2015年4月4日土曜日

祝!宝塚上演: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜あらすじ④〜

順番が前後してしまいましたが、宝塚版の衣装と配役の印象です。。。
衣装ですが、オリジナルより秋色というか深みがある色になった気が。オリジナルはいい意味でも悪い意味でも(?)まさにコスチューム、と言った感じで配色はわりとはっきりした色(黄色とか赤とか青とか)のものが多かった気がします。特にマリー・アントワネットの衣装やマリーアントワネットが登場するシーンのダンサーの衣装とかは非常に独創的で、すごくおもしろかった+芸術の国であるフランスらしさが出ている気がします。あと、本国版は子どもや若者がメインターゲットなので、宝塚版はもうちょっと大人向け路線(笑)になった、と考えることもできるのかもしれません。

そして、配役ですが。私は恥ずかしながら宝塚の方についてほとんど無知(汗)なので、配役順ということしかいえないのですが、、、オランプがかなり下の方にクレジットがあったのは驚きでした。そして、アントワネットが娘役さんトップというのも、ちと混乱しました。。。(誰と誰のラブストーリーが主軸になるのだろう??)。そして、オリジナルでは歌を歌わない役たち(特にアルトワ伯)がかなり上のほうにきていたのにもちょっと興味があります(アルトワ伯はどんな歌を歌うんだろう??)。原作もお話の主軸がちょっと曖昧な部分はあるので、宝塚版で新たな1789ができるのはそれはそれでちょっと楽しみだったりします。

では、再びまたあらすじ二幕のパート2に戻っていこうと思います。
例のごとく間違いがあるかもしれませんが、、、お楽しみいただければと思います。

***********************
★カバーしている曲:Nous ne sommes(国王陛下の名の下に) / Je vous rends mon âme(神様の裁き) / Tomber dans ses yeux(二度と消せない)★

あらすじ③からのつづき。

− パレロワイヤル (サイラモナムールからの続き。)

ダントンがルイ15世広場で竜騎兵部隊が民衆を攻撃したことをデムーランに伝え、今こそ、武器を取るべきだ!と主張する。レザンヴァリッド(廃兵院)に武器があるはずだと言うデムーラン。ダントンはレザンヴァリッドに行こう!と息巻き、ロナンに戦う準備ができている者たちを集め、明日の夜明け、市庁舎前に集まるよう指示する。そして3人、民衆は「フランス、万歳!」と叫ぶのだった。

ロナンはその場にいたシャーロットを呼び止める。オランプと口論して別れた後、彼女と音信不通になっており、ロナンはシャーロットにオランプを探し出して欲しいと頼む。その言葉にただならぬ雰囲気を感じ取ったシャーロットは深くうなずき、ヴェルサイユへと向かう。

そこにラザールが攻撃の準備を整えた軍隊を率いて現れる <Nous ne sommes>。

<Nous ne sommes>
(国王陛下の名の下に)
(和訳というか直訳は、我々は~でない(英語だと
We are notみたいな感じ。ただ、普通はnous ne sommesの
後にpas等の否定を表す言葉が付きます。))

"反乱者たちよ、服従するのだ、服従するのだ、服従するのだ
気をつけたまえ、これが最後通牒だ"

***ダンスも衣装も歌も恐ろしいまでの統率感が印象的な一曲。兵士役のダンサーの白髪のウィッグや人間技とは思えない角度での静止ポーズ(笑、どういう体なんだ?!)、ラザールの指揮に合わせての一糸乱れぬダンス(もはや機械仕掛けの人形のよう)、全員で箱をたたく演出等軍隊の規律というか狂気みたいなものがすごく斬新な演出で表現されてると思います。

そして、ラザールのいっちゃった顔(笑)。ここは見どころです(笑)。最後の一斉発砲シーンは初めて見た時はかなり驚きました。。。ただ、実際のミュージカルではSaison 2の爆発事故の後は、この演出はなくなったようです(当然ですが。)。宝塚版ではこの辺の演出がどうなるのかちょっと気になります!

歌詞としては、全体的には我々の軍隊は王に絶対の忠誠を誓っているのだ、反乱者たちよ、お前らに勝ち目などないのだ、と言っている気がするのですが、この曲の不思議なところは、ところどころ、まるで軍隊が自律的に行動しているかのような印象を与える歌詞がある点です(私の理解が正しいといいのですが。)。ここからは完全に自分の想像ですが、、、一つには、軍人としての誇りを表しているのかなという気がします。主君はもちろんいるわけですが、それ以上に大義名分が重要である、だからわれわれは下僕ではない!と言っているように思いました。もう一つは、軍隊という集団の心理(目的のためにはどんどん手段を選ばなくなる、制御不能になっていってしまうこともあるというような狂気や危うさ)のようなものを表現しているのかなと思いました。***

− 夜。人気のないヴェルサイユ宮殿

シャーロットがオランプを呼び止める。シャーロットは、ロナンの伝言を告げるが、オランプは、アントワネットは自分を必要としており、だからここに残らなければならない、と告げる。

と、そこにラマーが現れる。再びラマーは、オランプを我が物にしようとし、2人はもみ合いになる。その口論の最中にアルトワ伯が部屋に入ってくる。

慌てるラマー。ラマーは、いつものようにアルトワ伯に取り入ろうとする。が、アルトワ伯は、お前にはほとほと嫌気がさした、とっとと消え失せろ、と一喝する。ラマーはアルトワ伯に泣きつくが、アルトワ伯は全く取り合わない。これで最後だと感じたラマーはアルトワ伯をナイフで刺そうとするが、逆にアルトワ伯がそのことに気づき、ラマーが先に刺され息を引き取る。アルトワ伯は、清々した様子で立ち去る。

*** この辺りはお芝居が多いシーンですが、ラマーが死ぬというのにフランスっぽい皮肉好きな?ちょっと毒を感じるユーモアが詰まった会話が続きます。でも、逆にそれが人間くさいというか、私はこういうシーン結構好きだったりします。オランプに無理やりキスをしようとしたり、アルトワ伯に見限られ、必死に彼を引き止めようとするシーンはラマー役の役者さんのコミカルセンスの真骨頂だと思います。

この後のシーンにダンス・シークエンスがDVDでは入っているのですが、、、私はこのシーンを実際の舞台で見た記憶がありません。。。私が単に忘れている可能性も高いですが、、、ひょっとしたらDVD用に作成されたシーンかもしれませんし、途中で演出が変わって付け加えられたシーンなのかもしれません。***

−  ヴェルサイユ宮殿。アントワネットの部屋。アントワネットとポリニャック夫人が二人で話をしている。

腹心であるポリニャック夫人は、アントワネットに、一緒にヴェルサイユを脱出しようと説得するが、アントワネットはベルサイユに残ると告げる。ポリニャック夫人と別れの口づけを交わし、ポリニャック夫人は泣く泣くアントワネットの元を去っていく。

側に立っていたオランプをアントワネットは呼び止める。アントワネットは、オランプが恋していたことを知っていたのだった。自分は全てを失うことになる、けれどもあなたは希望を捨てないで-そう言いながら、アントワネットはオランプを自由の身にする。 オランプは感謝の意を伝え、最後の一礼をし、女王のもとを去る。

一人残されたアントワネット。様々な思いが去来する中、アントワネットは神に祈りを捧げ、赦しを請うのだった <Je vous rends mon âme>。

<Je vous rends mon âme>
(神様の裁き)
(和訳:私は天にこの命を捧げます
直訳は「あなたに私の魂を返します」ですが、
決まり文句として"rendre l’âme"で「死ぬ」のことだそうです。)

"私は赦しを請うために天に祈りを捧げるわ
私の冠の重さのために苦しんだ者たちのために
私はただ母だったの"

*** 今まで、自己チュー度マックスだったアントワネットが最後の最後に改心をする、という歌です。この歌の興味深い点は、実は最後にアントワネットが思っていたのは息子だったということだと思います。最初の部分こそ民衆に対して赦しを、と始まりますが、この歌の大部分は早逝した息子に対する愛、失った苦しみ、痛み、そして、届かなかった祈りについての神への問い等、息子に関するものです。

女王である前に、彼女も誰かの母であり、誰かを愛する女であり、そして、人でしかなかったのだ、という製作者の意図がちょっと垣間見れる気がします。この作品は基本的には革命家たちの視点で物語が展開されていきますが、このシーンは、凋落する王家側の視点に立って描かれている数少ないシーンだと思います。彼らにも彼らの想いがあり、生きていたのだということを表したシーンとも言えるかもしれません。

そして、このシーンの演出、なかなかえぐい、というか、見ていて心が苦しくなりました。貼り付けた映像ではよくわからないかもしれませんが、アントワネットは全てを剥ぎ取られ、歌の後半、火山の中のような場所で、頭だけの石膏の山の中に一人取り残されます。そして、最後にはギロチンを思わせる音とともにアントワネット役の歌手がすっと消えます。演出の中でも人間ドラマとして非常に印象に残ったシーンでした。

余談ですが、実はこのミュージカル、時系列がかなりぐちゃぐちゃです。アントワネットが処刑されたのは、1793年なので、この後のシーンで出てくるバスティーユ監獄襲撃(有名な1789年7月14日)よりも後の話のはずです(Wikiのフランス革命年表)。。。

そして、ヴェルサイユから逃亡するとかしないとかいう話もでてきますが、このシーンだけ見ると、まるで、アントワネットは女王の威厳を保つために、逃亡しなかったかのように見えます。。。ご存知のとおり、王一家は実際にヴェルサイユから逃げようとしましたし(ヴァレンヌ事件(1791年))、100歩譲って、この事件を省いて描いていると考えても、この事件ののち、王家一族は、パリに幽閉されていた期間がそれなりにあったはずなので、こんなに早く処刑、という展開はちと不自然な気がします。

これはもちろん演出上、バスティーユ監獄襲撃のシーンはフィナーレにとっておきたかったから、かつ、オランプとの会話の直後にこの歌のシーンを持ってきたかったから、ということだと思うのですが、、、それにしても大胆な改変。。。パリの劇場には小・中学生と思しき子達もたくさんいたので、これ本当の歴史だと子どもたちは思っちゃうんじゃないの?と自分は無用な心配をしていました。ミュージカルとはいえ、ここまで歴史を変えていいのだろうか???(笑)***

− ヴェルサイユ宮殿
アルトワ伯が、ラマーの手下だったトゥルヌマンを自分の部下として将校に任命する書状を読み上げている。死んだラマーの話が出た際に、手下だったロワゼルはラマーの真似を始め、最初は面白がるが、途中で泣き出す。やっぱりちょっと悲しいんだ、とロワゼル。

***真面目なシーンの後のコミカルなシーンです。ときどきこういうシーンが休憩のように挟まれて、真面目すぎる感を緩和?する感じなんだと思います。***

− 壁に挟まれオランプとロナンが立っている。異なる世界に生きる二人。それでも、二人はお互いへの想いを強くするのだった <Tomber dans ses yeux>。

<Tomber dans ses yeux>
(二度と消せない)
(和訳:彼(女)の瞳に落ちて) 
"突然、あなたを一目見るためだけに
自らの身を賭して生きたいと思う
彼(女)の瞳に落ちるために
この燃え上がる欲望に身を委ねるために
彼(女)の瞳の中で踊るために
この恍惚の調べに揺さぶられたい"

*** 二人がどんな危機に陥っても(au bord du vide)この恋に身を委ねたいという想いを新たにするバラード。おそらく二人の駆け落ちを意識したと思われる旅行鞄を持ったダンサーたちが幻想的なダンスを踊る演出が印象的です。そして、二人を隔てる壁。実際に舞台を見ていて、想いは同じなのに、二人は別々の世界で生きているということが強く感じられました(実は、私、パリの劇場で見た時、かなり右側に座っていたので、実際にロナン役の人が見えない状態でした。そういうわけで「届かない想い」みたいなものがある意味強く感じられたかも。。。)。

この曲は、このミュージカルの中での最大のラブソングだと思いますが、この曲もすごく爽やかに歌っている割には、、、やっぱり欲望(désir)に身を委ねたい、とかちょっとフランスっぽい笑。純愛、とかフランスではきっとあり得ないんだろうなあ(笑)。でもタイトルの「彼(女)の瞳に落ちて (Tomber dans ses yeux)」というのは、すごくきれいな音だなあと思います。映像はリハの場面も入れ込んだプロモ映像。こんな感じで作っていったのねーというのがよくわかる映像なので、入れてみました。***

− 革命家たち、そして市民たちが革命への想いを胸に集合している。
バスティーユ監獄襲撃への時が刻々と迫っていた…。

今回は、力尽きたので、ここまでです。
たぶん、次回でフィナーレを迎えられると思います!
フィナーレはこちら


0 件のコメント:

コメントを投稿