2014年1月3日金曜日

Être une fan des comédies musicales françaises ~フレンチミュージカルファンであること~

2014年最初の投稿。
去年、全くもって、唐突にブログを始めたため、いろいろ手探りで、失敗なんかもしつつここまできましたが、今年はもう少し、誰かのお役にたてるような記事が載せられたらと思います。

というわけで、新年の抱負とはちょっと違いますが、ちょっと真面目に考えたことについて書いてみようと思います。


「フレンチミュージカルファンであることとは?」なんてたいそうなタイトルをつけてしまいましたが、まあ、2013年、私の中で「ファン」(特にフレンチ・ミュージカルファン)ということばは、いろいろ考えるところがあったので、そのまとめみたいな感じです(ファン新参者のファンレポ的な感じ?笑。)…。→本当は、2013年中に投稿予定が、うっかり伸びた。。。

あくまで、自分の私見なので、その点ご了承いただけると幸いです。(=いろいろな考えがあるとは思うので、あくまで私の一意見、という認識でお願いいたします。)

今の自分が言っても全く説得力はないのですが、、、フレンチミュージカルに出会う前の自分はいわゆる「○○のファン」ということはほぼしたことがありませんでした。確かに、好きな歌手やグループはいたけど、その人たちのアルバムを最初から最後まで持ってる、みたいなことはまずなかったし、その人たちの情報について一挙一投足をチェック、みたいなことは、あんまりなかった気がします(あ、でも一時、ジョン・メイヤーにハマっていたことはそういえばあったか。。。)。

というわけで、フレンチミューに出会ってから、初めて本格的に「ファン」としての活動(っていうとちょっと変だけど笑)をするようになったのですが、すべてのものが、新しく、発見の連続でした。最初の頃は、ファンの世界というものがよくわかっておらず、戸惑うこともあったのも事実ですが、徐々にその奥深さがわかっていったような気がします。

ファンの「愛」

まず、ファンをしていて、一番印象に残ったのが、どんなジャンルにも属さない「愛」がそこにある、ということでした。(日本語で「愛」というと、何だか大仰でかつ誤解を与えそうですが、他にいいことばが見つからないので、「愛」としておきます。)


愛にはいろいろな形があると思うのですが、ファンの「愛」は、恋愛とも、友情とも、家族愛とも違う、うまく表現できないけど、とりあえず新しいジャンルの愛だと自分は思いました。



たとえば、"リシャールのファン"(苦笑)といったとき、リシャールが「好き」といっても、確かに、彼のパフォーマンスを見ると幸せになれる(笑)、とか、自分のメッセに反応をもらって喜ぶ(笑)、とか、何となく恋愛感情に近い部分があるのも事実ですが、それでも、「私のリシャール!」というよりも自分の場合は、どっちかっていうと遠くから、「リシャールがんばって!」と陰ながら応援みたいなイメージだったりします。そして、大前提として、リシャールには素敵なご家族がいます笑(実は、個人的に、奥さんのマリーさんも私、女性として尊敬する方だったりします笑。)。

かたや友情、と考えると(いや、こんなこと書いちゃうと全く恐れ多いけど。。。)確かに、彼らはすごくフレンドリーな人が多いので、SNS経由でファンメッセージを送ったり、何度か会いに行くと顔や名前を覚えてもらえるようになって、ちょっとした「友達」感覚もどきを味わえたりしますが、、、あくまで彼らは自分の尊敬するアーティストなので、フレンドリーに接してもらっても、それなりの尊敬する人としての距離感はやっぱりある気がします(いや、あるべきです、か?笑。)。

で、最後の家族愛(笑)ですが、特に同じ演目を何度か見ると、そこに出演している人たちが何だか家族(笑)みたいに見えてきて、彼らがちゃんと演技できますように、とか(例えば、先日のシンガポール公演の初日のデシレの時とか笑。)まるでわが子を心配するような目で舞台を見てしまいます。。。が、でも、そうはいっても、本当の家族と言う感じではなく、「疑似家族」的な感覚で、これまた「家族愛」ともまた別の愛な気がします。

また、もう一つ、印象的だったのは、自分がファンだから「大好き<3」という感情以上に、大好きだからこそ、彼らに喜んでもらいたい、いい思い出を作ってもらいたい、と思って活動している方が多いということでした。ファンというと、ときに自分の「大好き!」という気持ちが先行しすぎて、自己中心的な発想に陥りがちな気もするのですが、(まあ、でもファンでいる以上、確かに振り向いてほしいっていう気持ちは誰しもあるのだとは思うのですが、自分も含め…。)そういう中で、「無私」というか、「無償」というか、そういう気持ちで彼らを応援しているellesたちは、なんだか私にはすごくさわやかに映りました。

じゃあ結局ファンの「愛」って何なんだろう?、と考えたのですが、結局、一番近いのは、アーティスト&人間としての彼らに対するリスペクトと上記の愛をいろいろ混ぜたような新たなジャンルの愛なのかな、という気がしました。(→適当なまとめですみません…。)

フランス語で友人はami、友情はamitiéですが、実はこの2つの言葉の語源は、"aimer"(=愛する)だそうです(NHKのフランス語講座で言っていてなるほどと思った。)。ファンの愛ということを考えたとき、友情、とは違う、と書きましたが、このフランス語のamitiéっていうのが、ひょっとすると、ファンの愛に結構近い概念なのかなあという気がしました。(全然違ってたりして苦笑。)。

ファン同士のつながり

もう一つ自分ひとりで、情報を探していたころとの違いが、フレンチミューが好きなほかのファンの方と交流できたということでした。自分ひとりで、ミュージカルの面白情報にニヤニヤするのもいいですが、やっぱりシェア(partager)できるっていうのは、楽しさが2倍になる気がします。これは、本当に、大きかったです。また、これには、SNSにすごくお世話になりました。


SNSがなければセジョンセンターでBrunoさんに会うことはできなかった。


元々、自分はかなりアナログ人間なので、SNSをリアル生活で会ったことのない人と交流するという用途に使ったことはなかったのですが(要するにビビリです苦笑。)、、、東京公演の千穐楽のときにたまたま他のミュージカルファンの方にツイッターで連絡を取ったことがきっかけで、SNSでいろいろ情報交換をするようになりました。

自分は仕事柄、外部の人と会う機会がかなり限られているので、これは、実は、すごく新鮮な経験でした。また、フレンチミュージカルという性質上、自分の周りで話題を共有することができる人はほとんどおらず、こういった方々とSNS上で出会えたことはすごく幸運でした。職業も年代も住んでる場所も全然違う方と、「フレンチミュージカル」という共通の興味でつながれたのは、本当に大きかったです。

みなさん、すごくアクティブで、全てを自分が真似できるわけではないけれど、すごく刺激になりました。自分の場合、フレンチミュージカルが好きだということはあまり周りのリアル友達には最初の頃言ってなかったので、(今は、隠しても仕方ないので、親しい友人には、堂々と言っている笑。)結構、恥ずかしいというか、そんなにいろいろできないよ、と思っていたのですが、そういう方たちと話しているうちに、自分でも、できる範囲で何か行動しようと思うようになりました(まあ、このブログもその一端だったりするわけですが。)。

ローランのファンミもSNSのおかげ。

また、フレンチミュー関係のことで(特に海外遠征でのチケット入手方法とか、滞在先の選び方とか。)、何かわからないこと、困ったことがあっても、SNSを使って誰かに聞けば、どなたかが必ず答えてくれたので、一人ではちょっとハードルが高かったことも、いろいろ実現することができました。

ソウルガラコンのことを知れたのもやっぱりこのつながりのお蔭だったし、先日のシンガポール公演のときも、みなさんと旅行の間中、やりとりしていたので、一人でいても、何だか、みなさんと一緒に観劇しているようで、一人だけど一人じゃないというちょっと面白い経験ができました。

こういった他のファンの方々との交流も今まで自分が築いてきた関係とは全く違う、でも、すごく人間味に溢れた関係性で(友情ともまた違うし、同志というか、絆と言うか、やっぱりどのジャンルにも当てはまらない関係(笑)な気がします。)、フレンチミュージカルに出会って得た財産の一つだと自分では思っています。


「同じ夢を見ている」

何か、どっかの安っぽい歌のフレーズみたいですが。。。これは、1789: Les Amants de la Bastilleの情報を追っかけ始めてから思ったことですが、ある意味、ファンとl'équipe(カンパニー)って「同志」みたいなところがあって、公演という非日常の世界の中で「一緒に夢を見ている」、という気がします(ミュージカルファンの方にとっては、おなじみの感覚かもしれませんが、私は今までこういう経験なかったので、とっても新鮮でした。)。



このミュージカルのテーマはまさに夢見ること、だったりする。


1789のファンの子達には、実は、révolutionnaires(革命家。わかりやすっ。)という愛称があります。誰が付けたということではなく、自然発生的に付いた愛称だと思いますが、舞台の出演者たちも、彼らに対する呼びかけは、いつもrévolutionnairesです。このネーミングや、やりとりの時点で、どれほど、カンパニーとファンの子達がつながっているかがわかるかと思います。

また、事故の話になってしまいますが、あの悲惨な事故のとき、亡くなったマルキュスさんの追悼FBページが瞬時にできたり、会場のPalais des Sportsにはロシアからもファンが追悼に訪れていました。そして、数週間のブランクを経て、公演が再開したときには、みんな一緒になってその再開の喜びを分かち合っていました。

同じ夢を見ていた同志であるスタッフの死、そしてまた、道半ばで挫かれた「夢」をカンパニーとファンが一緒になって再構築していく、というプロセスは、半部外者の自分が見ていても、なんだか感動的なものがありました。。。

私の今までの舞台のイメージってまさに「観る」って感じだったのですが、同じ演目を何度も見てるうちに、「観る」というより自分が舞台の「一部」になっているという気がするようになりました。自分はもちろん舞台の上に立っているわけでも、パフォーマンスをしているわけではないんだけれど、舞台上で起きるドラマの「証人」となってそこに立っているような感覚に何度もなりました。参加するというとちょっと変だけれど、でも、舞台ってやっぱり、観客の存在があってこそ、完全になるんだなあとNDP東京公演の千秋楽のとき考えていました。

また、フランス語では、の話になってしまいますが、私が好きな動詞の一つがNDPのエスメラルダの曲のタイトルにもなっている、"vivre"だったりします。フランス語を勉強し始めたばかりの頃、vivreの意味は、もちろん、「生きる」と覚えたわけですが、いろいろな文の中にでてくるvivreを見ているうちに、実は、vivreは英語のlive同様、(でも、この意味は、どっちかっていうとフランス語の方が頻度が高いイメージが自分にはある。)「人生を体験する、人生を享受する」(プチロワ(辞書))という意味もあり、まさに、舞台を見て感じた感覚はこの"vivre"だった気がします。そして、まさに、経験すること=生きること、なのだという気がします。

ミュージカルとともに私は「生きて」いる、なんていうと、なんか微妙ですが、、、でも、感覚としては、そういう感じな気がします。

さて、なんだか新年早々長々と書いてしまいましたが、最後に昨年末感動したRussian girlの美しいNDPに関する感想で〆たいと思います。

彼女は見た感じ10代後半の女の子だったと思うですが、私なんかより遥かに上手&美しいフランス語で、長い間夢見ていたNDPをモスクワで見れた喜び、感動をマットに綴っていました。(マットがそれをリツイしていて、自分も読んで感動してしまった。)

彼女のメッセージを読んでいたら、初めてシアターオーブで、NDPを見て、心をわしづかみにされた日のことや、初めてキャストの方々と会えた日のことが蘇ってきて、(なんだか初心に戻った気分だった。)胸が熱くなりました。

生きている場所が全く違っても、同じものに感動できる、これも演劇ならではの感動だなと思いました。

今年も、こんな感動がいっぱいできますように!
そして、フレンチミュージカル・ファンとして、少しでも成長できますように!




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