2014年3月17日月曜日

ソウルでの思い出 〜 Séjour à Séoul - Ce que l'interview m'a appris〜

ソウルでは、目的のガラコンは散々だったけれど、実は、とても思い出に残る出会いがあった。

ソウルから帰ってきて2週間以上経っているので、ちょっと記憶が薄くなってしまっているが、思い出せる限りで書いていこうと思う。

最近よく思うのが、人とのつながりの深さというのは、必ずしも、その人と物理的に頻繁に会っているとか、近くにいるということとは比例しないということ。むしろ、たった1回しか会わなかった人とか、年に数回しか会わない友人とか、そういう人から言われた一言というのは、振り返るとすごく心に刻み込まれているということがけっこうある。

今回の旅でもそういう出会いがあった。

ホステルがあった通り。かなり薄暗く、まさに裏通り。
予算の問題と、前回のシンガポールで予想外にホステルの面白さにハマってしまったので、今回も、再びホステルに宿泊。主要な目的はフレンチガラコンだったので、とりあえずセジョンセンターにほど近く、かつ清潔そうな場所をいくつかピックアップしてみた。本当はこのホステルではなく、カプセルホテルのようにプライバシーが確保しやすそうなホステルにしようとしていたのだが、あいにくそのホステルは、1日空きがない日があったので、2番手のこのホステルにした。最寄りは、安国駅。

バスで仁川空港からホステルに着いた頃は既に23:00を回っていたと思う。(18:50成田発の飛行機に乗った。)。

ホステルには事前に遅く着くことは伝えてあったので、この時間に着いたときも、スタッフはちゃんと私のことを待ってくれていて、暖かく迎えてくれた。やはりこういうところはホステルの素晴らしいところだ。

そして、泊まる部屋に案内される。
4人部屋に予約を入れていたはずだが、泊まっていたのは私以外は一人だけ。しかも、若者ではなく(でも、前回のシンガポールも、みんながみんなすごく若い人ばかりが利用している訳ではないということは知っていたので、それほどの驚きはなかった。)西洋人のおばちゃんだった。とりあえず、この日は夜遅かったので、Sorry to disturb you.とだけ言って、就寝。


そして、次の日起床。シンガポールのときと同様、黙っていると大変気まずいので、とりあえず、Good morning.と言ってみる。昨日は、気づかなかったが、おばちゃんというより、おばあちゃんという感じの初老の女性だった。アクセントから、アメリカの人かなと思い、Are you from the States?と聞くとオハイオから来たという。早期退職をして、世界中を旅して回っているらしい。ソウルにも既に結構長い間滞在しているようだった。話した感じ、とても優しげな感じの人でほっとする。

朝食を食べにいくと、たまたまそのおばちゃんと私だけだったので本格的にトーク開始。ホステルの最初の会話はだいたいどこから来たか?か、何をしているか、から始まる気がするが、今回も例に漏れず。案の定、いつものように学生と間違われる。これは、想定内なので、実は働いてるんです、と説明し、翻訳とかまあそういったたぐいの仕事をしているんだと説明する。

すると、おばちゃんに、「Do you like what you're doing now?」と朝から、直球に人生への問いかけをされてしまう。

そして、一瞬言葉に詰まる私。
日本だったら、「ええ。」+適当にニコニコ。で済ますのだけれど、なぜか、このとき、このおばちゃんには、正直にいろいろ話をしてもいいような気がして、「Well, that's a difficult question...」と話し始める。



ここ2、3年、実は、自分のやっている仕事をこのまま続けるべきなのだろうか?と自問する日が続いていた。だが、だからといって、何か他に別の夢があるとかそういうこともなく、また、自分に何か、今やっていること以外で特技があるのかといえば、これもNOでとにかく、人生に行き詰まっていた(苦笑)。

趣味といった趣味もない人間だったので、本当に人生がとにかく「からっぽ」だった。自分が世間一般からすれば、とんでもなく幸運な立場にあることはわかっているのだけれど、その有り難さをきちんと享受できていない自分がいつもいた。いつも何となく空虚で、生きる意味って何なんだろう?とよからぬことを考えてしまうこともなくもなかった(苦笑)。

というわけで、おばさんに、今の仕事が自分にとっては、自分でなくとも誰かができるreplaceableな仕事であること、やりがいや楽しさをなかなか見いだせないこと、等々、よくわからないが内訳話をしてしまった(笑)。

そして、さらにつっこんで、最近、フレンチミュージカルに出会って、その中で、自分の好きな歌手の人のインタビューの翻訳をしていて、そのとき、初めて自分は、「これこそ、自分がしたかったことなのだ。」と気づいた、という話もした。そして、なぜか、i pod touchに入れていたシンガポールで撮ったリシャールの写真を見せて、この人のファンなんだ、とかフレンチミュージカルってこんな感じ、みたいな説明をしてしまう。(こういうとき写真って役立つ笑。おばちゃんにもリシャールはintelligentそうな人ね、と同感してもらえた笑。)

でも、リシャールのインタビューの翻訳をやっているとき、これほど自分が「生きているってすばらしい」と思えた瞬間は今までになかった気がする。今まで、もちろん楽しかったりうれしかったりした瞬間はいろいろあったけれど、今回感じた感覚はそのどれもと違った気がした。まじめに作業していた分、言葉で言えば「大変」ではあったが、それが全く苦にはならなくて、とにかく、頭を抱えながら、リシャールの言わんとすることを考えることが楽しくて仕方なかった。以前訳したローランの"Le choix"のときもそうだけれど、とにかく無心になって翻訳をしていた。



趣味の翻訳は、お金をもらえるわけでもなく、実際に書いたところで読んでもらえる人もそれほどたくさんいない。でも、不思議なことにお金をもらってしている仕事よりもずっと「幸せ」を感じることができた。自由に、自分の思った通りに表現できるということが、やっぱり大きかったんだと思う。

仕事の翻訳も確かに出来上がったときは達成感はあるけれど、こうして趣味で訳したいと思うものを訳しているときは、本当に自分が知りたいこと、表現したいことであったりするので、充実感が全然違う。

そして、もう一つ。微力であるけれども、応援するリシャールの頑張っているプロジェクトをちょっとだけでも、他の人に知ってもらうことができた、そして、リシャールに若干うざがられつつも(苦笑)、「応援ありがとう。」と言ってもらえたことは、とてもうれしかった。基本、内勤業務をしている自分にとっては、自分がやる作業に対する評価が直接的にはわかりにくいことが多い。だからこそ、「顔」が見える、というか、直接「ありがとう」(まあ、もちろん多分にお世辞の部分もあるとは思うけど(苦笑))と言ってもらえたり反応をもらえることは、普段感じたことのない喜びだった。

そして、そんなことをしながらふと思ったことが、「仕事」って本来はこうあるべきなんじゃないか、ということだった。朝起きるたびに、何のために自分は「仕事」に行くんだろうと疑問を持つ日々って正しいことではないんじゃないかという気がした。

確かに、今の仕事を続けながら、仕事は仕事と割り切って、趣味で、今のミュージカルのファン活動(爆)をして充実した生活を送るという方法ももちろんあるし、今やっていることが、直接仕事になるとは実際のところちょっと考えにくい。でも、リシャールの翻訳をしながら、こんなに生き生きとした時間を過ごすことができるはずなのに、それをしないで、これからうん10年も人生の大半の時間を占める「仕事」をしていくことに果たして自分は耐えられるだろうか?と疑問を持ってしまった。


死ぬ前にしたいこと…チョークの様々な書き込みを見ながら
自分だったら何だろうとふと考えた。

ちょっと脇道に逸れてしまったが、こんなようなことをおばさんに話したら、おばさんが意外にも「I know what you mean。」と返してくれた。そして、卒業から50年記念同窓会で会った同級生の話をしてくれた。彼女の同級生は、自分の仕事は必ずしも「好き」ではなかったが、その仕事自体をこなすことはすごくうまくできていたのだという。でも、その仕事にやりがいを見いだすことはできず、数年前、ボランティアで移民の人たちに英語を教えるボランティアを始めたのだという。そして、そこで、これこそ私が好きなことだ、と気づき、今でも彼女はそのボランティアを続けているのだという。彼女は本当に輝いていたわ、とそのおばさんは話してくれた。

彼女自身は、ソーシャルワーカーとしてずっと働いてきたが、ソーシャルワーカーには、世の中のありとあらゆる悲しいことに毎日出会うことになる、やりがいはあったけれど、毎日悲しい現実と向き合う生活をずっと続けるのはもうこれ以上いいと思い、早期退職をして、数ヶ月おきにいろいろな国に滞在しているのだと話してくれた。そういう生活をするのが長年の夢だったという。最近では、コロンビアの児童福祉施設か何かで英語を教えるボランティアをしたりしていたらしい。なかなかバイタリティーのあるおばちゃんだ。

朝からこんな打明け話をするとは思わなかったけれど、すごく有意義な会話をした気がした。年齢も境遇も全く違うのに、自分の話にこんなに共感を持って聞いてくれる人がいることにすごく驚いたし、全く知らない人にこんなに素直に自分について話をすることができたのにも自分自身驚いた。これは、彼女の誰に対してもオープンで寛大なパーソナリティーに依るところが大きいのだと思うのだけれど、時として、そういうちょっと「重い」話をするのは、逆に自分のことを全く知らない人の方が話しやすいということもあったように思う。とても逆説的なんだけれど、こう思うことって今までも結構あったりした。



博物館見学後疲れて休憩。たそがれてました。

韓国ミューデビューをしました。

さて、その後一人で大韓民国歴史博物館を巡り(この博物館あんまり面白くなかった…。)夜は直前の思いつきで現地のシアターでWickedを鑑賞し、ホステルに戻ってきたのはやっぱり23時過ぎだったと思う。

この日も当然、おばちゃんは寝ているだろうと思い、そっと部屋に戻ると、明かりが未だついている。「まだ起きていたのね。」というと「今日は起きていることにしていたの。」とおばちゃん。

そして、ここからよなよな1:00くらいまでおばちゃんと本当にいろいろなトークをした。
朝もディープな話をしたが、夜はそれ以上に個人的な話をいろいろしてしまった。おばちゃんはすべての話を本当に親身になって聞いてくれた。

まず、年を重ねれば重ねるほど人生の重大な選択をするときに「間違ってはいけない」と思ってなかなか思い切った決断をすることができずにいるんだ、という話になった。

するとおばちゃん。実にシンプルな答えを返してくれた。

「正しいと思ってやっていたことだって、結果としては、全くうまくいかなかったことなんていくらでもあるわ。だから、とりあえず、やってみて、これは自分に向いてないとか、これは違うと思ったら、また違うことを試して修正していけばいいのよ。」

そして、悩める子羊さらに質問(笑)。
実は、アラサーで、ミュージカル歌手の追っかけなんてしてしまってヤバくないだろうか、という葛藤が実は以前は結構あった。20代前半のヤングガールなら、青春+エネルギッシュだね、となるだろうし、逆に、私より年上の人たちは、ちゃんとした仕事人であったり、家庭があったり、お子さんがいたりして、既に自分の中で何かしらちゃんとした役割があって、その上でアーティストたちを暖かく見守っているという感じがする。

周りはみんな結婚してきちんと家庭を築いたり、自分の信じる新たな進路の選択をしたり、現実的、堅実な生活を送っているというのに、仕事上でも私生活でもきちんとした「何か」を築けていないのにもかかわらず、自分は「夢の世界」に浸っているなんて、かなり痛々しいよなという気がしていた。。。

アラサーにもなったというのに、既婚者の一回りも歳上の歌手(リシャールを客観的に表すとこうなる苦笑。)に「Vous êtes super!」とか書いちゃってる自分(いや、もちろんそれだけじゃないけど…。)、というのが、何とも痛々しい、というかそれを通り越して、何か生々しい(苦笑)と最初の頃は自分で自分に結構引いていた(苦笑。今はそんな片鱗すらないけれど笑。)。だから、自分の中の理性的な部分としては、こんなことにうつつを抜かしている場合じゃないだろ、これって現実逃避じゃないか、と思うことも、ままあった。

でも、その一方で、万年無趣味な自分にとって、こんなにも、「これって面白い。」、「これって大好きだ。」と直感的に確信を持って思えたことはなかった。理由なんてない。まさに「頭」ではなく「ハート」で「これだ!」と思うものがあった。今まで自分は、「あるべき姿」(これは、自分の中でのあるべき姿というより、どちらかというと世間的に自分がどう見られたいか、という「あるべき姿」に近い気がする。)をまず思い描いて、そこにたどり着くにはどうすべきかということを常に考えてきた。だから、その「あるべき姿」に辿りつくまでの道のりは、必ずしも、自分が楽しいと思えるものであるとは限らなかったし、ある意味常に、打算的で、人生に「得」、「損」みたいなところで全ての価値を判断していたように思う。だから、人生の中での「生きる喜び」とか「豊かさ」とかそういったもっと根源的なものはいつも後回しだった気がする。



いつもだったら「理性の私」のこんなバカなことはやめて、もっと「まともな」道に行くべきだという内なる声に従っていたと思うのだが、なぜか、今回だけは、この先どうなるか全くわからないけれど、この船に乗っかってみよう、と思った。後ろめたい気持ちは、まだまだあったけれど、こんなにも熱中できるものを見つけられたのに、それを、年齢的に「不相応」だから、とか、これからの自分のキャリアや人生には邪魔だから、という理由で、あっさり辞めようと思うことができなかった。

ファン活動を始めた頃は、この公演が終わったら、とかコンサートが終わったら、この世界から離れようといつも思っていたのだけれど、回を重ねるたびに、公演や作品そのものから学ぶことももちろんあったし、それだけではなく、いろいろな人との出会い、その中で得た新たな世界、価値観等々、こんな大事なものを得ることができたのに、あっさりこれら手放すことなんてできない、という思いが常にあって、「理性の自分」と「ハートの自分」の間で、いつもジレンマを抱えていた。


で、おばちゃんがくれた一言。

「自分にとって、大事だ、大好きだ、ということは他人がどう言おうと気にしていてはだめ。何歳になっても恥ずかしいと思う必要はないわよ。だって、つまるところ、人生の最後に、つまらないことばかりしている人生だったと思うなんて、最悪じゃない。誰かがどう思っているかなんて関係ないもの。自分の頭ではなくて、心が正しいと思っていることを追うことは間違いではないわ。それこそ、本当にあなたの求めていることだもの。」

そして、アラサーにもなって…、と言っていたことについても、おばちゃんはちょっと面白い話をしてくれた。

「私が17のとき、祖母に(当時祖母は70代くらいだったと思うけれど。)70歳になるってどんな感じ?って聞いてみたの。そしたら、祖母は『17のときと全く同じ気持ちよ。』と言っていたわ。それを聞いて私はすごくほっとした。人間はいくつになっても、変わらない部分があっていいんだって、思えたから。何歳になっても、うれしいことがあったら、誰しも子どものように喜んでしまったり、「子どもっぽく」なってしまうことは往々にしてあるものよ。だから、○○歳になったからって○○歳らしく振る舞わなきゃなんて、ずっと思う必要はないのよ。」

おばちゃんの言うことは、決して目新しいことではない。むしろ、自分の中で思っていたことではあるけれども、それを心から自分が信じてみることができなかった、というか信じることを恐れていた言葉だったように思う。

誰かに、あなたの思っていることは間違ってないんだよ、と自分は肩を押して欲しかったのかもしれない。

おばちゃんと話をしていて、もっと自由に思うように生きればいいのかもしれないと思った。


おばちゃんとよなよな話していたホステルの部屋。


他にもおばちゃんとはいろいろな話をした。

上記のような人生談義だけでなく、その日に行った博物館の善し悪しや、韓国で驚いたこと、日本で観光したら面白い場所(おばちゃんは実はこの後、日本にくる予定らしかった。理由は、残りの人生、限られているから、自分が動けるうちに見るべき物は見ておこうと思ったの、とのこと笑。)等、他愛ない話もいろいろした。

とにかくおばちゃんとは、いろいろな点で気が合った。お互い、旅に出るならホテルに閉じこもるのではなくて、自分の足でローカル巡りをするのが好きとか、グルメやショッピングにはそれほど興味がないとか(笑)、スケジュールを詰め込んだ旅行は嫌いとか、特に計画を立てず"unexpected"なものに出会うのが好きだとか…。親友と呼べる友達よりもひょっとすると共通点が多かったかもしれない(笑)。


おばちゃんの言葉は、年を重ねた人だからこそ真実味があるというか、一言一言が、心に染み込んでいく気がした。

そして、この年齢だからこそ、人生を俯瞰して見れるというか、細かいことなんて気にしないで人生を楽しむことが大切なのだ、という、シンプルだけれど普段の生活で忘れがちな大事なことを身をもって示してくれた気がする。

おばちゃんが何度か繰り返していた「もう私の時間は限られているから…。」という言葉。こんな言葉をサラリと言ってしまうおばちゃんに最初ちょっとびっくりしてしまったけれど、終わりが見えているこそ、それまでの時間を一瞬でも無駄にせず生きるのだ、というおばちゃんの「生き方」を端的に示している言葉な気がする。

さて、ダラダラ思い出話を書いてしまったが、とりあえず、「縁」や「出会い」って本当に不思議だし、すばらしいものだ、と今回の旅で改めて感じた。そして、期せずして、自分の仕事やら人生やらについて考えるいいきっかけになったと思う。

ファン活動を始めるまでは、運命とかそういうものはほとんど信じないタイプだったけれど、でも、「出会い」というのは、時として、本当に自分でもびっくりするほど、ベストタイミングで起こったりする。"unexpected"なものが昔は、一番嫌いだったのに、今では「何が起こるかわからない。」ということをむしろ楽しもう、と思う自分がいる。本当に不思議だ。

フレンチガラコンが残念な感じで帰ってきたとき、おばちゃんが言ってくれたことば。
「確かに、何事もうまくいかないこともある。でも、たとえうまくいかなくても、何事もinterestingじゃない?」


おばちゃんのように、うれしいこと、悲しいこと、自分に起こるすべてのことを"interesting"だと思って、人生を楽しめる自分に早くなりたいものです。。。

おわり。




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