらく、その後に出てくるelleと韻を踏むために選ばれたことばだという気がしますが、どこに行ったかわからない息子を探して、実際に奔走したヴィタリー、または、そんな息子を探して精神的にも、彼女の心はさまよう、といった感じだと思います。

**ヴィタリーの保守的な様子の描写。農民出身の彼女は、幼い頃に母親を亡くし、若いころから家を取り仕切る役割を担わなければいけない状況にあり、大変苦労をしたようです。というわけで、質素こそ美徳と思っていた女性であり、息子アルチュールは、このような「平凡」「平穏」な生活をする母を侮蔑しているわけです。 

*** sombre(陰気) et fragile(脆い)とありますが、ヴィタリーはやはり上記のような人生を送ってきた女性のため、決して愛想のよい女性とは言い難かったようです苦笑。しかし、アルノーさんとリシャールはここで彼女について「fragile(脆い)」という表現も同時に入れています。彼女は、表面上、厳格かつ強気な女性だったわけですが、その奥に、子どもの家出に激しく動揺する「脆さ」も同時に併せ持った二面性を持った女性ということを二人は表したかったのではないでしょうか。以降、ジョルジュの歌詞にはヴィタリーの「隠れた顔」とも言うべき面が語られます。

アルチュール:ヴィタリーは偽りの微笑みを振りまいて*
            市場や教会においてまでも**
           ヴィタリー、偽善の女王

*ヴィタリーは、周囲の自分や家族の評判を非常に気にしていたといいます。当時、珍しかった母子家庭であったこと(後半に父の話がでてきますが、アルチュールの父は彼が幼いころに家を出ていました。)、等、世間から後ろ指を指されてはいけない、との半ばプレッシャーのような思いがそうさせたのではないかと思いますが、とはいえ、そんな表面だけ繕ったような生活を送る母をランボーは痛烈に批判している、というわけです。

**保守的なヴィタリーは、大変信心深いクリスチャンでもあったといいます。つまり、教会に絶対の信頼をおいているような人間であり、彼女の生活範囲というのは、まあ教会、市場、それぐらいの狭い範囲なんだ、といったアルチュールの侮蔑の意味合いがここには、含まれているのかもしれません。

アルチュール:ヴィタリーはいつも墓地の大理石の墓石のような冷徹な心の持ち主で*

*traînerという動詞の本来の意味は引きずる、ですが、そういう心を引きずる=いつもそういう冷たい心のままだった、ということなのだと思います。「優しい母」像とは全く逆ですね。しかし、ジャンコラさんの本にも書いてあって、ああと思ったのですが、父がいなくなって以降、ヴィタリーは母親であったと同時に家の権威としての父親の役割も同時に果たしていたわけで、「愛情深い母」でいることはできなかったと考えることもできるのではないでしょうか。

ジョルジュ:  ヴィタリーは夜が来ると、泣いている
           この息子はもう私の知っている息子ではないと

アルチュール:ヴィタリー、おれはあいつを軽蔑している

ジョルジュ:    でも、彼女は何かそんなひどいことをしただろうか?*

*ジャンコラさんの本を読んでいた限りだと、ジョルジュは、ヴィタリーがアルチュールを抑圧しているということは理解しており、アルチュールに同情するところも多分にあったようですが(ジョルジュ自身、ヴィタリーから「息子に悪いことを吹き込んだのはお前だろう」といったようなことも言われていたようです苦笑。)、それでも、彼を家に送り届けたり、やはりジョルジュは先生として、あるいは「兄」として、家族なんだから、という思いがあったのかもしれません。でも、このような中途半端ともいえる思いが、若きアルチュールには気に食わなかったんでしょうね笑。

アルチュール:ヴィタリー、あいつは俺の人生をめちゃくちゃにした

ジョルジュ:ヴィタリー、きみは彼女をひどく嫌っているね

アルチュール:言葉の一言一言、振舞い一つ一つにも*

*これは、ジョルジュの「きみはひどく嫌っているね」を受けているので、アルチュールが言葉、行動すべて気に食わない!と言っているということなんだと思います。言葉に当たる語は、vers(通常は、「詩句」の意味)が使われていますが、ここでは、 「詩」では意味が通じないので、言葉と意訳しました。

2人:ヴィタリー、あいつは(君の)俺の人生をめちゃくちゃにした

2人:ヴィタリーは息子と夫を失った*

*息子はもちろんアルチュールを指すので、彼が家出をした、さらには、心、精神的なつながりについては、まったく彼女の元から離れてしまったということをperdreという語で表しているのだと思います。そして、アルチュールの父、すなわちヴィタリーの夫フレデリックは、軍人だったのですが、元々留守がちであった上にヴィタリーと折り合いが悪く、アルチュールが幼いうちに家族を置いて家を出て行きました。(ヴィタリーは、以後、彼が生きている間も「寡婦」として生きていたそうです。)頼るべき夫もおらず、また期待を掛けていた息子にまでも愛想をつかれた、ちょっとかわいそうなお母さん。。。

アルチュール:あいつは俺たち*を引き留めておけると思っていたんだろうか?

*nous(私たち(ランボーなので、俺たちとしましたが。))は、ここでは父とアルチュールのことを指しているはずです。retenirは引き留める、留まらせる。ここは反語だそうなので、いや、引き留められなかった。→前述のように、夫と息子を失った、ということを半ばえぐるような形でアルチュールは表現しているわけですね。ここにも、アルチュールの母への侮蔑の気持ちが溢れています(苦笑)

2人:ヴィタリー、それは(君の)俺の心を引き裂くもの*

*déchirureは辞書を引くと裂け目、破れ目、悲痛な思い等の意味が出てきますが、ここでは、動詞のdéchirer(引き裂かれる)を名詞化したような感じで訳してみました。心を引き裂く→激しい苦痛を与えるもの、ひどく苦しめるもの、ということなのではないかと思います。また一段と激しい母への憎悪を感じさせる言葉です。。。

ジョルジュ:君のお母さんじゃないか 
      ジャン・ニコラ・アルチュールよ*
      気の毒な君のお母さん

*突如、ジャン・ニコラ、と出てきて誰?と思ったのですが、ランボーの本名は、Jean Nicolas Arthur Rimbaud。というわけで、本名を全部呼んでいる、ということです。

ジョルジュ:君のお母さん

アルチュール:俺の影*

*母が常に自分の人生に影を落としている、といった意味でしょうか。また、英語版のWikiを見ていたら、アルチュールは母のことをbouche d'ombre(影の口)と陰で呼んでいたようです。

ジョルジュ:(俺の)君の血*

*sangは文字通り、血、ですが、血縁、「血は争えない」の血、ということだと思います。 つまり、ジョルジュからすれば、そうはいってもヴィタリーは血を分けた君のお母さんなんだよ、ということであり、アルチュールからすると、いまいましい、「血」が自分の中にも流れているんだ、ということなのかもしれません。

2人:共犯者*

*原文のCompliceという言葉。この単語は、ヴィタリーとアルチュールの関係性を実に鋭くいい当てている言葉だと思うのですが、こちら訳にとっても迷いました。辞書的な意味は、訳にも載せたように共犯者ですが、実際にここでアルノーさんとリシャールが表現したいことは、おそらく、この親子は、性格が正反対のようで実は似た者同士、むしろ切り離せない、お互いを必要とする関係にあった、ということなのではないかと思います。

というのも、ジャンコラさんの本にもあったのですが、実は、母ヴィタリーも当時夫に帯同して行動するのが一般的な時代に、夫の赴任先に一緒に行くことを拒否したり(これは彼女の選択)、母子家庭で女手一つで4人の子どもを教育熱心に育てたり、現代の言葉でいえば、だいぶフェミニスト的視点を持った女性であったそうです。というわけで、思考としては大変保守的だったかもしれませんが、その一方で「自立した女性」という意味では、「時代の最先端を行く女性」であり、そういった意味でアルチュールはそんな母の「伝統と権威に楯突く」という性質を受け継いでいるともいえるわけです。このように対立しあうのも実は似すぎているから、結びつきが強すぎるからということを端的に表した言葉だと思います。簡単に言うと愛しすぎて、憎いみたいな感じ(笑)でしょうか。アルノーさんとリシャールの詞のセンスが感じられる言葉です^^

2人:ヴィタリーは血を流す*ほどに、自分自身を捧げた

*saignerは文字通り、血を流すという意味ですが、それほどまでに子供たちに期待をかけ、自分のすべてを犠牲にして、育てていたということを表した言葉だと思います。まさに血の滲むような思い。ここ、実はジョルジュ、アルチュールの2人で歌う箇所になっています。最後の部分だから、ということももちろんあるのかもしれませんが、ひとつ前の部分でcompliceという2人の関係性が明らかになった後なので、アルチュールも母を肯定?するような歌詞を歌っているのかもしれません。 もしくは、そんなことしたって、俺から自由を奪うことなんてできないんだぜという反骨精神か。。。笑。こうなるともうイマジネーションの世界ですが。

2人:我々の中には常に親不孝な息子が潜んでいる
   親不孝な息子が

   

さて、最後の部分。ここがまさに、リシャールがヴィタリーの本にサインをしてくれたときに書いてくれた部分ですが(ミニ・インタビューの中でもリシャールはこの部分について触れていたはず。)、詞全体を読んで、なぜリシャールがここを選んだのかやっとわかりました。En nous(私たちの中)となっているところからもわかるように、これは、アルチュール、ジョルジュの対話という枠を超えて、すべての人に、というちょっと普遍的な話になって終わっています。

この「我々の中には常に親不孝な息子が潜んでいる」 という言葉、確かに、、、と思いました。自分は基本的には「優等生」と呼ばれて過ごしてきたタイプの人間ですが(爆)、それでもいつもそういった「反逆児」の自分を心の中に感じていました(それが出ちゃうこともあったけど笑。)。というわけでこの文、そうそう、これすごいわかる!と思って読んでしまいました。

さて、全体を通しての感想ですが、2人のやりとりとしては、リシャールの説明にもある通り、怒れる若き詩人をなだめる先生の「会話」といった感じですが、最後のcomplice然り、「En nous toujours sommeille un mauvais fils」然り、ヴィタリーの二面性をジョルジュに語らせているあたり、人間の複雑さ、皮肉、生々しさ、等々、「美しいだけではない真実」を描いている気がして、おもしろいなあと思いました。そのほかの曲もきっとこういった人間の奥深さ、複雑さを感じさせてくれる曲がいっぱいあるのではないかと期待。。。

言葉の選び方を見ても、普段あんまり見かけない文学的な言葉(単に自分のフランス語が足りないだけ疑惑もありますが苦笑。)が入っていたり、韻が美しく踏まれていたり、芸術度も高いなあといった印象を受けました。

いずれにしても、やっぱり、早く実際の舞台を見てみたいなあと改めて思いました^^

リシャール、公演実現への活動、ぜひぜひがんばってくれ。。。




*和訳に当たって、いろいろな示唆を下さったMewさん有難うございました。
そして、フラ語の歌の構造が全くわからない中丁寧にいろいろ教えてくれたAさんもどうもありがとう。 

2014年11月3日月曜日

French Musical Concert 2014 @ Theatre Orb (番外編/Un beau cadeau de Rimbaud 〜リシャールとランボー〜)

リシャールの件だけ別立てにするのもなんですが。。。

ガラコン裏テーマ(笑)として、外せなかったのが、自分の場合、やはりリシャールが自身でプロデュースしている「ランボー」のミュージカルについて聞くということでした。

リシャールにVitalieの歌詞をVitalieの本に書いてもらいました。
今回のガラコンは、昨年の韓国のソウルでのガラコンの曲目やスタイルを踏襲する感じになりそうだったので、ひょっとするとランボーの楽曲も紹介される可能性はある かなあとも思ったのですが、そうはいっても、これは他のノートルダム・ド・パリのようなミュージカルとは違って、これはリシャール個人のプロダクションの作品なので、集客等の点から考えると日本で披露される可能性は低いかも、、、とも思っていました。

去年の12月にシンガポールで会った時に、自身のミュージカルを2014年か15年にやりたいと思ってるんだけど、今いろいろ協議中なんだよ、と言っていたリシャール。もうすぐ2014年も終わるけど(笑)、どうなってるんだろう??と思っていました。でも、アジアでフランス語のミュージカル(しかもセルフプロダクション)の公演をやるというのは、ちょっと難しいんじゃないかなあという気もしていたので、あまり気軽にどうなってるの?と聞いてみるのも憚られたので、今回の公演でもしお話する機会があったら、ちらりと聞いてみようと思っていました。

そして、ガラコンの1ヶ月ほど前。
FBを見ていたら、リシャールが、日本でやる蜷川さん演出の舞台である「皆既食」(アルチュール・ランボーとポール・ヴェルレーヌ、そして彼の妻であるマチルドの関係を中心に描いた映画である「Total Eclipse(邦題:太陽と月に背いて)」を元にした舞台のようです。)が行われるということを紹介していました。(しかも、ソース元は私のミュー友の方^^)やたらとうれしそうだった、リシャール笑。

やるのが東急系列だったので、ひょっとすると、ランボーの楽曲をこれにつなげてやってくれるかなあと小さな希望が出てきた自分。密かな期待を胸にオーブに向かいました笑。
そして、会場に到着。

とりあえず、まあ、パンフ買うか、と思い、パンフを購入。そしてページを開けると、たまたまですが、リシャールの紹介ページがガバっと開きました笑。

そして、そこにはランボーの文字!

いやー、これは感動しました。。。

しかもそこには、Rimbaud Musicalの曲のうち2曲を実は日本で作っていたという秘話が。→これも、感動した。。。

そして、今回のコンサートでは去年のソウルガラコンで聴いた"Vitalie"が披露されることも知り、さらにテンションが上がりました。期待マックス笑。

そして、実際の舞台。

まずちょっと面白かったのが、Vitalieが「日本に紹介されていないミュージカル」枠で紹介されたこと。しかもMCでセットで紹介された曲がPetit PrinceのLe Plus Beau Et Le Plus Triste Paysage Du Monde。なんか、2つともテーマやミュージカルの規模とか全然違うんだけど笑、と思わず心の中で突っ込んでしまいました。

さらに、実は舞台上では、Vitalieがリシャールの作ったミュージカルの楽曲だということは全く言及されず、かつ説明は詩人アルチュール・ランボーとその母ヴィタリーとの確執を歌った曲というだけのものでした。

蜷川さんの舞台とのタイアップ(笑)等の話も全くなく、何も知らない人からしたら、唐突感は否めなかったと思うし、何より、他のミュージカルと違ってCDとかがあるわけではないので、歌詞が字幕等で出ない演出上、かなり意味不明な感じだったのではないかなあと思います(そうでなくともこの歌はちょっと背景説明が必要。。。)。

そういう意味では、リシャールがちょっと気の毒だったなあと思いました。
たぶん、話を振ったら、彼は実に楽しそうに、説明とかしてくれたと思うので。これは、時間の制限とかがあったので、仕方なかったとは思うのですが(故に、第一部の不思議なナレーションを省いて、曲紹介なり、それぞれの役だった人に話を振るなりしてほしかったんだよなあ。。。)。

で、実際の歌唱の感想。

00:30あたりから"Vitalie"の曲が一部聴けます。

前述のようにPetit Princeの静かな歌の後にわりと激しい感じのヴィタリーが来ていたので若干不思議感はありました。しかも、今回のアレンジ、ボンゴ?みたいな打楽器が入るアレンジになっていて(ソウルガラコンはこんなんじゃなかった気がする。)よくわからないエキゾチック感が漂っていました。そして、テンポも割と遅かった気が。

右手前にランボーの先生であり、師であるジョルジュ役のマットがおり、左奥にランボー役のリシャールという配置。この曲は、先生と生徒の対話というか半ば口論を歌にしたものなのですが、2人ともちゃんと歌いながらその対立を演技で表現していました。最後の方のマットのシャウトがなかなか良かったなあという記憶。そして、リシャール、やっぱり自分の曲ということで、ソウルのときもそうでしたが、いきいきしていました。年齢的にはもちろんアルチュールより全然上ではある訳ですが、反抗的な若き詩人の感じ、よく出てたと思います。

とっても楽しそうにファンと交流してたリシャール。
 そして公演後。

実は、今回、事前にヴィタリーが演奏されるということはもちろん知らなかったのですが、今年の始めにリシャールにいくつかRimbaud Musicalについてインタビューしたときに付け焼き刃ではあるものの、一応、ランボーの本を斜め読みしていました。

で、その中で立ち読みしていて面白かったのが、ヴィタリーに関する本(以前別の記事でも載せていた気がしますが。。。)。

お母さんとアルチュール(ランボー)の関係にスポットを当てて書いてある本ですが、お母さんの生い立ちから始まり(母親が早くに亡くなり、彼女は一家の母親的役割を担っていた)、夫が家を出た後子ども4人を女手一つで育て、成績優秀なアルチュールに期待をかけて厳しく教育した話(でも、ランボーはそんな抑圧的な母を嫌い、家出とか、ヴェルレーヌと恋愛とかしちゃったりするのですが苦笑。。。)等々、人間として彼女にすごく興味を持ちました。

当時の女性としては珍しい「自立」した女性であったこと、一般的に彼女は天才詩人アルチュール・ランボーを抑圧した悪い母として捉えられているけれども、でも実際には彼女という存在があったからこそ、アルチュールはあのような詩人になり得たのだ、というこの本の作者の主張もおもしろいなあと思いました。

さらに、彼女が、アルチュールについて書いた手紙等も部分的に載っていたりするのですが、それを読んでいると、「悪い母親」といよりは、「子どもを心配し過ぎな過保護なママ」といった方が近いような内容のものも多くて、今の時代の多くのお母さんと大差ない普通の子どもを心配するお母さんみたいな側面を知れたのも良かったです。

偶然なのですが、この本の作者のジャンコラさん、以前、アルノーさん(ランボー・ミュージカルの共作者)がこの人の話をFBでしていたことがあって、その意味でもなんだか思い入れがある本でした。

ヴィタリー・ランボー―息子アルチュールへの愛
(クロード・ジャンコラ著)
Amazon→こちら


というわけで、もし今回のガラコンでリシャールに会えたら、この本にサインしてもらおうかなあと思い、会場に持参していました。

初日、観劇後、他のファンの方と待っていると、ゴキゲンなキャストたちが登場。
リシャールも、もちろんいました。

先にかわいい女子陣にサインをもらったあとに、意を決して(笑)、リシャールに、「Richard, Richard, Richard...」と話しかけてみました。

するとリシャール、振り返って、にっこりとまず、"Ça va?"。

今から考えると驚くことは何一つないのですが、なぜか意外性を自分は感じ、無駄にÇa va. Ça va?と繰り返してしまいました苦笑。一応、フランス語学校に数か月通っていたので(いや、でもそんなに実力が伸びたかと言うと疑問。。。)、フランス語に接することについては、今までほど気圧されはしませんでしたが、、、でも、前もって用意していた「舞台すごかったー!」等のことばはどっかに飛んでました(汗)でも、リシャールとフラ語で会話したのは何気に初めて(メッセとかではフランス語でしたが。。。)だったので、ちょっとうれしかったです。(リシャールのちょっとかわいいケベコワ訛りのフランス語を生で聞けたのもうれしかった^^)

そして、この日のリシャール、とってもご機嫌でした。

今まで会ったリシャールは、東京NDP公演→ちょっとお疲れ、去年のソウルガラコン→ランボーの本を渡したときは喜んでたけど、瞬時にサインタイム終了、シンガポール→とっても静か、ときてたので、これは私的にすごい驚きでした。。。

勝手に横で写真を撮っていたら(汗)わざわざこちらを
向いてくれたリシャール。
そして、いろいろなことをブッ飛ばして、開口一番、ランボーの質問をしてしまいました苦笑。
「ランボーのプロダクションはどんな感じ?」と超初級レベルで聞いてみたところ、、、いろいろリシャール答えてくれたのですが、、、結局こっちのリスニング力が追いつかず(→意味ない。。。)。

でも、何となくの記憶では、来年やる韓国のNDPツアー中に韓国の方とコンタクトを取って話をする予定で、2015年に公演ができたらと思っているというようなことのようでした。「いろいろ複雑なんだよー。でも、2015年にやりたいとは思ってるんだ。」と言ってたリシャール。基本的に去年シンガポールで言ってたことと同じ気がするが(あのときは上海だったけど笑。)、大丈夫なのだろうか??と勝手ながら思ったのですが、 やはり、セルフプロデュース作品と言うことで、一人で何役もこなさなければいけなくて、いろいろ大変なんだろうなあという気がしました。Bon courage, Richard!

その後、他のファンの方々とリシャールを囲んでトークをしていたのですが、ここで、徐に例のヴィタリーの本を出して、「これ、ヴィタリーのジャンコラさんの本の日本語版なの。」、と一応これはちゃんとフラ語で リシャールに説明し、これにヴィタリーの一番好きな歌詞を書いてくれないかな、とリシャールに頼んでみました。

すると、リシャールはジャンコラさんの名前にちゃんと反応してくれて、Ah~と言ってくれ、かつ若干フラ語がボロボロになりかけて焦っていた私に、うん、わかるよ、言いたいこと、というようににっこりと微笑み、本を開いてよし、ヴィタ リーの最後の部分を書くね、と楽しそうに言って、歌詞を書き込んでくれました(上記写真がそのときの様子です。)。

その後、作曲:リシャール・シャーレ、作詞:アルノー・ケラン、リシャール・シャー レと書いてくれ、勢いあまって、左のページに書ききれなかったので、「こっちのページにも書いていい?」と聞かれたのがちょっとおかしかったです。

そのとき、たまたま年始にブログの記事を書くためにしていた付箋をそのままにしていたのですが、それに気づいたリシャールに「これreference?」と聞かれました。そういうところに気づくリシャール。やっぱり細かいなと思いました。そして、本を開けて、これ全部日本語?とちょっと興味深そうに本を見ていました。 (向こうに縦書きはないからちょっと面白かったのかも。)

その後、リシャールファン友達のTさんがマットのCDを差し出すと、とっても楽しそうに、自分がプロデュースした曲にこれと、これとこれ!と言いながらチェックマークをつけていたリシャール。その言い方がなんだかとってもうれしそうで、ファンのこちらまでうれしくなってしまいました。

そういえば、2日目の出待ちのときに何でランボーの楽曲の中でも"Vitalie"にしたの?と 聞いてみたら、「デュオ曲だったから。」だそうです。一押しの曲だったからとかではないんだね…。と素朴に思った私。構成の都合とかももちろんあったんだと思いますが。

リシャールに書いてもらったVitalieの歌詞の最後の部分。
「我々の中には常に親不孝な息子が潜んでいる」
という一節。深い。


最終日、本にサインをしてもらっている写真にサインをしてもらった笑のですが、そのとき、あれ、なんでこの写真という顔をされました。ツーショットとかでなかったのが多分不思議だったのだろうと思うのですが、個人的には、この写真は何よりも宝物になりました。(ひょっとしたら2ショットよりかも苦笑。)

そして、サインをしてもらったあと、もう一つうれしいことが。
去り際にリシャールが「アルノーがメッセをくれて、本の写真を見ていてとても感動したって言ってたよ。」と一言。

実は、コンサートの出待ちの写真をFBに載せていたのですが、それをミュージカルの共同制作者のアルノーさんが見てくれていて、どうやら リシャールに連絡をしてくれていたようなのでした。

これは個人的にこれは、本当にうれしかったです。世界中に散らばっている人がランボーという作品でつながっている(というとすごくおこがましいけれど)、ということがなんだか不思議、でもすごく暖かい気持ちになりました。

そしてコンサート後。

今回のコンサートで、通算3回通しでVitalieを聞いたので、やはり以前より聞き取れた単語は増えたのですが、やはり、歌ということもあってか、全部解読するのは無理でした。。。当たり前ですが。

というわけで、厚かましくも、公演後、リシャールに、ヴィタリーの歌詞を知りたがっている人が他にもいると思うから、歌詞を教えてくれないだろうか、とお願いをしてみました。曲として結構面白そう、と思う人はいても、肝心の曲の意味がわからなければ、せっかくのすばらしい曲の良さが伝わらないのは残念だという思いもファンとしてはありました。

すると数日後に、ちゃんとクレジットを出してくれるなら、いいよ、とお返事が。

リシャール、なんていい人なんだ。

というわけで、次回、リシャールに送っていただいた歌詞&訳を載せたいと思います。

À suivre...

2014年11月1日土曜日

French Musical Concert 2014 @ Theatre Orb (曲編 - Acte 1)

さて、前回から引き続き。。。曲それぞれの感想(第一部)です。

Acte 1 

1.    Ouverture - Le temps des cathédrales (Notre Dame de Paris)  / Richard Charest (Gringoire)

これはリシャールファンとしては堪らないナンバー。暗闇からスッとリシャールが出てきたとき、舞台でブルーのコートを着て出てきたリシャールのことが鮮やかに思い出されました。いつも聞いてるのが韓国ツアー版のCD(フランス語)だからか不思議と違和感はあまりありませんでしたが、でもやはり今の渋いリシャール(CDのリシャールは9年前のリシャールなので、歌負けしてるというか、ちょっと頼りない感じだった笑)でかつフラ語でカテドラルを聞けたのは幸せでした。あと、やはり原語のほうが聞いててしっくりするというのはかなりありました。

2.    Belle (Notre Dame de Paris) / Robert Marien (Frollo), Matt Laurent (Quasimodo) & Cyril Niccolai (Phœbus)

リシャールがカテドラルを歌ってる間に3人が登場。リシャールも歌い終わった後も舞台に残って、ちょっとした演技をしていました。(本物の舞台とちょっと似ている。) 今回、フェビュスはシリルでした。フェビュスの特徴である明るい高音のシリル、ちょっと新鮮でした。衣装を着てないのに、マットが何となくカジモドに見えた。。。

3.    Bohémienne (Notre Dame de Paris) / Nadia Bel (Esmeralda)

Belleの終わりにNadiaが登場。3人の男たちを誘惑しながら Bohémienne を歌いながらの登場でした。いたずらっぽい、かつちょっと妖艶な表情が個人的にすごいツボでした。ナディア嬢に見事に誘惑される男たち笑。この演出はすごく好きでした。そして、肝心の歌ですが、、、ナディアはオリジナル版から2ndとして出演しているということもあって、本当にこの歌は堂に入っているというかブレず美しかったです。今回で彼女の Bohémienneを聴くのは3回目ですが、このちょっと野性味がある荒削りだけれど美しいエスメラルダ、やはり好きでした!

4.    Les Rois du monde (Roméo et Juliette) / Cyril Niccolai (Roméo), Matt Laurent (Benvolio) & Richard Charest (Mercutio)

野郎3人で大いに盛り上がりました笑。観客も拍手を最初からしていて大盛り上がり。リシャールがマキューシオになったのは、消去法(シリルはもちろんロミオ。マットはベンボーリオを昔ケベックでやってた。)だと思うのですが、やっぱりイメージはどっちかっていうと、ベンボーリオのほうが近かったかなあという気がしました。マットのベンボーリオの高音ちょっと演歌っぽかった笑。

5.    Aimer (Roméo et Juliette) / Cyril Niccolai (Roméo) & Sophie Tremblay (Juliette)

ソフィーさんが初登場。 ソフィーさんを見るのは2013年のソウルでのヴィクトル・ユゴーコンサート以来ですが、きれい目の声ではあるものの、ちょっとジュリエットとは違う感じかなあという気がしました(やっぱりセシリアのクリアな声が私のデフォルトだからかなあ。)。1日目は、あまり調子が出てなかったですが、2、3日目は声がすごく飛んでました。シリルは、さすがにこの歌は歌い慣れているので、安心感のあるロミオでした。

6.    Place je passe (Mozart, l'opéra rock) / Richard Charest (Wolfgang Amadeus Mozart)

リシャール一大穴だったこの曲笑。オリジナルのミケランジェロのイメージとリシャールが全く重ならず笑。多分、シリルがContre ceux d'en hautを歌ったので、こちらはということになったんだと思うのですが、最初見たときやっぱり笑いました、私。微妙にちょっとした振りとかまでついていて、リシャール「頑張って」ました。実際キュートだったと言えばキュートだったですが、四十路のリシャールにやらせる曲か?!とは正直思いました。歌についても、1日目はコンスタントに歌を歌うリシャールにしては珍しく、音を外しました。そして、サビで音が上がるとこもなんだかとっても歌いにくそうに歌ってました。ですが、2、3日目は意外に様になってました。やっぱり役者なんだわリシャール。このリシャール版のPlace je passe、微妙だと思っていながら、結構耳にいつまでも残っていました。。。しかもこの後の出待ちでリシャール、確かこの歌について、je connaissais pas (知らなかった)と言っていた。。。Mozartから取ってきた曲としても何でこれだったんだろうな、という気がします。(たぶん、若者はなんたらというテーマでこうなったのではないかと予想。)

7.    Les femmes (Don Juan) / Robert Marien (Don Carlos), Nadia Bel & Sophie Tremblay (Chorus)

去年ロベールさんはケベックでこのミュージカルの再演版に出ていたので当番していたのだろうと思います。きれいな歌だし、ロベールさんの大人の男の色気がちょっとすてきでした。ただ、サビはスペイン語(まあ、お話の舞台はそうだから仕方ないと言えば仕方ないが。)。コーラスの女子2人もロベールさんをちょっと誘惑+ダンスしながらすてきな大人の楽曲になっていました。

8.    Le monde est stone (Starmania) / Nadia Bel & Sophie Tremblay

今回のコンサートで一番よかったと思った曲。 2013年のヴィクトルユーゴーコンサートではソフィーさんが一人で歌っていましたが、今回はナディアとデュエット。この二人のハモりがほんと絶妙でした。哀しいんだけど、美しい。2人とも、とてもパワフル、ソウルフルな歌声なので、高音が特に良かったです。自分もスターマニアは通しで見たことはないですが、フレンチミューを知らない人が聴いてもこの曲は気に入ったんじゃないかな。

9.    Contre ceux d'en haut (Le roi soleil) / Cyril Niccola (Le Duc de Beaufort)i 

突然、民衆の怒号のような効果音と赤いライトで何事かと思ったら、客席の方からシリルが登場。革ジャンまで着てとってもロックな感じ。シリルはやはり声がロックよりなので、すごくこの歌似合ってました。この歌もそういえば、リシャール同様、ちょっとした振りつけがありました。(第一幕は、そういうコンセプトだったんだろうか?笑)。キザな振りでもハマるのはやっぱり王子さまなシリルだからな気がします^^ でも、この曲も敢えてRoi Soleilの中で選ぶ曲なのかなあと思いました。反逆感を出すための選曲だったんだろうか。。。

10.   Tant qu'on rêve encore(Le roi soleil) / Whole cast

太陽王で歌われるとしたら、これかJe Fais De Toi Mon Essentielかなと思っていたのですが、こちらは予想通り全員で歌われました。ただ、この曲カーテンコール曲なので、1幕がここで終わってしまいそうな雰囲気がありました苦笑。でも、歌としては、夢を見続ける限り…というタイトルどおり、 ロマンチックな感じが美しくてライブで聴けてよかったです。でも、やっぱり若向けの曲ということもあるのか、ロベールさんの声質がちょっと浮いてたかなあという気もしました(こういうときにやっぱりそれぞれ向き不向きな歌があるんだなあと気づく。)。

11.  Florence (Notre Dame de Paris) / Robert Marien(Frollo) & Richard Charest (Gringoire)

この2人がフランス語で歌うのは初めてみましたが、英語と同様いい掛け合い。舞台と同様、お互いを見合いながら演技もしていました。そして、この歌、無常観っぽい感じとか、古いものが新しいものに取って代わられるという世の常を歌う世界観が私、大好き なのですが、この歌改めてフランス語版のよさを感じました。なんというか、音の感じがすごく好きで、韻の踏み方もお洒落。韓国の舞台で衣装来たバージョンで見てみたいと思いました。

12.  Vivre (Notre Dame de Paris) / Nadia Bel (Esmeralda)

この歌もNDPナンバーから外せない1曲。「愛」とは「生きる」とは「自由」とは…。いつもこの曲を聴くたびに考えさせられます。そして、やっぱりナディアいいわ<3と思う自分。ナディアのエスメラルダは、(今は年齢的なこともあるけれど。)とにかく力強くて、愛すること、生きることに本当にまっすぐな感じに心打たれました。

13.  Danse mon Esmeralda  (Notre Dame de Paris) / Matt Laurent (Quasimodo)

この歌確かに最後の曲ではあるんですが、1幕の終わりか。。。とちょっと思ってた私。でも、マットは衣装を着なくてもやっぱりこの曲を歌っているとそこかしこに「カジモド」を感じます<3 2日目に♪Danse mon Esmeralda, chante mon Esmeralda、となるところをChanteから始めちゃったマット。あ、間違えちゃったという表情に一瞬なっていたのが面白かったです。にしても、この歌何度も歌ってたはずなのに、ここでマットが間違えたのが不思議笑。