2015年4月30日木曜日

Xavier Dolan グザヴィエ・ドランの"Mommy/マミー"鑑賞

ひょんなことからグザヴィエのカンヌの授賞式のスピーチを見て、グザヴィエの"Mommy"について知り、(そう、実は私、最初に知ったグザヴィエの作品はなぜかMommyだったりする笑。)、とりあえずすごいという話を耳にし、これまでの作品を見て(Tom à la fermeだけ未見。)、その作品の鮮烈さに衝撃を受けて以来、グザヴィエを心の中でこっそり応援している。

このチラシ傑作。何種類か種類があるのですが、
このチラシはカンヌのスピーチのことが裏に
書いてあります。

日本版の予告編にはカンヌのスピーチの
場面も挿入されているVerもある。

物語を追ったVer
グザヴィエの映像力。。。

去年のあの感動的な授賞式のスピーチから1年経ち、やっとMommyが日本で公開された。最近はあまり映画館に行かなくなってしまったのだが、久々に初日に映画館訪問。

グザヴィエのマミーに関するインタビュー(日本語)→http://natalie.mu/eiga/pp/mommy 
グザヴィエがマミーについて語るインタビュー(音声/英語)→こちら
なかなか面白い。

初日の最後の回に行ったのだが、結構な人だかり。そして、「グザヴィエって、○○」みたいな会話をしている人をいっぱい見かける。単館系のシアターとあって、来ている観客の人たちもやっぱり眼が肥えた方たちといった印象。

開場まで少し時間があったので、ロビーでくつろいでいると、前にいた青年が電話口で先ほど見たMommyの感動を誰かに熱く語っていた。すごいな、グザヴィエ。とここでまた認識する。

今回、本編上映前にグザヴィエの映画レクチャーのような、ミニクリップが上映された。これが良かった。グザヴィエ作品好きにはたまらない。

そこで取り上げられていたXavier映画の特徴:

①後姿のショットが多い
②前からのショットでも登場人物が伏し目がちだったりして、表情がほとんど読み取れないことが多い
③廊下のショットのシーンが重要な役割を担っている
④どんなに接近したショットでもフレームの人物とかならず距離がある 
⑤スローモーションの多用

ほかにもあったような気がするけれど、とりあえず覚えているのがこんな感じ。
スローモーションについては、Xavierのインタビューで本人も好きと語っていたのを聞いたことがあったので、何となく気づいていたが、バックショットが多いというのは言われるまであまり意識したことがなかった。このレクチャビデオではそれぞれのテーマのシーンがいろいろなXavierの作品から抽出されていて、あーほんとにそうだ、とまさに納得できる笑。

さてマミー本編の感想。

一応、フラ語学習者的視点から、言語について。

出演者も舞台もケベックというかカナダなので、バリバリのケベコワ・フレンチだということはわかっていたが、これが想像以上だった。すごい。とにかく何を言っているかさっぱりわからない。アクセントがとりあえず強烈。。。普通のフランスのフランス語でも映画や日常会話になると、途端に自分の聞き取り能力は落ちるのだが(汗)、今回の映画は10%くらいしかたぶん言っていることが理解できなかった。字幕を見てもどんなフランス語か全く想像ができない。。。でも、ケベコワ特有の罵り言葉であるTabarnakが多用されていたり、anglicismeと言われる英語化した表現やボキャブラリーが随所に見られ(やたらOKと登場人物が言ってた気が。)、いろいろな言語を行き来するのが結構好きな自分としてはケベコワ・ワールドをすごく堪能できた。

実は、自分、再見用にフランスで既に発売されているDVDを取り寄せていた(笑) ので、改めて耳が不自由な方向けの字幕つきで見てみたのだが、実は、フランスで発売されているDVDはフランスのフランス語で字幕が付けられているため、驚くほど言っていることと聞こえる音が一致しない(笑)。Tabarnakはご丁寧に全てmerdeやbordel(全くお行儀のよい言葉ではない。。。)などに置き換わっており、もはや方言というより違う言語の翻訳か?といったレベルだった。そして当然英語の部分はフランス語に置き換えられている。個人的には、オリジナル・テキストで台詞が知りたかったのだが、よく考えるとこれってケベック版のDVDでしか実現できないことなのかもしれない。。。(ケベコワ映画のワナ。。。)

さて、ストーリーについて。 

去年のカンヌのときから追いかけているので、予備知識を詰め込みすぎたのか(汗)、実は、あまり驚きなく最後まで見終わってしまった(でも、周りはすすり泣きの嵐。)。ストーリーも「親子の愛」という意味では、意外とシンプルなメッセージな気がした。

会話もダブル・ナラティブ(2つの物語が並行して進む形)で進むJ'ai tué ma mère、Les amours imaginaires 、Laurence Anywaysなどと比べると、大分シンプルになった気がした。台詞自体の量も減ったような気がするし、独白やインタビュー等、言葉による「説明」が減った分、逆に映像で「見せて」理解させるという部分が増えてより感覚的な、エモーショナルに直に訴えかける映画になった気がした(右脳的映画?笑。)。

台詞にしても、罵りっぽい台詞が続いた後に、ポッと心をえぐるような台詞が出てくるといった感じで、わりとメリハリが利いていた印象だった。これまでの作品の独白やインタビュー部分のシニカルで哲学的なセリフも自分は結構好きだったが、人によってはある意味奇を衒ったというかちょっとお高く止まっているように見える部分もあった気がする。が、今作では、そういう挿入部分がないので、ひたすら泥臭い、というか、登場人物の感じるままに荒削りな言葉たちのぶつかり合いで物語が展開するという感じがした。

ただ、自分は主人公の少年スティーブの感覚に寄り添うにはちょっと年を取りすぎており(あと、残念ながら自分はあんな純粋な心というものをとっくのとうに失っている(苦笑)&思春期の男の子の気持ちというのも女の自分には今ひとつピンときにくいところがある。)、 母の愛の深さ、大きさを等身大で理解するにはいろいろ足りなかったということもあり、今ひとつストーリーにがっつり入り込めなかった。スティーブの天使のような無邪気さ、しかしADHDで抑えることのできない暴力的な側面の対比も「残酷な現実」の設定としてはすばらしいと思ったものの、やっぱりこれも身近に感じるの は少々難しかったというのが自分の本音だった(どちらかというと自分はJ'ai tué ma mèreの母像のほうが自分の経験に重なることが多かった。)。たぶん、中高生の男のお子さんを持つお母さんが見たら、一番物語としては共感できるのではないかなという気がする。

しかし、グザヴィエの苦さと甘さが絶妙に混じったストーリー展開はやはり健在。エンディングもハッピーエンドなようなそうでないような味のある終わり方になっていた。 そして改めて、救いようのない現実に、希望を見出そうと格闘する人々の描き方がグザヴィエはほんとうまいなと感じた。希望といっても甘っちょろいフワフワしたような希望ではなく、現実としっかり向き合い地がついた希望というか、エグいまでの現実を描きながら、本当に闘った人にしか見えない一筋の光のようなものを今回の作品でも感じることができた。だからどの登場人物もある意味かっこわるい、というかがむしゃらに、必死に生きようとしている、希望を見出そうとしている、そういう姿が感動を呼ぶのかなと思った。

特に、自分も結局はなんだかんだで泣いてしまったシーンが最後の母ダイアン(フラ語だとディアンヌというような発音なんだけど。。。)とカイラとの「希望」についての会話。1年前のグザヴィエのスピーチの本当の意味がこの台詞でわかった気がした。会場にあったチラシにもあったけれど、「希望をあきらめないこと」はまさに「勇気」なんだと思った。最後にカイラが去ることを知った後、自らを奮い立たせるために泣くのを必死にこらえるダイアンの姿、実に名演だと思う。

この映画の物語の中心はもちろん息子スティーブとダイアンの「母と息子の愛の物語」であるけれども、そこにカイラという隣人が入ることで新たな「家族」の物語が生まれる。映画を観るまではカイラの立ち位置がイマイチよくわからず「?」と思っていたが、血のつながりでない(心のつながりと形容すればいいのだろうか。)新しい家族像をグザヴィエは提示しているのかなという気がした。

というかもはや「家族」という概念で人と人とのつながりは捉えきれないものなのかなという気もした。心に傷を持った者たちの共同体。自分の世代からすると懐かしいガラケーを手に3人で楽しそうに写真を撮るシーン。観客は何となく悲しい結末を予期しながら、このシーンを見ることになるのだが、3人のこの本当に幸せな様子と結末との対比に胸が本当に痛む。このヒリヒリするような痛み、やっぱりグザヴィエだ、、、と思った。幸せなシーンなのになぜか残酷。

これまでの作品(Tom à la fermeは見てないけど、知る限りでは) でグザヴィエの作品ではいろいろな形での「不可能な愛(l'amour impossible)」がテーマになっていたけれど、マミーもなんとなく希望が持てる終わり方をしているように見えつつも、やっぱり不可能な愛の映画であることは間違いないと思う。先日見たインタビューでも確か、グザヴィエはこのテーマが非常に好きと言っていた。そしてその理由が"humain(人間らしい、人間臭い)"だから、と答えていた。

報われない愛(Les amours imaginairesはまさにこのパターンだし、J'ai tue ma mereは、お母さん側からすればそういうことになると思う。)、お互い愛し合っているが「世間」の枠に最後は敗北してしまう愛(Laurence Anyways)等、つながりそうででもつながれない愛がグザヴィエの作品には多く登場する。Mommyもやっぱり愛を求めて勇敢に闘うけれどもhappily ever afterみたいな終わり方にはなっていない。

そういう意味で、グザヴィエの映画は何となく後味が苦い。でも、そこになぜか必ず感動、味わいがある。 実は、そういった人生の苦さが人間の深みだったりを作り出すものなのではないかという気がする。どんな人も、と言うと言いすぎになってしまうけれども、思い通りにいかないことも含めて人生を愛することの大切さを自分はグザヴィエの作品にいつも感じる気がする。

さて、話題となっていた1:1のインスタグラムのようなアスペクト比について。

最初、自分が思ったのは、何だかやたらと窮屈に見えるなということだった。周囲の様子が見えず、とにかく大抵の時間人物が画面の大半を占めている。特にアップだと本当に人間の顔しか見えない。顔でなくても、それぞれのパーツがとにかくフォーカスされる。表情にしろ物のディテールにしろ、とにかく全てが「見えて」しまう。

グザヴィエはカンヌのプレスコンフェレンスでemprisonner (英語のimprison)と笑いながら解説していたが、確かに、観客はグザヴィエの世界に、スティーブ、ダイ、カイラの生きる空間に閉じ込められる。そして何が起きてもそこから、逃げられない。ある意味息苦しい世界だなと思って最初の方は見ていた。

ここからは若干ネタバレになるが、実は、この映画、全部のシーンが1:1で描かれているわけではない。普通のアスペクト比に戻る瞬間が2回やってくる。これもウワサに聞いていたのでいったいどういうことなのだろうと思ったが、なるほど、、、と思った。ある意味このスクリーンの画面は、登場人物たちの心の窓の役割も果たしていたのだとこのとき気づいた。多分、多くの観客がこの横長のアスペクトになる瞬間に、おー!と思ったに違いない。とにかく映像+音楽のシンクロが美しい。スティーブが「Liberté」と叫ぶ瞬間。すがすがしいまでの「自由」がそこにある。

そして、逆にアスペクトが1:1に戻る瞬間もあるわけだが、こちらもあまりにナチュラルで映画館で見たときは実はいつ元に戻ったか気づかないほどだった。これも登場人物たちの心の揺れ動きに完全にシンクロしている。この演出本当に面白いなと思った。

そして、いつもの通り色使いがグザヴィエの映画は綺麗だと思った。特にこの映画は「青」がすごく綺麗な映画だと思う。

そして、音楽。こちらも前々からオアシスのWonderwallが挿入歌として使われたことが話題になっていた。これ、べたすぎじゃね?疑惑だったが、、、驚くなかれ、このチョイス素晴らしかった。本当にぴったり。

グザヴィエは、音楽の歌詞に物語を語らせることが結構ある。まさに、音楽が「言葉」になっている。MommyでもWonderwall以外の曲にしても、びっくりするほど曲とシーンがシンクロしていた。。。ありがたいことに日本では、ちゃんと歌にも字幕がつく(フランス語のDVDは、挿入歌はBGMの位置付けなので字幕が出ない。)。今回はほとんど英語の曲だったので(記憶にある限りでは、フランス語だったのは、セリーヌ・ディオンのOn change pasぐらいだった気がする。)、聞き取れることは聞き取れるのだが、それでもやっぱり字幕は有難い。感動が2倍になった。

Xavier監督作品のミュージック・リスト。
http://1overf-noise.com/xavier-dolan/xavier-dolan-sound-track/
私、エンドクレジットから書き起こしてたよ笑。

 On ne change pas - Céline Dion 

Wonderwallのシーンはもちろん良かったが、個人的には予告編等でもよく使われていたCounting CrowsのColorblindのシーンのほうが印象に残った気がする。曲、映像の醸し出す透明感がすごく美しかった。

 Counting Crows - Colorblind

そして、エンディングのLana Del ReyのBorn to Die。これも良かった。これも再見して気づいたのだが、最初のイントロが見事なまでに映画のエンディングとシンクロしている。そして、「愛だけではどうにもならないことがある、でも愛さずにはいられない」というこの映画の一番大きなテーマを端的にまとめている。

Lana Del Rey - Born To Die

そして、1990年代後半〜2000年代前半に青春を過ごした人たちにとっては、音楽、小道具、ファッション、雰囲気、そのどれもがすごくノスタルジックだと思う。あの頃の甘酸っぱさを自分も思い出しながら映画を見ていた。

さて、いろいろ書いたが、全体としては、いろいろな観点から見て楽しめる映画だったと思う。そして、改めて「愛」とは、「希望」とは?と考えさせられた。

グザヴィエの次の作品は英語("The Death and Life of John F. Donovan")とのことだったらしいがその前?にマリオン・コティヤールなどが出る作品"Juste la fin du monde"(たぶんフランス語?)が制作されるらしい(こちら)。

しかも、今年のカンヌでグザヴィエは審査員を務める。ほんとにenfant terribleだ。
この快進撃がさらに続くことを願ってやまない。

グザヴィエのカンヌでのスピーチの言葉、「Tout est possible a qui reve, ose, travaille et n'abandonne jamais(夢を持ち、挑戦し、頑張り、諦めない人にはどんなことも可能である。)」は、1年経った今でも常に私の傍にある。携帯の待ち受けもこの言葉だし、職場のパソコンにもこの言葉(笑)。

この言葉は、実にシンプルで、実に正論、かつ一つ一つは目新しい言葉ではない。だが、これを実践して、本当に夢を叶え、人々にインスピレーションを与え続けるグザヴィエの言葉だからこそ、大きな意味を持ち、確かにこの言葉が大きな「希望」となるのではないかと思う。

自分を奮い立たせようと思う時、自分も常にこの言葉を思い出していた。

ティーンエイジャーだった頃、「希望」なんて甘っちょろい言葉だと思っていた。何か幻想のようで、うそっぽいというか偽善を感じる言葉だと思っていた。

でも、グザヴィエのまっすぐなまでの希望のスピーチを見ていて、なぜだかわからないがその純真なまでの熱い思いにすごく心を動かされた。そして、「希望」の持つ大きな力に気づくことができた。希望こそが自分を信じる力を人々に与え、前に進む勇気を与えてくれるものなのだとグザヴィエは教えてくれた。年など関係ない。大事なことはその人がどんな生き方をした人であるか。そういうことなのだと思う。

これからも陰からグザヴィエを応援しつつ、いつかリアル・グザヴィエを日本で拝める日が来ないかと祈ってみたりする。

2 件のコメント:

  1. お互い愛し合っているが「世間」の枠に最後は敗北してしまう愛 ←この表現すてきでした。

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    1. RYOSKさま
      拙い文章を読んでいただきありがとうございます!普段自分の書いたものになかなか感想をいただくことはないので、励まされました><どうもありがとうございます。

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