さて、最後のシーンはこのミュージカル最大の見せ場、そうバスティーユ監獄の襲撃です。バリバリネタバレをしておりますので(爆)、、、エンディングを知りたくないという方は宝塚版ご鑑賞後に、ご覧ください。
ここまで散々、嗚呼フレンチ、とか言ってきましたが(苦笑)、最後のこの回だけは真面目にいろいろ書いていきたいと思います。若干重い話も入るかもしれませんが、最後までおつきあい頂けると幸いです。
では2幕最後のパートです!
***************
★カバーしている曲:Sur ma peau(肌に刻み込まれたもの) / La prise de la Bastille / Fixe / Pour la peine(悲しみの報い)★
あらすじ④からのつづき。
- 革命家そして市民が集結している。
パリ郊外では、軍が市民に銃口を向け始めている、とロベスピエールがみなに報告する。革命家や市民も次々と集結するが、武器が足りず、革命家たちは頭を悩ませる。そこにロナンが、バスティーユなら武器がある、と言い出す。よし、王の権力の象徴である、バスティーユを打ち倒そう!と革命家たちが号令をかけ合う。「いざ、バスティーユへ!」<Sur ma peau>。
<Sur ma peau>
(肌に刻み込まれたもの)
(和訳:肌の上に)
(肌に刻み込まれたもの)
(和訳:肌の上に)
"この肌に
俺は言葉の花が刻みつけられた
自らの約束を記した
俺の青春の誓い"
権力の象徴であるバスティーユ監獄を襲撃を前にロナン、そして、民衆たち(ダンサー)が新たな時代への決意を胸に歌う一曲。若者の革命への熱い想いが凝縮されています。この歌の見せ場は何と言ってもダンサーたちの気迫のこもった表情。一段下がったところから這い出てくるシーン、そして、曲の途中で歌手のルイも含め自ら茶色の顔料を塗りつける演出等、虐げられた者達が果敢に這い上がっていく様子がまさに革命の精神を物語っているように私には思えました。そしてこの歌からこのミュージカル最大の見せ場、バスティーユ監獄襲撃のダンスへと続きます。
ここからは文字で書いても野暮なだけなので、素敵な映像でご覧ください(笑)ただし、バリバリネタバレしておりますので、ここからは最後を知りたい方だけご覧ください。
***ネタバレ注意***
<La prise de la Bastille >
(和訳:バスティーユ奪取)
(和訳:バスティーユ奪取)
***ネタバレ注意***
***しかし、このダンス、そして最新の音響効果を使った演出はすごかったです。全身をめいっぱい使った一糸乱れぬダンサーたちの動きも目を見張りますが、なんというか、ダンサーたちの気迫がすごかったです。本当に一人一人がrevolutionaire(革命家)になり切ってました。撃たれて、一度倒れてもまた這い上がる、という演出も革命精神をまさに表した振りなんだと思います。演出としてもロープの壁登りもすごかったですし(宝塚版でこれはさすがにやらないだろうなあ笑。)、映像とはいえ、牢獄が崩れ落ちる様子はまさに迫力満点でした(大砲とか出てきちゃうし。)。そして最終的には壁が倒れてきて穴が開く瞬間はおーーー!といった感じでした(もうこれしか言えない。)。日本の持ってきてこのシーンがどれほど再現されるのかわかりませんが、できるだけオリジナルと近い形がいいなあと期待しております。。。***
民衆の力により、バスティーユ監獄のあの高い壁がついに崩壊する。そこから飛び出してくるロナン。が、銃声がし、ロナンはその場に崩れ落ちる。
デムーランが倒れるロナンを抱きかかえる。デムーラン、俺たちは自由だ…と力なく言うロナン。そうだ、我々は自由だ、とデムーランもうなづく。そこにオランプも駆けつける。「ロナン!死なないで、私のほうを見て、お願いだから、愛する人!」「オランプ、僕のオランプ… 。」
オランプの叫びも虚しく、ロナンは息を引き取るのだった。号泣するオランプ。呆然自失のソレンヌ<Fixe>。そこに人権宣言の一節を唱えながら市民たちが集まってくる。<Fin (終わり)>
***ネタバレ注意***
<Fixe>
(和訳:頑なな(心)→解説は以下をご覧ください。)
(和訳:頑なな(心)→解説は以下をご覧ください。)
我々は脆くて
我々は神によって粘土から創られ
我々は不確かな未来であり
我々は役に立つ存在で
我々は無益な存在で
我々は自らの手の中にある運命である
この歌、このミュージカルの歌の中で一番難解だと思います。聖書を下敷きに
していると思われるところがいくつかあったり(これは理性を崇拝し、教会を破壊したりしていたフランス革命をテーマにしていることを考えると結構不思議。)、言葉の使い方が結構難解。。。フレンチミュー師匠のMewさんとこの歌詞について以前、話し合ったことがあったのですが、その時もやっぱりこの歌詞意味が取りづらいよね、という話になりました。ちょっとその時の議論も交えつつ、書いていきたいと思います。
タイトルの"Fixe"は 英語のfixedと同様、固定されたという形容詞、もしくは、軍隊用語の「気をつけ!」という号令を指す言葉だと思います。私は最初、このFixe、そしてそのすぐ後ろに出てくるce regard fixe(直訳は「その固定された視線/まなざし」)の意味がかなり謎でした。この曲は、最初、お父さんが死ぬシーンで、次はロナンが死ぬシーンで登場す るので、「固定された視線」=「生気がなくなった瞳」=「死」をまず自分は連想しました。ですが、師匠のMewさんに、physicalな視線、見ること、というよりさらに意味を広げて、「固まったものの見方」という考え方もできるのではないか、と言われ、ああ!と思いました。冒頭のシーンはソレンヌが、そ して最後のシーンはデムーランが、情感を込めて歌い上げるのですが、二人とも、大切な人を理不尽な理由、不条理な方法で殺されたことへの怒り、悔しさ、やるせなさを自分としては一番聞いて感じたので、この読み方をすると全体としてしっくり来るように思います。ロナンの死というのは、アンシャン・レジームという枠組み=凝り固まった考え方の犠牲になった人たちの象徴なのかもしれません。
タイトルの"Fixe"は 英語のfixedと同様、固定されたという形容詞、もしくは、軍隊用語の「気をつけ!」という号令を指す言葉だと思います。私は最初、このFixe、そしてそのすぐ後ろに出てくるce regard fixe(直訳は「その固定された視線/まなざし」)の意味がかなり謎でした。この曲は、最初、お父さんが死ぬシーンで、次はロナンが死ぬシーンで登場す るので、「固定された視線」=「生気がなくなった瞳」=「死」をまず自分は連想しました。ですが、師匠のMewさんに、physicalな視線、見ること、というよりさらに意味を広げて、「固まったものの見方」という考え方もできるのではないか、と言われ、ああ!と思いました。冒頭のシーンはソレンヌが、そ して最後のシーンはデムーランが、情感を込めて歌い上げるのですが、二人とも、大切な人を理不尽な理由、不条理な方法で殺されたことへの怒り、悔しさ、やるせなさを自分としては一番聞いて感じたので、この読み方をすると全体としてしっくり来るように思います。ロナンの死というのは、アンシャン・レジームという枠組み=凝り固まった考え方の犠牲になった人たちの象徴なのかもしれません。
全体としては、Fixeというタイトルが指すように、こういった凝り固まった考えによって大切な命が無残にも失われることの不条理さ、そしてそういった悲劇を繰り返す人間の愚かさ、争いの無益さを批判する歌といった感じなのではと思います。また、我々は役に立つ存在で/我々は無益な存在で/我々は自らの手の中にある運命である、という歌詞が示す通り、我々は新しい歴史を切り開いていく大きな力を持った存在であると同時に、愚かな過ちを繰り返す存在である、という二面性もテーマなのかなと思います。
*************
このシーンを見るとなぜか毎回ゾクっとする(いい意味で)のですが、見る度にやるせなくなります。新しい時代はもう目の前にあったのに、若くして死ななければいけなかった命。ロナンの死は、そういった、革命の中、自らの命を賭して、新しい考え、時代を信じ、犠牲となった人たちを象徴しているのだと思います。
と、同時に命の儚さ、尊さについても考えざるを得ません。新しい時代のため、とはいえ、花火のように散っていく命…。Fixeの歌詞を見ても、犠牲となった人々をヒーローとして讃えるというよりは、新しい時代が来るたびに多くの命が失われる無情さ、悔しさ、そして、歌詞の中にもあるように命の尊さを訴えているように思います。Vive la France!みたいな感じで、革命側の大勝利としてストーリーを終わらせるのではなく、むしろ、革命側も王族側もどちらにも勝利なんてない、残るのは虚しさ、そして犠牲となった人々を悼む気持ちだけ…そんな風にも聞こえる詞のような気がします(これは、この後の恐怖政治の混乱状態を思い起こすと、非常に納得がいきます。)。
革命のお膝元のフランス発のミュージカルが、最後このような結末、テーマを持ってくるというのは、意外でもあり、でも、「自由」「人権」という人間の存在にとって非常に重要な概念が、様々な人々の犠牲の下に成り立っているということをエモーショナルに切々と訴えかける美しい曲なような気もしました。
革命のお膝元のフランス発のミュージカルが、最後このような結末、テーマを持ってくるというのは、意外でもあり、でも、「自由」「人権」という人間の存在にとって非常に重要な概念が、様々な人々の犠牲の下に成り立っているということをエモーショナルに切々と訴えかける美しい曲なような気もしました。
最後、人権宣言の一節を唱えながら会場の四方八方から歌手やダンサーたちが出てきて、舞台に向かって歩いてくるのですが、各々の声が最後どんどん重なり、背景の人権宣言とつながっていき、そして、最後みんなのFixeの大合唱でフィナーレ、という演出は本当に心揺さぶられました。とにかく、やるせないです(会場で、なんて悲しいの!と心の中で叫んでいました。)。
***ネタバレ注意***
Saison 2のエンディング
そして、最後は、カーテンコールです。
このミュージカルの最後の公演のときのカーテンコールの映像です。観客とキャスト、スタッフの一体感+盛り上がりがなんともフランスっぽいので、入れてみます。
<Pour la peine>
(悲しみの報い)
(和訳:犠牲に報いるために)
(悲しみの報い)
(和訳:犠牲に報いるために)
"僕らは僕らを鼓舞してくれる夢が欲しい
僕らが苦しみの中ににあるとき花が欲しい
僕らは純粋であることの感覚が欲しい
自由な思想家という名の下に
僕らの頑な心を解きほぐす涙の名の下に
僕らは歴史を 変えることができなければいけない
犠牲になった者たちに報いるために"
さて、カーテンコールのこの曲、タイトルのPour la peineですが、 英語のpainと同様、peineは苦労、骨折り、または、苦痛、心痛、悲しみ、苦しみなどの意味があります。犠牲になった者たちのためには結構飛躍してしまっていますが、要するに、人権にしろ、自由にしろ、私たちが今当然だと思っている権利も、誰かの犠牲、そして、努力、痛みによって築かれたものであり、ロナンのように志半ばにして、命を落とした者たちの想いを引き継いで行かねばならないということを歌った歌なのだと思います。曲調もちょっと悲しいというか、心に静かに染入るような、ある意味鎮魂歌のような曲調になっています。
というわけで、全体としては、禁じられた愛の物語を主軸としつつも、そこに民衆の蜂起、革命家の活躍といった内容が入り、最後は、フランスの精神を 静かに物語るという感じでフィナーレを迎えます。
途中までの話の展開は、若干まとまりに欠けるというか、どういう方向性に持っていくのだろう?と観劇をしているときは思っていましたが、最後にラストスパート、と言う感じで一気に革命のストーリーをまとめあげたな、という印象でした。
個人的な感想としては、最後のシーンはとっても良かったけれど、そこまでの持っていき方にもうちょっと流れが欲しかったなあという印象でした。革命の話なら、革命にもっとスポットライトを当てるべきだったような気がしますし(振り返ってみると、主人公であるはずのロナンの革命家としての描き方が少々弱いように思います。。。(一瞬あれ、主役誰だっだったけ?デムーラン?あ、ロナンだった!となる(苦笑))、 アントワネットの話を差し込んだり、ちょっとごちゃっとした感じに自分には思えました。。。というわけで、その変を宝塚版はどう改変していくのか興味があります。
とグダグダネガティブなことを書いてしまいましたが、 全体としては、フランスが描くフランス革命という意味のミュージカルとしては、すごく興味深いミュージカルなのではないかなと思います。特に後半は、フランス革命の精神、引いては人間の尊厳みたいなものを描いている部分は自分としてもすごく勉強になった気がします。
実は、このミュージカルを創作、プロモーションをしていたと思われる時期は、アラブの春の時期と重なっています。下記のインタビューで実はプロデューサーのアチアさんとコーエンさんが、冗談交じりに僕たちが革命をテーマにしたミュージカルを作ったから革命が広がっていったのかなと言っていますが(聞き間違えでなければ)、こういう民衆の「抵抗スピリット」というのは、1789年から200年以上たった今でも、変わらずあるものなのだなという気がします。
プロデューサーたちのインタビュー映像(仏語)
そして、今年の1月7日。シャルリー・エブドの襲撃事件が起きました。そのとき、実は、私の脳裏に浮かんだのがこのミュージカルの"Sur ma peau","Fixe"そして"Pour la peine"のシーンでした。ご記憶にある方もあるかと思いますが、このとき、"Je suis Charlie"という言葉が、SNSを通じてフランス語圏そして、全世界に瞬く間に広まっていきました。そして、Place de la Républiqueでの行進も非常に記憶に残るものだったと思います。(実は、私は事件のちょうど1ヶ月前、パリにミュージカル遠征旅行をしており、まさにこの広場も休憩がてら訪れていた場所だったので、人で埋め尽くされたPlace de la Républiqueというのは、とても衝撃的でした。。。)
Place de la République。 このときは、全然平和だった…。 |
シャルリ・エブドーの風刺画に問題がなかったかと言われれば、カルチャーの違いはあるとはいえ、これほど挑発的に描く必要はあったのだろうか?と私自身も思うところもありますし、この議論について、浅はかな私の知識でどうこう言うのは憚られるのですが、人々が自然発生的に言論・表現の自由に対する暴力に"Non"と表明する"solidarité(団結)"を示す光景は、やはりpeople's powerの大きさを示しているのではないかと思いました。
Place de la Républiqueの行進の写真をネットで見ているとき、暴力で踏みにじられても絶対に立ち上がるのだ、という強い意志を示したSur ma peauのシーン、そして、人権宣言の一節を読みながら、次々とキャストたちが舞台に上がるシーン、さらには、鎮魂、そして淡い希望という意味ではpour la peineのシーンと重なり、この精神は現代にも息づいているんだなとふと思いました。
と同時に事件の1ヵ月後に襲撃事件からかろうじて生き延びたイラストレーターのLuzの取材インタビュー(こちら。フランス語ですが、英語の字幕がついています。)を見ていて、Fixeのテーマである無力感というか、なぜ悲しい歴史はこうやって繰り返されるのだろう、、、というやるせなさといったものも同時に感じました(Luzは、実は、Place de la Républiqueでの行進についても、言論の自由を抑圧する国々の首脳が行進に参加していたことを批判しています。。。)。
この事件に関する議論は当分の間尽きることはないと思いますが、 このミュージカルを観ながら、日々忘れがちな人間の尊厳、自由といったことについて考えるきっかけになればなあと個人的には思います。
革命について考える…。 |
以上、長々と書いてきてしまいましたが、「1789バスティーユの恋人たち」のあらすじでした。
読んで頂きどうも有難うございました!
ギリギリ宝塚の公演に間に合ってよかった(汗)。。。
宝塚の公演では、シーズン2にしか登場しないPic Et Pic et Amstramgram(自由と平等) とLes Mots Que L'On Ne Dit Pas(声なき言葉)も使われていたようだったので、そちらについては別の記事にしました。
0 件のコメント:
コメントを投稿