2014年12月21日日曜日

パリ観劇録2014 vol.2 - Mistinguett, Reine des années folles (1) 総評編 

さて、第2弾は、Mistinguett, Reine des années folles(以下、Mistinguett。)のレポです。
(HP(フランス語)はこちら。オフィシャルfacebookページ(フランス語)はこちら。youtubeページはこちら。写真やバックステージ映像なども見れます。)

実は、今回の元々のパリ行きの目的は、このミュージカルを観に行くことでした。プロデューサーが前回の観劇旅行で観た1789 Les amants de la Batilleと同じアルベール・コーエンさん(今回はいつもデュオで製作を行っているドーヴ・アチアさんとは、離れて彼がソロでプロデュースを行っています。)だったこと、そして、時代がタイトルにもある通り、des années folles(黄金の20年代、平たく言うと華麗なるギャツビーの世界ですね。。。)ということで、内容的に大人向けになりそうと思ったのと、ファッションが結構好きな自分としては、衣装がすごく見てみたいというのが主な理由でした。

http://youtu.be/F_3xMbwrvDc
最新のダイジェスト映像がこちら。

http://youtu.be/3zHXObtfFgw
実際フィナーレはこんな感じでかなり華やかでした。
1列目から撮った映像です。

タイトルにもなっているミスタンゲット(Mistinguett)は実在したレヴューの女王と呼ばれた伝説の女性(Wiki(日本語))で、今回使用されている劇場であるカジノ・ドゥ・パリ(Casino de Paris)で公演を行っていたそうです。かなりご高齢になってからもずっと踊り続けていたという生粋の踊り子。

当時のMistinguettが出演していたレヴューの映像。
この映像の中で歌われている"C'est vrai"もミュージカルで出てきます。

実際このミュージカルも、ミスタンゲットの一代記というよりも、Casino de Parisの劇場を中心にした、ミスタンゲットと彼女を取り巻く人々との人情劇といった要素の強い劇でした。というわけで、ある意味、Casino de Parisはこのミュージカルの主人公の一人(一つ)でもあるとも言えると思います。

ミュージカルの中でも重要な役割を果たす
Casino de Parisの劇場

モガドールと同様、伝統を感じると共に、この劇場は元々レヴューを中心に公演を行っていたミュージック・ホールということで、入った瞬間から ちょっと大人の香りがする劇場でした。

この劇場は至るところに鏡があるのが特徴でした。
そしてシャンデリア!
客席案内係の人が、まず、黒いスーツでビシッと決めた、ちょい悪なおじさんたちでした笑。Casino de Parisは座席に席番号がないので、この劇場をよく知っていない人でない限り、自力で席を見つけるのは結構大変=おじさまたちに席を教えていただかないと、席にたどり着けません。このおじさまたち、テキパキと観客を席に連れて行きます。

http://youtu.be/LGefLMfmIQU
プレミアの日を追った映像。
バックステージ映像がいっぱいあります。
Mistinguettと時代は違いますが、
舞台裏は当時もこんな感じだったんじゃないかなあ。

2年前のPalais des Sportsのときもそうですが、このような客席案内係の人にはチップが必須というわけではないようですが、たいていの人はチップを渡しているようです 。でも、観察していると渡してない人もいたので、私も特にチップは渡しませんでしたが、だから愛想が悪くなるとか、そういったことは特になかったです。

キラキラ輝くシャンデリア。レヴュー全盛期の香りがします。

そして、ホールに入るとパンフ売りの方が、パンフを売り歩いていました。ちょっとノスタルジックな感じ。が、そのパンフ売りの方というのが、、、なぜかオネエ系のおにいさん(おじさん?)でした笑。「私からプログラム(パンフ)買った〜?」や「知ってるわよ。あなたたち、今日来たの、3回目でしょ?ちゃんと見てるんだから!」といった感じで観客の人にやたら絡んでいました笑。服装も20's感がする白ハットをかぶっていて、舞台が始まる前からほんとfolles笑。

キラキラー。Vol 2.
劇場内部。1階1番後ろの席からの眺め。
舞台の上の天蓋のようなものもオシャレでした。

劇場の雰囲気はこんな感じでした。

さて、この作品、前回レポしたLe bal des Vampireとありとあらゆる面で対照的でした。

まず客層。劇が1920/30年代シャンソンということで、日本の懐メロ(っていうか歌謡曲?)的感覚のためか小さな子どもはほとんどおらず大人(30代、40代中心)、そしておじいちゃん、おばあちゃんがいっぱいでした。

そして、Vampiresが最新の技術を駆使したミュージカルであるのに対し、こちらは、舞台もプロジェクター等のヴィジュアルエフェクトはほぼなく、クラシックなセット。

楽しみにしていた衣装ですが、これは、確かに見応えがありました。特に1列目で見ていたときは、ディテールがよく見えて、すごく美しかったです。特に、レヴュー用の衣装を品定めするシーンがあるのですが、キラキラ派手派手なのですが、なんと言うか優雅。すてきでした。


舞台横のボックス席から。
さらに、これが一番の驚きだったのですが、実は、台詞と歌の割合が、感覚的には台詞が8割、ときたま歌が差し挟まれるぐらいの感じで、ミュージカルというより普通の演劇、お芝居に近い感じでした。前回の観劇旅行で観たアチア、コーエンプロデュースの1789は最新の技術を駆使した「最近のミュージカル」だったので、コーエンさんプロデュースのミュージカルが「お芝居」中心のクラシックな舞台になっていたのはかなり意外でした。

舞台に近いので、台詞のスピードは普通の発話とほぼ同じぐらいの超高速(に少なくとも私は感じました)爆。というわけで、実はストーリーは2回目の観劇で初めてなんとなくわかったという感じでした爆。というわけで、率直に言うと、フランス語が全くわからないとこのミュージカル、結構退屈してしまうと思います(特に1幕。2幕には、レヴューのシーンなど、観ていて楽しめる場面が結構あるのですが。)。

さらに、ヴァンパイア物は、ジャンルとして確立されているところがあるので、わりと国境を越えて、楽しめると思うのですが、このミュージカルは、「レヴュー」、「ミュージック・ホール」、「シャンソン」というフランスの文化にすごく根ざした物語&音楽なので、フランス文化に浸透していない人にはピンときづらい舞台かもしれないと思いました。途中でフランスでは有名なミスタンゲットの歌が何曲か出てくるのですが、観客の人(特に年配の人)は一緒に口ずさんでいました。が、外野の私には、その世界観に入るのが結構難しかった気がします。

ただ、これは外国人の自分に限ったことではなく、恐らく、ミュージック・ホールやレヴュー全盛期を知らないフランスの若者たち(Casino de Parisも当初は、レヴュー専用の劇場だったようですが、レヴューの人気に翳りが出てきたため、レヴューをやる劇場としての役割は今はなくなり、現在は、もっぱらコンサートや今回のようなミュージカルの会場として使用されているようです。(Casino de Parisの歴史(フランス語)→こちら)。というわけで、若者たちにとっても、ミスタンゲットやミュージックホールの煌びやかなレヴューというのは、未知の世界なのだと思います(フランス語学校の先生をやっている女の子にミスタンゲットについて話してみましたが、誰それ?って感じでした。あと、日本に帰ってから現地の人の観劇感想録をちょろちょろ読んでいたのですが、やはり休憩中にスマホでミスタンゲットってどんな人なのか調べた(笑)、と書いている人がいました。 )。

ミュージカルで使用されていた楽曲ですが、ミスタンゲットが当時歌っていた曲("Mon homme"、"C'est vrai"、"Ça c'est Paris"、"Je cherche un millionnaire")も含まれていましたが、オリジナルの曲も結構たくさんありました(登場人物に架空の人物が混じっているということもあるのだと思うのですが。)。

オリジナルがある曲は"C'est vrai"や"Ça c'est Paris"はわりとオリジナルに近いアレンジだった気がしますが、"Mon homme"は、オリジナルのシャンソンらしさを残しつつもちょっと現代風のアレンジ、"Je cherche un millionnaire"もかなりjazzyな仕上がりになっていました。

ミュージカルのオリジナルの楽曲ですが、こちらも、ベースはシャンソンというか、華やかなバンド音楽に現代のディスコ的な感じが加えられた音楽みたいな感じでした。

これらのアレンジが果たして、良かったのかというのが最大の問題かと思いますが、私個人の感想としては、それほど違和感なく楽しめました。下記の映像を見てもらえればわかると思いますが、ミスタンゲットの楽曲をそのままミュージカルに持ってくるのはやっぱり、無理だったと思います。。。ただ、実際にミュージック・ホールでレヴューを見ていたおじいちゃんやおばあちゃんたちからすると、モダン過ぎ?だったかもなあという気もします。

逆に若い子からすると、やっぱり古くささが否めないかもなーという気もしました(来年、今度はアチアさんがアーサー王の新作ミュージカル(映像こちら)をやるのですが、そちらと比べると、どう考えても、若い子が寄ってくのはああいうポップな感じのミュージカルな気が。。。)。というわけで、このミュージカルのターゲットとする対象年齢設定が意外と難しいかもなという気がしました。


ミスタンゲットが歌うオリジナルの"Mon homme"

http://youtu.be/Lsq3QkFM088
本公演に先駆けて行われたShowcaseの映像ですが、
舞台版の雰囲気がよく出ていると思います。
Disco風の電子音が入っていたり、現代風のアレンジが
加えられています。

http://youtu.be/fVabMMWiqJ0
ミスタンゲットのオリジナルの
"Je cherche un millionnaire"

http://youtu.be/uhlsLJHj5P8
Mathilde Ollivierちゃんが歌う"Je cherche un millionnaire"
彼女は、ミスタンゲットに憧れる少女の役なのですが、
劇中、ミスタンゲットの踊り子になるためにこのミスタンゲット
の曲をミスタンゲットの前で披露する(オーディション)
(実は彼女は踊れないのですが、歌が上手いという設定)
というシーンがあります。
スイングがかかってかなりジャズ風。

ちなみに、Mistinguettでは、音楽はバンドも入っていましたが、Vampireと違い、録音とバンドの両方の音源が使われていました(現地の方のブログでは、ミュージックホールの話なのに、電子音ばかりで録音なのはせっかくのミュージック・ホールの雰囲気を台無しにしているという意見も見かけました。確かにそう言えなくもなくもなかったです。)。

歌手も、Vampireが正統派ミュージカル歌手っぽい人を起用してるのに対してこちらはちょっとハスキーな大人な感じの歌手をたくさん起用。ダンスの振りも、Vampireは、芸術的なダンス、こちらはかなりセクシー&コミカルでした。


以上、総評でした。。。

舞台の詳細や、歌手の人たちについては次回書いていきたいと思います。

DELF A2に合格しました。

めったに書かないLanguage Learningについての記事ですが。。。DELFは日本語での情報量が少ない気がするので、一応備忘も兼ねて記事にしておきます。

去年、仏検の準2級を受験し、その後、やっぱり世界で通じる資格が欲しいなと思い、今年はDELF A2を受験しました(あ、でも仏検の2級も一応受けました。。。こちらも、一応1次は通過しました。。。)。当初は、DELFは結構試験の受験料が高いので、B1を受けようと思っていたのですが、未だにGoogle翻訳から離れられない自分は、文法も苦手、スペルはいつも間違ってばかり、話すのも常に不正確、、、ということで、B1のレベルはちょっと無理、と思ったのと、フレンチ・ミュージカルガラコンのスケジュールがB1の試験日とちょうど重なっていた(爆)ので、レベルを一つ落としてA2を受けることにしました。



そして、昨日、11月9日に受けたDELF A2の結果通知が届き、無事合格することができました。本当によかった。。。フランス語学校には通ってはいましたが、試験前仕事が思った以上に忙しくなってしまい、実は、試験のための勉強をほとんどできず、記念受験でも意義はある、と言い聞かせて受験しました。というわけで、当然、いろいろボロボロでしたが、正確性は低くとも、外国語で何かを伝えたいという態度は評価されたのか、思ったよりも高い得点をいただくことができたようです。仏検よりも、そういうガッツの要素が意外とこのテスト強い気がします(笑)でも、まじめな話、そういう意味で、言語の本質である「伝える」という部分に重きを置いているテストと言えると思います。なので、実際受験してみて、個人的にはこのテストはテストとしてかなり優れたテストだなあと思いました。

一応、真実味を出すために結果表の写真です。。。
左側の décision の欄にadmis(合格)とあります。
ちなみに日本語のお知らせも入っています
(見方とかも一応説明してある)。
というわけで、今回は、試験がどんな感じだったか遅ればせながら、記録として書いていきたいと思います。ただ、受験したのが1ヶ月以上前なので、記憶がかなり曖昧、不正確になっています。。。その点ご了承ください。。。また、これはあくまで私の個人的な感想なので、その辺りもご勘案ください。



■試験勉強
前述の通り、実は試験用の勉強はほとんどできませんでした(フランス語学校の授業は曲がりなりにも受けてはいましたが。。。)。読解が一番きっとわかるだろうと思ったので、読解は結局ほとんど何もせず、リスニングもテストそのものの対策はほとんどせず、フランス語学校で、先生の言うことを聞き取ろうとしていたのと、毎日、フランス語のインタビュー番組を聞くことくらいしかできませんでした(しかも、すごくよくわかって聞いていた訳ではもちろんないです。。。)。作文は、とりあえずどんな問題が出るのか確かめるため、試験の数日前に、緑色のA2の問題集の作文問題のところだけ、とりあえず回答を書き写していました(爆)。会話も、フランス語学校で先生と話していた、というくらいで試験の概要すらあまり把握していませんでした(ありえん。。。)。というわけで、全くもって準備不足でした。。。(いやはや、我ながらチャレンジャーすぎ(汗))。

■試験が始まるまで
会場に着くと、他の方のブログ記事に書かれていたとおり、本当に席は自由でした。。。というわけで適当に隅っこの席に座り、ほぼ真っ白な(汗)A2の緑の問題集をとにかく眺めて問題のテンポについていけるよう無駄な悪あがきをしていました。受験者は、学生の方も結構多い気がしましたが、年齢層はけっこういろいろでした。やはり女性がかなり多め。自由に着席しているので、試験が始まる前にまず点呼がありました。たまに教室を間違えている人がいるので、そういう人がいると係員の方が親切に正しい教室に案内してくれます。

問題用紙は回答欄も含めて一体型になっており、ホチキスで留められています(外して試験を受けても大丈夫。)。あと、メモ用の白い紙を1枚もらえます。問題は試験後、回収されます。日本の試験会場は本当に鉛筆使用が可でした。結局、自分はなぜか作文以外はボールペン、作文だけ鉛筆で書き、消しゴムを多用していました(修正テープを持参するのを忘れた。。。)。リスニングはもちろんテープが流れるので自分で時間調整はできませんが、その他の3つの試験については、自由に調整ができました(確か、それぞれ目安の時間は決まっていた気がしますが。。。)。

■Compréhension de l'oral(聴解)
今回、最も悲惨でした。点数も結局やはりこれが一番悪かったです。

私の記憶では4種類の会話があったような気がします。それぞれ4、5問問題があったような。記号で答える問題と書き取りで答える問題両方があります。ただ、書き取りもそんなにガリガリ書く必要がある設問は無く、単語で答えられるものも多かったような。会話は確か2回繰り返されたように思います。

知ってはいましたが、テープのスピードは仏検より大分速かったです。。。そして、本番、そのことに多いに焦った自分は、リスニングの基本である、とにかく後を振り返らない、集中するというprincipeを守ることができず、完全に集中力を欠いていました。。。

1問目は確かスーパーマーケットのアナウンスでした。どの野菜が安いとか、どの野菜が1キロあたりいくらとか(これ、もちろん答えさせられました。)、何かをするためにどこにいけばよいか(何かをもらいにいく設定があったと思うのですが、いろいろな場所の絵があり選択させるという問題だったと思います。)。等の問題が出た記憶です。1問目が今日はどのような日ですか?だったか、なぜ野菜が安いのでしょう、だか書き取りの問題だったのですが、言っていることが全く聞き取れず、玉砕しました。。。

次の問題が確か、留守番電話のメッセージの聞き取りでした。テニス・レッスンだかなんだかを受ける約束になっており、そのテニススクールから電話があり、次回いつどこで会いましょうと提案されるという設定だったような気がします。そして、電話番号を書き取らされました(日程を決めるために折り返し電話をするよう言われている設定。)。フランス語の電話番号は2桁ずつ言っていくので、数字が苦手な自分は大混乱。。。あと、日にちのセッティングのために、いくつか日にちが提案されていてそれも書かされたような、、、気がします。

これが3つ目だったと思うのですが、ラジオ番組の聞き取りで、確かどこかの景勝地に関する解説でした。質問はその景勝地がどこからどれくらい離れているとか、その土地で開催される行事はどんなものかとか(確かお祭りがあるとかないとかそんなことを番組内で言っていた気が。)、ラジオの番組なので、この番組はいつ 放送されているか、とかそんな感じだったと思います(もちろん、試験なので、いくつか日時が番組内に登場し、正しい日時を聞き取らなければいけないようになっていました。)。

確か、これが最後だったと思いますが、お父さんとお母さんの近日中に行われる学校の先生との面談に関する会話でした。この問題だけ、かろうじてだいたい内容を把握できた記憶です(汗)。面談の話なので、まず、いつその面談が行われるか、そして、確か、お父さんが遅刻をするという設定だったので、なぜお父さんが遅れるのか(大事な会議があるから、という理由でした。)、この夫婦の子どもは外国語を学んでいるのですが、そのことに関する質問もあった気がしますが、詳細は忘れてしまいました。

■Compréhension des écrits(読解)
自分は大問が3問あった記憶ですが、、、ちょっと曖昧。こちらは割と落ち着いてできました。。。

1問目は、選択問題だったと思います。イベントガイドのようなものが書いてあって、下のほうに、いろいろなタイプの人、グループが書かれており、それぞれの人たちにどのようなイベントを勧めるべきか選択するという問題だったと思います。

2問目は、あるパン屋に関する小さな記事についての問題でした。そのお店は、普段の感謝の気持ちを込めて、お客さんに喜んでもらうためにダイアモンドをパンに入れる、という行事をしていた、みたいなことが書いてあって、評判が良かったので今度またイベントをやるそうです、みたいな内容だったと思います。質問は、なぜ、そういったイベントをするのか、とか、次回いつイベントが行われるか、とかだったと思います。また文の内容について、正誤を答えさせる問題があった気がするのですが、そのjustificationをそれぞれの問題を書かされた気がします(それに結構びっくりした。)。

最後が確か、ホテルから送られてくる説明の書類の読み取りでした。この書類がどんな内容の書類か、(最初、DMだと勘違いしたのですが、よく見ると、ホテル内での注意事項がいっぱい書いてあり、ホテルの規則等、だと後で気づきました。)お金の払い込みのし方等聞かれた気がします。

■Production écrite(文書作成)
2題ありました。

1問目は、友達からのe-mailが冒頭に貼られていて、内容は、夏休みに一緒に旅行に行こうというお誘いのメールでした。問題は、あなたは理由があり断らなければならず、その理由と代わりの案を提案せよ、というものでした。時間が思ったよりも余っていたので、この作文も結構落ち着いてできました。というか、時間があったので、無駄にいろいろダラダラ書いてしまいました(試験ではありましたが、個人的に、いろいろな設定を考えながら、文を書くのは結構楽しかったです。)。

ただ、他の方のブログにも書いてあったのですが、やはりたくさん書くことではなく、問題で聞かれたことをきちんと把握し、それにきちんと答えることが一番重要なのではないかと思います。

私は理由として、1つは銀行でインターンシップに参加するため夏は遊べない(しかし、よく考えたら、向こうは夏はみんなヴァカンスだから、インターンなんてやってないだろうな苦笑。。。この辺り、完全に日本人思考(笑)。)、あとお母さんが手術を受けたばかりなので、家にいたい、ということにしました。代替案は、海に行って遊ぼうということにしました。

2つ目が、確かあなたは語学学校に行っていて、1日小旅行をし、友達にその様子を伝える(手紙を書く、という設定だったかな。)、という内容でした。もちろん、普通に考えれば、フランスの語学学校に自分が行っているということだったのだと思うのですが、そのとき、フランスの1日旅行だったら何をする、というのがパッと思い浮かばなかったので、日本に留学しているフランス人の人が日本で小旅行をしているという設定にして、最近自分が行った鎌倉・湘南旅行の感想を書くことにしました。。。鎌倉は山も海もあって素晴らしかった、とこれまた自分視点過ぎる感想を書いていた気がしますが、とりあえず、その旅行でしたことをつらつら書いていた気がします。

私は、学習年数からすると、周りの人が驚愕するほど 文法事項&conjugaisonが怪しい人間です。そして、元々、読解のみのためにフランス語を始めたため、スペルも辞書なしでは恐ろしく書けません(1行書くのに30分要するなんて事はザラ。)。というわけで、試験後書いた単語のスペルを確認していたら、当然、恐ろしくいろいろ間違っていました(汗)。。。

それでも合格していたことを考えると、恐らく、やはり言葉そのものの規則よりもロジックの組み立て方や理由、代案をちゃんと書くといったことのほうがやっぱり重視されていたのかなあという気がしました。A2というレベルのため、そういった細部については点数の付け方が甘い、ということも十分考えられますが。。。

この3つの試験が終了した時点でいったん解散します。

■Production orale(口頭表現)
3問ありました。受験者ごとにバラバラの時間が指定されているので、その指定された時間に集合し(私は上記の3つの試験のあと1時間ほど時間が空いていました。)、 廊下で待たされた後、4、5人同時に準備の部屋に呼ばれます。そこで紙切れを2枚選ばされて(いくつか問題の種類があるようでした。)10分準備の時間を与えられて、準備をするよう指示されます。メモ等を取ることも可能です(見ながら話してもいい。)。その後、それぞれ試験会場の小部屋へと案内されます。

3つのうち2問は、問題が2種類あり、どちらを答えるか選択することができたのですが、私はその選択を考えてオタオタしているうちに制限時間になってしまったので、これから受験する方は、その判断はテキパキ行ったほうが良いと思います苦笑。

1問目は、問題の種類は確か1種類で自己紹介でした。あなたの興味があることなどを話して下さい、とか書いてあった気がします(直接的に自己紹介してください、とは書いていなかった気が。)。

2問目は、私が選んだのは、仕事の仕方(一人でするほうがいいか、グループで仕事をするほうがいいか。)の好みを述べて、理由を説明せよといったものでした。もう一つは最近気になるテレビ番組とその理由とかだった気がしますが、最近テレビをあまり見ていなかったので、こちらは止めました。

3問目のロールプレイは、あなたは洋服屋の店員になりたいと思っており、店の店主に仕事の内容等、聞きたいことをきく、と言う設定で試験官と会話するというものでした。もう1つは確か、日本食を外国人に説明するとかそういう感じだった気がします。当初はこっちを話そうと思ったのですが、よく考えたら日本食の食材の名前をほとんどフランス語で言えないことに気づき、急遽洋服屋の問題にすることにしました。が、そんなこんなで突如方向転換してしまったので、ほとんど質問内容すら考えられないまま、試験室に入ることになってしまいました。

実際の試験ですが、、、

とりあえず、ノックすると何の反応もなく、どうしようかと思っていたら、試験官の先生がドアを開けてくれました。とりあえず、Bonjour〜と言って入りました。私の担当の方は、40代くらいの優しそうな女性の先生でした。部屋のホワイトボードには確か彼女の名前とか注意事項等が書かれていて、緊張をほぐすためなのか、なぜかスマイルマークとか絵が書いてあった気が(フランスって自由笑。)。

まず、convocation(受験票)を渡して下さいと言われたのですが、convocationが受験票のことだと認識できず「えっ?」という顔をしていると、持っていた受験票を指差されました。それを渡すとサインをしてまた受験票を返されました。

そして、試験開始。とりあえず、自分の得意な話に持っていったほうがいいと思い、名前、職業、なんでフランス語を始めたか、等々を話し、十八番のフレンチ・ミュージカル話に持っていき、無駄にいろいろ話をしてしまいました苦笑。

やっぱりミュージカルというのは意外性があったのか、試験官の方もちょっと驚いた感じでした。フランスには行ったことがあるのか、何の演目を見たのか、等聞かれた気がします。自分の得意な話をすることができたからか、これでかなり緊張がほぐれました。試験だったけれど、ミュージカルの話をするとやっぱり心がウキウキするのか、自然と笑顔になりました(これは、ちょっと奇跡。。。)。

しかし、熱が入りすぎたのかこの質問にかなり時間を使ってしまい、最後の質問の時間がかなり減りました。。。

そして2問目。私は、基本的に一人で仕事をするのが好きです、という結論で答えました。理由としては、自分はindependenteでdébrouillarde(試験のとき、eを落としてしまって、男になっていた汗。そして、この形容詞、数日前に学校で習ったものをそのまま流用。。。)な人間だからです、とか、自分はtimideなので、たくさんの人と仕事をするのが苦手だからです、等言ってた気がします。この問いはわりとあっさり終わりました。

そして、最後のロールプレイ問題ですが。。。
紙には、仕事の条件とかちょろっと書いてあった気がするのですが、とりあえず何も考えてなかったので、仕事に必要な素養は何かとか、給料はどれくらいか、とかかなりバカっぽい質問をしました苦笑。洋服店で働いた経験はありますか?等聞かれた気がします(およそ接客をするようなタイプの人間ではないので、どう答えようかどぎまぎしてしまいました苦笑)。

やばいなーと焦りながらしゃべっていたら、試験官が、もう時間がなくなってしまったからここで終わりにしましょう、とかなり尻切れとんぼでこの問題は終了しました笑。ある意味自分にとっては助かりましたが、よく考えたら時間配分とか間違っていたからその点、点数引かれてしまうか、、、とちょっと心配になりました。

試験の最後に試験官の先生が講評をくれました。あなたは、語彙が豊富なのは良かったけれど、言葉がわからないときにuh~、eh~等言うのはやめましょう、と言われました(確かに、言葉に詰まるとすぐそういう言葉を挟んでしまう癖がある。。。)。

なんだか、ためになる試験だなあと思いながら、Au revoir〜と言って試験室を後にしました。ここで試験終了。

結局、Production oraleが一番得点が高かったのですが、こちらも私、話すのはかなり文法間違いが激しかったはずなので、やはり、ガッツ重視 or A2で基準がそれほど高くなかったということだったのかなあと思います。

でも、試験後の感想としては、手応えはあったものの、聴解はまったくできた気がしなかった&文法は激しくいろいろ間違っていたので、合格への自信はあまりありませんでした。

それでも、合格できたのは、やっぱり試験が「コミュニケーション」という部分を重視していた点が自分に合っていたからなのかなあと思います。

次の級のB1、欲しいのですが、、、何しろ書けない自分、どうしようかな。。。←いや、がんばれよ。苦笑。

何はともあれ、今年、いろいろやってきたことをひとまず形にすることができてよかったです。うれしいクリスマス・プレゼント^^


2014年12月15日月曜日

En quête des traces de Rimbaud vol.2 - Rencontre avec Arnaud 〜アルノーさんとの出会い〜 

前回のシャルルヴィル探訪からのつづき。

ランボーの足跡を求めて、シャルルヴィルに向かった次の日。
ついに、リシャール(・シャーレ)とRimbaud Spectacle Musicalを一緒に製作した、作詞家のアルノー(・ケラン(Arnaud Kerane))さんにお会いすることができました。

リシャールに10月のフレンチ・ミュージカル・ガラコンのときに書いてもらった
"Vitalie"の歌詞と一緒に写真を撮らせてもらいました笑。
素敵な笑顔^^
■ アルノーさんとrencontre

アルノーさんにお会いする予定だった日は結局、アルノーさんに会うまでアパルトマンで準備をずっとしていたため、観光は夜景を撮ったぐらい笑になってしまいました。もったいないといえばもったいない使い方でしたが、(しかも、準備して頭にいれていたことは、結局あまり役に立たなかった。。。)まあ仕方ないかなあと今になっては思います。

お話を伺ったカフェ。クリスマスの飾りがついていてきれいだった。
マレ地区のカフェで待ち合わせをしたのですが、いやはや緊張しました。待ち合わせ時間ほぼぴったりに着いて、周りをきょろきょろしていると、youtubeで何度も見た(笑)アルノーさんが目の前に。アルノーさんも、FB上で私の写真を見てくれていたからか、私にすぐ気づいてくれました。リシャールのときと同様、Ca va?とまず聞かれました。会えてうれしいよ、と言ってもらいちょっとほっとしました。youtubeよりも、ハスキーな感じの声で、かっこよかったです。。。

話始めの定番としてまずプレゼントを渡しました。いろいろ何にしようか迷ったのですが、結局、クリスマス仕様の雪だるまの落雁と、ランボーの文庫本(1年前リシャールにソウルガラコンのときにプレゼントしたものと同じもの)という至ってシンプルなプレゼントにしました。

文庫本はリシャール同様すごく喜んでくれて、現代のランボーだと自分が勝手に思っている(爆)、ケベコワ映画監督のグザヴィエ・ドランの今年のカンヌでの審査委員賞受賞時のスピーチの引用("Tout est possible à qui rêve, ose, travaille et n'abandonne jamais")を書いておいたら(アルノーさんが、以前、このスピーチをFB上で絶賛していたこともありますが、自分もこのスピーチにすごく感動したので、今回引用してみました。)そのことをすごく喜んでくれて、この話でちょっと盛り上がりました。予想以上に喜んでいただけたみたいで、これはすごくうれしかったです。



その後、リシャールに"Vitalie"の歌詞を書いてもらった「ヴィタリー」の本をお見せしました(冒頭の写真。)。アルノーさんはFBで既にこの本のことを知って下さっていたので、サインページを見るとアルノーさん笑顔に^^「リシャールは、兄弟みたいなんだよ」、とアルノーさん言っていたのですが、まさに同じフレーズを日本で会ったとき、リシャールも言っていて、二人本当に兄弟みたい、と心の中で自分は爆笑していました。FBに載せたらちょっと面白いかもね、ということで、リシャールが書いてくれたページとアルノーさん、という写真を撮りました笑。

せっかくなので、アルノーさんにも何か書いてもらうことにしました(というかそのために本を持参した笑。)。何がいいかなあ、とちょっと考えていたアルノーさんですが、結局、今回私が、シャルルヴィル巡りをしたこともあって、Charleville mon soupir(シャルルヴィル、僕の溜め息)の歌詞を書いてもらうことになりました。そしてリシャールのときと同様、この瞬間もぱちり笑。でも、こうして、日本、ケベッックのリシャール、パリのアルノーさん、とこの本を通じて一つになった気がして、ちょっと感動的でした。

Paris-Québec-Tokyoがこの本でつながりました。
何だかこれは胸にジンときました。
書いてもらった歌詞がこちら。
"C'est Charleville, 
C'est mon soupir
C'est avec elle que je m'ennuie
Je veux l'oublier et partir
Etre poète... mais à Paris."
シャルルヴィルに飽き飽きしたランボーがこんな街を出て、パリに行って
俺は詩人になりたいのに、と溜め息をつく、という内容の詞
だそうです。
字が汚くてごめんねー。とおっしゃってましたが、
ヨーロピアンの中では全然汚いの範疇に入らない気がする笑。
"Charleville mon soupir"
書いてもらった部分はこの歌のサビの部分です。

その後は、私のパリでのあれこれ等の雑談もしていたのですが(というか大半がそうだった爆。自分が、曖昧なお願いをしていたことが大きいのですが。)、その他のおもしろかったことについてまとめると、

・シャルルヴィル巡りの話
小さくて静かな街だと思った、と印象を言うと、どうしてランボーがこの街を脱出したくなったか、わかったでしょ?と言われました(素敵な街だけど、田舎町で退屈(笑))。あと、前述のランボーの家で歌を歌った話等のエピソードもお聞きしました。

・ランボーについて、
ランボーは天才だけど、同時にすごく傲慢で我が侭、そして、他人に自分がして欲しいことをさせるためにすごく悪賢い一面もあったと思う、とアルノーさんおっしゃってました。そして、ランボーの人生は、お母さんとの関係、ヴェルレーヌとの恋愛(当時としてはすごい話だよね、と)等々、すごくhumaineな話がいっぱいあるよね、と力説してくれました。この辺もリシャールが言ってたこととすごくよく似ている^^

・フランスのミュージカルについて
2年前に1789を見にパリに行って、セットや衣装、光等はすごくよかったけど、お話はめちゃくちゃだった、という話をアルノーさんにしたら、アルノーさん、フランスにはたくさんミュージカルはあるけれど、話が面白くないのが多いんだよね、とおっしゃっていました(リシャールと僕が、ランボーを題材に選んだのは、話がとっても面白かったからなんだともおっしゃっていました。)。また、ミュージカルはお金もたくさんかかるので、興行的に成功しないものもたくさんあり、作るのが大変なんだよね、という苦労話もしていました。この辺りも、リシャールと言っていたこととよく似ていました。



実は、アルノーさん自身について、どんな方だかあまり知らなかったので(爆)、どういったお仕事をしていらっしゃるのかも聞いてみました。彼は、作詞家で(本は1冊書いたことあるけれど、でもその他はみんな歌詞を書いてるんだよ、とおっしゃっていました。)、ミュージカル(ランボー以外にもフランスの作詞家についてのミュージカルも今、作っているそうです。)や他の歌手の方へ詞を提供しているそうです。

アジアの国にとても興味があって、日本もぜひ見てみたいんだ、とおっしゃていました。あと、話の成り行きで、ケベックについて話していたのですが、モントリオールを絶賛していました。やっぱりいつか絶対行こう、と心に誓った私笑。



最後の方になって、そういえば、質問準備してくれていたんだよね?と聞かれて、もぞもぞとi pod touchを取り出して、質問のメモを見てもらうと(実は、1年ほど前に、リシャールにプチインタビューをしていたときに、アルノーさんにもいくつか質問を送っていたのですが、結局そのままになっていました。でも、アルノーさんはそのことも覚えてくれていて、「そういえば、僕その質問答えていなかったよね?」と言及してくれて、ちょっと驚きました。)、メールで送ってくれたら、答えるよ、とおっしゃって下さったので、また後ほどリストを送ることになりました。というか、私があまりにフランス語が下手過ぎて、「書いた方が(話すより)きっといいよね?」と言われました。→リシャールと同じ展開(爆)。ちゃんと時間をとって書くから、とおっしゃって下さいましたが、なんだかすごくお忙しそうなので、運が良ければ、、、と思っています。



1時間ほどお話させていただいたのですが、自分が話下手ということもあり、ほとんどアルノーさんが、話を展開してくれていて、私はそのレールに乗っかってるだけでした。。。(社交性低し。。。)でも、すごく親切&細やかな配慮がある方で、「ガサツでエゴイスト(爆)」という私のパリジャン感が覆りました笑。本当にアルノーさんには感謝です。



途中で英語を話し始めてしまったり(汗)、、、あまりにひどいフランス語すぎて、(メッセの文章はよく書けてるよ、とアルノーさんにおっしゃってくださいましたが、あれは、私の力ではなくGoogle翻訳と、ひたすら検索して書いてる文章なのです、と告白するしかありませんでした苦笑。)自分で絶句&自分の至らなさを反省しましたが、それでも、今年の初めには妄想でしかなかった「アルノーさんに会ってフランス語でランボーについて話す。」という夢が叶ったのはすごくうれしかったです。今回、観光はほとんどせず、終わってしまいましたが、本当に唯一無二の思い出を作ることができました。そういう意味で本当に貴重な旅だったなあと思います。

いつか日本で会えたらうれしいなあー、とまた勝手に妄想笑。でも、きっとアルノーさん日本にいらっしゃったら、日本を気に入ってくれる気がします。またこの夢もいつか叶うといいなあ。

以上、今回のランボー関連のレポでした。

En quête des traces de Rimbaud vol.1 - Petit voyage à Charleville 〜ランボー探訪〜

実は、今回のパリ旅行の目的は2つあって、1つはもちろんフレンチ・ミュージカル観劇でした。が、実は、もう1つ大きなテーマがあり、それが、ランボーの生まれ故郷であるシャルルヴィルを巡ること、そして、ランボーのミュージカルをリシャール(・シャーレ)と共同制作したアルノー・ケラン(Arnaud Kerane)さんにパリでお会いして、ランボーのミュージカルについてお話を伺うということでした。

というわけで、今回は、シャルルヴィルでのランボーゆかりの地巡りのレポをしていきたいと思います。

Mont Olympeの前で。この橋でアルノーさんとリシャールは、
youtubeの映像を撮影していたみたいです。
なんだかその場所に自分がいることが不思議でした。
http://youtu.be/cPoz10q_At4
私が、ランボーのミュージカルについて
知るきっかけになったyoutube映像。
時期も多分同じぐらいだったのか、まさにこの風景が
自分の前に広がっていました。

■ そもそものことのなりゆき

今回のパリ行きのそもそもの目的はもちろん、フレンチ・ミュージカル鑑賞(当初は、ミスタンゲットとVampire。)でした。、ちょうど10月のフレンチ・ミュージカル・ガラコンが近づいている頃で、「ランボー」の曲はやるんだろうか、と考えていたら、そういえばランボーの生まれ故郷のシャルルヴィルってパリから行けるんじゃ?、と突然(爆)思い立ちました。で、調べてみたら、2時間くらいだったので、日帰りで行けるなと思い、これも旅程に加えることにしました。個人的に人でごった返す都会はあまり好きではないので、田舎に行けて(爆)ちょうどいいなと言う気持ちもありました。

初TGVに乗りました。快適。
で、そうだ、パリに行くんだったら、アルノーさんってパリジャンだったじゃない、とまた突然思い出し、もしかしたら、会ってもらえないだろうか、と夢物語みたいなことをふと思いつきました。

リシャールにもいつもダメもとでお願いをしているので、とりあえず、アルノーさんにもダメもとで、ランボーについてお伺いできる機会を設けてもらえないでしょうかと聞いてみました。我ながら、大胆、、、(っていうか普段絶対こんなことしない。。。)と思ったのですが、驚いたことにアルノーさんは、忙しいけれど、パリのカフェでちょっと話をするくらいなら喜んで、と快諾していただきました。。。

Charleville-Mézièresの駅。
大きくはないけれど、クラシックで素敵な駅でした。
確か、この最初の約束をしたのがちょうどガラコンの直前で、ガラコンのときに、リシャールに、アルノーさんにパリに会いに行くんだ、と言ったら、「アルノーはね、mon frère(兄弟)なんだよ。」ととってもうれしそうに話してくれました。

Musée Rimbaudの前にあるオブジェ。椅子一つ一つにランボーの
言葉が刻まれています。
で、その後、日にちを改めて設定してもらって、さて、手はずは整った、、、ということになったのですが、、、フランス語が(汗)(結局、これは、今後の課題にもなってしまったのですが。)。あー、そしてランボーの本をいろいろ読み終わってなかったり、なんと言うか準備不足のまま(そう、やるだけやってツメが甘いのです、私。)パリに旅立ちました。会う約束をしていた日はちょうどシャルルヴィルに行った次の日だったので、シャルルヴィルはいろいろ情報収集も兼ねて歩き回りました。

気温はかなり低かったですが、まだ秋の名残が所々見られました。
■ シャルルヴィル探訪

シャルルヴィルは、一言で言うと、いたって普通の田舎町、でした。言い方が正しいかどうかわかりませんが、可もなく不可もない、本当に小さな静かな街。9:30に街に着いて、17:00くらいにシャルルヴィルを出る予定になっていましたが、15:00くらいで街の見所はほぼ全て回っていました笑。

街のメインストリート。旅行者としてはかわいらしい小さな街
と言う感じで散策しているのは結構楽しかったです。
旅行客としては、街並みもきれいだし、ムーズ川の湖畔は、冬なので若干寒々としていましたが、夏などに歩き回ったらかなり心地良さそうな感じでした。たぶん、Marché de Noël などがやっている時期は夜もかなり美しい街だと思います。ですが、ここで生まれ育ったとしたら、、、多分ランボーでなくとも退屈だったろうなあ=パリに出たいと思うだろうなあとは思いました。ただ、あまりに静かでこじんまりとした街だったので、こんな地味な街(という表現が正しいかはわかりませんが。。。)からあんなextrêmeなぶっ飛んだ考え方をする詩人が現れるというのが、個人的に意外というか、ちょっとしたギャップのように思えました。

ムーズ川湖畔。本当に人がいなくて静寂でした。
でも、都会の喧騒から離れてとても落ち着く場所でした。

街の中のランボーという本屋さんのショーウィンドーに飾ってあった絵。
シャルルヴィルにはランボーやランボーの作品にちなんだ
名前のお店がいっぱいありました。
そういえば、ヴィタリーに関する本に、アルデンヌ地方の人は、気象環境が厳しかったり、場所柄、国境付近の街なので、よくドイツ軍の侵入を受けたり、生活が厳しかったので、フィジカルでもメンタルでもタフというようなことが書いてあったのですが、街の人を見ていると確かに、パリの人とは違いました笑。パリの人は小洒落ているけれど、シャルルヴィルの人と比べるとそういえば、軟弱に見える(笑)。逆に、シャルルヴィルの人たちは、あまり洗練されている印象はないけれど(ちょっと、グラスゴーの労働者階級の人たちの雰囲気と似ている。)無骨なタフさを感じる人たちが多かったです。あと、やっぱり、ちょっと保守的な感じ(私の記憶では、白人でない人はほとんど見かけなかったと思います。なので、自分が浮きまくりだった。)がしました。

本屋「ランボー」

さて、シャルルヴィルでは、ほとんどアルノーさんとリシャールがyoutubeの映像で巡っているところをそのまま回っていただけなのですが、ランボーのお墓、デュカル広場、カフェ(バー)・ドゥ・リュニヴェール、アルデンヌ博物館(ミュゼ・ランボーが改修中のため、遺品が一部こちらに展示されていました。)、ムーズ川、ミュゼ・ランボーの建物となっている水車小屋@改修中、ランボーが通っていたコレージュ跡、教会、ランボーが少年時代を過ごした家(今は、ラ・メゾン・デザユールというランボーの人生や作品に関するインスタレーション等の展示が行われている記念館になっている。)を巡りました。

水車小屋。
2014年12月現在改修中ですが、普段はMusée Rimbaudとして
彼の遺品等が展示されている場所です。

デュカル広場

ムーズ川

バー・ドゥ・リュニヴェール
ランボーが通っていたコレージュ跡
実は、これらの場所は、リシャールとアルノーさんが製作したミュージカル「ランボー・ミュージカル」の楽曲の1つである”Charleville mon soupir(シャルルヴィル、僕の溜め息)”の歌詞にも出てきます。
個人的に一番印象に残ったのは、La maison des Ailleursかなあと思います。ここが、現代アートの展示場になっていることは事前に知っていたのですが、実際行ってみると、おー、という感じでした。部屋によって赤だったり、緑だったり、テーマカラーのようなものがあって、部屋の内部にはランボーの詩作の音読がこだまし、壁にはプロジェクターで作品の文が写されていました。一応、部屋一つがランボーの人生のある時期に関する説明になっていて、その説明のすごく小さなプラカードが置いてありました。

プロジェクターでいろいろなものが映し出されていました。
蜷川さんの「皆既食」のランボーの台詞に確か、「いろいろな色を見てみたい。」(とってもうろ覚え。。。)みたいな台詞があった気がするのですが、まさにこの展示はその彼の色彩のvividさが表現されているように思いました。という意味で、ある意味、ランボーの頭の中を探検しているような気分になりました。=ある意味、人を不安にさせるというか、安定からの脱却、みたいな感覚を味わうことができました。(そういう意味でちょっとしたお化け屋敷(爆)的要素もなきにしもあらず。)。

La maison des Ailleurs。ランボーの頭の中?みたいな
不思議な空間でした。

部屋によっては水車小屋が見えました。

建物自体は、もちろん、ランボーが住んでいた当時のままなので、古くてきれいな洋館なのですが、そこに現代アート、というギャップがまた新鮮でした。係員の人に片言のフランス語+英語で聞いたところ、現代アートを入れている理由はやはり、ランボーはmoderneな詩人だったから、そのスピリットを現しているいるということらしいです。

ランボーが少年時代を過ごしたという部屋。
ここでランボーは詩作を始めたそうです。
ちなみに、アルノーさんともこの展示の話をしたのですが、この展示は光とか音とかいろいろな演出があって、まさに「舞台」みたいだねとリシャールと話していた、らしいです。確かに。そして、彼らはここでランボーの歌を実際歌っていたらしい(笑)。フランスって自由笑。でも、私が行ったときもお客さんは私以外に一人だけのようだったし(すっごい熱くランボーについて係の人に語ってました笑。)、確かに何しててもあんまり怒られなさそうな気はします。

 La maison des Ailleursの入口

ランボーが先生であるイザンバールに宛てた手紙の一部が
記念館の壁に書かれていました。
この手紙、私も結構好きなのですが、アルノーさんも、この写真を
見せたら、この手紙の言葉暗唱してるよ、と笑って答えてくれました。
あと印象に残ったのは、やはりお墓とランボーの遺品でしょうか。お墓は、最初ぼけっとしていて気づかなかったのですが、ランボーと妹のヴィタリーのお墓が2つ立って並んでいる下に、ランボーの母のヴィタリーとランボーの祖父のお墓が固まって配置されていました(ランボーは他にも兄や妹がいるのですが、彼らのお墓はどこにあるのだろう、っていうか、ランボーとヴィタリーだけなんで特別扱いなんだろうと素朴に思いました苦笑。やっぱり母ヴィタリーにとっては特別な子ということだったんでしょうか。)。

ランボーのお墓(向かって右側)。
息子アルチュールと母ヴィタリーがすぐ近くで眠っているというのも何だか感慨深いですが、それと同時に、息子の墓は立派なものであるのに対し、母の墓はいたってシンプル、かつ目立たないように配置されているところに、ヴィタリーの愛というか、溺愛(というと言い過ぎかもしれませんが。。。)を感じました。

ランボーの母ヴィタリーと祖父のお墓。
墓石に刻まれている言葉はどのお墓も一緒でいたってシンプル。名前、年齢、亡くなった日、「彼(女)のために祈って下さい。」の一言。そのシンプルさにちょっと拍子抜けしましたが、お祈りしました。少年時代も家出をしたり、詩作を放棄した後もアフリカなどの土地を転々としたランボーが最後に眠るのは、大嫌いだと言っていたシャルルヴィルというのも、なんだか皮肉なようで、感慨深い気がしました。(でも、故郷って、誰にとってもそういうambivalentな場所であるとは思うので、それほど驚くべきことでもないとは思うのですが、なんだか、ランボーでもそうなのね、と妙に納得してしまいました。)。

最後に戻ってくるのはやっぱり故郷。
お墓の前にいたときは、もっと感慨深いかなと思ったのですが、意外とそれほどでもなく(爆)、でも、今年の頭に、いろいろ調べ始めてからほぼ1年くらい経っていたので、なんだか不思議な気持ちでした。ちなみに墓地もひっそりとしていて、自分以外誰もいませんでした。

墓地の入口
墓地の中。静かでした。

ランボー宛の手紙を書けるポストも。
そして、ランボーの遺品たち。ミュゼ・ランボーのオリジナルの展示の規模がよくわからないので、アルデンヌ博物館に移設して展示してあった品々がどれくらいの割合のものなのかわかりませんが、メジャーなものは全て集結しているような印象を受けました。ランボーのスーツケースは思ったよりも大きくて、スカーフなどはエスニック色が強い感じのものでした。

ランボーのスーツケースや時計、スカーフなど。
ランボーの写真や手紙。ただ手紙はみんなレプリカだったような。
アルノーさんが以前一緒に写っていた等身大のランボー写真

ランボーの本。ボロボロでした。

ランボーの胸像。アルノーさんとも話したのですが、
ランボーって今の基準から言ってもかなりの
美少年だったと思います。

有名な絵。ただこの絵のランボーはかなりもっさりしている笑。

教会も、特別に大きな教会というわけではなかったのですが、Vitalieの曲の中にjusqu’à l’égliseという歌詞があって、ここでヴィタリーは、アルチュールのことを思ってお祈りしたんだろうかと思うとちょっと感慨深かったです。


教会。ヴィタリーもここで祈ったのだろうか。
教会の中。ここも誰もおらず一人でお祈りしました。
そんなこんなで、ランボーの過ごした街を探訪し、その空気感を知ることができたのは、とても良かったです。でも、、、確かにランボーがこの街を脱出したくなってしまった理由もわかる笑。
引き続き、今度はアルノーさんとのトーク・レポ(こちら)を書いていきたいと思います。