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2015年12月5日土曜日

1789 バスティーユの恋人たち 東宝版キャスト発表!

1789 バスティーユの恋人たち、ついに東宝版のキャストが発表になりました!

キャストや小池先生の談話

サイラモナムールの歌唱も披露。
東宝版でも書き下ろし曲があるとか。楽しみ。

上記のインタビューやこちらの記事でも出てきますが、小池先生がこのミュージカルと現代、そしてこれからの未来とのつながりを説明されているところが非常に興味深かったです。

もちろん、数週間前に起こったパリのテロがあったからこそ、ということもあるのだと思いますが、革命家、王家、普通の市井の人々、すべての人の物語であり、それが「人権宣言」に集約され、すべてはそこから始まる。そして、観客は、革命のその先に見えるものは?と問いかけられる…。それはもちろん、希望ではあるけれども、同時に大きな犠牲が伴う− これは、自分も舞台を見ながら感じたことだったので、非常に共感しました。



 現代にも決して無関係ではないテーマを取り上げているのもこのミュージカルの魅力。
オリジナルでオランプ役を務めていたカミーユ・ルーもテロ発生時、1789のPour la Peineの一節を取り上げていました。
ひょっとするとオリジナルより小池先生の方が、このミューの言わんとするところをきちんと捉えているような気がする笑。オリジナルは、この辺の「想い」を物語の流れとしてうまく表現しきれていないところもあるので、宝塚版に引き続き、そういった日本版の物語の緻密さは期待が持てます。同時に宝塚版ではいろいろ削られてしまったフレンチ的要素(ロナンの最期、女たちの描き方)がちゃんと描かれることを望みます。

しっかし笑ってしまったのが、フランスが描くフランス革命ということでもっとシビアなものかと思ってたら、ポップでノリのいい恋愛、青春ものだった、というくだり(爆)。小池先生、正直すぎます笑。でも、私も思った以上にエンタメ度が高いことには驚きました。でも、だからこそ、若い子たちも楽しんで革命を学ぶことができるし、そういった意味で親しみやすい作品なのではないかなと思います。

世界がより混沌とする中、また、この東宝版を見て、「人権」とは、市民の力とは?そういったことをまた改めて考えていきたいなと思います。

さて、配役を見ていると、宝塚版と同様、ロナン&オランプとアントワネット&フェルゼンのカップルが主軸になるというところは変わらないのかな、と思います。

小池くんのロナンってどうなんだろう、、、と思ってたのですが、予想以上にぴったり。童顔な感じが、名だたる革命家の中で孤軍奮闘し、時に抗う「若き農民革命家ロナン」を彷彿とさせます。個人的に、Rêve du paysan !(どうせ、農民の夢だよ!)とデムーランに怒りをぶつけるシーンが結構好きなのですが、そのシーンを演じている小池くんを妄想してしまいました笑。期待。

そして、衣装ですが、、、すごくアース・カラーに近い色になった気が(笑)。特にロナンや革命家たちの衣装。宝塚版では、オータムカラーへシフトして、渋い色合いになったなあと思ったのですが、それがさらに加速(笑)。私は、オリジナルの鮮やかな衣装がフランスっぽくて結構好きなのですが、農民の役なので、こちらの方がリアル感があるといえばあるかなという気がします。いずれにせよ渋カッコいい素敵な衣装だなと思います。

逆にオランプはオリジナルよりちょっと豪華&派手な感じ?オリジナルなちょっと地味目な真面目ガールな感じは残しつつも、衣装がより重厚感がある豪華な仕上がりな気がします。

アントワネットは、お二人とも宝塚ご出身の方ということで、おー、ぴったり。そして豪華だ!笑。宝塚版のときもそうでしたが、日本版はオリジナルの人よりもだいぶ、ベテランの方が演じるので、すごく気品溢れた大人の色香が広がるアントワネットだなと思います。

そして、宝塚版で異彩を放っていたアルトワ伯!!!宝塚版、お耽美系をきちんと踏襲し、セクスィーな魅力がすでに溢れ出ていますw 日本版で独自の進化を遂げたキャラ、東宝版でも必見です!

いやはや、来年の春が待ち遠しいです。


2015年7月12日日曜日

1789 バスティーユの恋人たち フランス版と宝塚版の違い <人物編>

前回の感想に続き、オリジナルの仏版と宝塚版の違いについて引き続き書いていきたいと思います。

とりあえず、人物設定から。

<ロナン>
オリジナルでは、デムーランや他の革命家に混じって、存在感が若干薄かったロナン。彼が父をラザールによって理不尽に殺された、ということ以外、実は、原作ではそれほど人物像は掘り下げられていませんでした。革命家としての成長も、革命のパンフレット作りには関わっていたみたいだけど、デムーランのように演説の草稿を書いたりしていたわけでもなく、まさに「名もなき一青年」として、最後に命を落とす、という設定だったので、ヒーローらしさやカリスマ性といったものもほとんどない役でした。したがって、ミュージカル内では、きっと主役、、、なんだろうけど、ちょっと主役としては弱いなといった感じの役でした。

対して、宝塚版では、ちゃんとヒーローになっていましたw そして、きちんとどの場面でも舞台を引っ張っていく役になっていました。特に宝塚版の演出でよかったと思ったのが、バスティーユ監獄で、彼が吊り橋の鎖を切り、それを突破口に襲撃がなされた、という設定の変更。彼が主人公であること、そして革命の中での意義がはっきりわかってすごくよい変更だったと思います。でも、オリジナルの、カリスマ性を持ったヒーローではなく、「一市民」としての「名もなきヒーロー」という点はしっかり踏襲されていて、うれしかったです。

聞くところによれば、一般市民が宝塚の主人公として取り上げられるのは非常に珍しいのだとか。でも、キャラ設定がはっきりしているような偉人ではない人を主人公にするのって、すごく大変だったと思います(オリジナルでもこの辺はいろいろ迷走感がありました。。。)。そういう意味で、ここまで名も無き主人公をうまくまとめ上げたのはやっぱりすごいなあと思いました。

また、もう一つ宝塚版ではっきりとなった部分が革命家の中でも彼は農民、つまり下層市民であったという点。無学だけれど、ハートだけは熱いロナンとデムーラン、ロベスピエールといった「プチ・ブルジョワ」な平民の間でも対立があったことは、オリジナルでも描かれますが、オリジナルでは印刷所での口論は、ダントンの「喧嘩は止めるんだ!」の一喝で事態は丸く収まります。そして、その後デムラーンとロナンはあれだけ喧嘩してたのに堅い握手を交わし一件落着してしまいます笑。

これもうちょっと深く描いても良かったんじゃないかなあと私は思っていたのですが、宝塚版では私が思っていた以上にこのエピが掘り下げられていました→っていうか、一曲この件についてだった(笑)(自由と平等(原題:Pic et pic et amstramgram))。この歌元々は、どっちかっていうと、我々の団結は堅い!みたいな曲だったんですが笑。

でも、実は革命側だって一枚岩じゃない、という視点は非常に大事なことだと思います。宝塚版の歌詞ではないですが、リアルに社会の不条理を自分の目で見てきている「この身体の肌一枚」のロナンにとって、リアルを知らないちょっとスノッブなデムーランたちはやっぱり「どうせお前たちは上から目線で、本当に苦しんでる人達のことなんかわからないんだ!」と憤りたくなる気持ちは非常によくわかります。それが宝塚版ではより丁寧に描けていたかなという気がします。

ただ、、、うーんと思ったのは、前回の記事にも書いたように、やはり彼の死に方。これは、、、オリジナルにやっぱり忠実であって欲しかったです。。。

あと、カーテンコールで(あ、でも宝塚はその後レビューがあるので、エンディングって感じかな。)、さっきまで薄汚れたロナンがいきなり宝塚の白い衣装でせり上がってきたのは、、、宝塚のスター様登場なので仕方ないのでしょうが、革命へ静かに思いを馳せる曲なので、自分としては違和感が無きにしもあらず。ちなみに、オリジナルでは、ロナンは襲撃シーンの汚いメイクのまま(仏版は、Sur ma peauのシーンで歌いながら顔に茶色の顔料を塗る演出があるのです。)、最後にオランプと手をつなぎ登場するのですが、このほうが、「革命」の意味を考える上では良かったんだんじゃないかなあ、やっぱり。。。

あと、これは全くどうしようもない話なのですが、、、オリジナルで演じていたルイくんは20代そこそこのあどけなさが残る青年。周りのデムーラン、ロベスピエール、ダントンを演じてた役者は30代くらい。明らかに彼が一人若造(笑)だったので、若さゆえの無鉄砲さや一徹さが大人に混じってがんばってる感が出てて、なかなかいい感じだったのでした。が、宝塚版は、、、やっぱり若く見せてる感じが(汗)。東宝版に出演予定の小池くんはそういう意味では、童顔なので、この辺は意外とぴったりくるかもしれません。

<アントワネット>
仏版ならオランプが次に来るはずですが、宝塚版は間違いなく、アントワネットがロナンに次ぐ主人公になっていたと言えるでしょう。そして、フェルゼンがメインキャストへと格上げされ(仏版ではダンサーが片手間で演じてたのに、歌まで歌ってたよ(驚き)!)この二人の愛も物語の大きな主軸になっていました。が、前回の記事のとおり、宝塚版は、本当にフェルゼンを心から愛していたけれど、国のために、家族のために、夫であるルイ16世のために、泣く泣く諦める、という純愛+耐える女、というストーリーになっています。

仏版との一番大きな違いは、このフェルゼンとの恋が物語のもう一つの主軸になったこととも関連していますが、マリーアントワネットが改心した理由です。

宝塚版では、フェルゼンとの許されぬ恋に身を焦がしたため、その罰として愛息である王太子が亡くなったとアントワネットが自分を責め、改心する、という設定になっていますが、オリジナルでは、フェルゼンは冒頭の逢引のシーン以外では登場せず、この恋愛が直接王太子が亡くなったこととは関連付けられていません。

神様の裁き(原題:Je vous rends mon âme)は原曲と同様、マリー・アントワネットが改心し、神の赦しを請うというコンセプトは同じですが、宝塚版は良妻賢母になることを誓う(爆)曲になっているのに対し、オリジナルは、冒頭は自分の贅沢三昧の生活が、平民の生活を犠牲にしたと言うのなら、私を許してください、と始まり、後半は、もう二度と帰ってこない息子への愛、懺悔、を語ってはいつつも、やっぱりそれが恋愛によるものだとは言っていません。私個人の解釈ですが、、、仏版の改心した理由はやはり、アントワネットも最後は全てを失って、ちょっとだけ平民の痛みに気づき、人間としての改悛の情が湧いてきたということなんじゃないかと思います。

しかし、どうしてこんなにも「良妻賢母」をプッシュするのかなあというのは自分の中で疑問に残りました。オランプに暇を出すときも、仏版では、国のために、という話以前に、自分は愛する人(フェルゼン)を追いかけられなかったけれど、あなたなら追いかけられる、と「恋する女」として、オランプを応援するという設定になっています(プロデューサーさんは、王妃、妻、母である前にアントワネットもやはり恋する女だったのだ、ということを言いたかったのかなと思います。)。宝塚版はこのシーンでは「女」なアントワネットがそこまで強調されてなかったような。

不義の恋ということについても、多分ベルサイユ・ワールドにおいて、愛人がいるなんてことは、日常茶飯事で、仏版では不義を後悔するなんて発想自体なかったんだと思うんですが(笑)、好きな人を諦め、貞淑な妻に戻る、という設定が、個人的にはすごく日本的な「ザ・清い人」な感じに見えました。。。

こういうところは、やっぱり日仏のモラル観というかそういう文化的背景が影響を受けているのではないかと推察。。。

でも、宝塚版でアントワネットを演じていた愛希さんは、その佇まいがまさにアントワネット。王妃としての威厳、そして凛とした美しさがぴったりハマっていました。あと、個人的に、全てを賭けて(原題:Je mise tout)以外の(笑)衣装がオリジナルより上品で高貴な感じがして素敵だったと思います。オリジナルは割と若めのかわいい子がアントワネットを演じていたのですが、私としては、愛希さんのほうが落ち着きがあって、ハマっていたかなあという気がします笑。

<オランプ>
配役の掲載順ではかなり格下げされていたオランプですが、、、舞台を見ている感じではそれほど存在感が薄れた、という感じはしませんでした。そして、ロナンとキスしてた回数、、、多分、仏版より多かった気がする笑。

キャラ設定もオリジナルからほぼ変更がありませんでした。良家の子女で、王妃様のためなら体張ってでもがんばる真面目ガール。でも敵であるロナンに恋してしまう。。。

ただ、彼女が1人で歌う曲がアントワネットに取られてしまったり、ロナンとのデュエット曲がロナンのソロ曲になってしまったり(Tomber dans ses yeux(邦題:二度と消せない))、歌うシーンは減った印象でした。

あともう1つ原作との違い、として思ったのは、「神」の存在が宝塚版ではロナンとオランプとの恋の焦点にあまりなかったことかなと思います。2人が別れてしまった理由は、革命に生きるvs王家に仕えるという任務という感じだったと思うのですが、実はオリジナルでは「神」が結構絡んでます。こういうところがやっぱりフランスっぽいような気が自分はしました。

宝塚版では「思いが違うの」というややわかりにくいセリフで2人の世界観の違い表現されていましたが、仏版ではもう少し細かいやりとりがあって、革命=神なぞいない、人間はすべて平等、人間が中心というパラダイムに生きるロナンと王家サイド=神を信じ、王権神授説の下、王を絶対化した存在として畏怖しているオランプが「愛を持ってしても超えられない(ように思える)決定的な違い」を巡り、口論になるという設定になっています。

あと、宝塚版でもやっぱり何故2人が恋に落ちたのかは、よくわからなかった気がしました。オリジナルはオランプが救出したときに一目惚れ、だったのか??ぐらいで全くの謎、、、でしたが、宝塚版もやっぱりそんな感じ??ぐらいでした笑。この部分はオリジナルのストーリー・ラインが弱くてどうしようもなかったのかなあと自分は思いました苦笑。

私が観劇した日は海乃美月さんがオランプを演じていましたが、真面目ガールな感じがぴったりですごくよかったです。

<アルトワ伯>
この役は、一番仏版と違うのではないでしょうか。役回りとしては、仏版のアルトワ伯(腹黒、策略キャラ)とラマール(オランプを囲おうとする)の役を合体させたような感じ。そして、そこにお耽美俺様キャラの要素が加わり、なんだかすごい魅力的な(笑)悪役キャラになっていました。これだけ悪役が美形なのも悪くないなあと思わず思ってしまったほど。オリジナルにはない、確固たるキャラにいい意味で変貌していました。

Je suis un dieu(邦題:私は神だ)は、オランプに迫る曲という意味では仏版と同じですが、仏版はラマール(宝塚版同様、ヘマばっかりしていつも空回り、でも威張りくさっている器の小さい男、という設定)が歌っていたので、むしろこの曲は、何だか滑稽な歌だったのですが、、、宝塚版は魅惑の媚薬ソング(笑)になってました。媚薬設定にはビビりましたが、これも、ありかなあと思わず思ってしまいました笑。

が、その変更のせいで、トゥルヌマンとロワゼルはまだしも、ラマールの存在が結構無駄っぽい印象を受けました。宝塚版でも、観客の笑いを取るために登場している役回りですが、どうも冗長というか、、、ラマールは潔く切っても良かったんじゃないかなあという気が自分はしました。あと、宝塚版はそんなこんなでアルトワ伯のキャラが独り立ちしてしまったので、ラマールとの軽妙な掛け合いが少々減ったような気がしました。そういえば、マイナーなところでは、宝塚版でラマールは死なないのでした。

<デムーラン、ロベスピエール、ダントン>
この3人の使い方が宝塚版では一番残念だったかなあ。オリジナルでは、見た目もキャラ設定も明確に違っていますし(デムーラン→理想家、ロマンティック、ロベスピエール→熱い、情熱家(恐怖政治の部分は出てこない)、ダントン→おおらか、女好き、3枚目)、それぞれミュージカルの鍵となる曲をソロで歌っているので(デムーラン→サイラモナムール、Fixe、ロベスピエール→A quoi tu danses、Hey ha、ダントン→Au Palais Royal)それぞれ非常に魅力的なキャラクターになっていました。が、宝塚では、衣装は違うのに、どうもみんな「同じ美形な感じ」に見えてしまって、しまいには、誰が誰だかわからなくなってしまいました、自分苦笑。というわけで、彼らは基本常にセットでプチブルジョワな革命家ズに見えてしまったのでした。。。

ただ、これは、明らかにロナンを主役として引き上げるために、行われた演出の変更によるものなので、仕方のないことなのかもしれません。でも、もう少し、3人の違いがよりはっきりしたら良かったのになあと思いました。特に割りを食ったのはデムーラン。サイラモナムールはロナンがリードを歌いバックコーラスに、Aux armes!(武器を取れ!)のシーンも連呼していた割りに、仏版ほどドラマチックなシーンにはならず(っていうか、テーブルに立っていたのはひょっとしてロナンだった??いや、さすがにそれはないよね。。。)、、、。ほんと、one of themに埋没してました。仏版は彼の存在が主役のロナンを食ってしまうほどに大きかったのですが、彼の持つ「理想の国」を目指そう!というロマンティックな雰囲気が少々宝塚版では弱まっていたかなという気がします(まあ、その役割をロナンが担っていた、と考えることもできるのですが。。。)。

あと、個人的にお、と思ったのが、デムーランの妻リュシーの登場。仏版にはない役なのですが、デムーランについて、自分が調べていた時に偶然この2人のラブ・ストーリーを知り(2人とも恐怖政治のときに処刑されてしまいます。)いたく感動したので、この改変ちょっとだけうれしかったです。

<ソレンヌ>
すでに前回ほとんど書いてしまったのですが、やっぱりフランス版との一番大きな違いは、オリジナルでは悲しみ、脆さを胸に秘めつつも、娼婦として生きる誇り、したたかさ、強さ(言葉はあまり素敵ではないけれど、何があったって生きてやる!みたいな雑草魂を感じた。)が全面に出ていたのに対し、宝塚版はロナンの妹という点が重視されていて、ちょっとかわいいキャラに変更になっていた点でしょうか。

変更点で一番大きかったのは、彼女の代名詞とも言える歌、Je veux le mondeを歌わないこと。この歌がなくなったために、彼女の存在感が一気に薄まり、舞台の中における「女性」の役割が一気に減ってしまいました。

オリジナル版ではかなり存在感があった役ですが、宝塚版ではかなり脇役に格下げの印象でした。ここは本当に残念。

<ラザール>
一言。う、美しすぎる。2階席からの観劇でしたが、はっきりとその美しさがわかりました笑。演じてらっしゃった星条さん、彫りが深いお顔立ちが際立っていました。オリジナルを演じていたマチューは、どちらかというとフランス人にしては薄い顔立ちをしていた(爆)+ロッカーなので、こんな眩いキラキラ感はなく、そのギャップに慣れるのに時間がかかりました笑。

ロナンの父を殺す仇役という点や無慈悲なサディスティック・キャラという点はオリジナルと同じでしたが、ロナンと歌うManiaque(邦題:耐えてみせる)とNous ne sommes(邦題:国王陛下の名の下に)の演出は結構違ってました。宝塚版はまさに美しいサディスト(爆)。

一番の違いは、Maniaqueで彼が実際にロナンに拷問を指示する役になっていたということ。これは、びっくりでした。が、、、私としてはこの演出はあまり好きではなかったかな。これは、仏版のコンセプトからちょっと外れていた気がします。。。フィジカルな暴力シーンは物語の設定上必要であれば、全然構わないのですが、、、個人的にこの場面で拷問を持ってくることが果たして必要だったのかな、、、と自分は疑問に思いました。前回の記事で、仏版の良さはエグさと書きましたが、こういうフィジカルなエグさを持ってきて、なんか残酷〜、と観客に思わせるのは、ちょっと安易な気がします(実際に拷問とかはあったのかもしれませんが…。)。精神vs肉体としたかったのはわかるのですが。

仏版も確かに、どんな仕打ち(父を殺されたり、土地を没収されたり)を受けても人間の「考え」だけは奪うことはできない、と訴えるロナンをラザールが嘲笑うという設定は一緒ですが、Maniaqueの歌の元々の意味は、フィジカルな痛みに耐えてやる、というよりも、マニアック(偏執者=取り憑かれた人)という言葉が示す通り、取り憑かれてしまうくらい強い復讐への怒り、また、「考え」によって体はどんなに捕らえられても自由でいられる、と主張するロナンとその「考え」によってお前は囚われているのだ=早くそんな馬鹿な考えを捨てろ、と嘲るラザールとの対比がメインテーマだったのですが、この辺、単純化されちゃって残念、と自分は思いました。

Nous ne sommesは、ラザールが指揮者のようになって(オリジナルでは実際に指揮をする振りがある。)軍隊を奏でる(笑)という演出があったのですが、それが確か宝塚版ではなかったか、あんまりよくわからない設定になってた気が。ここで星条さんがすごい声を潰してドス声で歌ってたのがそういえばこの曲では印象的でした。が、オリジナルですごく印象的だった「イっちゃってる」顔はやはり美の宝塚では無理でした苦笑。しかし、マチューに星条さんのお写真見せてあげたいわ笑。

<その他>
・フェルゼン
宝塚版ではアルトワ伯に次ぐ出世をしたキャラと言えるでしょう笑。これはやっぱり、ベルばらの影響なのかなあと思いますが。

前述のように、オリジナルでは半ばどーでもいいキャラでしたが、宝塚版では、アントワネットの相手役として、アントワネットへの純愛を貫き、最後は美しく身を引き、王家を守ると誓うまさに「王子様」キャラでした。そして、宝塚用の書き下ろし曲である「世界の終わりが来ても」のデュエットにも参加。振り返ると、フェルゼンぐらいしかザ・王子様キャラはこの作品にはいなかったな。。。

・ルイ16世
オリジナルではかなり幼稚でおバカなキャラ全開でしたが(笑)、宝塚版は政治に関心がなく趣味に走っていたとはいえ、かなり人格者だけど優柔不断な人、というやや救いようがある人物に改変されていました。

・オランプの父
オリジナルでは、ロナンの解放を訴えるオランプに対し、父は鍵を渡そうとしません!笑。なので、オランプは父がよそ見をした時を見計らって、バスティーユ監獄の鍵を奪取し、ロナンを助け出します。宝塚版でお父さんが、娘を信じよう、と言い、あっさり鍵を渡したのはかなりずっこけました。え?お父さん、あなた監獄の監視役でしょーが!笑。というわけで、医者を装ってオランプと一緒にロナンを救出するシーンもオリジナルにはありません。穿った考えかもしれませんが、オランプが一人でロナンを救出できないという改変もやっぱり宝塚だから?と思ってしまいました。

そして、前回の記事にも書いた通り、最後のシーンでオランプ父が救出されるといったエピソードもオリジナルにはありません。

・シャーロット
ロナンとオランプの恋のキューピッドという設定は同じですが、オリジナルは、2人の恋を応援しつつも、おしゃまな面もあり、ある意味小生意気な感じの女の子だったのが、宝塚版は本当に2人の恋を心から応援するかわいい女の子という感じにちょっとだけ変更されていたように思います。

オリジナルでもはっきりとは言及されていませんが、「パレロワイヤル」というおよそ子どもがいるべきではない場所を1人でうろついていたり、パリのあらゆる場所に精通しているところを考えると、シャーロットは、何らかの理由で孤児になった子だと思われるのですが、そういったたくましく生きる子ども、という部分が宝塚版は薄れたかな、という感じでした。もう1つ、シャーロットの見せ場だった、ダントンとの軽妙な歌の掛け合いがあるAu Palais Royalでの登場場面がカットされたこともあり、やはりキャラとして格下げされた印象でした。

・印刷所の人々
オリジナルでマラーは辛うじて、出てきてたと思いますが、それ以外の印刷工はダンサー1,2…といった感じで名前は全く付いてませんでした笑。なので、宝塚版でかなりの人に名前が付いてたのは新鮮でした。

・ギヨタン博士
これ、宝塚版の完全オリジナル・キャラですが、、、個人的に彼の役回り、というか、何度も何度もギロチンの機械が出てきて、repriseされる理由が私には全く謎でした。アントワネットたちがこの後、褒めちぎっていたこの機械で自ら命を落とすことになる皮肉、もしくは忍び寄る死の影を表したかったのではないかと想像するのですが、イマイチ話に関係ないし、あの小さなギロチンの模型が出てくる都度、私はイラっとしてしまいました笑。

全体として、ポリニャック夫人等、オリジナルでは歌を歌わないキャラもみんな歌に参加していたり、同じ人がいろいろな役を兼任したりといったことは無くなっているといった変更がありました。

こうやってまとめてみるとやっぱり結構変更があったなあと思うのと同時に、やっぱり文化の影響って大きいんだなと思いました。



2015年7月11日土曜日

1789 バスティーユの恋人たち 宝塚公演、観劇しました!

さて、1789 Les Amants de la Bastilleのオリジナルをわざわざパリまで見に行ってから早3年。
ついに、日本で上演される1789を見に行くことができました!そして、記念すべき初宝塚観劇。ドキドキでした。

初めて宝塚の劇場に来ました!やはり女子、女子、女子笑

作品の潤色度については、いろいろな噂をちょくちょく耳にしていたので、かなり改変が加えらえれていることは知っていましたが、いやあ、変わってましたね笑。全く違う物語に仕上がっていました。「恋人たち」が2組になってたよw、から始まり、アルトワ伯がお耽美神様キャラに格上げされていたり笑。。。話し出したらきりがなくなるのでここら辺で止めておきますが…。

でも、予想通り、宝塚版のほうが、ロナンを中心とした革命群像劇そしてオランプとロナン&アントワネットとフェルゼンの愛の物語という筋書きがはっきりとしていて、起承転結も仏版よりわかりやすくできていたんじゃないかなと思います。

仏版は先に音楽ありきで、物語がそれを追っているって感じで、「革命に散った若い命」、「人間の尊厳」、「命の重さ(あるいは軽さ)」といった主題はかなりはっきりと伝わるんだけど、そこに辿り着くまでの線がどうも曖昧で(四方八方にいろいろ散った挙句、強引に収束、と見えなくも無い展開。。。)、見終わった後、若干きつねにつままれた感がありました笑。それが、宝塚版では、すごく緻密にストーリーが線として作りこまれていて、見終わった後に、いろいろ納得しました(仏版とは全く別の新たなストーリーとしてですが笑。)。でも、こうやって観客をきちんと納得させられるのはやっぱり演出家さんの手腕なんだと思います。

が、その反面、そういった緻密な文脈を作るにあたってかなり大胆な改変が加えられたため、オリジナルでは活きてた設定が、意味不明になっていたことも。でも、まあ、これはある意味仕方のないことな気がします。

セリフは意外と仏語版のセリフを忠実に再現しているものもあり、歌もJe mise tout等はそのまま曲の内容を踏襲していました。が、やはり、大部分が全然違うコンテクストで歌われていたり(La sentence、Je veux le monde etc...)、全然違う歌になっていたり(Pour un  nouveau monde)、、、様々でした。

あと、宝塚版ならでは、と思ったのは、やはり歌。使われた曲をチェックしてみたのですが、宝塚版では、オリジナルから1曲削られた曲(La Rue Nous Appartient)があったものの、シーズン2でしか使われなかった曲が2曲、CDにのみ採用されている曲から1曲、宝塚版の書き下ろし曲1曲が加わっていたので、オリジナルよりも実は、3曲も多い構成でした。これはやっぱり「歌劇団」だからなんじゃないかなと思うのですが。。。

しかもジェンヌさんたちは全員歌が歌えるので(オリジナルはダンサーと歌手は別々なので、実は舞台に立ってる人の大半は歌が歌えないというか、マイクをつけていない笑。したがって、コーラスも全て録音。。。)合唱シーンがすごく良かったなと思いました。これは多くの人も思ったのではないかと思うのですが、「声なき言葉  (原題:Les mots que l'on ne dit pas )」は、実は、元の曲のコンテクストとは全く違うものの(元々は、オランプが、ロナンに伝えられなかった言葉について思いを馳せる歌。)、ハミングの合唱の部分の重層的な響きがこの歌にスケール感を生み出していて、宝塚版のオリジナル曲として華麗なる 変身を遂げていました。

特に歌で自分の中で印象に残ったのは、アントワネット役の愛希れいかさん。透き通るような高音は宝塚ならでは、だと思います(基本的に、フランスではミュージカルに出演する歌手はポップやロックを歌う人たちなので、こういうクラシカルなザ・高音を聞くことはあまりない。)。お美しさも相まってうっとり。

お芝居についても、 宝塚の方がやはり発声等、ザ・舞台といった感じがしました。そもそも、フレンチ・ミュージカルは音楽を中心にしてそれをつなげるために台詞がつくといった感じであることが多く、歌に対する比重が高めなので、台詞部分はそれほど細かくないことが多い気がします(ノートルダム・ド・パリなんて、台詞がそもそもないし。)。

対して、宝塚は、台詞一つ一つが、細かめで、説明的な部分が多いように感じました(分量自体も多かったのかな。。。)。しかも、仏版は、舞台で歌を歌う人はメインの職業は歌手という人が多いので(コンサートやったり、シングルとか出す普通の歌手=舞台とはおよそ無縁な人ということです笑。)、人によっては演技をしたことがないという人もいるので、演技としては、もうちょっと荒削り、ナチュラル目な気がします(決して大根というわけではないですが。)。

あと、上記に関連していることでもありますが、仏版よりも宝塚版は、状況設定が非常にわかりやすくなっていました。これ、実はパリで見ていたとき、私かなり混乱していたので、フランス革命の細かな点に詳しくない私のような人間に は非常に親切だなと思いました。場面が変わるごとにちゃんとどこか文字で示されるし、「三部会」という歌が追加になっていましたが、こういった形でところ どころ解説してくれるシーンがあったり、テニスコートの誓いのシーンではちゃんとテニスコートがセットになっていたり(仏版は何もなかったので、何の シーンかさっぱりわからなかった。)、迷うことなく話の筋を追うことができました。

宝塚でもう一つ忘れてはいけないのは、ダンスだと思いますが、こちら、レビューはさすが!!!でした ^^ 物語の暗いエンディングから一転、突然キラキラ純白お衣装、ミラーボールになるので、ちょっと頭の切替は必要でしたが笑。ラインダンス、羽、羽、羽、はやっぱりフランスって感じがしました!

ですが、劇中のダンスは、オリジナルで筋肉隆々の男性ダンサーが演じていた振りをそのまま持ってくることはできないので、やっぱりその辺はちょっと迫力としては仏版のほうに軍配が挙がるかなという印象でした。Maniaque(邦題:耐えてみせる)やNous ne sommes (邦題:国王陛下の名の下に)等の男臭さ満載の力技が結集されている振り付けはやはりなくなっていたので、その辺の雄雄しさはやはり影を潜めていた気がしました(いや、むしろ、そういう汗臭さは宝塚には求められていないとも言えるでしょう。)。やはり女の子ということもあるのだと思いますが、どうも衛兵の格好も何となくかわいいコスプレにしか見えず(ごめんなさい)、、、ここはやっぱり男性ダンサーのほうがいいんじゃないかなと個人的には思いました。

あと全体的に宝塚のダンスは、綺麗にまとまっていて、確かに美しいのですが、フランスのオリジナルのような迸る感情、エネルギーというのはちょっと薄かったかなという気がします。その影響もあってか、Sur ma peau(邦題:肌に刻み込まれたもの)から最後のバスティーユ監獄のシーンにかけての盛り上がりがイマイチだった気が。あのシーンは民衆の怖いまでの怒り、魂の叫び、新しい世界への想いが渾然となった一種の「カオス」的なシーンなので、もうちょっとそういう観客を圧倒するぐらいのメラメラとしたものを見たかった気がしました。

娘役さんが いっぱい出てくるLa nuit m'appelle (邦題:夜のプリンセス)は割とセクスィーな振りや表情もいっぱいあったのですが(おー、ここまで宝塚でもやるのね、と私は、結構驚きました。)、仏版の女性ダンサーのような匂い立つような妖艶なセクシーさ、加えてガールズ・パワーというか女性としての矜持を高らかに歌い上げるといった要素がやや弱いように思えました。。。(やっぱり、ところどころ、良家の子女っぽさが見え隠れしていて、悪い女を「演じている」感じがした。。。)。

でも、こういうちょっと危険なファム・ファタルなセクシーさというのは、努力して醸し出すものというより、自然に滲み出てきてしまうもの(セクシーな人って、何してもセクシーじゃないですか笑)だと思うので、これはやっぱりl'amourな国フランスで活躍する女子たちと比べると酷かなという気はします。。。さらにいえば、それこそ、そういう露骨なセクシーさというのは、やっぱり宝塚に求められているものとは別物なのかなという気もしました。



さて、観劇後、劇場を後にしたわけですが、、、。


お話の作りも良かったし、歌も上手だったし、演技も良かったし、周りの人の反応も「良かったわね~」で満場一致だったのに、なぜか一人劇場入口で悶々としている自分がいました。。。

その理由を考えてみたのですが、つきつめたところ、細かな変更も含めて、いろいろな面で仏版の「リアルさ」、「エグさ」がなくなって、「美しさ」だけ残っている作品になっていたから、な気がしました。

でも、これは、宝塚の公演ということを考えれば必然的な帰結な気はします。ネットで宝塚の魅力、というのを検索していて、多く挙がっていた理由の一つに「リアルな世界には存在しない夢のような世界に出会えるから」というものがありました。実際、舞台を見てみて、舞台人として洗練された女性たちによる伝統と歴史に裏づけされたまさに粋を集めた舞台であると思いました。ですが、、、ここからは、完全に私の解釈にはなってしまうのですが、、、同時に、あまりに完璧すぎて、「隙がない」というか、「美しすぎる」気が私にはしました。。。

特にそれぞれのキャラクターの解釈がみんな、「いい人」になっていて、お話自体も「イイ話」に変更になっていたのが個人的には気になりました。確かに、仏版も、プロデューサーが、インタビューで革命の最もロマンティックな時代を描きたかった、だから1789年より後の血みどろの恐怖政治の時代は描いていないとおっしゃっていた↓ので(宝塚版にはロナンが拷問されるシーンがありますが、実は、多分こういう背景からか仏版にはロナンが直接暴力を受けるようなシーンは出てきません。)、1789年という人々の理想に燃えた「美しさ」を描こうということではあったんだと思いますし、最後の人権宣言のシーンなどはほんとに心揺さぶられるものがあります。

1789のプロデューサーであるアチアさん、アルベールさんのインタビュー
https://youtu.be/9cPKuI-aWIM

ただ、私が宝塚版を見て思ったのは、宝塚版はやっぱり型がきっちり決まっているというか、とにかく見せ方をかっこよくすることに比重が置かれている気がしました。それに対して、仏版は、同じ「美しい」であっても、その意味合いはちょっと違うように思います。

もちろん、仏版も振付け、衣装、舞台装置は華麗です。でも、それ以上にこの舞台が見せようとしていたもの、それは、人々の「リアルな感情のぶつかりあい」だったのではないかと思います。怒りは怒り、悲しみは悲しみ、憎しみは憎しみ、喜び(悦び)は喜び(悦び)、どの感情もリアルで人間味が溢れています。そして、悲惨なものはとことん悲惨で、無慈悲です(ほんとに、misérable ...)。

例えば、アントワネットの死のシーンは、なかなかエグい演出でしたし、前述のとおり、襲撃のシーンのダンサーの表情には鬼気迫るものがありました。La nuit m'apppeleのダンスの振りには明らかに営みを連想させ、女性が傷つくことを表している振りがあります。革命家同士の喧嘩のシーンも、本気でロナンがデムーランに食ってかかり、ダントンがどうして、憎しみ合わなければいけない?と諭します笑。そして、王太子のお葬式で2人が再会するシーンは、お葬式なのに、オランプの衣装はスケスケシースルー、抑えきれない想いをバトルのように掛け合いで歌い、そして最後にがっつりと抱擁 笑。愛にモラルは関係ありません(爆)。

設定にしても、主人公のロナンの妹のソレンヌは、宝塚版では、兄と仲直りもしますし、最後の方では、昼はカフェで働いており、どうやら娼婦の道から足を洗いつつあるような感じの設定になっています。しかし、仏版の設定では、娼婦のままで、ロナンが置き去りにしたことを謝罪するにもかかわらず、彼女はそれを受け入れず、パンを求め、武器を手に行進へと向かいます。そして、そのまま、ロナンは死にます。

これはオランプの設定にも言えます。仏版では、アントワネットに任を解かれ、ロナンを追いかける、というところまでは同じですが、ロナンと再会してハート<3みたいなシーンはありません。(壁を隔てて、愛を告白する白昼夢のようなシーンが挟み込まれるだけ。。。)その後ロナンに出会うときは、やはりバスティーユ監獄でロナンが凶弾に倒れるところです。やはりこの二人も最後に言葉を交わしたのは、「生きる世界が違う」と認識し、半ば喧嘩別れをしてしまうシーンです。

だからこそ、最後のロナンの死の悲劇性が増すわけですが、宝塚版は、どうも最後にみんな人はいい人になるし、がんばる人はどこかで幸せになることができる、みたいな設定になってたのが、私には安直すぎに思えました。

アントワネットの恋も、宝塚版は、フェルゼンとの純愛、そして、最後はフランス王妃としてルイ16世の貞淑な妻に戻ることを決心する、という些か古風というか、日本人にとって受け入れやすい設定になっていますが、、、仏版は、フェルゼンとの恋が物語の中心でないこともありますが、、、フェルゼンへの恋が宝塚版ほど純粋な愛には見えませんでした(まあ、確かにオランプに私は愛する人を追いかけられない、でもあなたは追いかけなさい、とは言うんですが、フェルゼンが出てくるシーンは、パレロワイヤルの密会シーンだけで、あなた、どうせ女ができたんでしょ!で、終わっているので、やっぱりアバンチュールな恋だったのかしら?という印象は拭えませんでした苦笑。。。)。しかも、浮気をルイ16世に指摘されたときは、「そんな噂を信じるなんて侮辱だわ!」と怒り心頭で、ルイ16世の元に戻る気配もありませんでした。。。というわけで、アントワネットも間違いを犯したけれども、貞淑な妻に戻る、というより感情移入しやすい「いい人」キャラに設定が変更。。。

仏版は、話の筋は突っ込みどころが満載ですし、演技自体は宝塚と比べればだいぶ荒削りだったと思いますが、役者本人がほんとに役を通して、革命を舞台の上で確かに起こしてました。 一人一人の想いが本当に世界を動かすんだ、そう信じさせてくれる舞台でした。

宝塚の演技は手足の隅々まで気が配られていて、発声もくっきり、はっきり。演技の基礎がやっぱりみんなきちんと舞台人として完成しているなあと感心したのですが、拷問のシーンや人々が窮状を訴えるシーンでさえも、なぜかかっこよく見えてしまい(貧しい若者が鞭打たれてるんじゃなくて、スター様が鞭打たれちゃってるー、みたいな感じ。)、、、全てがキラキラに見えてしまいました。。。それがなんとなく、私の中では違和感として残ってしまったような気がします。

新しい時代への理想も、仏版の場合はそういう、妥協のない(苦笑)救いようのない悲惨さ、怒りから、こういう美しい理想が生まれたんだという地に足のついたベクトルを肌で感じることができたのですが、宝塚版は、どうもその辺りが、キラキラ感も相まってか、美しい理想だけが燦然と輝いていて、その裏にある人々の惨状や涙、怒り、憤り、不条理さがどうしてもはっきりと見えてこないなという印象でした。

私はどちらかというと、キラキラ感だけでなく、ドロドロでもリアルな人間の「生」を見たい、というタイプなので(ある意味泥臭い感じ)、宝塚版には宝塚版の良さがありつつも、やっぱり仏版のほうが自分の考える「革命」のイメージにしっくりくるかなあという気がしました。

でも、これは、宝塚と仏版では目指す舞台が違う、ということももちろん関係あると思いますし、フランスと日本の文化の違いということもあると思います。また、単純に何を舞台に求めるのか、で、舞台の見え方も自ずと変わってくるのではないかという気がします。

そして、もう一つ気になったこと。。。これは、自分がフェミニスト寄りな人間だからなのかもしれませんが、、、やっぱり「女性」の役割が極端に抜け落ちていたことがすごく残念でした。

フランスがフェミニストの国なのか、、、というとこれはこれで難しいですが、、、少なくとも、仏版のオリジナルでは、男から見た革命と女から見た革命の両方が半々ぐらいで描かれています。男の見せ場がバスティーユ襲撃なら、女の一番の見せ場は、パンを求めて立ち上がり、惨めな思いはもうたくさん、さあ、みんな革命を起こすわよ!とソレンヌが歌うJe veux le monde(邦題:世界を我らに)だと思うのですが、宝塚版ではこのシーンは男たちが革命後の新しい世界を夢見て歌うという設定に変わっており、女が立ち上がることを明確に示した歌はなくなってしまいました。

この歌は、元々は、新しい世界を求める歌であると同時に、世界を握っているのは女なのよ、男ってのはバカなんだから、という「女王様」ソングでもあります笑。歌詞も中々辛辣で、おー、これは男もビビるわね(笑)、みたいな歌です。そう、女だってファイターなのだ!と私は感激しながら頷いていたわけですが(笑)、この歌のコンセプトが宝塚版ではごっそり消えてしまったために、宝塚版では女性の強さ、したたかさ、ファイティングスピリットが全く描かれない事態となってしまいました。

そのため、なんだか非常にアンバランスな仕上がりになったように思います。これは、男性トップを魅せる演出をする宝塚にとっては仕方のないことなのは重々承知しているのですが、、、私個人としては、この部分は仏版の大事なエッセンスの一つだと思うので、これを落としてしまうと、仏的エスプリが抜けた舞台になってしまうと思います。。。

あと、前述のLa nuit m'appelleは、仏版は、普通は眉をひそめて捉えられがちな「娼婦」という職業を「美」と捉え、そこに見える女として生きる誇りを感じさせる曲なのですが、宝塚版はタイトルが「プリンセス」になってしまっている辺り(どっちかっていうと女王だよなあ。。。なんか一気にかわいくなってしまった。)からして、どうもキラキラ感が拭い去れず、そういった底辺で生き抜いている人の美しさ、したたかさ、たくましさが、どうも伝えきれていない気がしました。やっぱり、典型的な姫キャラではない女性を描くのは、宝塚では難しいのでしょうか。。。「夜に私は自分自身が一番美しいと感じるの。」という歌詞が持つ艶かしさ、誇り、でもその裏側にある脆さ、、、そういう人間の多面性がもう少し見えたら、と思いました。。。

そして、一番、むむむ、と納得いかなかったのは、主人公のロナンの最期。

最後、宝塚版は、オランプのお父さんを守るためにロナンが代わりに死ぬことになっています。これは、、、、確かにイイ話、だけれど、正直、演出として仏版の大事なコンセプトを台無しにしてしまった残念なシーンでした。

上記の仏版のプロデューサーのインタビューに、「なぜ、ロナンを死なせてしまう設定にしたのですか?」という質問があるのですが、彼らは、ロナンの死は、「(革命で犠牲になった人々の)象徴なんだ」と答えています。これは、ミュージカル鑑賞時に私も強く感じたことでしたし、このミュージカルが一番伝えたかったことなのではないかと思います。

ロナンが死ぬシーンは、「ロナン」という個人の死を超えて、もっと普遍的な「犠牲」を意味しており、そういった多大な犠牲と引き換えに、私たちが現在享受する人権だったり、自由といった大事な権利があるということを象徴的に表しているシーンだと思うんです。この仏版のあっけないロナンの死のシーンは、その悲劇性、不条理さを示すと同時に神々しさも感じさせる重要なシーンになっていると思います(プロデューサーさんは、このことを人類の罪を背負って死んでいったキリストにたとえていますが、そういう目で見ると、確かにね、と思うシーンでした。)。

が、宝塚版では「お父さんのため」という完全に個別的な「死」にすり替えられてしまったため、ロナンは愛する人を守るために戦った人という個別具体的な死に留まってしまい、そういうフランス版の大きな背景が見えづらくなってしまったように思いました。これ、東宝版でぜひ変えて欲しい苦笑。そうしないと、この物語単なるラブストーリー&青春物語になってしまうもの。。。

以上、雑感、、、でした。
次回、なんとなく、仏版との違いを羅列してみようかなと思います。


2015年5月10日日曜日

祝!宝塚上演記念: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜 追加曲

私としたことが。。。
この初日の舞台映像を見て、気づいたことが。。。
あれ?この歌なんだっけ? あ、、、"Les Mots Que L'On Ne Dit Pas(邦題:「声なき言葉」)"だ。(3:05あたり)。


シーズン2でしか使われなかった曲は2曲あるのですが、、、片方のPic et pic(こちら)について書いてこれだけだろうと思っていたところ、実はもう片方の曲も使われていることに気づきました。。。

そう、もう一つがこの"Les Mots Que L'On Ne Dit Pas"です。タイトルの直訳は、「言えない言葉」。「伝えられない言葉」と言い換えることもできるかもしれません。そして、宝塚版のタイトルは「声なき言葉」。す、すばらしい訳。と私は感心しきりでした。美しい言葉の並びだけれど、このタイトルのコンセプトをはっきり伝えている。→詩心のない自分は反省しきりです。

フランス版(シーズン2)では、シーズン1の前半に出てきたSentenceが削られ、この曲がバスティーユの襲撃の前当たりにどうやら入ったようです。というわけでこの歌も、オランプが「ロナンに伝えたい、けれども伝えられないこの言葉」といった意味合いで歌われている曲(のはず)です。

Sentenceも結構好きでしたが、この曲もこの曲で結構きれい。


<Les Mots Que L'On Ne Dit Pas>
(声なき言葉)
なんか、私が見たときとウィッグがちょっと違う気がする笑。 

プロモ映像はなぜかちょっぴりセクシーなカミーユ・ルー(オランプを演じた歌手) のある日の1日といった感じになってます笑。もう、フランスだな笑。これはこれで、ヴォージュ広場などパリの美しい場所が出てくるのですが。



"私の前には踏み出したくても踏み出せない人生がある
心の底にはその願いは今でもある
夜、伝えることのできない言葉の歌が聞こえる"
 
ワタクシ、不覚にもこの歌にちょっと涙しました。。。
この曲いい詞だわー(泣)。Fixeのテーマとも共通するところがあるかもしれませんが、「叶うことのなかった想い/思い」を切々と語って聞かせる歌だったんですね。もし、身分制あるいは、階層意識などというものがなければ、私は、自由に生きたい人生を歩むことができたのに、(でも私にはそのような人生を歩む術は無い。)とハミングと共に歌うオランプの姿、涙を誘います。。。

ネタバレになってはしまいますが、、、シーズン2では、舞台最後に命を落とすのはロナンではなくオランプなんです。その結末を知っているとますます「伝えられなかったこの言葉」は本当に伝わることなく(シーズン2を見てないから、多分という話にはなってしまいますが。)語られないままに終わってしまったのね、、、ということになり、また涙涙。。。

宝塚版は、冒頭の初日の映像を見ていると、この曲も、オランプの曲ではなく革命への思いを胸に民衆が歌うという感じの曲に潤色されたようですね。原曲の詞がどこまで生かされているのか私はわからないのですが(そもそも歌う人が違うわけだし、全然違っていて当然。)、でも、この曲特にサビの部分のメロディーが前に進もうみたいな曲調になってるので、その雰囲気をうまく利用しているなと思いました^^


5月12日追記:

パンフから日本語タイトルを写させてもらったときに今度はCDに入ってるけどミュージカルでは使われなかった曲も使われていることに気づきました。。。

そう考えると宝塚版は盛りだくさんだったんだなあと想像。

さて、その曲とは"Pour un nouveau monde"。宝塚のタイトルは「三部会」のようですが(すみません、未見なので、使われ方今のところ全く不明。。。)、和訳としては、「新しい世界へ」、「新しい世界に向けて」のような感じになると思います。まさに「革命」のスピリット、理想を凝縮したタイトル。

そして、この歌、仏語版のCDでは、シャーロットを演じていた子役の女の子2人(演じた女の子自体は確か5人くらいいた。)が歌っています。子供が新しい世界を歌う。歌のコンセプトにぴったりです。

実は、プロデューサーのアチアさんとコーエンさんのインタビューの質問に「なぜこの歌を使わなかったのですか?」というファンからの質問があったのですが、答えは「いい歌だけど、入るべき場所がミュージカルにはなかったから。」という答えでした笑。いたって普通。。。

が、今回、なんと宝塚版に組み込まれたー! (祝)。

さて歌詞の内容は、子どもの視点から、世の中(大人)っておかしくない?新しい世界が私たちは欲しいの!といったイノセントな子供の心がそのまま詞になった感じ。サビが子供らしさが出つつ、情景としてすごく美しい言葉で紡がれています。

"私に「青」をちょうだい
違う空を描くために
赤や白で
春を招待するわ
新しい世界のために
新しい世界のために
物語を書こう
希望の色で"

 トリコロールが目に鮮やかに思い浮かぶような曲。でも、これって三部会の話、、、なんですよね?宝塚だと笑。

2015年5月5日火曜日

祝!宝塚上演記念: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜 プロデューサー Dove Attia氏 インタビュー

ちょっと古いですが、2013年(フランス当地では、最初のパリ公演が終わりツアーをしていた頃と思われます。)にプロデューサーの一人であるドーヴ・アチア(Dove Attia)さんが「1789バスティーユの恋人たち」について語っているインタビューが面白かったので、ご紹介したいと思います。

宝塚の公演の初日にはどちらかのプロデューサー?が観劇に(というかチェック?)いらしてたとか(アチアさんは今自分のミュージカルの準備に忙しいはずなので、アルベールさんが来ていたのではないかと想像するのですが…。)。フランス人だったから結構目立ってたそうですね(笑)。うー、ちょっと遠めからでも拝見したかったです><

右側がDove Attiaさん。左が1789まではずっと一緒に
製作をしてきたAlbert Cohenさん。が、しかし、どういう事情
なのかはわかりませんが、現在アチアさんは今年上演予定の
Roi Arthur(アーサー王)を製作中で、アルベールさんの方は
Mistinguetteというミュージカルを絶賛上演中です。
これからまた2人で一緒に仕事をするのかわかりませんが、、、
きっとお互いまたポップな作品を作ってくれるのではないかと思います。
(追記:ちょっと調べてみたら、2人は仲間割れ(爆)したわけではなく、
1789の公演時に爆発事故が起き(スタッフが1人亡くなっています。)
アチアさんはそれで疲れきってしまい一時休みが欲しいということで
(当時のアチアさんは、本当に映像で見ても憔悴しきっていました・・・。)、
しばし休養していた模様。
で、アルベールさんの方はその間に自分がずっとやりたいと思っていた
Mistinguetteの方のプロジェクトをやることになった、ということのようです。なので
数年したらこのコンビのミュージカル、また復活するかもしれません。)
原文のフランス語記事はこちら↓。


1789ができた経緯はもちろんですが、キャスティングの方針、ツアーで成長するキャストたちについて、フランスのミュージカルを取り巻く状況など、フランスに限らず日本のミュージカルでも共通することも結構書いてあり、そういう意味でも興味深い記事かなと思います。

あんまり考えたことなかったことなんですが、、、このミュージカル、作られたとき、フランスは不況真っ只中だったんですね、そういや。その中で「革命」のアイディアが浮かんだというのは確かにわからなくもない。。。資金面での大変さ等、結構リアルな話も多いです(笑)。

一応、アチアさんの略歴(1789のサイトWiki情報より)。

1956年11月30日生。出身はチュニジアのチュニス。フランスの名門校の一つであるエコール・ポリテクニークに在籍。数学や物理の先生をしていたこともあったそうです(今経歴を読んでびっくりした。。。アチアさんバリバリの理系だったのね。。。)。しかし昔から持っていた音楽の道への情熱は抱き続けていた模様。その後TF1 Internationalやハイテク企業の社長さんなども歴任されていたようですが、アルベールさんと出会い、映像系の仕事を一緒にしたりする中で、ミュージカルの道へ(何でミュージカルなのかは結構謎ですが笑。)。2000年以降、アルベールさんとともに数々のミュージカル・ヒット作を生み出す。 Nouvelle Starという有名な音楽番組(アメリカン・アイドルのようなタレント発掘番組だと思います。)のジャッジを長年務めていたことでも有名。

作品:
・「十戒(Les Dix Commandements)」(2000年)*
・「風とともに去りぬ(Autant en emporte le vent )」 (2003年)*
・「Les Hors-la-loi(アウトロー)」(2007年)
・「Dothy et le Magicien d’Oz(ドティーとオズの魔法使い→フランス語でドロシーはDorothée(ドロテ)となるはずなのですが、このミューではドティーだった模様。愛称かもしれません。)」(2009年)*
・「ロックオペラ・モーツァルト(Mozart, l'opéra rock)」(2011年)
・「1789 バスティーユの恋人たち(1789, les amants de la Bastille)」(2012年)*
・「La légende du Roi Arthur (アーサー王の伝説)」(2015年上演予定)
*は、アルベール・コーエンさんとの共作。   

はい、つまり、フレンチ・ミューヒットメーカーさんの一人であることは間違いありません。。。
ロワ・アルチュール(アーサー王)も 、モーツァルト(フラ語だとモザール)でサリエリを演じていたFlorent Motheをアーサー王に、グィネヴィア役に1789でオランプを演じたCamille Louを据えての公演なので、きっとこちらもヒットするのではないかと思います。

今年秋パリで公演予定の「アーサー王の伝説」はこんな感じ。
こちらもかなりポップな仕上がり。

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モルガンヌ・L(以下ML(インタビュアー)):どのように「1789 バスティーユの恋人たち」のミュージカルを創るというアイディアにたどり着いたのですか?

ドーヴ・アチア(以下DA):無意識のうちに、この一つ前のミュージカルであるモーツァルト・ロックオペラの最後の曲で思いついたんだと思う。「C'est bientôt la fin de ce monde qui n’entend rien(聞く耳を持たない(何も理解しない)世界はもうすぐ終わる)」は既に革命についての歌だったから。もちろん金融危機のスキャンダルはみんなと同じように少々ショックだった、世界はなんてクレイジーになってしまったんだと思ったのさ。そこで、フラッシュのようにイメージが、1789のヴィジョンが、頭の中に浮かんできたんだあらゆる世代の人々が世界を変えようと夢見た時代のヴィジョンをね。今日でも、こういったテーマは我々一人ひとりにとって語りかけてくるものだけれど、アイディアが思い浮かんだとき、どんなものであれ商業的な理由といったものは一切頭にはなかったんだ。意外に思われるかもしれないけれど。かなりうまくいっているのだとしたら、それは僕らが少し(ヴィジョンを)先取りしてその後、世間の流れに乗った、ということなんだと思う。

ML: このミュージカルは準備に約2年間かかったそうですね?

DA: だいたいそれぐらいだね!1年を台本を書くのに費やしたよ。だからアルベール(・コーエン)と多くの時間をすごさなければいけなかった!シナリオを作り上げるのには時間がかかったよ。というのもまさにフランス革命の歴史(に取り組む)ということが仕事の大半だったけれど、舞台に55人もの人を乗せる場合には、たくさん注意を払わなければいけないからね。

「1789 バスティーユの恋人たち」は、本当に大きな機械みたいなものなんだ。でも、こういった類のチャレンジは、モチベーションにもつながるし、極限をさらに押し広げてくれるものでもある。そして今度は、「物理的に」物語を描くために丸1年を費やさなければいけなかった。イメージしていたものを具体的な形にしていかなればいけないからね。つまり、ヘアやコスチューム(このミュージカルでは約450着あるんだ。)そして素晴らしい舞台装置といったものだ。でも、こういったことが可能だったのは、僕たちがアルベールを含めてお互い本当の家族であったからこそなんだ。僕たちは長い間一緒に仕事をしてきたから、舞台でできあがるものは、統一性があるんだ。

ML: ところで、そのアーティスティックな「家族」でロッド・ジャノワは何年もの間、スタッフとして作品に関わってきましたが、今回はカミーユ・デムーラン役として舞台にカムバックしましたね?

DA: そう、ロッドは何度もロワ・ソレイユやロックオペラ・モーツァルトなどで仕事をしてきた。で、テストとなる最初のデモテープを録音をしているときに彼が本当にすばらしい声の持ち主だと気づいたんだ。 「モーツァルト」のときに既に舞台に立って欲しいと思っていたんだけど、うまくいかなかった。彼の才能のせいということではなくて、彼のパーソナリティーのせいでね。どの役も彼にいまいち合わなくて。毎晩演じていて真実味があって明らかであるために、演じる人が演じる役に近いということは必須条件なんだ。カミーユ・デムーランの特徴が浮かび上がってすぐ、僕たちにはわかったんだ、僕らそして、他のチームのみんながこれは彼のための役だって感じたんだ。ロッド・ジャノワはこの役に理想的な精神的要素を持ち合わせている。(1789の時代の)衣装やその時代を除いて、まさにこれは彼なんだ(笑)。

Rod Janois(ロッド・ジャノワ)。
この人、ほんと歌うまくて、よかったです。
 ロマンティックな雰囲気がデムーラン っていうのも納得でした。

ML: 俳優や歌手をキャスティングするというのは最も大変な作業の1つなのではないでしょうか?何ヶ月もの間ある役を見事に演じきることができる人を探さなければいけませんから。


DA: うん。よく、歌うのがうまい人を選べば十分でそんなことは簡単だと思われがちだけれど実際には違う、もっとそれ以上のものなんだ。彼/彼女自身の人生の一部を僕らと分かちあってくれる人と出会う、そういうようなものなんだよ。だから僕たちは登場人物の生き生きとしたリアルな片割れのような人を探し出すことに成功しなければいけないんだ。これは本当に大きな賭けで、これはたびたびミュージカルの失敗の原因になったりもする。どの役も既に実際の生きた体験を持ち、性格や感性が登場人物と一致している人に行き着かなければいけない。経験というのは、何ヶ月にも渡って毎晩、登場人物に命を吹き込むことができるという意味で、本当に大事な条件なんだ。特に、もともと彼らは歌手で役者であるとは限らないからね。



ML: プロジェクトが始まって、登場人物になりきれるようになって、「1789バスティーユの恋人たち」のアーティストたちに何か進歩のようなものは感じられますか。

DA: あー、もちろん!例えば、ルイ・デロール(*主役のロナンを演じた男の子)の場合は、彼がチーム内に合流したのは、数ヶ月前で(*主役予定だったマチュー・カルノーが喉のトラブルで開演数ヶ月前に突然主役を降板したため、ルイは他の歌手よりもだいぶ遅れて開演間近の段階でチームに合流した(他のメンバーは、プロモーションなどで既に1年ほど一緒に活動をしていたので、まさに落下傘部隊のような感じでの合流だったのだと思います。。。*)。)、彼はまだ18歳の子供でしかなかったけれど、今は、もちろん感覚としては同じ年だけれど、彼はひげを生やしているよ!(笑)彼は成長して、成熟したね。彼はものすごく変わったよ、特に心理的な面でね。4,000人の(観衆の)前で数ヶ月の間、毎晩、腹の底では恐怖を抱えていた人間からは大きな違いだよ。そして、ルイはその一例でしかない。どのアーティストも進化を遂げているし、変化していって、その後どんどん自身が演じる役に近づいていく。そして公演を重ねていくうちに、だんだんと「演じる」ことが少なくなっていって、役そのものになっていくんだ。そうすることで、より自由になって自分自身により確信を持てるようになって、今度は逆に、彼らが演じる役を豊かなものにし、立体感を与えることができるようになるんだ。


ルイ・デロール。18歳には見えなかったなあ笑。
まあ、向こうの子は大体そんな感じですが。
ML: ツアーはこういった変化に貢献しているんでしょうか。

DA: もっといえば、今彼らがちょうど地方で経験しているツアーはそういった成長を後押しし、いろいろなものを明らかにするものとして働いていると思う。こういった場は、さらに役者たちを成長させるすばらしい舞台なんだ。彼らはパリにいたときよりも断然良くなったよ。というのもツアーは舞台に立っていないときでもずっと続くライブのようなものだからね。彼らはいつも(新しい環境に)適応しなければいけないし、新しい人に会いに行かなければいけないし、10倍(集中して)聞かなければいけないし、細かな部分までもっと注意を払わなければいけないし、安全地帯にあぐらをかきすぎてもいけない。毎晩彼らは良くなっていくけれど、たとえものすごく働いても彼らはリラックスする方法を知っているから大丈夫さ。僕らはこのツアーを本当にすごくエンジョイしているよ!

ML: あなたは、これまでの全てのミュージカルの並外れた成功で有名になりました。「ロックオペラ・モーツァルト」はもちろんすぐに思い浮かびますが、それ以外にも「太陽王」、「十戒」なども思い浮かびます。それでも、このミュージカルを始めるに当たって、不安な気持ちになったことはあったんでしょうか。

DA: もちろん恐怖や不安な気持ちになるときはあったよ。ミュージカルの世界において、企画したこと全てにおいて、前もって獲得できるものなんて何もないんだ。観客は僕らを待ち望んでいるだけだと僕らが思っているのだとしたら、まったくのうぬぼれになってしまうよ(笑)!反対にこのミュージカルを披露したとき、僕らはとても大きな競争に直面するんだ。本当に厳しい競争にね!アダム&イヴ、シスター・アクトあるいはサリュー・レ・コパン(*これらは、私が1789を見に行った2012年の秋〜冬にかけて実際に公演が行われていた演目です。確かに、他の演目も皆人気がありそうな感じでした。おわかりのように、シスター・アクトのように、フランスでも毎年翻訳版(特に英語圏)のミュージカルも上演されており、競争は結構激しいと思います。そして、結構普通に公演中止になります(特にツアー)。。。*)…

そして事実から目をそらしてはいけない。この時期は経済がとても不安定で危機的な状況で、資金面での賭けという要素ははかつてないほどに、製作をするに当たって、考慮に入れる重要な点になっていた。僕ら(の公演)を見に来るために人々がお金を払ってくれるかなんて保証は全くなかったのさ。つまり、僕らのミュージカルかその他のミュージカルかということでね。

たとえ多大な労力を払うことになったとしても、あるいは人々に対して最も誠実に対応しても、またあるいは、自分たちのありったけの心血を注いだとしても、ミュージカルというものは家族にとって絶対に必要な出費とは言えない。それがたとえ夢にまで見たすばらしい夜のひとときであったとしても、やはり余剰な特別出費であることに変わりはない。(ミュージカルは)食べものにありついたり、住まいを見つけるといったことには役に立たないからね。だから、僕たちは、そのことを自覚しているし、心の底から感謝することしかできない。だって、観客のお陰でこのミュージカルは地方の都市をツアーすることができて、また年末( *2013年の話。)に2回目の上演としてパリに戻ってくることができるんだから。

** これは、万国共通だと思いますが、不況の時に真っ先にカットの対象となるのが「余剰」出費である、エンターテイメント系の出費。。。そういった中でも、人々を惹きつけるものを作り出していかなければいけないというのは、やっぱり大変なことですよね。。。だから、ある意味、作品にカリスマというか、見てよかった!って思わせる要素がないと途端に「切り詰め」に遭ってしまう(苦笑)**

ML: でも、その後、ミュージカルが実際、舞台で上演されるのを見たとき、そういったストレスについて後悔することはきっとないのではないですか?

DA: 確かに、それは本当だね!後悔することなんて一切できないよ。ストレスの中で生活してきたことも、睡眠時間を削った夜もそんなことは大した問題じゃないから。僕らは、すごく(作品を)誇りに思っているし、特に僕らはとっても幸せだよ。舞台的な観点から言えば、僕の考えでは、このミュージカルは最も美しくて、最も完璧なものだと思う。そしてこれは、全く新しいものを僕らに提供してくれた演出家であるジュリアーノ・ペッパリーニのお陰なんだ。1789で、僕は、僕らの初めてのミュージカルである「十戒」を作ったときに感じた感情を再び感じることができたよ。

ML: なぜ人々はこんなにもこのミュージカルに惹かれるのだとあなたは思いますか。

DA: 「1789バスティーユの恋人たち」に、観客はこの時代の最も美しい部分、最も現実離れした道筋を見出すことができるからじゃないかな。この時代、世界を変えるために人々は再結集し、手を取り合う術を心得ていた。それからすごく時間は経ったけれども、今日でもこのミュージカルは訴えかけるものがあると思うんだ。僕は自分が感じたものを捕らえようとしてきたんだ。僕らはあるシステムの終わりに直面していて、我々の世界、我々の経済は、行き詰まりの状況にあると僕ははっきり感じるんだ。この状況から立ち直るための解決策が見つかるかどうかは僕にはわからない。でも、僕はそれでも大きな希望を持っているよ。先人たちはいつも解決策を最終的には見つけてきたからね。そしてこんな風に考えているのは僕だけではないはずだよ。なぜなら観客は、すっかり気が動転して、心をかき乱されることになるけれども、でも幸せを感じて、目をキラキラさせながら、このミュージカルを見て会場を後にしている(のを見ている)からね。

**1789がまさか経済やあるシステムの終わりなぞという壮大なお話に関係しているとは夢にも思いませんでしたが(失礼!)でも、ミュージカルを見て3年経って改めて詞を訳したりしていて、どんな悲惨な状況にあっても人は立ち上がる力を持っている、世界を変える力を持っている、というメッセージは確かに私も強く感じました。閉塞感のある時代だからこそ、訴えかけたい希望、それがプロデューサーの方たちの思いだったのかもしれません。***


2015年5月3日日曜日

祝!宝塚上演記念: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜 パンフレットを見ました

初日を見に行った方にパンフレットを見せて頂いたのですが、やはり宝塚は華やかですね~。特にラザールとアルトワ伯のオリジナルとの差が激しかったです(笑)。こんな麗しい役じゃなかったんだけどな(笑)。

FBでオフィシャル写真(こちら)も出てたんですね。衣装は、全然違うものもあるし、似ているものもある、といった感じ。

初日の舞台映像も。→https://youtu.be/qtyft8IHRwI


そして、日本語の訳詞も載っていたのでざざっと読ませていただきました。なんとなく自分の訳詞チェックみたいになって汗汗汗と思いながら読んでたのですが、確かに訳詞は潤色されていることもあって、歌い手がオリジナルとは違う場合も多いので、それなりに変更は加えられている印象でした。でも、それぞれの歌のコアの部分はきちんと押さえられていて、さすが、、、と思いました。

でも、サイラモナムールはフランス語詞の怪しさ度と比べると大分マイルドになった気がしました笑。やはりすみれコード??あれを小学生とかが楽しそうに歌ってること自体、やっぱりフランスはちょっとすごい国なんだなと思います。。。

ちょっとお話を伺ったところだと、オリジナルのラマールの役回りがどうやら、アルトワ伯に移っていたようで、Je suis un Dieuが想像以上に大反響だった模様(これは演じてた方が素晴らしい方だったということが一番大きいような気がしますが。)。。。私はこの歌は、話の筋から大分外れているため、てっきり消えるだろうと思っていたので結構意外でした。

あと、ロナンが鞭打たれる場面もあったとか。そういえば、フランス語版は、セクスィー系の詞、セリフ、振り付けは結構普通にありましたが、暴力は極力排除されていた記憶。これはプロデューサーがロマンティックな物語にしたかったことと一番関係があるんだと思うんですが、Maniaqueでラザールと言い合ってる割には確かにそういうフィジカルな残酷さというのは一切ないというのは不思議といえば不思議だったな、と思っていたことを思い出しました。

Je veux le mondeはなんとなく宝塚版では歌詞を変えて、男役の方が歌うんじゃないかと予想していたのですが、やはりソレンヌではなく男役の方が歌っていたようですね。女こそ世界を動かしてるのよ、みたいなフランスっぽい詞が消えたのは寂しいといえば寂しいですが、曲調が確かに男役で歌うと映えそうな曲だったので、この改変は納得です。

あと、デムーランが歌っていた、サイラモナムール等のビッグナンバーはやはり主人公のロナンに集約されていた模様。でも、これも個人的には誰が主人公なのかを浮きだたせるためには必要な改変だったと思います。でも、デムーラン推しの自分としては、ちょっと残念。。。

載っていた歌を見ていると、少なくとも1曲saison 2(シーズン2)にしか出てこなかった曲が使われているようだったので、ここでそちらのご紹介をしたいと思います。あと、書き下ろし曲もやはり1曲あったようですね(歌謡曲?みたいだったとか。。。)。

私はシーズン1しか見てないので、この曲がどんな感じで入っていたのかはあまりよくわからないのですが、Hey yaが短くなってその後に入っていた模様です。。。革命の精神をラップ調の曲で表したこれまた斬新なアレンジ。

でも、確かに、「新しい考え」をラップに乗せたというのは反骨精神だったり世界を変えてやるぜ、みたいな熱い思いを表現するのには合ってる選択と言える気がします^^この歌の前の台詞が「さあ、仕事だ、仕事だ!」なのですが、以前はこの後にHey yaが来ていて若干脱力系だったので、こちらの曲の方が革命への思いが伝わって良いかなと思います。

ちなみにタイトルの"Pic et Pic et Amstramgram(邦題:「自由と平等」)"ですが、調べるまで自分も知らなかったのですが、フランス語版の「どちらにしようかな」の詞をなぞっているよう(こちら)。フラ語版の「どちらにしようかな(Am stram gram)」は、はやし歌なので、歌詞自体に意味は無いそうです。 ただこれがミュージカルの曲、というか革命の精神とどうつながってるのかイマイチ不明です。。。

確かに歌詞を見ていると元歌が、 "Pic et pic et colégram"のところがミュージカルの曲では"pic et pic à corps et âme"となっていたりして、何となく似た感じではあります。リズミックな部分をちょっと活かしているのかも知れません。ちょっとリサーチしてみます。→5月9日追記。リサーチしました。。。



<Pic et Pic et Amstramgram>
(自由と平等)
https://youtu.be/s9CFGly1Ok8

"目覚めると
すべてが同じ
同じ演説、同じ情景
こんな毎朝
全くの無駄だ
今こそもっと声高に叫ぶときだ"

"地獄は過去のもの、今夜、俺たちの夢は鉄のように硬い"


もうこんなクソッたれな現実にはうんざりだ、さあ、立ち上がれ、革命だ!みたいな思いをノリのいい楽曲と、ラップで表した曲でした。

ラップの最後のところ"地獄は過去のもの、今夜、俺たちの夢は鉄のように硬い!(ロンフェール・セテ・ティエール、ス・ソワール、ノ・レーヴ・ソン・デュール・コム・フェール)"とか、音としてもキレがあっていいし、言葉自体もかっこいい!

まさに、革命ソング♪

さて、「どちらにしようかな」 との関連ですが、、、やっぱりフランス人なら誰でも知っているリズミカルな歌、というだけな気がします。。。みんな乗りやすいからって感じでしょうか。

*実は、もう1曲 シーズン2にしか出てこない曲(Les Mots Que L'On Ne Dit Pas(声なき言葉))が使われていることに気づきました。。。
その曲についてはこちらに載せました。


2015年4月19日日曜日

祝!宝塚上演記念: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜登場人物、あらすじ まとめ〜

いろいろ書いてきたのですが、記事がバラバラしてしまっていたので、ここに、「1789バスティーユの恋人たち」関連の記事のまとめをしておきます。よろしければ、宝塚公演の際にレファレンスとしてご覧ください。



■主な曲紹介
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/08/1789-les-amants-de-la-bastille-1789.html

■登場人物紹介
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/08/1789-les-amants-de-la-bastille.html

■CD/DVD情報(曲名の一覧(宝塚版のタイトルも併記あり。)を載せています。)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/09/1789-les-amants-de-la-bastille-cddvd.html

以下、フランス語の曲名の後の括弧の中は、宝塚版の邦題です。

■あらすじ①(Acte 1 その1)
Sur ma (la) peau(肌に刻み込まれたもの) / Le cri de ma naissance(叫ぶ声) / Je mise tout (全てを賭けて)/ Au Palais Royal (パレ・ロワイヤル)/ La nuit m’appelle(夜のプリンセス) / Maniaque(耐えてみせる) / La Sentence(許されぬ愛)     
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/01/1798-les-amants-de-la-bastille.html

■あらすじ②(Acte 1 その2)
Hey ha(デムーランの演説) / La guerre pour se plaire(この愛の先に) / La Rue Nous Appartient 
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/01/1798-les-amants-de-la-bastille_26.html

■あらすじ③(Acte 2 その1)
A quoi tu danses ?(誰の為に踊らされているのか?) / Je suis un Dieu(私は神だ) /Le cauchemar / Je veux le monde(世界を我らに) / Ca ira mon amour (サ・イラ・モナムール)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/03/1798-les-amants-de-la-bastille.html

■あらすじ④(Acte 2 その2)
Nous ne sommes(国王陛下の名の下に) / Je vous rends mon âme(神様の裁き) / Tomber dans ses yeux(二度と消せない) 
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/04/1789-les-amants-de-la-bastille.html

■あらすじ⑤(Acte 2 その3)
Sur ma peau(肌に刻み込まれたもの) / La prise de la Bastille / Fixe / Pour la peine(悲しみの報い) 
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/04/1789-les-amants-de-la-bastille_6.html

■宝塚観劇の感想
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/07/1789.html

■仏版との違い(人物について)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/07/1789_12.html

■追加曲、日本語訳の感想
Pic et Pic et Amstramgram(自由と平等)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/05/1789-les-amants-de-la-bastille.html

■追加曲その2。
Les Mots Que L'On Ne Dit Pas(声なき言葉) / Pour un nouveau monde(三部会)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/05/1789-les-amants-de-la-bastille_61.html

■プロデューサーのコーエンさん、アチアさんのインタビュー映像(フランス語)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/09/dove-attia-albert-cohen-interview-1789.html

■パリの観劇録
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2013/09/mon-histoire-3.html

■DVD撮影に遭遇した思い出
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2013/12/1789-les-amants-de-la-bastille-dvd.html

■2013年に起きた爆発事故について
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2013/11/1789-les-amants-de-la-bastillesaison-2.html

■事故からの復活/このミュージカルを1年追いかけての感想
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/01/1789-les-amants-de-la-bastille-saison-2.html




2015年4月6日月曜日

祝!宝塚上演: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜あらすじ⑤ 〜

さて、いよいよ二幕も最後のあらすじです!いやはや長かった。。。宝塚版を観劇して少しでもフランス語圏発のミュージカルにより多くの人が関心を持ってもらえたらいいな、と思います。そして、日本でさらにフランス語のミュージカルの翻訳版、招聘版が上演されることを願ってやみません。

さて、最後のシーンはこのミュージカル最大の見せ場、そうバスティーユ監獄の襲撃です。バリバリネタバレをしておりますので(爆)、、、エンディングを知りたくないという方は宝塚版ご鑑賞後に、ご覧ください。

ここまで散々、嗚呼フレンチ、とか言ってきましたが(苦笑)、最後のこの回だけは真面目にいろいろ書いていきたいと思います。若干重い話も入るかもしれませんが、最後までおつきあい頂けると幸いです。

では2幕最後のパートです!

***************
★カバーしている曲:Sur ma peau(肌に刻み込まれたもの) / La prise de la Bastille / Fixe / Pour la peine(悲しみの報い)★

あらすじ④からのつづき。

- 革命家そして市民が集結している。
パリ郊外では、軍が市民に銃口を向け始めている、とロベスピエールがみなに報告する。革命家や市民も次々と集結するが、武器が足りず、革命家たちは頭を悩ませる。そこにロナンが、バスティーユなら武器がある、と言い出す。よし、王の権力の象徴である、バスティーユを打ち倒そう!と革命家たちが号令をかけ合う。「いざ、バスティーユへ!」<Sur ma peau>。

<Sur ma peau>
(肌に刻み込まれたもの)
(和訳:肌の上に)

"この肌に
俺は言葉の花が刻みつけられた
自らの約束を記した
俺の青春の誓い"

権力の象徴であるバスティーユ監獄を襲撃を前にロナン、そして、民衆たち(ダンサー)が新たな時代への決意を胸に歌う一曲。若者の革命への熱い想いが凝縮されています。この歌の見せ場は何と言ってもダンサーたちの気迫のこもった表情。一段下がったところから這い出てくるシーン、そして、曲の途中で歌手のルイも含め自ら茶色の顔料を塗りつける演出等、虐げられた者達が果敢に這い上がっていく様子がまさに革命の精神を物語っているように私には思えました。そしてこの歌からこのミュージカル最大の見せ場、バスティーユ監獄襲撃のダンスへと続きます。

ここからは文字で書いても野暮なだけなので、素敵な映像でご覧ください(笑)ただし、バリバリネタバレしておりますので、ここからは最後を知りたい方だけご覧ください。

***ネタバレ注意***

<La prise de la Bastille >
(和訳:バスティーユ奪取)

***ネタバレ注意***

***しかし、このダンス、そして最新の音響効果を使った演出はすごかったです。全身をめいっぱい使った一糸乱れぬダンサーたちの動きも目を見張りますが、なんというか、ダンサーたちの気迫がすごかったです。本当に一人一人がrevolutionaire(革命家)になり切ってました。撃たれて、一度倒れてもまた這い上がる、という演出も革命精神をまさに表した振りなんだと思います。演出としてもロープの壁登りもすごかったですし(宝塚版でこれはさすがにやらないだろうなあ笑。)、映像とはいえ、牢獄が崩れ落ちる様子はまさに迫力満点でした(大砲とか出てきちゃうし。)。そして最終的には壁が倒れてきて穴が開く瞬間はおーーー!といった感じでした(もうこれしか言えない。)。日本の持ってきてこのシーンがどれほど再現されるのかわかりませんが、できるだけオリジナルと近い形がいいなあと期待しております。。。***

民衆の力により、バスティーユ監獄のあの高い壁がついに崩壊する。そこから飛び出してくるロナン。が、銃声がし、ロナンはその場に崩れ落ちる。

デムーランが倒れるロナンを抱きかかえる。デムーラン、俺たちは自由だ…と力なく言うロナン。そうだ、我々は自由だ、とデムーランもうなづく。そこにオランプも駆けつける。「ロナン!死なないで、私のほうを見て、お願いだから、愛する人!」「オランプ、僕のオランプ… 。」

 オランプの叫びも虚しく、ロナンは息を引き取るのだった。号泣するオランプ。呆然自失のソレンヌ<Fixe>。そこに人権宣言の一節を唱えながら市民たちが集まってくる。<Fin (終わり)>

***ネタバレ注意***

<Fixe>
(和訳:頑なな(心)→解説は以下をご覧ください。)

我々は脆くて
我々は神によって粘土から創られ
我々は不確かな未来であり
我々は役に立つ存在で
我々は無益な存在で
我々は自らの手の中にある運命である

この歌、このミュージカルの歌の中で一番難解だと思います。聖書を下敷きに していると思われるところがいくつかあったり(これは理性を崇拝し、教会を破壊したりしていたフランス革命をテーマにしていることを考えると結構不思議。)、言葉の使い方が結構難解。。。フレンチミュー師匠のMewさんとこの歌詞について以前、話し合ったことがあったのですが、その時もやっぱりこの歌詞意味が取りづらいよね、という話になりました。ちょっとその時の議論も交えつつ、書いていきたいと思います。

タイトルの"Fixe"は 英語のfixedと同様、固定されたという形容詞、もしくは、軍隊用語の「気をつけ!」という号令を指す言葉だと思います。私は最初、このFixe、そしてそのすぐ後ろに出てくるce regard fixe(直訳は「その固定された視線/まなざし」)の意味がかなり謎でした。この曲は、最初、お父さんが死ぬシーンで、次はロナンが死ぬシーンで登場す るので、「固定された視線」=「生気がなくなった瞳」=「死」をまず自分は連想しました。ですが、師匠のMewさんに、physicalな視線、見ること、というよりさらに意味を広げて、「固まったものの見方」という考え方もできるのではないか、と言われ、ああ!と思いました。冒頭のシーンはソレンヌが、そ して最後のシーンはデムーランが、情感を込めて歌い上げるのですが、二人とも、大切な人を理不尽な理由、不条理な方法で殺されたことへの怒り、悔しさ、やるせなさを自分としては一番聞いて感じたので、この読み方をすると全体としてしっくり来るように思います。ロナンの死というのは、アンシャン・レジームという枠組み=凝り固まった考え方の犠牲になった人たちの象徴なのかもしれません。

全体としては、Fixeというタイトルが指すように、こういった凝り固まった考えによって大切な命が無残にも失われることの不条理さ、そしてそういった悲劇を繰り返す人間の愚かさ、争いの無益さを批判する歌といった感じなのではと思います。また、我々は役に立つ存在で/我々は無益な存在で/我々は自らの手の中にある運命である、という歌詞が示す通り、我々は新しい歴史を切り開いていく大きな力を持った存在であると同時に、愚かな過ちを繰り返す存在である、という二面性もテーマなのかなと思います。

*************
このシーンを見るとなぜか毎回ゾクっとする(いい意味で)のですが、見る度にやるせなくなります。新しい時代はもう目の前にあったのに、若くして死ななければいけなかった命。ロナンの死は、そういった、革命の中、自らの命を賭して、新しい考え、時代を信じ、犠牲となった人たちを象徴しているのだと思います。

と、同時に命の儚さ、尊さについても考えざるを得ません。新しい時代のため、とはいえ、花火のように散っていく命…。Fixeの歌詞を見ても、犠牲となった人々をヒーローとして讃えるというよりは、新しい時代が来るたびに多くの命が失われる無情さ、悔しさ、そして、歌詞の中にもあるように命の尊さを訴えているように思います。Vive la France!みたいな感じで、革命側の大勝利としてストーリーを終わらせるのではなく、むしろ、革命側も王族側もどちらにも勝利なんてない、残るのは虚しさ、そして犠牲となった人々を悼む気持ちだけ…そんな風にも聞こえる詞のような気がします(これは、この後の恐怖政治の混乱状態を思い起こすと、非常に納得がいきます。)。

革命のお膝元のフランス発のミュージカルが、最後このような結末、テーマを持ってくるというのは、意外でもあり、でも、「自由」「人権」という人間の存在にとって非常に重要な概念が、様々な人々の犠牲の下に成り立っているということをエモーショナルに切々と訴えかける美しい曲なような気もしました。

最後、人権宣言の一節を唱えながら会場の四方八方から歌手やダンサーたちが出てきて、舞台に向かって歩いてくるのですが、各々の声が最後どんどん重なり、背景の人権宣言とつながっていき、そして、最後みんなのFixeの大合唱でフィナーレ、という演出は本当に心揺さぶられました。とにかく、やるせないです(会場で、なんて悲しいの!と心の中で叫んでいました。)。

おまけ、ではないのですが、、、実はSaison 2の終わり方は、Saison 1と真逆です。何が真逆かは映像をご覧ください。個人的にはこちらのほうが話の筋としてはしっくりくるような気もします。宝塚版では、どちらが採用されるでしょうか?

***ネタバレ注意***

Saison 2のエンディング

そして、最後は、カーテンコールです。
このミュージカルの最後の公演のときのカーテンコールの映像です。観客とキャスト、スタッフの一体感+盛り上がりがなんともフランスっぽいので、入れてみます。


<Pour la peine>
(悲しみの報い)
(和訳:犠牲に報いるために)

"僕らは僕らを鼓舞してくれる夢が欲しい
僕らが苦しみの中ににあるとき花が欲しい
僕らは純粋であることの感覚が欲しい
自由な思想家という名の下に
僕らの頑な心を解きほぐす涙の名の下に
僕らは歴史を 変えることができなければいけない
犠牲になった者たちに報いるために"

さて、カーテンコールのこの曲、タイトルのPour la peineですが、 英語のpainと同様、peineは苦労、骨折り、または、苦痛、心痛、悲しみ、苦しみなどの意味があります。犠牲になった者たちのためには結構飛躍してしまっていますが、要するに、人権にしろ、自由にしろ、私たちが今当然だと思っている権利も、誰かの犠牲、そして、努力、痛みによって築かれたものであり、ロナンのように志半ばにして、命を落とした者たちの想いを引き継いで行かねばならないということを歌った歌なのだと思います。曲調もちょっと悲しいというか、心に静かに染入るような、ある意味鎮魂歌のような曲調になっています。

というわけで、全体としては、禁じられた愛の物語を主軸としつつも、そこに民衆の蜂起、革命家の活躍といった内容が入り、最後は、フランスの精神を 静かに物語るという感じでフィナーレを迎えます。

途中までの話の展開は、若干まとまりに欠けるというか、どういう方向性に持っていくのだろう?と観劇をしているときは思っていましたが、最後にラストスパート、と言う感じで一気に革命のストーリーをまとめあげたな、という印象でした。

個人的な感想としては、最後のシーンはとっても良かったけれど、そこまでの持っていき方にもうちょっと流れが欲しかったなあという印象でした。革命の話なら、革命にもっとスポットライトを当てるべきだったような気がしますし(振り返ってみると、主人公であるはずのロナンの革命家としての描き方が少々弱いように思います。。。(一瞬あれ、主役誰だっだったけ?デムーラン?あ、ロナンだった!となる(苦笑))、  アントワネットの話を差し込んだり、ちょっとごちゃっとした感じに自分には思えました。。。というわけで、その変を宝塚版はどう改変していくのか興味があります。

とグダグダネガティブなことを書いてしまいましたが、 全体としては、フランスが描くフランス革命という意味のミュージカルとしては、すごく興味深いミュージカルなのではないかなと思います。特に後半は、フランス革命の精神、引いては人間の尊厳みたいなものを描いている部分は自分としてもすごく勉強になった気がします。

実は、このミュージカルを創作、プロモーションをしていたと思われる時期は、アラブの春の時期と重なっています。下記のインタビューで実はプロデューサーのアチアさんとコーエンさんが、冗談交じりに僕たちが革命をテーマにしたミュージカルを作ったから革命が広がっていったのかなと言っていますが(聞き間違えでなければ)、こういう民衆の「抵抗スピリット」というのは、1789年から200年以上たった今でも、変わらずあるものなのだなという気がします。


プロデューサーたちのインタビュー映像(仏語)

そして、今年の1月7日。シャルリー・エブドの襲撃事件が起きました。そのとき、実は、私の脳裏に浮かんだのがこのミュージカルの"Sur ma peau","Fixe"そして"Pour la peine"のシーンでした。ご記憶にある方もあるかと思いますが、このとき、"Je suis Charlie"という言葉が、SNSを通じてフランス語圏そして、全世界に瞬く間に広まっていきました。そして、Place de la Républiqueでの行進も非常に記憶に残るものだったと思います。(実は、私は事件のちょうど1ヶ月前、パリにミュージカル遠征旅行をしており、まさにこの広場も休憩がてら訪れていた場所だったので、人で埋め尽くされたPlace de la Républiqueというのは、とても衝撃的でした。。。)

Place de la République。
このときは、全然平和だった…。

シャルリ・エブドーの風刺画に問題がなかったかと言われれば、カルチャーの違いはあるとはいえ、これほど挑発的に描く必要はあったのだろうか?と私自身も思うところもありますし、この議論について、浅はかな私の知識でどうこう言うのは憚られるのですが、人々が自然発生的に言論・表現の自由に対する暴力に"Non"と表明する"solidarité(団結)"を示す光景は、やはりpeople's powerの大きさを示しているのではないかと思いました。

Place de la Républiqueの行進の写真をネットで見ているとき、暴力で踏みにじられても絶対に立ち上がるのだ、という強い意志を示したSur ma peauのシーン、そして、人権宣言の一節を読みながら、次々とキャストたちが舞台に上がるシーン、さらには、鎮魂、そして淡い希望という意味ではpour la peineのシーンと重なり、この精神は現代にも息づいているんだなとふと思いました。

と同時に事件の1ヵ月後に襲撃事件からかろうじて生き延びたイラストレーターのLuzの取材インタビュー(こちら。フランス語ですが、英語の字幕がついています。)を見ていて、Fixeのテーマである無力感というか、なぜ悲しい歴史はこうやって繰り返されるのだろう、、、というやるせなさといったものも同時に感じました(Luzは、実は、Place de la Républiqueでの行進についても、言論の自由を抑圧する国々の首脳が行進に参加していたことを批判しています。。。)。

この事件に関する議論は当分の間尽きることはないと思いますが、 このミュージカルを観ながら、日々忘れがちな人間の尊厳、自由といったことについて考えるきっかけになればなあと個人的には思います。

革命について考える…。


以上、長々と書いてきてしまいましたが、「1789バスティーユの恋人たち」のあらすじでした。
読んで頂きどうも有難うございました!

ギリギリ宝塚の公演に間に合ってよかった(汗)。。。

宝塚の公演では、シーズン2にしか登場しないPic Et Pic et Amstramgram(自由と平等) Les Mots Que L'On Ne Dit Pas(声なき言葉)も使われていたようだったので、そちらについては別の記事にしました。

2015年4月4日土曜日

祝!宝塚上演: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜あらすじ④〜

順番が前後してしまいましたが、宝塚版の衣装と配役の印象です。。。
衣装ですが、オリジナルより秋色というか深みがある色になった気が。オリジナルはいい意味でも悪い意味でも(?)まさにコスチューム、と言った感じで配色はわりとはっきりした色(黄色とか赤とか青とか)のものが多かった気がします。特にマリー・アントワネットの衣装やマリーアントワネットが登場するシーンのダンサーの衣装とかは非常に独創的で、すごくおもしろかった+芸術の国であるフランスらしさが出ている気がします。あと、本国版は子どもや若者がメインターゲットなので、宝塚版はもうちょっと大人向け路線(笑)になった、と考えることもできるのかもしれません。

そして、配役ですが。私は恥ずかしながら宝塚の方についてほとんど無知(汗)なので、配役順ということしかいえないのですが、、、オランプがかなり下の方にクレジットがあったのは驚きでした。そして、アントワネットが娘役さんトップというのも、ちと混乱しました。。。(誰と誰のラブストーリーが主軸になるのだろう??)。そして、オリジナルでは歌を歌わない役たち(特にアルトワ伯)がかなり上のほうにきていたのにもちょっと興味があります(アルトワ伯はどんな歌を歌うんだろう??)。原作もお話の主軸がちょっと曖昧な部分はあるので、宝塚版で新たな1789ができるのはそれはそれでちょっと楽しみだったりします。

では、再びまたあらすじ二幕のパート2に戻っていこうと思います。
例のごとく間違いがあるかもしれませんが、、、お楽しみいただければと思います。

***********************
★カバーしている曲:Nous ne sommes(国王陛下の名の下に) / Je vous rends mon âme(神様の裁き) / Tomber dans ses yeux(二度と消せない)★

あらすじ③からのつづき。

− パレロワイヤル (サイラモナムールからの続き。)

ダントンがルイ15世広場で竜騎兵部隊が民衆を攻撃したことをデムーランに伝え、今こそ、武器を取るべきだ!と主張する。レザンヴァリッド(廃兵院)に武器があるはずだと言うデムーラン。ダントンはレザンヴァリッドに行こう!と息巻き、ロナンに戦う準備ができている者たちを集め、明日の夜明け、市庁舎前に集まるよう指示する。そして3人、民衆は「フランス、万歳!」と叫ぶのだった。

ロナンはその場にいたシャーロットを呼び止める。オランプと口論して別れた後、彼女と音信不通になっており、ロナンはシャーロットにオランプを探し出して欲しいと頼む。その言葉にただならぬ雰囲気を感じ取ったシャーロットは深くうなずき、ヴェルサイユへと向かう。

そこにラザールが攻撃の準備を整えた軍隊を率いて現れる <Nous ne sommes>。

<Nous ne sommes>
(国王陛下の名の下に)
(和訳というか直訳は、我々は~でない(英語だと
We are notみたいな感じ。ただ、普通はnous ne sommesの
後にpas等の否定を表す言葉が付きます。))

"反乱者たちよ、服従するのだ、服従するのだ、服従するのだ
気をつけたまえ、これが最後通牒だ"

***ダンスも衣装も歌も恐ろしいまでの統率感が印象的な一曲。兵士役のダンサーの白髪のウィッグや人間技とは思えない角度での静止ポーズ(笑、どういう体なんだ?!)、ラザールの指揮に合わせての一糸乱れぬダンス(もはや機械仕掛けの人形のよう)、全員で箱をたたく演出等軍隊の規律というか狂気みたいなものがすごく斬新な演出で表現されてると思います。

そして、ラザールのいっちゃった顔(笑)。ここは見どころです(笑)。最後の一斉発砲シーンは初めて見た時はかなり驚きました。。。ただ、実際のミュージカルではSaison 2の爆発事故の後は、この演出はなくなったようです(当然ですが。)。宝塚版ではこの辺の演出がどうなるのかちょっと気になります!

歌詞としては、全体的には我々の軍隊は王に絶対の忠誠を誓っているのだ、反乱者たちよ、お前らに勝ち目などないのだ、と言っている気がするのですが、この曲の不思議なところは、ところどころ、まるで軍隊が自律的に行動しているかのような印象を与える歌詞がある点です(私の理解が正しいといいのですが。)。ここからは完全に自分の想像ですが、、、一つには、軍人としての誇りを表しているのかなという気がします。主君はもちろんいるわけですが、それ以上に大義名分が重要である、だからわれわれは下僕ではない!と言っているように思いました。もう一つは、軍隊という集団の心理(目的のためにはどんどん手段を選ばなくなる、制御不能になっていってしまうこともあるというような狂気や危うさ)のようなものを表現しているのかなと思いました。***

− 夜。人気のないヴェルサイユ宮殿

シャーロットがオランプを呼び止める。シャーロットは、ロナンの伝言を告げるが、オランプは、アントワネットは自分を必要としており、だからここに残らなければならない、と告げる。

と、そこにラマーが現れる。再びラマーは、オランプを我が物にしようとし、2人はもみ合いになる。その口論の最中にアルトワ伯が部屋に入ってくる。

慌てるラマー。ラマーは、いつものようにアルトワ伯に取り入ろうとする。が、アルトワ伯は、お前にはほとほと嫌気がさした、とっとと消え失せろ、と一喝する。ラマーはアルトワ伯に泣きつくが、アルトワ伯は全く取り合わない。これで最後だと感じたラマーはアルトワ伯をナイフで刺そうとするが、逆にアルトワ伯がそのことに気づき、ラマーが先に刺され息を引き取る。アルトワ伯は、清々した様子で立ち去る。

*** この辺りはお芝居が多いシーンですが、ラマーが死ぬというのにフランスっぽい皮肉好きな?ちょっと毒を感じるユーモアが詰まった会話が続きます。でも、逆にそれが人間くさいというか、私はこういうシーン結構好きだったりします。オランプに無理やりキスをしようとしたり、アルトワ伯に見限られ、必死に彼を引き止めようとするシーンはラマー役の役者さんのコミカルセンスの真骨頂だと思います。

この後のシーンにダンス・シークエンスがDVDでは入っているのですが、、、私はこのシーンを実際の舞台で見た記憶がありません。。。私が単に忘れている可能性も高いですが、、、ひょっとしたらDVD用に作成されたシーンかもしれませんし、途中で演出が変わって付け加えられたシーンなのかもしれません。***

−  ヴェルサイユ宮殿。アントワネットの部屋。アントワネットとポリニャック夫人が二人で話をしている。

腹心であるポリニャック夫人は、アントワネットに、一緒にヴェルサイユを脱出しようと説得するが、アントワネットはベルサイユに残ると告げる。ポリニャック夫人と別れの口づけを交わし、ポリニャック夫人は泣く泣くアントワネットの元を去っていく。

側に立っていたオランプをアントワネットは呼び止める。アントワネットは、オランプが恋していたことを知っていたのだった。自分は全てを失うことになる、けれどもあなたは希望を捨てないで-そう言いながら、アントワネットはオランプを自由の身にする。 オランプは感謝の意を伝え、最後の一礼をし、女王のもとを去る。

一人残されたアントワネット。様々な思いが去来する中、アントワネットは神に祈りを捧げ、赦しを請うのだった <Je vous rends mon âme>。

<Je vous rends mon âme>
(神様の裁き)
(和訳:私は天にこの命を捧げます
直訳は「あなたに私の魂を返します」ですが、
決まり文句として"rendre l’âme"で「死ぬ」のことだそうです。)

"私は赦しを請うために天に祈りを捧げるわ
私の冠の重さのために苦しんだ者たちのために
私はただ母だったの"

*** 今まで、自己チュー度マックスだったアントワネットが最後の最後に改心をする、という歌です。この歌の興味深い点は、実は最後にアントワネットが思っていたのは息子だったということだと思います。最初の部分こそ民衆に対して赦しを、と始まりますが、この歌の大部分は早逝した息子に対する愛、失った苦しみ、痛み、そして、届かなかった祈りについての神への問い等、息子に関するものです。

女王である前に、彼女も誰かの母であり、誰かを愛する女であり、そして、人でしかなかったのだ、という製作者の意図がちょっと垣間見れる気がします。この作品は基本的には革命家たちの視点で物語が展開されていきますが、このシーンは、凋落する王家側の視点に立って描かれている数少ないシーンだと思います。彼らにも彼らの想いがあり、生きていたのだということを表したシーンとも言えるかもしれません。

そして、このシーンの演出、なかなかえぐい、というか、見ていて心が苦しくなりました。貼り付けた映像ではよくわからないかもしれませんが、アントワネットは全てを剥ぎ取られ、歌の後半、火山の中のような場所で、頭だけの石膏の山の中に一人取り残されます。そして、最後にはギロチンを思わせる音とともにアントワネット役の歌手がすっと消えます。演出の中でも人間ドラマとして非常に印象に残ったシーンでした。

余談ですが、実はこのミュージカル、時系列がかなりぐちゃぐちゃです。アントワネットが処刑されたのは、1793年なので、この後のシーンで出てくるバスティーユ監獄襲撃(有名な1789年7月14日)よりも後の話のはずです(Wikiのフランス革命年表)。。。

そして、ヴェルサイユから逃亡するとかしないとかいう話もでてきますが、このシーンだけ見ると、まるで、アントワネットは女王の威厳を保つために、逃亡しなかったかのように見えます。。。ご存知のとおり、王一家は実際にヴェルサイユから逃げようとしましたし(ヴァレンヌ事件(1791年))、100歩譲って、この事件を省いて描いていると考えても、この事件ののち、王家一族は、パリに幽閉されていた期間がそれなりにあったはずなので、こんなに早く処刑、という展開はちと不自然な気がします。

これはもちろん演出上、バスティーユ監獄襲撃のシーンはフィナーレにとっておきたかったから、かつ、オランプとの会話の直後にこの歌のシーンを持ってきたかったから、ということだと思うのですが、、、それにしても大胆な改変。。。パリの劇場には小・中学生と思しき子達もたくさんいたので、これ本当の歴史だと子どもたちは思っちゃうんじゃないの?と自分は無用な心配をしていました。ミュージカルとはいえ、ここまで歴史を変えていいのだろうか???(笑)***

− ヴェルサイユ宮殿
アルトワ伯が、ラマーの手下だったトゥルヌマンを自分の部下として将校に任命する書状を読み上げている。死んだラマーの話が出た際に、手下だったロワゼルはラマーの真似を始め、最初は面白がるが、途中で泣き出す。やっぱりちょっと悲しいんだ、とロワゼル。

***真面目なシーンの後のコミカルなシーンです。ときどきこういうシーンが休憩のように挟まれて、真面目すぎる感を緩和?する感じなんだと思います。***

− 壁に挟まれオランプとロナンが立っている。異なる世界に生きる二人。それでも、二人はお互いへの想いを強くするのだった <Tomber dans ses yeux>。

<Tomber dans ses yeux>
(二度と消せない)
(和訳:彼(女)の瞳に落ちて) 
"突然、あなたを一目見るためだけに
自らの身を賭して生きたいと思う
彼(女)の瞳に落ちるために
この燃え上がる欲望に身を委ねるために
彼(女)の瞳の中で踊るために
この恍惚の調べに揺さぶられたい"

*** 二人がどんな危機に陥っても(au bord du vide)この恋に身を委ねたいという想いを新たにするバラード。おそらく二人の駆け落ちを意識したと思われる旅行鞄を持ったダンサーたちが幻想的なダンスを踊る演出が印象的です。そして、二人を隔てる壁。実際に舞台を見ていて、想いは同じなのに、二人は別々の世界で生きているということが強く感じられました(実は、私、パリの劇場で見た時、かなり右側に座っていたので、実際にロナン役の人が見えない状態でした。そういうわけで「届かない想い」みたいなものがある意味強く感じられたかも。。。)。

この曲は、このミュージカルの中での最大のラブソングだと思いますが、この曲もすごく爽やかに歌っている割には、、、やっぱり欲望(désir)に身を委ねたい、とかちょっとフランスっぽい笑。純愛、とかフランスではきっとあり得ないんだろうなあ(笑)。でもタイトルの「彼(女)の瞳に落ちて (Tomber dans ses yeux)」というのは、すごくきれいな音だなあと思います。映像はリハの場面も入れ込んだプロモ映像。こんな感じで作っていったのねーというのがよくわかる映像なので、入れてみました。***

− 革命家たち、そして市民たちが革命への想いを胸に集合している。
バスティーユ監獄襲撃への時が刻々と迫っていた…。

今回は、力尽きたので、ここまでです。
たぶん、次回でフィナーレを迎えられると思います!
フィナーレはこちら


2015年3月23日月曜日

祝!宝塚上演: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜あらすじ③〜 

 いつものことですが、、、気づいたら、駅に1789のポスターが。そして、ヅカファンの先輩から、制作発表が 行われたよ、と連絡が(笑)。


一番びっくりだったのは、オランプの曲をアントワネットが歌ってたことですが。。。まあ、確かにこちらも許されぬ恋だったことにこの映像を見て、そういえばそうだった!と気づきました笑。
サイラ・モナムールはフランス語そのままだったんですね。オリジナルは愛し合う恋人たちよ、さあ、禁じられた愛を声高に叫ぼう!みたいな曲(爆)ですが、宝塚版はどっちかっていうと、ロナンがもうお前を離さない!みたいな感じの曲になってるような印象が。いずれにしても全貌が明らかになるのが楽しみです^^

というわけで、第二幕のあらすじです。
第一幕についてはこちら→その1その2

★カバーしている曲: A quoi tu danses ?(誰の為に踊らされているのか?) / Je suis un Dieu(私は神だ) /Le cauchemar / Je veux le monde(世界を我らに) / Ca ira mon amour(サ・イラ・モナムール)★

第二幕は、実は第一幕の最後のシーン(パレ・ロワイヤルに革命家たちが集結し、革命への誓いを歌うシーン)のrepriseから始まります。↓Acte 1とActe 2をつなげてくれてた人がいた笑。インターミッションの間は、幕に映像で、革命家や市民たちが決起する瞬間の絵が映し出されおり、2幕になるとその絵がフェードアウトして、革命家たちが現れます。こういう演出うまいなあと思いました。すごいナチュラルに1789年の世界に観客は入り込むことができます。



1789年6月20日。La Salle de Menus Plaisirs が創設され、新たな国民議会の議員たちの出入りを禁じた。こうして、貴族と国民の対立は決定的なものとなった。

ミラボーが他の革命家に王が集会の自由の権利を剥奪したことを告げる。我々は、国民の代表として何人もそのようなことを命じる権利はない!と息巻くミラボー。

そして、革命家たちはヴェルサイユ宮殿の球戯場を占拠し、憲法制定まで解散しないことを誓い合い、王権に対し公然と反対意思を表明する(←Wikiの「球戯場(テニスコート)の誓い」より。)。<A Quoi Tu Danses ?>。それに対し王は、国民の権利を保証するのは自分である、と宣言し、これまでの身分制を正当化し、去っていく。顔を見合わせ、王の一方的な宣言に憤る民衆ら。国民議会は断じてこの王の命令を受け入れられないと気勢を上げる。国民議会こそ、国民の意志を結集した場であり、軍隊の力などには屈せず、断固この場(球戯場)を離れないと堅く誓うのだった。

<A quoi tu danses ?>
(誰の為に踊らされているのか?)
(和訳:何のために踊るのか?)

"考えるんだ
踊るとき君の脳はシェイクされ
もはや何のために踊っているかわからなくなるから
金持ちたちは君が費やした時間など
気にかけてやしない
そしてもはや何のために踊っているかわからなくなる"

(tuなので君としていますが、私と君の君というよりは
英語の一般論としてのyouのような意味に近いので我々と
考えてもよいと思います。)

***球戯場の誓いを現代風にするとこんな感じ?みたいな曲です(笑)。国民や第三身分の議員たちの怒りをタップダンスで表現するという斬新かつ面白い演出です。ここで、なぜこんなモダンなダンスのシーンが挟まれるのかは結構謎ですが、歌詞を見る限りだと、王や貴族らは我々を虐げ我々の意見など聞く耳を持たないのだ→だからとりあえず踊って全てを忘れてトランス状態になろうといった展開のように思います。。。なんかすごい飛躍というか斬新な解釈(笑)。この映像はたぶん、Saison 2の最終公演のもののようで、前方でファンの子達がタップダンスを一緒に踊って盛り上がっています。こういうところがフランスっぽいというか若い子のファンが多いミュージカルっぽさが出てるかなあと思います。***


-教会。
オランプが一人祈りを捧げている。そこにラマーが現れ、執拗に オランプを追いかける。オランプはラマーに噛み付きその場を逃げようとするが、気づくと周りには、様々な動物たちが現れ、オランプをじりじりと追い詰めるのだった。

<Je suis un Dieu /Le cauchemar>
(私は神だ)
(和訳:私は神だ/悪夢)

"私は神なのだ
人間どもの中のアポロンなのだ
(*Wikiによれば理想の青年像(笑)だそうです。
要するにそこいらの凡人どもとは違うのだという意味だと思います。)
私を称えたまえ
天国へと続く
究極へ向かう道に歩みに来たまえ"

***はい、夢落ちです(爆)。DVDを見るまで実はこのシーン全く持って意味不明でした笑。ある意味サイドラインっぽい話の部分なのですが、夢ということもあってか演出はかなり凝っていました。火が出るシーンはほんとにメラメラしてる感じで迫力がありました。Je suis un Dieuの歌の内容は、まさに「俺さま」ソング。これからのことを考えればロナンなんぞ選ばずこんなに素晴らしい俺さまについてくるべきだ!と半ば脅迫してオランプを落とそうとするラブ?ソングといった感じだと思います笑。このシーンは唯一ラマー役の人が歌うシーンなのですが、まさにかよわき乙女を手篭めにしようとする悪い男、といった感じです笑。が、このシーンもラマーの空威張りみたいなものは健在でやはりコミカルな感じではあります。***

はっと目が覚めるオランプ。「どうしたんだ?」と駆け寄るロナン。オランプはさきほどまで見ていた悪夢の話をする。ロナンは、俺は世界で一番幸せな男だ、君のことを愛しているから、誰も俺たちをもう引き離すことはできない、とオランプを抱き寄せ熱い抱擁を二人は交わす。だが、オランプはまだ悪夢の恐怖をひきずっており、夢の中でロナンが殺されてしまった、といってまだ怯えている。

だが、ロナンは、そんなオランプをよそに、来るべき自由な世界で僕たちは幸せな生活を送るのだと熱っぽく輝かしい未来についてオランプに語って聞かせる。熱が入りすぎたロナンは、つい、王家や貴族たちの時代は終わって、君は自由になるんだ!ヴェルサイユも女王もみんな終わりさ!と口を滑らしてしまう。

凍りつくような表情になるオランプ。オランプは、自分はロナンの復讐の道具に過ぎなかったのか、と憤る。そして、自分は忠誠を誓う人たちを見捨てたりはしない、とその場を立ち去ろうとする。ロナンはオランプを引きとめようとするが、オランプは、自分は彼ら(王家)のものであり、自分は神を信じており、神だけが正義を果たすことができるのだとロナンに言う。そして、平民たちの復讐の憎悪が制御不能になる日がくるのではないかと恐れていることを告白する。また、ロナンは憎しみの塊で、そんなロナンも自分に恐怖を抱かせる、だから近寄らないで、と言い放つ。それに対し、彼らに人生を台無しにされ、家族も殺され、憎しみを持つのは当然ではないか、と反論するロナン。こうして2人は別れ別れになってしまうのだった。

− 街の通り。
平民の女性たちが斧などの武器を手に街を足早に移動している。
「パン屋がみんな閉まっている。店を開けさせるのよ!」と息巻く女性達。
女性たちのリーダーを務めるのは、ロナンの妹のソレンヌであった。パン屋の前にたどり着いた女性たちは「子供達にパンを!」と叫びパン屋を開けるよう要求する。<Je veux le monde>。

<Je veux le monde>
(世界を我らに)
(和訳:私は世界が欲しいの)

"私は世界が欲しいの
市民の涙の中で
女こそが世界を動かすの(主導権があるの)
世界を夢見ましょう
そして反乱を起こすのよ
もう私たちを恐れさせるものは何もない
私たちは苦しみや痛みを知っている
だから私たちは世界が欲しいの"

***おそらくヴェルサイユ行進の女性達の行進を下敷きにしたシーンだと思うのですが(実際にプロモの撮影はベルサイユ宮殿で行われています。)、パンを買えない女性達のプッツン感がなんとも言えず怖い+勇ましい(笑)。このシーンは数人を除いてほとんど女性ダンサーだけでダンスが構成されています。歌詞も、私たちにこそ主導権があるのよ、というあたりや冒頭の男たちは権力に懐柔されたけれど、私たち女はそんなことで懐柔されたりはしないんだから!といった部分には、フェミニストの観点が全面に押し出されています。こういう感じもやはりフランスっぽいかなあと思います。にしてもやはり女は強し!笑。***

− ベルサイユ宮殿。
宮殿の外では、飢えた市民たちが食糧を求めて押し寄せ、宮殿内にもその叫び声が聞こえている。アントワネットはそんな周囲の状況に大きく動揺している。

ルイ16世は、そろそろよい時期だから、とアントワネットが浪費とフェルゼンとの密会で頭の中がいっぱいだっただろう、とアントワネットを問いただす。アントワネットは、必死で否定するが、ルイ16世は全てを知っていたのだった。確かに良い夫ではなかったかもしれないが、この大変な時期を乗り切るため君のサポートそして尊厳を保つことが必要だとアントワネットに説く。そんな要求は私に対する侮辱だ、と憤るアントワネットは部屋を後にする。

そこにラザールがやってくる。ラザールは、民衆が手に負えない状況になっているとルイ16世に報告する。アルトワ伯とラザールは軍隊の介入、反乱の鎮圧を進言するが、宰相ネッケルはこれに反対する。悩んだ末、ルイ16世は軍隊を出動させる決意をする。ほくそ笑むアルトワ伯。反発した宰相ネッケルは王に辞職願を手渡す。ルイ16世はそれを受諾する。

− パレロワイヤル。
パレロワイヤルはいつものように市民たちの活気にあふれていた。そこに、デムーランが現れ、カフェの机に立ち上がり、観衆を前に演説を始める。デムーランはネッケルの辞任を民衆に伝え、民衆に「武器を取れ!」と呼びかける。<Ca ira mon amour>。

<Ca ira mon amour>
(サ・イラ・モナムール)
(和訳:大丈夫さ(すべてうまくいく)、愛する人よ)

"うまくいくさ、愛する人よ
いつまでも大丈夫さ
さあ、恋人たちよ
声高に禁じられた誓いを叫ぼう
うまくいくさ、愛する人よ
太鼓(*軍隊のドラムのことを言ってるのかな
という気がします)のことは忘れて
すべての壁に「自由」と書くことを私は誓う、愛する人よ"


***えっと、、、はい、これはデムーランの有名な「武器を取れ」の演説の場面(演説の経緯:日本語→こちら、仏語→こちら)なわけですが、、、あら、どうしてこんな歌になっちゃったのかしら?と最初自分は思いました。これ、ただのフレンチお色気ラブソングじゃないの(爆)。

が、今考えてみると、おそらく、武力なんかより愛のほうがはるかに強いのだ、ということをフレンチ流に(笑)表現したらこうなったということのような気がします(うん、でもかなり拡大解釈(爆))。あとちゃんと「自由」も入ってるし。緑は本当に当初は革命のシンボルカラーだったようですが、反革命派の色と被っていたため、その後トリコロールに変わっていったようです。というわけでダンサーもおそらく「自由」「希望」をイメージしてグリーンの衣装を着ています。

そして、デムーランがジャーナリストということで、ペンを取り走り書くシーンも登場します。武器ではなくペンでこれからの時代を切り開いていく、という解釈にもとれるかもしれません。また、この曲で何度も出てくるCa ira(サイラ)ですがAh! Ca iraという有名な革命歌があり、その曲を念頭にしているようです。こういう部分もフランス人ならぱっとわかるけれど、何も知らない日本人からすれば結構謎ポイント。。。

この歌、劇中にももちろん登場するんですが、カーテンコールのPour la peineの後に少なくとも私が行った回では歌われてました。そして、みんな観客も含めてノリノリでした(笑)。1789で一番有名な曲といえばやはりこの曲になると思うのですが、、、この歌の歌詞って私からすると軽くポルノ(爆)。が、こういうのをティーンエージャーはまだしも小学生くらいの子が楽しそうに歌っているわけです、、、。これは、やっぱり日本人からすると、ちとカルチャーショック。まあ、小学生だったら、歌詞の意味すらわかってない可能性も高いですけど。。。しかし、これは驚いた^^;

とっても楽しそう(笑)。
私が公演を見に行ったときのカーテンコールは
こんな感じでした。

この曲はミュージカルが始まる前(たぶん1年位前(!))に最初にシングルカットされた曲なので、おそらくこの曲のアイディアがどんどん他の曲に広がっていったのかなあという気がします。キャッチーだったということももちろんあるとは思いますが。***


とりあえず、2幕のパート1はここで終わりにします。
あらすじ④はこちらです。