2014年3月23日日曜日

The power of vulnerability 〜自分をさらけ出すこと〜

フレンチミューとは全く関係ないですが…。無理矢理Language Learningにくっつけてみる苦笑。

韓国のよなよな話を書いているときに、たまたま見つけたTED Talkの映像。スーパープレゼンテーションという名前で、毎週セレクトされたトークがEテレで放送されていている。結構お気に入りでときどき見ていた。

最近、TED Talkにすごいアーカイブがあることを今更知った笑。

しかも、すごいのが、PCだと、interactiveでスクリプトが見れる(映像中で話されている部分が下線で逐一示される。)。しかも、トークにもよるけれど、かなりの数の言語の訳が見れる。素晴らしすぎる。

ラインナップを見ると結構おもしろそうな人、話題のトークがいっぱい。気になったものをいくつか見てみた。
その中で特に面白かったのが、Brené Brownさんのvulnerabilityとshameについてのトーク

この2つのトーク、かなり話題になったものらしい。
まず第一弾。vulnerabilityについてのトーク。

"Brené Brown: The power of vulnerability"

大きなテーマとしては、人とつながるには、自分をさらけ出して、vulnerableになる/ imperfectであることを受容することが不可欠だ、ということ。そういうことを実践している人は、人間関係が上手くいっているのだという。彼女はこのような人々の状態をまずwholehearted(あるがまま)な状態と名付けたそうだ。
"in order for connection to happen, we have to allow ourselves to be seen, really seen."
"They fully embraced vulnerability. They believed that what made them vulnerable made them beautiful." (Theyは、人間関係がうまくいっている人。) 

実は、この結論は、彼女にとって全く予期しないもので、この結論に最初に行き着いたとき、彼女はnervous breakdownに陥ってしまったのだという(だが、セラピストはこれをspiritual awakeningと呼んだらしい笑。)。

最初のうち、なぜこれが、nervous breakdownにつながるのかよくわからなかったが、おそらく、研究者というのは、なにかわからないものをはっきりとわかる形にする(彼女はcontrolやpredictablityという言葉を使っている。)ことが仕事なのに、vulnerabilityというのは、そういった「はっきりわからないもの」を許容するという側面が往々にある(たとえば、wholeheartedな人は、可能性が低い高いに関係なくとにかく人と関係性を持とうとするタイプの人であるらしい。)ので、人間関係の構築にvulnerabilityが不可欠だ、という結論は、曖昧さを許容することになり、すなわち、研究者失格だということにつながる、ということのようだった。(あくまで自分の理解なので、あまり自信はないですが。。。)
There was only one variable that separated the people who have a strong sense of love and belonging and the people who really struggle for it. And that was, the people who have a strong sense of love and belonging believe they're worthy of love and belonging. That's it. They believe they're worthy.
そして、ブルネーさん曰く、人間関係のうまくいっている人とうまくいっていない人の唯一の違いは自分自身が愛される/存在する(belonging自体は何かのグループに帰属するといった意味が直訳ですが、要するにそのグループにいることに値するという意味なのかなと思いました。)に値する人間である、と本人が感じているかどうか、なのだという。

で、その感覚に不可欠なのが、上記に挙げたvulnerability。
vulnerabilityはshame(他の人に拒否されたり、否定されたりする)へとつながる可能性が常にあるので、人はそのshameにまつわる悲しさ、不快感から逃れるために、vulnerabiltyを麻痺させ(numb)ようと、さまざまなaddictionに走ることがある。が、ここで忘れてはならないのは、麻痺するのは、マイナスの感情のみならず、プラスの感情も含まれているという点だとブルネーさんは言う。つまり、vulnerableな感情を押し殺せば、不快感を消すことはできても、同時に喜びや幸せ、感謝の気持ちといったものもなくなってしまう、ということなのだという。

確かに、何かいやなことを忘れてしまおうと思うとき、そういえば、「無」というか「無気力」の感覚に近い気がした。そして、この無気力な感覚は、実は、「マイナス」の気持ちよりも時に、すごく気が滅入る気がする。

というわけで、vulnerabilityあるいはwholeheartedで、自分を愛することこそが本当の意味で幸せになるには不可欠だという話になってくる。

最後に、ブルネーさんは、「perfect」な(ある意味、ありもしないパーフェクトさ)自分ではなく、ありのままの自分を愛すること("We're enough"と思えること)こそ、実は、他人に対する愛、優しさにもつながる、という話でこのトークを締めくくっている。

そして、第二弾。こちらはShameについて主にフォーカスを当てている。
最初のほうは、前回のスピーチでの反響等について、ジョークを交えて語られている。

"Brené Brown: Listening to shame"



こちらのトークで印象的だったフレーズがこちら。
"vulnerability is our most accurate measurement of courage"
vulnerabilityは、「弱さ」の象徴ではなく、実は最も正確な「勇気」のものさしだという意味だが、言われてみれば、ああ、とは思うものの、こういう風に言葉になると何だかすごく新鮮な気がした。

確かに、vulnerabilityを恐れず生きる人たちは、失敗するとかそういったことはまず置いておいて、とにかくやってみるタイプの人だと考えたとき、それはまさに「勇気」 のものさしだというのは、すごく納得する。

そして、もう1つ印象的な引用がこのスピーチにはある。
それが、セオドア・ルーズベルトの「The Man in the Arena」と呼ばれるスピーチ。
気になって調べてしまった笑。全文は↓で見れます。
http://www.theodore-roosevelt.com/images/research/speeches/maninthearena.pdf

famous quoteの部分が以下。


"It is not the critic who counts; not the man who points out how the strong man stumbles, or where the doer of deeds could have done them better. The credit belongs to the man who is actually in the arena, whose face is marred by dust and sweat and blood; who strives valiantly; who errs, who comes short again and again, because there is no effort without error and shortcoming; but who does actually strive to do the deeds; who knows great enthusiasms, the great devotions; who spends himself in a worthy cause; who at the best knows in the end the triumph of high achievement, and who at the worst, if he fails, at least fails while daring greatly, so that his place shall never be with those cold and timid souls who neither know victory nor defeat." 

要するに、一番偉いのは、批評家ではなく、アリーナ(競技場)に汗水垂らして立つアスリートたちなのだ、という話。そこで、アスリートたちが勝つあるいは負けるということは問題ではなくて、そこで果敢に挑戦した(dare greatly)ことこそが重要なのだという。

この文を読んでいたとき、自分は何度「アスリート」だったことがあっただろうと考えてしまった。自分はほとんどの場合、間違いなく「批評家」で愚痴ばっかり言っていたような気がする。失敗するリスクが恐ろしくて、あるいは、自分なんかにそんなことはできない、恥ずかしくて無理だという気持ちがあって、とりあえず「確実」そうなものに向かって生きてきた気がする。でも、そういう生き方をしているとどこかいつも窮屈で、悶々としてしまう瞬間もかなり多かったことも事実だと思う。

そして、この「批評家精神」を抜け出すことの意味について教えてくれたのが、実は、一連のミュージカルの「ファン活動」だったのではないか、と後々思った。

「こんな年にもなって、ファン活動なんて」、「スーパーシャイ人間の自分が見ず知らずの人にファンレターなんて」、「たかだか一ファンのお願いをリシャールが聞いてくれるはずがない」…等々。思えば、vulnerabilityが満載(笑)。Shameへつながる可能性は山ほどあったけれど、失敗してもいい、とにかく自分はやってみたい、と恐らく人生で初めて(笑)心の底から思い、自分なりに挑戦をしてみた。

リシャールへのインタビューはvulnerabilityを恐れず挑戦して「成功」した例ではあるけれど、実は、失敗したことも結構あったりする(たとえば、ローランには、一生懸命作ってみたお手紙をファンミで渡してみたけれど、あんまり喜んでもらえなかったり苦笑。)。それでも、「私はとにかくやってみたかったんだ」という想いは常にあったので、確かに失敗した瞬間は凹んだけれども、それでも、後悔するということはなかったように思う。

アリーナのスピーチ&ブルネーさんの話に戻ると、アリーナに出る前に、準備万端、鉄壁状態で出て行きたい、という気持ちはわかるけれど、そんなことは無理だし、そんなもの、誰も見たいとは思わない、ということを語っている。

確かに、今まで感動したことを振り返ってみると、その多くは、誰かの偉大なる業績というよりは、そこにたどり着くまでにその人が困難の中で悪戦苦闘する姿だったり、大きな失敗や絶望のどん底から這い上がる姿だったように思う。その姿は、痛々しいまでに人間的で、だからこそ、輝いて見えたんだろうなと今になって思った。

また、ブルネーさんは、"guilt"と"shame"の違いについても語っている。
Guilt: I'm sorry. I made a mistake. Shame: I'm sorry. I am a mistake.
つまり、"Guilt"は、行動ベースで間違ったことをしてしまった、と思うことであるのに対し、"Shame"は、自分の存在そのものを自分で否定すること。だから、Guiltの場合は、反省してそこからやり直すことができるけれど、Shameの場合は存在そのものの否定なので、そこから抜け出す方法がない。。。つまり、shameが大きくなればなるほど、人は出口がないように感じて、追いつめられていってしまう。。。この2つの違いはすごく大きい。

だからこそ、shameが蓄積するとaddictionや拒食症や鬱病などに結びついてしまう、という。確かにdead endだと感じると人はdesperateな気持ちになってこういうことに走ってしまう気がする。

というわけで、ブルネーさんは、Shameを増殖させないようにする必要がある、と話していて、Shameを構成する3つの要素は"secrecy, silence and judgment(秘密、沈黙、決めつけること(判定が直訳ですがjudgementalというと、決めつけて考えるのニュアンスがあるので、色眼鏡で見て考えるという意味なような気がします。))"で、これをやっつける薬は「empathy(共感)」だ、と結論づけている。

これは、確かに、と思った。自分は友人と人生談義をする中で、すごく癒された経験が結構あるのだが、まさに、これは、empathyの一例なのだとこの話を読んで思った(日記もある意味そういう要素がある気がする。)。どんなに恥ずかしかったことでも、友人に一度話をすると、そのshameが一度客観化されて、自分が考えていた「悩み」が実は自分が思うほど深刻ではない、と思えることが何度もあった。全ての話に同意して欲しいというわけではない。でも、「それ、わかる。」と誰かに言ってもらえるとなんだかほっとする。

ソウルの話についてもそうだが、自分の恥ずかしい話も含めて、率直に正直に話した話というのは、意外にも他の人の心にも通じる気がする。そして、驚くことに、かなりの確率で共感の念を持ってもらえた。そして、正直に話したことで、自分自身、肩の荷が下りたというか、もう何かを隠して生きていく必要がないんだと思ったら、すごくそれ以降の人生を本当の意味で楽しめるようになった気がする。誰にでも正直にvulnerableになって話すということはもちろん、できるとは思わないけれど(苦笑)、それでも、できる限り、これからも自分に正直に生きていきたいなあとは思う。

ブルネーさんは、Shameについてはっきりとジェンダー差がある、という話もしているが、文が長くなってしまったので、この辺で、終わりにしておく笑。

彼女のvulnerabilityについての著書も面白かったです。
The Gifts of Imperfection: Let Go of Who You Think You're Supposed to Be and Embrace Who You Are
http://www.amazon.co.jp/dp/B00BS03LL6

(日本語)
「ネガティブな感情」の魔法: 「悩み」や「不安」を希望に変える10の方法
http://www.amazon.co.jp/dp/4837957455


そして、苦し紛れにフランス語とつなげようとすると…
TED Parisが存在する。(なぜパリオンリーなのかはちょっと謎だけど。。。)

そして、こちらも英語バージョン同様、スクリプト付きで見られる(英語版よりは、やはり翻訳言語の数が少ないけれど。)。
たとえば、Yann Dall'Aglioという哲学者の人の"Comment sauver l'amour ?"
この映像、なかなか面白かった。

"Yann Dall'Aglio: Comment sauver l'amour ?"


"Qu'est ce que l'amour?"で始まるとおり、「愛とは何か?」という話。

彼は愛をまず"le désir d'être désiré"と定義する。愛されたい(望まれる存在でありたい)という願望とでも訳すことができるだろうか。(英語だとdesire to be desired。)。つまり、最初のほうでいくつか例が挙げられているが、人間は、望まれた存在である、と(他人によって)認識されて初めて、自分が望まれた存在なのだ、と感じるという。そして、Yannさんは「では、どうすれば、理想的(desirable)であり続けられるだろうか?」と問いかける。
Seul une autre conscience désirante, donc, peut me constituer comme être désirable. Cela je le sais, et c'est pourquoi on peut définir l'amour d'une manière plus précise, comme étant le désir d'être désiré. D'où l'éternel problème de l'amour : comment devenir et comment rester désirable ?
ここから、愛の歴史レクチャー(笑)が始まる。
13世紀のルネサンス/近代化に至るまで、人々は、とりあえずコミュニティーの規範に従っていれば良かった。愛もやはりその規範の中にあった(まあ、これは、政略結婚とか、考えれば何となくわかりやすい話だわね。)。

が、近代化が始まり、「個人の権利」といった概念が誕生し、結果として、何に価値を置くか、あるいは価値を置かないか、を全て個人が選択できるようになった。と同時に、他人によって自分自身の価値を測られる存在にもなった。つまり、個人の価値があたかも株式市場の株のように取引されるようになった=自由競争の時代になった、とYannさんはいう。(=つまり価値があると思われる人には高い値がつき、そうでないと思われた人には低い値がつく、ということ。。。)

そこで、人々はヒステリックなまでに、自分がどれほど価値ある存在であるかを証明するために、symboles de la désirabilité(魅力(的であること)のシンボル) / capital séduction(魅惑資本(笑))を集めることに執心してしまうという。(例としてでてきていたのは、ファッショナブルな車、すてきなお姉さん(美貌っていう意味かな。)等々。他にも年齢、背の高さ、体重、年収、学位など。)。

さて、このままcapital séductionコレクター熱が加速する一方でよいのか??という話になり、Yannさんは、他にも道があるのではないかと問いかける。

まずは、自分自身が価値のない存在であることに気づくこと。(en prenant conscience de ma nullité)。というと何だかちょっと絶望感いっぱいな話に聞こえるが、そもそも私たち自身に元々ある(内在的な)価値などないのであって、そういった意味で、私たちは所詮、何かになりきろうとしているだけ(imposteur(なりすまし/偽物))なのだということを自覚すべきだ、ということらしい。この「なりすまし」が行き過ぎると、カップルの場合、お互いがお互いをパーフェクトに見せようと全てがパフォーマンス化されてしまい、結果として、破局するのだと、いう。(まあ、この話何となくわかる気がする。。。)

で、Yannさんが、代わりに必要だと考える概念が、"tendresse"(優しさ)。

彼の言う"優しさ"とは、"c'est accepter les faiblesses de l'être aimé.(愛する人の欠点を受け入れること。)" そして、最後にちょこっとだけ述べられているが、それに効果的なのが、"auto-dérision(自分自身を笑うこと/自虐的な笑い。)"。

これは、実は、Brenéさんのvulnerabilityにすごく通じるところがある気がする。自分の素晴らしいところを強調するのではなくて、欠点も含めて、その人を理解しようとするということが、本当の意味で人間の愛なのだと思う。そして、そういった理解なしには、やっぱり長いこといい関係を続けるのは難しいのだろうなと思う。

このブログも、何となくvulnerability日記でなくもない気がし(笑)、でも、そういう場所がちょっとでもあるのもいいかなあと思ったりした。これからも「恥をさらして」生きていこうと思う(苦笑)


2014年3月17日月曜日

ソウルでの思い出 〜 Séjour à Séoul - Ce que l'interview m'a appris〜

ソウルでは、目的のガラコンは散々だったけれど、実は、とても思い出に残る出会いがあった。

ソウルから帰ってきて2週間以上経っているので、ちょっと記憶が薄くなってしまっているが、思い出せる限りで書いていこうと思う。

最近よく思うのが、人とのつながりの深さというのは、必ずしも、その人と物理的に頻繁に会っているとか、近くにいるということとは比例しないということ。むしろ、たった1回しか会わなかった人とか、年に数回しか会わない友人とか、そういう人から言われた一言というのは、振り返るとすごく心に刻み込まれているということがけっこうある。

今回の旅でもそういう出会いがあった。

ホステルがあった通り。かなり薄暗く、まさに裏通り。
予算の問題と、前回のシンガポールで予想外にホステルの面白さにハマってしまったので、今回も、再びホステルに宿泊。主要な目的はフレンチガラコンだったので、とりあえずセジョンセンターにほど近く、かつ清潔そうな場所をいくつかピックアップしてみた。本当はこのホステルではなく、カプセルホテルのようにプライバシーが確保しやすそうなホステルにしようとしていたのだが、あいにくそのホステルは、1日空きがない日があったので、2番手のこのホステルにした。最寄りは、安国駅。

バスで仁川空港からホステルに着いた頃は既に23:00を回っていたと思う。(18:50成田発の飛行機に乗った。)。

ホステルには事前に遅く着くことは伝えてあったので、この時間に着いたときも、スタッフはちゃんと私のことを待ってくれていて、暖かく迎えてくれた。やはりこういうところはホステルの素晴らしいところだ。

そして、泊まる部屋に案内される。
4人部屋に予約を入れていたはずだが、泊まっていたのは私以外は一人だけ。しかも、若者ではなく(でも、前回のシンガポールも、みんながみんなすごく若い人ばかりが利用している訳ではないということは知っていたので、それほどの驚きはなかった。)西洋人のおばちゃんだった。とりあえず、この日は夜遅かったので、Sorry to disturb you.とだけ言って、就寝。


そして、次の日起床。シンガポールのときと同様、黙っていると大変気まずいので、とりあえず、Good morning.と言ってみる。昨日は、気づかなかったが、おばちゃんというより、おばあちゃんという感じの初老の女性だった。アクセントから、アメリカの人かなと思い、Are you from the States?と聞くとオハイオから来たという。早期退職をして、世界中を旅して回っているらしい。ソウルにも既に結構長い間滞在しているようだった。話した感じ、とても優しげな感じの人でほっとする。

朝食を食べにいくと、たまたまそのおばちゃんと私だけだったので本格的にトーク開始。ホステルの最初の会話はだいたいどこから来たか?か、何をしているか、から始まる気がするが、今回も例に漏れず。案の定、いつものように学生と間違われる。これは、想定内なので、実は働いてるんです、と説明し、翻訳とかまあそういったたぐいの仕事をしているんだと説明する。

すると、おばちゃんに、「Do you like what you're doing now?」と朝から、直球に人生への問いかけをされてしまう。

そして、一瞬言葉に詰まる私。
日本だったら、「ええ。」+適当にニコニコ。で済ますのだけれど、なぜか、このとき、このおばちゃんには、正直にいろいろ話をしてもいいような気がして、「Well, that's a difficult question...」と話し始める。



ここ2、3年、実は、自分のやっている仕事をこのまま続けるべきなのだろうか?と自問する日が続いていた。だが、だからといって、何か他に別の夢があるとかそういうこともなく、また、自分に何か、今やっていること以外で特技があるのかといえば、これもNOでとにかく、人生に行き詰まっていた(苦笑)。

趣味といった趣味もない人間だったので、本当に人生がとにかく「からっぽ」だった。自分が世間一般からすれば、とんでもなく幸運な立場にあることはわかっているのだけれど、その有り難さをきちんと享受できていない自分がいつもいた。いつも何となく空虚で、生きる意味って何なんだろう?とよからぬことを考えてしまうこともなくもなかった(苦笑)。

というわけで、おばさんに、今の仕事が自分にとっては、自分でなくとも誰かができるreplaceableな仕事であること、やりがいや楽しさをなかなか見いだせないこと、等々、よくわからないが内訳話をしてしまった(笑)。

そして、さらにつっこんで、最近、フレンチミュージカルに出会って、その中で、自分の好きな歌手の人のインタビューの翻訳をしていて、そのとき、初めて自分は、「これこそ、自分がしたかったことなのだ。」と気づいた、という話もした。そして、なぜか、i pod touchに入れていたシンガポールで撮ったリシャールの写真を見せて、この人のファンなんだ、とかフレンチミュージカルってこんな感じ、みたいな説明をしてしまう。(こういうとき写真って役立つ笑。おばちゃんにもリシャールはintelligentそうな人ね、と同感してもらえた笑。)

でも、リシャールのインタビューの翻訳をやっているとき、これほど自分が「生きているってすばらしい」と思えた瞬間は今までになかった気がする。今まで、もちろん楽しかったりうれしかったりした瞬間はいろいろあったけれど、今回感じた感覚はそのどれもと違った気がした。まじめに作業していた分、言葉で言えば「大変」ではあったが、それが全く苦にはならなくて、とにかく、頭を抱えながら、リシャールの言わんとすることを考えることが楽しくて仕方なかった。以前訳したローランの"Le choix"のときもそうだけれど、とにかく無心になって翻訳をしていた。



趣味の翻訳は、お金をもらえるわけでもなく、実際に書いたところで読んでもらえる人もそれほどたくさんいない。でも、不思議なことにお金をもらってしている仕事よりもずっと「幸せ」を感じることができた。自由に、自分の思った通りに表現できるということが、やっぱり大きかったんだと思う。

仕事の翻訳も確かに出来上がったときは達成感はあるけれど、こうして趣味で訳したいと思うものを訳しているときは、本当に自分が知りたいこと、表現したいことであったりするので、充実感が全然違う。

そして、もう一つ。微力であるけれども、応援するリシャールの頑張っているプロジェクトをちょっとだけでも、他の人に知ってもらうことができた、そして、リシャールに若干うざがられつつも(苦笑)、「応援ありがとう。」と言ってもらえたことは、とてもうれしかった。基本、内勤業務をしている自分にとっては、自分がやる作業に対する評価が直接的にはわかりにくいことが多い。だからこそ、「顔」が見える、というか、直接「ありがとう」(まあ、もちろん多分にお世辞の部分もあるとは思うけど(苦笑))と言ってもらえたり反応をもらえることは、普段感じたことのない喜びだった。

そして、そんなことをしながらふと思ったことが、「仕事」って本来はこうあるべきなんじゃないか、ということだった。朝起きるたびに、何のために自分は「仕事」に行くんだろうと疑問を持つ日々って正しいことではないんじゃないかという気がした。

確かに、今の仕事を続けながら、仕事は仕事と割り切って、趣味で、今のミュージカルのファン活動(爆)をして充実した生活を送るという方法ももちろんあるし、今やっていることが、直接仕事になるとは実際のところちょっと考えにくい。でも、リシャールの翻訳をしながら、こんなに生き生きとした時間を過ごすことができるはずなのに、それをしないで、これからうん10年も人生の大半の時間を占める「仕事」をしていくことに果たして自分は耐えられるだろうか?と疑問を持ってしまった。


死ぬ前にしたいこと…チョークの様々な書き込みを見ながら
自分だったら何だろうとふと考えた。

ちょっと脇道に逸れてしまったが、こんなようなことをおばさんに話したら、おばさんが意外にも「I know what you mean。」と返してくれた。そして、卒業から50年記念同窓会で会った同級生の話をしてくれた。彼女の同級生は、自分の仕事は必ずしも「好き」ではなかったが、その仕事自体をこなすことはすごくうまくできていたのだという。でも、その仕事にやりがいを見いだすことはできず、数年前、ボランティアで移民の人たちに英語を教えるボランティアを始めたのだという。そして、そこで、これこそ私が好きなことだ、と気づき、今でも彼女はそのボランティアを続けているのだという。彼女は本当に輝いていたわ、とそのおばさんは話してくれた。

彼女自身は、ソーシャルワーカーとしてずっと働いてきたが、ソーシャルワーカーには、世の中のありとあらゆる悲しいことに毎日出会うことになる、やりがいはあったけれど、毎日悲しい現実と向き合う生活をずっと続けるのはもうこれ以上いいと思い、早期退職をして、数ヶ月おきにいろいろな国に滞在しているのだと話してくれた。そういう生活をするのが長年の夢だったという。最近では、コロンビアの児童福祉施設か何かで英語を教えるボランティアをしたりしていたらしい。なかなかバイタリティーのあるおばちゃんだ。

朝からこんな打明け話をするとは思わなかったけれど、すごく有意義な会話をした気がした。年齢も境遇も全く違うのに、自分の話にこんなに共感を持って聞いてくれる人がいることにすごく驚いたし、全く知らない人にこんなに素直に自分について話をすることができたのにも自分自身驚いた。これは、彼女の誰に対してもオープンで寛大なパーソナリティーに依るところが大きいのだと思うのだけれど、時として、そういうちょっと「重い」話をするのは、逆に自分のことを全く知らない人の方が話しやすいということもあったように思う。とても逆説的なんだけれど、こう思うことって今までも結構あったりした。



博物館見学後疲れて休憩。たそがれてました。

韓国ミューデビューをしました。

さて、その後一人で大韓民国歴史博物館を巡り(この博物館あんまり面白くなかった…。)夜は直前の思いつきで現地のシアターでWickedを鑑賞し、ホステルに戻ってきたのはやっぱり23時過ぎだったと思う。

この日も当然、おばちゃんは寝ているだろうと思い、そっと部屋に戻ると、明かりが未だついている。「まだ起きていたのね。」というと「今日は起きていることにしていたの。」とおばちゃん。

そして、ここからよなよな1:00くらいまでおばちゃんと本当にいろいろなトークをした。
朝もディープな話をしたが、夜はそれ以上に個人的な話をいろいろしてしまった。おばちゃんはすべての話を本当に親身になって聞いてくれた。

まず、年を重ねれば重ねるほど人生の重大な選択をするときに「間違ってはいけない」と思ってなかなか思い切った決断をすることができずにいるんだ、という話になった。

するとおばちゃん。実にシンプルな答えを返してくれた。

「正しいと思ってやっていたことだって、結果としては、全くうまくいかなかったことなんていくらでもあるわ。だから、とりあえず、やってみて、これは自分に向いてないとか、これは違うと思ったら、また違うことを試して修正していけばいいのよ。」

そして、悩める子羊さらに質問(笑)。
実は、アラサーで、ミュージカル歌手の追っかけなんてしてしまってヤバくないだろうか、という葛藤が実は以前は結構あった。20代前半のヤングガールなら、青春+エネルギッシュだね、となるだろうし、逆に、私より年上の人たちは、ちゃんとした仕事人であったり、家庭があったり、お子さんがいたりして、既に自分の中で何かしらちゃんとした役割があって、その上でアーティストたちを暖かく見守っているという感じがする。

周りはみんな結婚してきちんと家庭を築いたり、自分の信じる新たな進路の選択をしたり、現実的、堅実な生活を送っているというのに、仕事上でも私生活でもきちんとした「何か」を築けていないのにもかかわらず、自分は「夢の世界」に浸っているなんて、かなり痛々しいよなという気がしていた。。。

アラサーにもなったというのに、既婚者の一回りも歳上の歌手(リシャールを客観的に表すとこうなる苦笑。)に「Vous êtes super!」とか書いちゃってる自分(いや、もちろんそれだけじゃないけど…。)、というのが、何とも痛々しい、というかそれを通り越して、何か生々しい(苦笑)と最初の頃は自分で自分に結構引いていた(苦笑。今はそんな片鱗すらないけれど笑。)。だから、自分の中の理性的な部分としては、こんなことにうつつを抜かしている場合じゃないだろ、これって現実逃避じゃないか、と思うことも、ままあった。

でも、その一方で、万年無趣味な自分にとって、こんなにも、「これって面白い。」、「これって大好きだ。」と直感的に確信を持って思えたことはなかった。理由なんてない。まさに「頭」ではなく「ハート」で「これだ!」と思うものがあった。今まで自分は、「あるべき姿」(これは、自分の中でのあるべき姿というより、どちらかというと世間的に自分がどう見られたいか、という「あるべき姿」に近い気がする。)をまず思い描いて、そこにたどり着くにはどうすべきかということを常に考えてきた。だから、その「あるべき姿」に辿りつくまでの道のりは、必ずしも、自分が楽しいと思えるものであるとは限らなかったし、ある意味常に、打算的で、人生に「得」、「損」みたいなところで全ての価値を判断していたように思う。だから、人生の中での「生きる喜び」とか「豊かさ」とかそういったもっと根源的なものはいつも後回しだった気がする。



いつもだったら「理性の私」のこんなバカなことはやめて、もっと「まともな」道に行くべきだという内なる声に従っていたと思うのだが、なぜか、今回だけは、この先どうなるか全くわからないけれど、この船に乗っかってみよう、と思った。後ろめたい気持ちは、まだまだあったけれど、こんなにも熱中できるものを見つけられたのに、それを、年齢的に「不相応」だから、とか、これからの自分のキャリアや人生には邪魔だから、という理由で、あっさり辞めようと思うことができなかった。

ファン活動を始めた頃は、この公演が終わったら、とかコンサートが終わったら、この世界から離れようといつも思っていたのだけれど、回を重ねるたびに、公演や作品そのものから学ぶことももちろんあったし、それだけではなく、いろいろな人との出会い、その中で得た新たな世界、価値観等々、こんな大事なものを得ることができたのに、あっさりこれら手放すことなんてできない、という思いが常にあって、「理性の自分」と「ハートの自分」の間で、いつもジレンマを抱えていた。


で、おばちゃんがくれた一言。

「自分にとって、大事だ、大好きだ、ということは他人がどう言おうと気にしていてはだめ。何歳になっても恥ずかしいと思う必要はないわよ。だって、つまるところ、人生の最後に、つまらないことばかりしている人生だったと思うなんて、最悪じゃない。誰かがどう思っているかなんて関係ないもの。自分の頭ではなくて、心が正しいと思っていることを追うことは間違いではないわ。それこそ、本当にあなたの求めていることだもの。」

そして、アラサーにもなって…、と言っていたことについても、おばちゃんはちょっと面白い話をしてくれた。

「私が17のとき、祖母に(当時祖母は70代くらいだったと思うけれど。)70歳になるってどんな感じ?って聞いてみたの。そしたら、祖母は『17のときと全く同じ気持ちよ。』と言っていたわ。それを聞いて私はすごくほっとした。人間はいくつになっても、変わらない部分があっていいんだって、思えたから。何歳になっても、うれしいことがあったら、誰しも子どものように喜んでしまったり、「子どもっぽく」なってしまうことは往々にしてあるものよ。だから、○○歳になったからって○○歳らしく振る舞わなきゃなんて、ずっと思う必要はないのよ。」

おばちゃんの言うことは、決して目新しいことではない。むしろ、自分の中で思っていたことではあるけれども、それを心から自分が信じてみることができなかった、というか信じることを恐れていた言葉だったように思う。

誰かに、あなたの思っていることは間違ってないんだよ、と自分は肩を押して欲しかったのかもしれない。

おばちゃんと話をしていて、もっと自由に思うように生きればいいのかもしれないと思った。


おばちゃんとよなよな話していたホステルの部屋。


他にもおばちゃんとはいろいろな話をした。

上記のような人生談義だけでなく、その日に行った博物館の善し悪しや、韓国で驚いたこと、日本で観光したら面白い場所(おばちゃんは実はこの後、日本にくる予定らしかった。理由は、残りの人生、限られているから、自分が動けるうちに見るべき物は見ておこうと思ったの、とのこと笑。)等、他愛ない話もいろいろした。

とにかくおばちゃんとは、いろいろな点で気が合った。お互い、旅に出るならホテルに閉じこもるのではなくて、自分の足でローカル巡りをするのが好きとか、グルメやショッピングにはそれほど興味がないとか(笑)、スケジュールを詰め込んだ旅行は嫌いとか、特に計画を立てず"unexpected"なものに出会うのが好きだとか…。親友と呼べる友達よりもひょっとすると共通点が多かったかもしれない(笑)。


おばちゃんの言葉は、年を重ねた人だからこそ真実味があるというか、一言一言が、心に染み込んでいく気がした。

そして、この年齢だからこそ、人生を俯瞰して見れるというか、細かいことなんて気にしないで人生を楽しむことが大切なのだ、という、シンプルだけれど普段の生活で忘れがちな大事なことを身をもって示してくれた気がする。

おばちゃんが何度か繰り返していた「もう私の時間は限られているから…。」という言葉。こんな言葉をサラリと言ってしまうおばちゃんに最初ちょっとびっくりしてしまったけれど、終わりが見えているこそ、それまでの時間を一瞬でも無駄にせず生きるのだ、というおばちゃんの「生き方」を端的に示している言葉な気がする。

さて、ダラダラ思い出話を書いてしまったが、とりあえず、「縁」や「出会い」って本当に不思議だし、すばらしいものだ、と今回の旅で改めて感じた。そして、期せずして、自分の仕事やら人生やらについて考えるいいきっかけになったと思う。

ファン活動を始めるまでは、運命とかそういうものはほとんど信じないタイプだったけれど、でも、「出会い」というのは、時として、本当に自分でもびっくりするほど、ベストタイミングで起こったりする。"unexpected"なものが昔は、一番嫌いだったのに、今では「何が起こるかわからない。」ということをむしろ楽しもう、と思う自分がいる。本当に不思議だ。

フレンチガラコンが残念な感じで帰ってきたとき、おばちゃんが言ってくれたことば。
「確かに、何事もうまくいかないこともある。でも、たとえうまくいかなくても、何事もinterestingじゃない?」


おばちゃんのように、うれしいこと、悲しいこと、自分に起こるすべてのことを"interesting"だと思って、人生を楽しめる自分に早くなりたいものです。。。

おわり。




2014年3月5日水曜日

Petite Interview avec ... Richard Charest ~ Rimbaud Spectacle Musical ~ (ENGLISH)

* Please note that I'm not a native English / French speaker so there might be errors here and there... but hope you enjoy it!

日本語版はこちら

In February, I did sort of little interview with Richard Charest about his musical regarding the famous French poet Arthur Rimbaud, which is currently in the last stage of production.


Before the interview...

Before starting the interview, let me share the little story about it.

I'm a fan of Richard Charest since I've known him in the Notre Dame de Paris Japan Tour 2013. Looking for information about him, I happend to learn that he produced his own musical called "Rimbaud Musical", which was performed in Paris in 2007. 

A few weeks after the final performance of Notre Dame de Paris in Japan, I got the news that there would be a Victor Hugo Gala Concert  at Sejong Centre in Seoul in May. On twitter, Richard revealed that he would give the performance from "Rimbaud" and what is more, there would be an Asian tour of Rimbaud Musical in the near future.  At the concert, two songs "Vitalie" (Richard Charest & Matt Laurent) and "Sauver les Apparences" (Nadia Bel & Sophie Tremblay) were performed.


At that time, I didn't have enough listening comprehension ability to understand the French lyrics and I didn't know much about Arthur Rimbaud, so in fact I had no idea what these songs were about. However, the performance of "Vitalie" was striking, to say the least (For the details of this song, please see the interview below.). Richard looked splendid on stage. You could immediately sense how much passionate he was about and devoted he was to his musical. I was literally overwhelmed.   

After returning home, I searched a little bit about Arthur Rimbaud and I was quite astonished at his extraordinary life story. (Being a literary prodigy, romantic relationship with Paul Verlaine and abandoning his literary career when he was just around  21 years old, to name a few.)  

I also found a few excerpts of other songs  from "Rimbaud". The songs sounded quite modern yet not too catchy. I couldn't understand the whole lyrics, but it seemed that the musical dealt with all sorts of emotions and the story is depicted not only from the perspective of Rimbaud but also of other characters. I became more intrigued by "Rimbaud Musical".

Now I learned he was working hard on "Rimbaud Musical" but I couldn't find a lot of information about it so the big picture was still quite vague for me.

Last December, I went to Singapore to see the performance of Notre Dame de Paris. I thought it might be a good opportunity to ask him about his own musical if I had a chance to see him after the show. I prepared a few questions but unfortunately, on the day when I saw Richard, the troup was scheduled to have a party and he didn't have much time. However, he kindly offered to answer my qustions via FB. 

And... here are his answers to my questions. To my delightful surprise, he explained about his musical projects in detail and I thought this information should be shared. Hopefully this "petite interview" will give you a glimpse of his "Rimbaud Musical", in which he puts his heart and soul.


The casts in 2007 lecture.

Interview - Rimbaud Spectacle Musical 

Q1: What is the title of the musical? Does the musical cover whole his life or specific periods of his lifetime (e.g. the period before abandoning his creative activities)?

Pour le moment, le titre de travail est : RIMBAUD (UN POÈTE EN PLEIN COEUR) / Spectacle Musical. Il s’agit de l’histoire du jeune poète entre l’âge de 15 et 20 ans. De 1870 à 1875. Cela couvre donc la totalité de sa période de création. J’ai mis quelques uns de ses textes en musique mais il s’agit essentiellement de chansons originales racontant son histoire ainsi que celles des gens qui l’ont côtoyé.

For the moment, the working title is: Rimbaud (A POET RIGHT IN THE MIDDLE OF HEART) / Spectacle Musical. This is the story of the young poet between the age of 15 and 20 years. From 1870 to 1875. Therefore, it covers the entire period of his creation. I set some of his texts to music but it is mainly original songs that tells his story and the story of people who maintained the relationships with him.

(Photo Credit: Richard Charest)

Q2: Will the current version be different from the one in 2007? Are there any new songs or many revisions?

C’est un spectacle 2/3 chanté et 1/3 joué. Beaucoup de scènes de jeu. 25 chansons au total. 6 personnages principaux, 16 ou 17 personnes au total sur scène. Beaucoup de nouvelles chansons et quelques révisions de chansons existantes. La « version » 2007 était en fait une lecture de 14 chansons sans véritable mise en scène.

It’s a musical 2/3 sung and 1/3 played. Many of the scenes are play. 25 songs in total. 6 main characters*, 16 or 17 people in total on stage. Many new songs and some revisions to the existing songs. The "version" 2007 was actually a reading (lecture) of 14 songs without proper stage production.


Lecture in 2007. 
The lyrics of this song derives from Rimbaud's poem "Sensation" (1870). 



Another clip of lecture in 2007.
"Charleville, mon soupir"

*6 main characters are:
Arthur Rimbaud: the poet. (For the details of his life see here.)




Vitalie Rimbaud: Arthur's mother. There was a great strife between the young ambitious poet and his strict mother. Vitalie was very enthusiastic about her children's education and she had a high expectation of Arthur, who was a very bright child. However, such expectation was often betrayed. 



Paul Verlaine: A poet. He discovered Rimbaud's talent and invited him to Paris. Later they developed a romantic relationship. Verlaine left his family and the two poets traveled Europe together for two years. However, in the end Paul shot Arthur and Paul was imprisoned for two years. Subsequently they broke up.  




Mathilde Verlaine: Paul's wife. She suffered from the scandalous relationship between her husband and Rimbaud and later she got divorced and remarried to another man. 



Ernest Delahaye: Rimbaud's best friend. Rimbaud and Ernest met when they were in secondary school. Ernest witnessed how his friend evolved into a great poet. He maintained correspondance with Arthur during the time when the young poet was "vagabond". Later he also befriended Paul Verlaine.




Georges Izambard: Rimbaud's rhetoric teacher. He himself was an amateur poet and progressive person. He was just 6 years older than Rimbaud. He discovered the talents in his pupil and opened up the world of literature to him. Izambard was a brother / father figure for Rimabaud and they built a very strong friendship. However, this relationship gradually changed and came to an end.



Reference: "Personnages" in Official Site of Rimbaud Musical. http://rimbaudmusical.free.fr/site/?page_id=140 


Q3: What phase is your production in?

Les chansons sont terminées (paroles et musique) et les dialogues –le livret- sont terminés également. J’ai commencé la production musicale en studio en décembre dernier de la version définitive des chansons.

The songs are finished (music and lyrics) and the dialogues -the script- are also finished. I started the musical production of the final version of the songs at the studio last December.


During the production. (Photo Credit: Arnaud Kerane)

Q4: What about the casting? Is there going to be 6 roles as were in the version 2007? Will the singers be different from the ones in the version 2007? You played the role of Paul Verlaine last time. This time, do you intend to play any role?

Il y aura 6 personnages principaux, donc, et 10 personnes supplémentaires sur scène. La distribution n’est pas arrêtée pour le moment. J’ai approché des gens, je ne sais pas encore si des chanteurs de la version 2007 seront de la distribution finale. Je n’ai pas encore pris de décision quant à ma participation en tant que chanteur. Je me concentre pour le moment sur la création.


There will be 6 main characters, and 10 additional people on stage. The casting has not decided yet for the moment. I approached people, I do not yet know if the singers of the version 2007 will be in the final casting. I have not yet made a decision about my participation as a singer. For the moment, I'm focusing on the creation.

Q5: For the moment, which cities are on the list of destinations for the tour?

Mon objectif serait de mettre en place une tournée avec des partenaires provenant de pays visités avec Notre Dame de Paris. J’ai maintenu de bons contacts avec des gens en Russie, en Chine, au Japon, à Taiwan, en Corée du Sud ainsi qu’à Singapour. J’espère pouvoir compter sur leur soutien pour aller présenter mon spectacle dans leur ville respective.



My goal would be to set up a tour with partners from countries I visited with Notre Dame de Paris. I maintained good contacts with people in Russia, China, Japan, Taiwan, South Korea as well as Singapore. I hope I can count on their support to present my show in the cities of each country.

Q6: Is there any way to listen to the songs or to take a look at the lyrics of the songs?

Je dois terminer l’enregistrement des chansons dans leur version définitive avant de faire circuler les paroles sur internet. Beaucoup de choses peuvent encore changer. Un album de 10 chansons est prévu pour faire la promotion et accompagner les représentations du spectacle. Je n’ai toutefois pas encore de date de sortie à annoncer.

I have to finish the recordings of the songs in their final version before circulating the lyrics on the Internet. Many things may still change. An album of 10 songs is planned for the promotion and for accompanying the performances of the musical. However, I do not yet have a release date to be announced. 

Le Musée Rimbaud in Charleville

Q7:  What fascinates you about Rimbaud, except that he is a great poet?
 
Rimbaud n’attendait personne avant de prendre une décision ou de poser un geste. Il est pour moi l’exemple absolu de la liberté libre, comme il l’appelait lui-même. Je suis touché par son acharnement à devenir un grand poète, son talent, bien sûr, mais sa détermination plus encore. Ses rapports avec sa mère, son professeur et son meilleur ami me touchent énormément. Et le fait de mourir très jeune, 37 ans, sans savoir qu’il était devenu une figure importante de la poésie représente pour moi un élément dramatique très fort.


Rimbaud did not expect for anyone before making a decision or taking an action. It is, for me, the ultimate example of free freedom (liberté libre), as he called it. I am touched by his tenacity to become a great poet, his talent, for sure, but touched more by his determination. His relationships with his mother, his teacher and his best friend touched me enormously. And the fact that he died very young, 37 years old, without knowing that he became an important figure in poetry,  represents a very strong dramatic element for me.

When I read Rimbaud's letter to Izambard, I was intrigued by the young poet's almost contradictory persona; on one hand he was quite adamant and sometimes even arrogant but at the same time he looked quite fragile, naive adolescent. And above all, as Richard mentioned above, I was deeply moved by his cry for freedom and determination to be a great poet. It's partly because recently I was in a bit of "get stuck" situation and struggled to find a way to establish myself. His words overlap with what I went through. I now understand why this poet fascinates so many people around the world. His words are painfully vivid and quite relevant to this day. 
 
Q8: I believe the first song you created was about Vitalie Rimbaud, the mother of the poet. Why did you pick up this issue - the mother- son relationship - as the starting point of your story?

J’ai rencontré mon partenaire Arnaud Kerane lors d’un atelier d’écriture en 1999, tout juste avant de commencer Notre Dame de Paris. L’un des tout premiers textes qu’Arnaud m’ait montré concernait Vitalie Rimbaud, la mère du poète. J’ai été stupéfait que ce poète génial était en fait un mauvais fils. Je crois que chaque homme porte en lui une part de mauvais fils. Je trouvais le propos universel alors je lui ai proposé de mettre son texte en musique un jour. Sans savoir que 5 ans plus tard, en décembre 2004, je lui proposerais d’écrire un spectacle sur Arthur Rimbaud.


I met my partner Arnaud Kerane during a writing workshop in 1999, just before the beginning of Notre Dame de Paris. One of the earliest texts Arnaud showed me was concerned with Vitalie Rimbaud, the poet's mother. I was astounded that this great poet was actually a bad son. I believe that every man has an aspect of a bad son within himself. I noticed the universal subject so I proposed him to set his text to music one day. Little did I know that, 5 years later, in December 2004, I would propose him to write a musical about Arthur Rimbaud.


Mr. Arnaud Kerane, Richard's partner of the musical
 (Photo Credit: Arnaud Kerane)
- It was quite interesting that Richard referred to Rimbaud as "mauvais fils (bad son)". Probably it's not limited to "son". Sometimes, parents and children live in a very different world or paradigm (in case of Rimbaud and his mother Vitalie, it's too obvious.) and when children tried to pursue what s/he believed to be right, this very action might be regarded as totally unacceptable for their parents. In such case, unfortunately, a huge discrepancy between them would arise and children had no choice but to become a bad son / daughter, I guess.  


Q9: What is the song "Vitalie" about? As you performed this song so passionately at Sejong Center (Seoul) back in May 2013, I'm curious about the theme of this song.

Au Sejong Center, nous avons interprété la chanson VITALIE (celle-là même qu’Arnaud et moi avons créé en premier). Matt interprétait le rôle de GEORGE IZAMBARD, le professeur de Rimbaud. J’interprétais le rôle d’Arthur Rimbaud. Il s’agit d’une discussion un peu violente entre le jeune poète qui ne supporte plus l’emprise de sa mère et le professeur qui tente de le ramener à la raison en lui disant de respecter sa mère. Cette chanson marque la fin de leur amitié.

At Sejong Center, we performed the song VITALIE (indeed the song that Arnaud and I had first created). Matt played the role of GEORGE IZAMBARD, the teacher of Rimbaud. I played the role of Arthur Rimbaud. This is a somewhat heated discussion between the young poet who cannot stand the influence of his mother and the teacher who tries to bring him to his senses by telling him to respect his mother. This song marks the end of their friendship.




http://www.youtube.com/watch?v=QG0RuX4A8MY

The second song of this clip is "Vitalie".
(The first song: Fils du soleil. The third song: Charleville, mon soupir)

Q10:  Could you explain a little bit about "Sauver les Apparences", the other song that was performed at Sejong Center?


VITALIE, la mère de Rimbaud, vit des heures sombres puisque son fils se comporte de façon inacceptable. MATHILDE, la femme de Paul Verlaine, vit un peu la même chose puisque son mari pose des gestes scandaleux. Il est important pour ces deux femmes de garder la tête haute et de faire comme si tout allait bien. En français, il existe une expression qui illustre bien ce comportement. Les deux femmes tentent de SAUVER LES APPARENCES.

VITALIE, the mother of Rimbaud, experiences dark times because her son behaves in an unacceptable way. MATHILDE, the wife of Paul Verlaine, experiences similar things because her husband engages in scandalous behavior. It is important for these women to keep their heads high and act as if everything were fine. In French, there is an expression that illustrates this behavior well; the two women are trying to "save face (SAUVER LES APPARENCES)".



Q11: What message would you like to convey through your musical “Rimbaud”? Could you give a little message to your fans?

NOTRE DAME DE PARIS m’a permis de visiter un grand nombre de pays tous plus fascinants les uns que les autres. J’ai découvert à quel point les fans de comédies musicales sont des gens passionnés, curieux et ouverts sur le monde. Je souhaite plus que tout partir à la rencontre des fans aux 4 coins du monde avec mon spectacle RIMBAUD. J’ai choisi de raconter l’histoire d’un jeune poète prêt à tout pour réaliser son rêve parce que son histoire est universelle, que son travail est magique et que j’ai senti que le public des pays visités semblait apprécier au plus haut point les oeuvres de langue française. Vous m’avez supporté de belle façon partout où je suis passé. VOUS avez fait de Gringoire, le plus beau rôle qu’il m’ait été donné d’interpréter. J’aimerais vous rendre justice en vous proposant un spectacle magnifique, émouvant, touchant, parfois drôle et résolument moderne. MON spectacle. Je me donne rendez-vous... avec vous, le plus rapidement possible ! Merci encore de votre soutien.

NOTRE DAME DE PARIS allowed me to visit a great number of fascinating countries, all of which were equally fascinating. I discovered how passionate, curious and open to the world the musical fans are. I want more than anything to meet fans all over the world with my show RIMBAUD. I chose to tell the story of a young poet who is desperate to realize his dream because his story is universal, his work is magical and I felt that the audience of the countries I visited seemed to greatly appreciate the works of French language. You have supported me in a great way wherever I went. YOU made Gringoire, the best role that has been given to me to interpret. I would like to do justice by offering you a musical that is magnificent, moving, touching, sometimes funny and firmly modern. MY musical. I will make a promise… to you, to go to see you as soon as possible! Thank you again for your support.


Merci pour votre aimable coopération, Richard!

- When I first read this text, I was on the train but I almost cried! I was so touched by his passion and pride in "Rimbaud" as well as his sincerity and generosity as a person. He is simply incredible ... 

I was also happy that he mentioned the representation in French. When I first knew about Notre Dame de Paris, it appeared that it became extremely difficult to deliver the performance in French original version. I really love the beautiful sound of French, and I know that the language play very important role in the musical. So for me, it's really sad that I can't see the original version.  Moreover, it seems that there is a trend that more and more French musicals are performed in the form of adaptation rather than in the form of the original version. Given the fact that setting up a world tour needs a lot things to do,  I understand that adaptation is one practical option but even so, I really hope to see the musical in French. So I am truly happy and thankful that Richard tried to bring his musical in French all the way to Asian regions.  

And his last comments about fans...! It's quite interesting and a bit hilarious too :) Yes, we are really curious creatures I know! But seriously talking, seeing musicals from foreign countries is in a way encountering totally new cultures (story, staging, singers, dancers...) and  I really love this part. 

Après ma petite interview...

Lastly I would like to jot down a few thoughts about this interview...

Interviewing Richard and his partner Arnaud about their musical "Rimbaud" was actually my dream as a fan and as a French language learner. However, it was almost like my "wildest dream" and I wouldn't imagine that this dream would come true one day.

There were too many reasons that this dream seemed to be impossible:
First, I'm just a fan. Nothing more than that.
Second, my French language proficiency was far from doing "interview".
Third, as I didn't have any experience of "interviewing" and I had no idea what to do.
And lastly, I am normally a timid person, and this dream just seemed to be too daunting.

The only thing that I had... probably, was perseverance.

I said to myself, "even if it would end up in totally a mess, I have nothing to lose anyway. So why not try it??"

So, to start with, I sent a lengthy message to Richard and Arnaud (despite the fact that I was a total stranger to Arnaud...) about my little thoughts about "Sauver les Apparences" in French even though I could only understand half of the lyrics. When I clicked the "Send" button,  I was trembled...  Probably, my French was full of errors and my remark might have been beside the point but at least I believed that it would be much better to convey my sincerity.

A few days later, to my surprise,  both of them gave me very sincere and kind responses. I was totally overjoyed. At this point, I  started to believe, maybe,  my wildest dream wouldn't be that "wild"...

This is how the story begins, and led me all the way to this interview... Euh, what a journey it has been... It's just unbelievable...

It was actually a bit a challenge for me to translate unmodified French texts into Japanese and English. Sometimes I felt quite helpless and so disappointed in myself that I couldn't properly translate Richard's fabulous texts. But luckily with the help of Mme Mew, who is a long-term french musical fan, I could finish translating this interview.  It took me more time than I had expected and it wasn't totally a piece of cake, but all the better for it, this experience was quite priceless and even enjoyable for me. I cherished every moment of it.

My next "wildest" goal would be watching "Rimbaud" somewhere in the world, and tell my thoughts to Richard and / or Arnaud in French in person. Again, I know it's a tough goal but maybe it's worth trying.

Richard, thank you again for giving me such a wonderful opportunity.
I'm really looking forward to seeing you (hopefully as a singer!!!) again.
And I also say thank you to Arnaud for giving me strength and courage.
You guys are always inspiring and I can't be thankful enough.

I really wish that "Rimbaud" would be presented as many cities as possible and the spectacular world of Rimbaud would be shown to the audience ;)

*****
3 April 2014
I posted an English translation of the story of the genesis of "Rimbaud Musical" written by Céline, which inspired me a lot. For those who are interested, please see here. You could also see the original French text (La genèse du spectacle) here.