2015年12月20日日曜日

"Ma place est dans la salle(私の席は劇場にある)" パリで劇場への客足を取り戻そうというキャンペーンが実施

昨日、Twitterを眺めていたら、このようなものを発見した。



カラフルな無数の舞台ポスターの中心に"Ma place est dans la salle(私の席は劇場にある)"の文字が。よく見ると、周りの小さなポスターは、どれも演目のタイトルの部分が、"Ma place est dans la salle"となっているのがわかる。

実はこれ、先月のテロ事件で減ってしまった劇場への客足を取り戻そう、というキャンペーン。12/18に劇場にみなさん来ましょう、と舞台関係者たちが人々に呼びかけを行っている。SNSでも"#maplaceestdanslasalle"という言葉やハッシュタグがいたるところで流れている。

↓このキャンペーンホームページもある。
http://www.maplaceestdanslasalle.com

アーサー王も。


Resisteも。


キャッツも。


この記事によると、テロ以降、やはり客足はかなり落ち込んでしまったということだ。特に、12月のクリスマスシーズンは、劇場の客足が一番伸びる時期だそうなので、事態は深刻そう。。。学校の校外学習の一環での観劇等がキャンセルになったり(テロ後そういった催しが一時禁止されていたらしい。)、子ども、若者の客足が落ちている、という。テロの実行犯はそういうことまでを見越してあの時期にテロを起こしたのだと思うと本当にゾッとする。

しかし、その反面、やっぱりフランスだなと思うのは、芸術、文化が「レジスタンス」であるということ。テロが劇場で起きたから劇場にもう足を運ばないというのは、却ってテロリストの思うツボ、今だからこそ、私たちは劇場に行き、舞台を楽しむことが重要なのだ、という反骨精神が至る所で見られる。日本だったらまずこういう発想は生まれないよな、、、と思ってしまった。

もちろん、テロ後、セキュリティー等の機器が導入されたり、そういった面が強化されるという変化はあるみたいだけれども、フランスが誇る舞台文化はテロには屈しないのだ、という誇りそして気合がこのキャンペーンにも感じられる気がする。

劇場以外でも、テロ後すぐJe suis en terrasse(私はテラスにいます)というスローガンと共にテラスで食事をする写真がアップされるのをよく見かけた。こういう文化的な「日常」を守る静かなる(いや、むしろうるさい?(笑))抵抗こそ実はすごく大きな意味を持つのではないのかと思った。

さきほどあげた記事の中の映像インタビューで、"Ma place est dans la salle"のキャンペーンのアイディアというのは、"de rassurer le public et dédramatiser la situation(観客を安心させ、現状を深刻なものとはとらえないこと(drameは悲劇という意味もあるので、悲劇的に考えない、あるいは、もう以前の日常は取り戻せないと悲観視する必要はない、という意味だと思う。)と述べられていて、パリの「日常」の日を絶やしてはならないという思いがここからも伝わってくる。

これから、パリの舞台文化はどうなっていくのだろう、とちょっと不安と希望とが入り混じった気持ちでこのキャンペーンのポスターを眺めてしまった。

↓#maplaceestdanslasalleのハッシュタグ。本当にいろいろな場所でこのスローガンが使われている。今こそ、団結を!との呼びかけ。





2015年12月13日日曜日

フレンチ・ミュージカルも国際化? 英語字幕付きで見られます!

仏ミューが英語字幕付きで見れる!そんな時代がやってきたようです。

Theatre in Paris.com - Experience French theatre plays with English surtitles
(シアター・イン・パリドットコム − 英語字幕でフランスの舞台劇を鑑賞しよう)
http://www.theatreinparis.com




というわけで、フランスの舞台を英語の字幕(surとなってるのは、舞台の「上」に出るから、だとか(解説)。subtitleの間違いかと思ったよ。。。)で見ることができるサービスができたようです。そんなに演目数はないようだけれど、ミュージカルだけでなく、ストレートプレイも観れるみたい。

英語でGuardian紙の記事にもなっているようです。
http://www.theguardian.com/travel/2015/dec/12/paris-theatre-augmented-reality-glasses-translation?CMP=share_btn_tw

例えば、現在パリのLe Comediaで上演中の1920年代のレビューの女王「ミスタンゲット」を描くMistinguett, reine des années folles

こんな感じで英語で舞台内容がわかる↓。

https://www.facebook.com/MistinguettOfficiel/photos/a.618426774878091.1073741828.617086191678816/937459279641504/?type=3&theater

この不思議メガネが一番気になりますが。。。↓のサイトでこの英語字幕サービスを申し込むことができるそうです。実際にこのサービスを利用した方によるとこのメガネは実は必要なかった疑惑(普通に字幕はFB写真のように舞台の上に流れていたらしい。)、、、だったそうですが笑。

→追記:上記の英語記事を読んだところ、 この不思議メガネは右側のレンズに字幕が映るメガネなそうなので、メガネ越しにはなるものの、舞台を見ながら字幕を追えるというメリットがあるそうです。確かに、日本で字幕付きの舞台を見ると字幕と舞台とで行ったり来たりするのが億劫で結局字幕放棄することも珍しくない笑。一時期話題になってたGoogleグラスよりもスクリーンが大きくバッテリーのもちがいいそうです。

http://www.theatreinparis.com/mistinguett.html

このサイトで申し込むと、
  • 字幕が見易い席にご案内(前すぎると却って見えないからね。。。)
  • 英語のプログラムをゲット
  • 観劇前に英語ができるスタッフによる舞台、会場の解説(この会場自体がとっても歴史ある建物で、ミスタンゲットも公演をしたことがある施設だから?)
  • ハイテク眼鏡でそれぞれ個人個人字幕を楽しめるシステムを試せる
といった特典がつくそうです。
したがって、舞台が始まる30分前には劇場に着いてる必要があるようです。

で、、、実際に行った方によると、これ、本当にこんな感じで超至れり尽せりな対応だったそうです。あのアンチ・イングリッシュなフランスで(英語が全然通じないというわけではないとはいえ、やっぱり仏語優位は圧倒的。。。)!しかも、non French speakersの観客もこのサービスのお陰か、結構いたそうな。

私は去年この劇をパリまで観に行ったのですが、、、自分とは大違い笑。
いやー、こんなサービスが導入されるとは夢にも思わなかったなあ。

というのも、、、実際にフランスでミュージカルをご覧になるとわかると思うのですが、観光客も多く観に行くオペラやバレエと違って、フランスにおいてミュージカルというのは、ほぼ完全に地元の人(特に家族や若者向け)向けの超ドメスティックなエンターテイメントなのです。。。したがって、外国人を観客とする発想がそもそもない。。。この点は、観光客の割合も多いブロードウェーやウェストエンドとはだいぶ違うと思います。

外国人を見かけることはほとんどないですし、仏語をわからんのに、なんでおるねん?ぐらいのプレッシャーを自分は感じました(ちょっと自意識過剰だったかもしれませんが。。。)。。。アジア系だとそれだけでかなり浮きまくります。

したがって、フランス語がわからない人にとっては非常に敷居が高いエンタメではないかなあと個人的には思っていました。エフェクトとかもちろん言葉がわからなくても面白いと思えるところはたくさんあるけれど、それでもやっぱり物語の詳細がわからないのは観ている側としては結構歯がゆい。自分も1789のときは、結局物語の全貌がわかったのは、DVDを真面目に解読してからでした。そして、えー!そうだったの??と驚くことたくさん。。。

そんな中でこんなサービス提供の開始のアナウンス。え?仏ミューもついに国際化、そして観光産業の一つとしての位置付けになったのかなあ?とちょっとびっくり。

でも、フランスのミュージカルって英語圏のものにはない良さがあると自分は思っているので、その良さを本格的にフランス側が世界にアピールしようと思って腰を上げてくれたというのなら結構うれしい気がします(そうそう、宝石は眠らせてはいかんよ!)。

そして、このサービス、フランス語がわからない or 聞き取りは難しい、でも英語がわかるというお客さんにとってはとってもうれしいサービスなのではないのでしょうか。舞台は、映画などの映像媒体と違って台本があるとはいえタイミングとかも微妙に毎回違ったり、調整がいろいろ大変そうですが、非仏語話者にとっては、大きな助けになりそうです。字幕はフランス語という言葉の響きの美しさ(これは仏ミューの醍醐味の大きな要素の一つだと個人的には思っている。)を残しながら、フランス語が十分に聞き取れない人にも理解できる手助けをしてくれるという意味でも本当に画期的なサービスだと思います。

ミスタンゲットはセリフが多く、結構早口だったので、仏語中級の自分にとっては、理解するのはかなーり厳しい舞台だったので、このサービス当時利用できたらいろいろわかったろうになあと思います。。。

もちろん、原語をちゃんと理解できるようになるのが一番ではあるけれど、そこまでたどり着くのは至難の技。そして、より多くの人にフレンチミューの世界の門戸が広がるというのは、すばらしいことだと思います。

今後サービスが広がることに期待。


2015年12月12日土曜日

2016年アルベール・コーエンさん 新作フレンチ・ミュージカル「赤と黒(Le Rouge et le Noir)」

十戒、太陽王、ロックオペラ・モーツァルト、1789 バスティーユの恋人たち等のプロデューサーであるアルベール・コーエンさんの2016年の新作のキャスティングが発表されました。

現在、パリの劇場Commediaで上演中の「Mistinguett, reine des années folles」をソロプロデュース中のアルベールさんですが、今回もソロプロデュースのよう。

題材はあのスタンダールの「赤と黒



フランス小説を舞台化ということで、とってもフランスっらしい舞台になりそう。キャスティング告知用のポスター(めちゃくちゃかっこいい!)にはNew Barock Opéraとあるので、ミュージカルといってもアチアさんと組んでいた頃のポップよりなものよりもクラシカルな歌い方に近いものになるのかな(そもそもミュージカルなんだろうか??)。。。

ミスタンゲットも、20'sの音楽をモダンにアレンジした歌を使っていたりしていて、若者がノリノリで楽しめる曲というよりは、大人が楽しめる舞台という趣向が強かったので、こちらもどちらかというと対象は大人向けの舞台になるのではないかと予想。ミスタンゲットもセリフ多めの舞台だったので、物語の内容的にもお芝居が結構出てくる舞台になるような気もします。

男女の愛憎劇。まさにフレンチが得意とする世界。

楽しみです。

2015年12月5日土曜日

1789 バスティーユの恋人たち 東宝版キャスト発表!

1789 バスティーユの恋人たち、ついに東宝版のキャストが発表になりました!

キャストや小池先生の談話

サイラモナムールの歌唱も披露。
東宝版でも書き下ろし曲があるとか。楽しみ。

上記のインタビューやこちらの記事でも出てきますが、小池先生がこのミュージカルと現代、そしてこれからの未来とのつながりを説明されているところが非常に興味深かったです。

もちろん、数週間前に起こったパリのテロがあったからこそ、ということもあるのだと思いますが、革命家、王家、普通の市井の人々、すべての人の物語であり、それが「人権宣言」に集約され、すべてはそこから始まる。そして、観客は、革命のその先に見えるものは?と問いかけられる…。それはもちろん、希望ではあるけれども、同時に大きな犠牲が伴う− これは、自分も舞台を見ながら感じたことだったので、非常に共感しました。



 現代にも決して無関係ではないテーマを取り上げているのもこのミュージカルの魅力。
オリジナルでオランプ役を務めていたカミーユ・ルーもテロ発生時、1789のPour la Peineの一節を取り上げていました。
ひょっとするとオリジナルより小池先生の方が、このミューの言わんとするところをきちんと捉えているような気がする笑。オリジナルは、この辺の「想い」を物語の流れとしてうまく表現しきれていないところもあるので、宝塚版に引き続き、そういった日本版の物語の緻密さは期待が持てます。同時に宝塚版ではいろいろ削られてしまったフレンチ的要素(ロナンの最期、女たちの描き方)がちゃんと描かれることを望みます。

しっかし笑ってしまったのが、フランスが描くフランス革命ということでもっとシビアなものかと思ってたら、ポップでノリのいい恋愛、青春ものだった、というくだり(爆)。小池先生、正直すぎます笑。でも、私も思った以上にエンタメ度が高いことには驚きました。でも、だからこそ、若い子たちも楽しんで革命を学ぶことができるし、そういった意味で親しみやすい作品なのではないかなと思います。

世界がより混沌とする中、また、この東宝版を見て、「人権」とは、市民の力とは?そういったことをまた改めて考えていきたいなと思います。

さて、配役を見ていると、宝塚版と同様、ロナン&オランプとアントワネット&フェルゼンのカップルが主軸になるというところは変わらないのかな、と思います。

小池くんのロナンってどうなんだろう、、、と思ってたのですが、予想以上にぴったり。童顔な感じが、名だたる革命家の中で孤軍奮闘し、時に抗う「若き農民革命家ロナン」を彷彿とさせます。個人的に、Rêve du paysan !(どうせ、農民の夢だよ!)とデムーランに怒りをぶつけるシーンが結構好きなのですが、そのシーンを演じている小池くんを妄想してしまいました笑。期待。

そして、衣装ですが、、、すごくアース・カラーに近い色になった気が(笑)。特にロナンや革命家たちの衣装。宝塚版では、オータムカラーへシフトして、渋い色合いになったなあと思ったのですが、それがさらに加速(笑)。私は、オリジナルの鮮やかな衣装がフランスっぽくて結構好きなのですが、農民の役なので、こちらの方がリアル感があるといえばあるかなという気がします。いずれにせよ渋カッコいい素敵な衣装だなと思います。

逆にオランプはオリジナルよりちょっと豪華&派手な感じ?オリジナルなちょっと地味目な真面目ガールな感じは残しつつも、衣装がより重厚感がある豪華な仕上がりな気がします。

アントワネットは、お二人とも宝塚ご出身の方ということで、おー、ぴったり。そして豪華だ!笑。宝塚版のときもそうでしたが、日本版はオリジナルの人よりもだいぶ、ベテランの方が演じるので、すごく気品溢れた大人の色香が広がるアントワネットだなと思います。

そして、宝塚版で異彩を放っていたアルトワ伯!!!宝塚版、お耽美系をきちんと踏襲し、セクスィーな魅力がすでに溢れ出ていますw 日本版で独自の進化を遂げたキャラ、東宝版でも必見です!

いやはや、来年の春が待ち遠しいです。


2015年11月27日金曜日

フランス版 三銃士 Les 3 Mousquetaires 2nd single "Un jour(いつか)" がリリース 〜パリテロ事件に寄せて〜 

久しぶりの更新ですが、、、。

少し時間は経ちましたが、、、パリでまた悲しい事件が起きました。
やはり一番衝撃的だったのは、劇場がターゲットとされていたこと。
去年の今頃、私はまさにパリの劇場で、何度も劇場に足を運んで観劇を楽しんでいたので、ひょっとしたら自分も巻き込まれたかもしれないと思うと本当にゾッとしました。

今回のテロは観光地ではなく、パリの地元の方が楽しく集う劇場、カフェ、スタジアムがターゲットになり、何の罪もない、人生をただただ楽しもうとしていた人たちが犠牲になりました。そういう意味で、当たり前の「日常」「幸せ」がターゲットになったと言えるのではないかという気がします。後日、テロの数十分前に撮影された楽しそうな観客の方たちの写真を見て、余計に心が痛みました(ここに写っている何人かの人は犠牲になったのかもしれないと考えただけで悲しすぎます。)。

1月のテロのとき、私の頭の中を駆け巡ったのは、1789の曲たちでした。
人間の命の重さ、そして儚さ。
今回の事件でも、人の命がこんなにも簡単に奪われてしまうことにやるせなさを感じずにはいられませんでした。

そんな中、来年9月から公演が予定されている「三銃士」から2nd シングルがリリースされました。

タイトルは"Un jour(いつか)"。

https://youtu.be/DrMslzbNvqI
スタジオバージョン
剣術の練習風景等メイキング映像も入っています。

https://youtu.be/vhqIUxiCs3M
オフィシャル・ビデオ
ダルタニアン、アトス、ポルトスと離れ離れになってしまう
アラミス。大自然の中でダミアンが歌います。
そして、蘇る楽しい仲間のとの思い出。。。
素敵なクリップです。

歌うのはアラミス役のダミアン・サルグ。

しっとりとしたバラードですが、実はこの歌、失った友への想いを歌った静かな感動を感じる楽曲です。

こちらのオフィシャルHPの解説によれば、アラミスが悪役リシュリューとミレディに捕えられたとき、ダルタニアン、ポルトス、アトスに自分がいなくとも女王の飾り紐を取り戻すためのミッションを続けるよう説得するといったシーンで使用される楽曲のようです。まさに、l'amitié, la fraternité et la solidarité(友情、兄弟愛、団結)といったデュマの作品の大切な価値を歌った歌、とのことです。

この曲自体は、プレスコンフェレンスでも披露されていましたし、テロ事件の前にもティーザーなどがリリースされていたのですが、歌詞がまさに多くの命が無残にも奪われた今こそ、訴えかけるものがある曲になっていると思います。

今回のテロ事件で多くの命が一瞬にして失われたことと同時に、非常に心が痛んだのは、突然愛する者を失った方々の悲しみだったと思います。

#rechercheParisというハッシュタグと共に愛する人を必死で探そうとする夥しい量のTwitter、そして、誰々が亡くなったことが確認されました、という投稿。

最愛の妻を失った男性が、Facebookで「Vous n’aurez pas ma haine(あなたがたは私に憎しみを抱かせることはできない)(原文日本語)」と題する投稿を行ったことも話題になりました。

もちろん、遺族の悲しみは想像を絶するものだとは思いますが、この歌は、その悲しみに、寄り添い、その心に静かに染み入るような、そんな楽曲のような気が私にはしました。

残された者の気持ちが静かなメロディーとシンプルな歌詞で綴られていて、実に泣けます。


多少、意訳も入ってしまいますが、仏語歌詞の内容を少し書いていきたいと思います。

"愛する者が
突然消え去ってしまうとき
彼らはどこに行くのだろう

僕たちを見捨てる人
君たちを傷つける人が
僕たちから遠く離れた場所に
去って行くとき

彼らは僕らの中にある
僕らの思い出の手の届くところに

余計な一言ではなく
必要な行動を
最後のときのために
思い出を留めておくために

いつか、すべての希望が果たされ
過去が再び命を取り戻せますように
今というときと、ここにいない者たちが一緒になれますように
いつか、眠りにつき、最悪のことをもう考えずにすむことを
素晴らしく思える日が来るだろう
僕らは思い出の中でも生きている

残された者はどうすればいいのだろう
痛みがどんなものよりも強いとき
残されたことに罪の意識を感じるとき
(それでも)最後まで生きなければならないとき
誰しも忘れ去られ、終わることはない
もし誰かがまだここで待っているのなら

友がまだ今も恋しい
彼(女)が戻って来ることをいつも思っている"

今回のテロ事件に限らず、愛する人を突然失うという経験を持つ方は他にもたくさんいるのではないかと思います。

「残された者」の責任、愛する者を失った後も続く人生を生きていかなければいけない辛さ。

その中で出てくる「思い出」。
その人は戻ってこない、それでも思い出の中では再びその人の存在を確かに感じることができる。

「残された者」だからこその苦しみ、絶望の中に、思い出は一筋の希望を与えてくれる、そんな気がしました。

最後のそれでも、まだきみのことを恋しく思っている、という正直な告白にグッときてしまいました(これを書きながらウルウルしてる自分。。。)

ときどき思うのですが、本当にミュージカルの曲ってその時代を映しているというか、「鏡」のような存在なんだなと思います。


2015年11月24日火曜日

Mozart, l'opéra rock、韓国でオリジナル版をやるらしい。

びっくり。アチア・コーエンさんプロデュースの作品は、仏語オリジナルの海外公演はないだろうと思っていたら、なんと、来年3月、Mozart, l'opéra rockの来韓公演が決まったらしい(google翻訳による(爆))。。。場所もまた、あの懐かしのセジョン・センターとのことなので、結構力を入れて公演をやるってことなのかしら。

しかし、タイトルがなぜかAmadeus...。 でもLe Spectacle Misicalとなってるし、下の方にはちゃんと、Mozart l'opéra rockと書いてある。Google翻訳を見る限りでは、やはり仏版のことを言ってるようで。。。ドイツ語版と混乱するじゃんね。。。ドイツ語版がMozart!だからMozartと入れるとそちらと勘違いされると思ったんだろうか。

http://www.playdb.co.kr/magazine/magazine_temp_view.asp?kindno=2&no=87152&page=1&sReqList=

ただ、やるんだったら、誰がやるんだろう?というのは仏ミューファンとしては一番気になるところ。。。

少なくともサリエリ役のフロラン・モットは、現在パリで絶賛アーサー王に出演中&3月もツアー中だったと思うので、おそらく今回の来韓ツアーメンバーは新たに編成されるのではないかと思うのですが。たぶん、みんなミケランジェロとフロランのイメージが強いというか、あれは2人あってのミューだったようなところもあると思うので、ニューメンバーとなると、演じる人たちはなかなか大変かなと思います。

でも、本国では3D上映会とか、オリジナル公演の輸出はやる気ないんだろうなあとちと悲しく思ってたので、自分には嬉しい驚きでした。そろそろノートルダムとロミジュリ(あと十戒もか)だけじゃダメかなあと本国も思い始めた?のかしら?
それとも、韓国側から熱烈オファーがあったのかなあ?

行けたら行ってみたいのですが、、、ただ最近予定が割と謎いので、どうなることやら。。。

2015年9月19日土曜日

フランス版 アーサー王(La légende du roi Arthur)ついに 開幕!

さて先日9/17についにフランス版アーサー王のミュージカルがプレミア(初日)を迎えました!!!

プレミアのカーテンコールの様子がこちら↓。みんな楽しそうですね〜
そして、仏ミュー恒例のカメラを片手に押し寄せるファンたち^^ 熱狂が伝わる笑。


気になりすぎて、早速いろいろググってしまった。。。

結果。。。想像以上にすごいかもしれない。。。

こちら↓リハーサルの写真ですが、ちょっとセットの様子もわかるかな。。。
http://www.ptitblog.net/theatre/la-legende-du-roi-arthur-les-coulisses-du-spectacle-avant-la-premiere_art12820.html

たぶん、3Dプロジェクション・マッピング等を駆使してるんだと思いますが、映像でもすごい迫力。そして、仏ミューが誇るダンサーも、アクロバティックですごい!セットも衣装もすごく豪華な気が。

リハの映像ですが、ダンサーと映像、セットの
融合がすごい。

きっとライブだと相当凄いんじゃないかな。。。



いろいろな場面が
少しずつ映像が入っています。

観客の反応は正確なところはわかりませんが、いろんな人の感想を読んだ限りでは全体としては、結構良いように思いました(プレビューではないけれど、観客もプレミアや最初の頃の公演はそういう位置づけで見ているので、確かに直したほうがいいと思うところはあるけれど、また見にくるよ、という暖かいメッセージを寄せている方も多かったように思います。)。あと、CDを聞いたときは、普通すぎて全然いいと思わなかったけど、舞台版はとても良かった、という意見も結構見かけました。

やっぱり舞台は舞台となって初めて成立するものなんだな、、、と改めて思いました。豪華なセットや衣装、ダンサーたちの華麗な舞等の効果はもちろんあると思いますが、歌手たちもプロモやリハ等を経て、歌いこんでいるので、その辺の成長もあるのかなあという気もします。

ただ、やはり、アーサー王、グィネヴィア、ランスロット、マリアガンスの愛のトライアングルじゃなくてスクエア(笑)に話が集中しすぎて、聖杯を探す旅のほうがほとんど描かれていなかったのが残念だったといった意見をちらほら見かけました。

ストーリーも、舞台用に脚色されている部分もあるのかなという気がします。一番わかりやすいところだと、アーサー王の異父姉であるモーガン・ル・フェイですが、どうやらこのキャラクターはアーサー王伝説のモルゴース(彼女もアーサー王の異父姉。モーガンとは両親が同じ。)とモーガン・ル・フェイを合体させたもののようです。アーサー王の子どもを身籠り云々という話はモルゴースから、魔法を使ってアーサーに復讐といった部分はモーガンから来たものと思われます。あと、今回の舞台ではアーサー王が岩から引き抜いた剣はエクスカリバーということになっているようですが、これも伝説の中では実は違う剣らしい。。。

舞台に乗せる人間の数や時間も限られていたり、よりドラマチックな展開を求めての脚色なのかなあという気がしますが、、、確かにアーサー王の物語が恋愛ストーリーで終わってしまうの??と思う気持ちもわからなくもありません。。。

衣装も、すばらしいと言っていた人が多かったですが、趣味でなかったと言っていた人もいました。グィネヴィアの髪型が。。。と言っている人が確かいたのですが、、、私も中世な感じは出ているけれどもう少しナチュラルでもいいんじゃないかなーと思ったりしました。

私もそこまで嫌いではないですが(だってコスチュームって、目立ってなんぼというか。。。)、若干色味が強いかなあと思ったりはしました。確かに人によっては、ゴテゴテ過ぎてやりすぎ、と思う人もいるかもしれません。

プロモのときは黒を基調にしたどちらかというとみんなが考える「中世」な感じの地味目な衣装だったのですが、本番はかなり色鮮やか。なんでこんなに変更されたのだろうと考えてみたのですが、ひょっとすると、、、ちょっと前にやっていたRobin des Bois(ロビンフッド)と衣装のイメージがちと被る(イギリスものだし、鎧を着て戦い、、、といったところも似ている。)からかなと思ったりしました。

で、どうせ変えるんだったら、時代に囚われず自由にやろう、、、みたいな(笑)。前の記事にも書きましたが、衣装は、中世風でありつつも、「今」を感じさせるアレンジを加えているということで、ちょっとアーティスティックな感じもするものが多い気がします。

ちなみに、プレミア(初日)は、準備が間に合わなかった、とかで、Final(カーテンコール前の出演者登場のシーンのことを言っていた??)が即興だったらしいのですが(と、アチアさんが釈明している映像がありました^^;さすがフランスだわ。。。でも、観客は、アチアさんに暖かい拍手を送っていました。)、その点も含め、毎日日々の舞台でどんどん進化して行っているそうです。

あと、youtubeで映像をみていたところ、どうやらアレンジや歌詞も変更になっている曲もちょろちょろあったり(特にランスロットの曲)、CDに入ってない曲もあったので、ひょっとすると、舞台バージョンとして新たなCDが出されるかもしれません笑。
*わかるかぎりで舞台版とCDとの曲の違い等の情報をこちらにまとめました。

DVD化、これだけ大掛かりな舞台なのでされるような気がするのですが(というかしないのはもったいなさすぎる。。。)、早く見てみたくて仕方ありません。

2015年9月14日月曜日

フランス版 Roméo et Juliette ソウル公演 開幕!

ついにロミジュリのソウル公演が開幕しました。新しい顔もチラホラしていてフレッシュな感じもありますが、Avoir 20 ansとか、超なつかしー。

既に2ndキャストのYoni Amarさん(ロラン神父)とRomain Fructuoso さん(ティボルト)も出演した模様。となると、ロミジュリ公演も今年の初めのノートルダム公演と同様ローテーション公演のようになるのでしょうか??


衣装もちょっと変わった??

2015年9月13日日曜日

フランス版 アーサー王 (La Légende du Roi Arthur) のCD発売!

ついに全曲版(29曲)が発売になりました。
アチアさん作なので、これもいつか日本でやらないかな~

CDは日本のAmazonでも買えますが、何分ワールド音楽なので、在庫が不安定です。

Amazon.jp
amazon.co.jp/dp/B012E018WW

ですが、実は、日本のiTunesでも買えます^^ ↓こちらは当然品切れはないですが、歌詞カードはゲットできません。。。



最終手段のAmzon.fr。日本だとあんまり利用することはないかもしれませんが、一応情報まで。
http://www.amazon.fr/dp/B012E018WW

曲順は、ミュージカルに登場する順番とは違うように思います(最後にエクスカリバーの序曲ってなってるし(笑))

曲調としては、イマドキの踊れるポップ・ロックにケルティックの伝統音楽をフュージョンさせた感じの曲が多いです(アイリッシュ・ミュージック特有の楽器も使われている気がするのですが、舞台では実際にミュージシャンが生演奏するそうなので、あまり普段見かけない楽器を見ることもできるかも。)。

 ノリがよい曲が多いので、自然と口ずさめてしまうものも多いです。そういう意味では目新しさや革新性はない、というか人によってはテーマは違えどこれまでのアチア・コーエン組のミュージカルの焼き直しと言えなくもないかなという気はします。

でも、単なるポップとはちょっと違う曲もありますし、ノリのよい曲は舞台では観客も一体となって楽しめる と思うので、個人的にはそこまでマイナスには思わないかな。

とりあえず歌詞を見てみました。
*9/23追記。youtube上の映像を探して、わかる限りのことを書いてみました(私が実際に見に行ったわけではないのでご留意ください。また、以前は、映像の撮影、)

英語で訳している人がいたので、ご興味があればそちらも。。。
http://french-musicals.livejournal.com/81023.html

英語がわかる人は英語の方が訳しやすいところもあるので場合によってはわかりやすいかも。仏語の意味を理解するのに私も助けてもらいました。

あと、登場人物がいろいろ出てきて自分は混乱したので、図にしてまとめてみました(かなり細かい文字になってしまったので、きちんと見る場合には、クリックして大きくして見てください。)。また、これはあくまでこのミュージカルにおける設定で、一般的なアーサー王伝説とは異なる点にも留意してください(私が読んだあらすじはこちら)。

<舞台に出てくる登場人物>
アーサー王(ロワ・アルチュール)
グィネヴィア(グィネーヴル)… アーサー王の妻。アーサー王とランスロットとの愛の間で悩む。
ランスロット(ランスロ)… 円卓の騎士。グィネヴィアへの愛とアーサー王への忠誠心の間で苦悩する。
モーガン・ル・フェイ(フェ・モルガン)… アーサー王の異父姉。アーサー王を破滅させようと画策する。
マリアガンス(メレアゴン)… 円卓の騎士。全てを手に入れたアーサー王を憎んでいる。グィネヴィアに横恋慕する。
マーリン(メルラン)… 魔術師。
ガウェイン(ゴーヴァン)…  円卓の騎士。
ケイ(ケイ)… アーサー王の養父の息子(義理の兄)。

以上が、舞台に出てくる人(とりあえず確認できたものだけ)のようで、マーリンとガウェイン、ケイは、歌手としてではなく、全部セリフあるいはセリフがメインで登場するようです。
図には舞台に登場するかはわかりませんが、物語に関係がありそうな人も載せてみました(歌詞に登場する人もいます。)。
注:†マークがついている人は、円卓の騎士です。
括弧内はフランス語読み


1. Quelque Chose De Magique(何か魔法のようなもの) - Florent Mothe & Camille Lou(アーサー王&グィネヴィア)

あなたと私の間には
なにか魔法のようなものがある
それはまるで説明できない
磁場のよう
あなたと私の間には
掟をものともしない
肉体的な何かがある
秘伝の魅力が

アーサー王と奥さんのグィネヴィアがお互いに何か強い魔法のようなケミストリーがある、とラブラブに歌う1曲。タイトルそのままです。そして、プロモでもちょっとわかるように、ちょっと男女の誘惑の駆け引きのような要素もある曲です。2人の出会った頃の曲?でしょうか。

→実際の舞台でもやはりこんな感じで2人がラブラブに楽しく歌っていました。

2. Auprès D'un Autre (別の者の傍に)- Florent Mothe(アーサー王)

どうしたら自分自身よりも愛する人に憎しみを感じることができるのだろうか(or 自分自身よりも愛している人にどうしたら憎しみを感じることができようか、という反語とも取れる気がします。)
(....)
神様、いつか私が彼女を赦せるようにしてください 
私が男たり得たのは彼女のおかげなのですから
私は信じたい 
これは私のせいなのだと 
もし今夜 彼女が誰か他の(男)の傍で眠りにつくのなら

これもタイトルが示す通り恐らく、ランスロットの元へと走って行った妻グィネヴィアの不実に気づいたアーサー王がその苦しみを語る男泣き、な曲。男性がこんなにも傷ついた心を曝け出す歌、というのもちょっと珍しい気がしますが、そのvulnerableな感じに私はちょっとキュンとしてしまいました。裏切ったことに怒りを感じてはいても、それでも君を心から憎むことはできない、、、という歌詞も何だか切ないっす。

→ネタバレ、、、ですが、どうやら、この曲舞台の最後の曲のようです。映像を見ている限りだと、アーサー王が、グィネヴィアを刑に処そうとするけれど、最後は彼女を解放し、ランスロットと共に、2人は舞台を去っていき、アーサー王が一人残る、というちょっと切ない幕切れでした。2人の裏切りに怒りを隠しきれないでいるものの、でも許そうとするアーサー王がなんとも言えず哀しかった。。。

3. Wake Up (目覚めよう) - Charlie Boisseau(ランスロット)

アヴァロンの警鐘が鳴る、鳴る
目覚めよう、目覚めよう
夢見ることのない人生なんて何の意味があるというんだ?
目覚めよう、目覚めよう
目を閉じて愛する時がきた
目を閉じて

日本語のポップでは英語とのちゃんぽんは珍しくないですが、仏語だとなぜか新鮮に聞こえる。。。 breezyなポップ。タイトルのWake upですが、、、みんなグィネヴィアを愛するなんてやめておけと言うけれど、僕はそれがどんなに苦しい恋でもあきらめない、さあ僕はこれから目覚めるんだ!!!とグィネヴィア一筋宣言(うわ。。。)。恋から目覚めよう、ということだと思ったら真逆のようでした笑。ここまでストレートすぎると、こちらがどう対応してよいものか困ってしまう(苦笑)ランスロットの歌はどうやらひたすらこういう路線のようです。

→舞台では、アレンジもかなり違いますが、歌詞もどうやらちょっと変わっていたよう。。。しかも、薄気味悪い仮面の男達に囲まれて、なすがままになっているランスロット(まるで悪夢の中にいるかのよう。。。)、という演出も。。。どういうことなのかすごく気になります。。。

4. Faire Comme Si (何食わぬ顔をして)  - Camille Lou & Charlie Boisseau (グィネヴィア&ランスロット

なに食わぬ顔をしなければいけない 
そう、何食わぬ顔をしなければ 
他の人の腕の中で幸せな振りをして 
そのようにして生き、そしてそんな風に言わなければ 
すべて上手くいっている

ランスロットとグィネヴィアの秘密の恋について歌ったデュエット。ハモりが美しいバラードです。お互い惹かれあっている(妄想の中ではちょっとセクシーなことまで考えてしまう(爆))けれど、なに食わぬ顔をして、何事もないかのように生きなければ、とお互い自分たちに言い聞かせるある意味ちょっと危険な雰囲気が漂う(笑)一曲。というわけでこの歌の時点では2人はまだ自制心がある模様。

→これはやはり、2人の美しいデュエットのようでした。

5. Advienne Que Pourra (何が起ころうともかまわない) - Fabien Incardona (マリアガンス)

来るなら来い
俺は戦争だ
お前がすることになる戦争だ
理性を失うまで

来るなら来い
俺は地獄だ
お前が経験することになる地獄だ
祈りなどもはやない

Advienne que pourra は、英語のCome what mayに当たる言葉なので、来るなら来い、何が起ころうとも俺は構わない、というとても強い思いが感じられる言葉。なので、恐らく、マリアガンスが岩から剣を抜くコンテストに易々と勝利し王座についたアーサー王にメラメラ闘志を燃やし、こんな奴に負けてたまるか、、、来るなら来い!と挑戦状を叩きつける歌(たぶん。)。メラメラ感が半端ない。ザ・悪役って感じ笑。

→舞台版、マリアガンス、カッコよすぎです。ダンサーと合わせてマリアガンスのメラメラ感にしびれます。感想の中にも、マリアガンス役のファビアンのことを絶賛しているコメントをたくさん見かけました。そして、マリアガンスは単なる悪役ではなく、すべてを失った(愛も名誉も)傷ついた男なんだと思うと言っている人がいたのですが、そういうキャラ、、、めっちゃ好きです(笑)。

6. Au Diable (とっとと消えうせて) - Camille Lou (グィネヴィア

もし私の欲望のままに身を委ねたとしても 
私は自分の道を進むわ 
そして私は打ち倒すの

悩み、夜、忘却よ、消えて 
どこに行こうとも 
私は絶対に魂を売ったりはしない 
恐怖、涙、不幸よ、消えて 
どこに行こうとも 
私は人生を噛みしめて生きるの永遠に

diableって悪魔の意味なので、最初なんだろう?と思ったのですが、Au diable xxで、〜など消え失せろ、くそくらえの意味のようです。ここからしてすでにお上品でない感じが漂っていますが、メロディーはスーパー爽やか。このギャップがウケます。で、曲の内容ですが、、、アダルティーな妄想で頭はいっぱい(爆)だけど(もう、フレンチなんだから。。。)、でも私は負けない!というグィネヴィアの誘惑から決別宣言です。

→どうやら私がだいぶ検討違いをしていたようです(汗)。どうやらこの曲は、アーサー王との恋愛の部分で登場する曲のようで、推測にはなってしまうのですが、アーサー王と共に私は生きていくの、ということをポップに歌い上げている曲のようです。文脈がわからなかったとはいえ、ちょっと恥ずかしい間違いだわ。。。

7. Ce Que La Vie A Fait De Moi (人生が私にもたらしたもの) - Zaho (モーガン)

私は過ぎ行く時の中で 
無垢な心をなくし 
子供時代の思い出から逃げたままだった 
私は人生が自分にもたらしたものを理解している 
そして時は私にわずかなチャンスも与えずに 
次々に平然とやってくる 
私は人生の所産なのだ 
人生によって形作られたもの

それが私の運命 
私はあなた(がた)の間違いの代償を払ったの 
あなた(がた)に後悔の念があったとしても 
いつか私は赦すことができるだろうか 
私は自分が知らないふりをしてきた沈黙を 
いつか忘れるべきなのだろうか 
私は信じたい
あなたの視線全てを
そして愛を ほんの少しだけの愛を

タイトルの、Ce Que La Vie A Fait De Moi、、、。訳すのが難しい。ちょっとニュアンス間違っているかもしれませんが、、、これ哲学的な問いです。

というのも、実は、今年のバカロレア(フランスの大学入学に必要な試験ですね。)の哲学の問題の1つに"Suis-je ce que mon passé a fait de moi ?(人は自らの過去の所産なのか?)"というものがあったんです(詳しくはこちら。じつは、アーサー王のFBでこのことが取り上げられて知ったという笑。)。

「過去(passé)」が「人生(vie)」、になっているだけで根本的にはこの歌が投げかけていテーマと同じことについて問うている問題だと思われます。つまり、この歌の趣旨は、人間は運命や出自(自分のコントロールが効かないもの)によって規定される存在なのか、ということなのだと思います。歌詞を見ればわかるように、モーガンは、私たちは人生によって形作られたもの=運命には逆らえない、と回答しているようです。

ポップな曲調の曲が多いので、こんなことを言ってるとは夢にも思わなかったのですが、こんなことがミュージカルの主題になってるのはやっぱりフランスっぽいかな。

そして、もう1つこの歌のテーマは、失われた彼女の「子供時代」。このミュージカルでモーガンは、母がアーサーの父(モーガンの父は別の人物)が自分の母を寝とったことを知っていたという設定になっています。このトラウマの中で彼女は自分の子供らしさを失ってしまったというわけなのですが、この辺は、アダルトチルドレンとか世界中で大人たちに傷つけられる子どもたちを思わせる歌詞だなと個人的に思いました。と同時に、モーガンほどのトラウマでなくとも、大人になってもそういった「傷ついた子ども」の一面を心の底に抱えている人は少なくないように思います。

というわけで、ちょっとこの歌、舞台でどんな感じで出てくるのか気になります。

→舞台ではアーサー王とグィネヴィアの結婚式のシーンあたりで出てくるようなのですが、、、コンテクストはちょっと不明です。

8. Si Je Te Promets (もし君に約束するなら) - Florent Mothe, Camille Lou & Charlie Boisseau (アーサー王、グィネヴィア&ランスロット

もしきみに約束したら 
一生後悔なく僕に(私に)無限の愛を 
永遠に誓うことができる?  

嘘はつきたくない 
約束する 
裏切りたくはない 
約束する 
そんなこと考えたくもない 
絶対に、絶対にそんなことはないと、僕に誓ってくれ 
過ちは犯したくない 
約束する 
逃げたくはない 
約束する 
そんなこと想像したくもない

アーサー王、グィネヴィア、ランスロットのラブ・トライアングルな曲。アーサー王はグィネヴィアへの永遠の愛を告白し、ランスロットはグィネヴィアへの愛とアーサー王への忠誠との間での苦悩を告白します。そして、グィネヴィアは、、、というと、私は彼(たぶんアーサー王)を欲しているのだろうか、それとも私は自分に嘘をついているんだろうか(ランスロットの愛)、と男性陣たちよりはもうちょっと現実的?に2人の愛で悩んでいます(さすが女子だわ。。。)。
でも、この歌の時点でもまだグィネヴィアはランスロットへの愛について一線を越えようとは思ってない様子。コーラスは男女で交互になっていて、男達のまっすぐな愛と揺れる女心がいい感じで表現されてます。

→舞台も3人がそれぞれの思いを語り力強くハモる、という感じでした。

9. Je Me Relève (俺は立ち上がる)- Florent Mothe (アーサー王)
僕は人生を投げ打って
違う夢へと進む
僕は旗と十字架を置いて
立ち上がる、君のために立ち上がるよ

アーサー王がこれまでの苦難の人生を振り返りつつ、君(もちろんグィネヴィアのことだと思いますが。)のために立ち上がる、とかっこよく決意する曲。歌詞の途中に僕は結局大事なものを忘れてしまった、とあるので、すでにグィネヴィアの裏切りが発覚し、 もう君は帰ってこない、それはわかっているけれど、でも君のために僕は立ち上がりたいということを言っているのかなと思います。


→舞台も、そのような感じでしたが、どういうコンテクストなのかはやはり不明です。

10. Qu'ils Me Traitent D'idiot (たとえ彼らが僕を愚か者扱いしても)- Charlie Boisseau (ランスロット) 

たとえ人々が僕のことを愚か者だと思っても
僕は信じたい、信じたい
世界は絶望の中にあっても美しいものだと
たとえ彼らが僕のことを愚か者だと思っても
僕は人生を楽観的に
考えたい、考えたい
君の眼差しの中で

やったらbreezyなポップに載せて、ランスロットがグィネヴィアへの完全に浮かれちゃってる(爆)恋心を歌った曲。他の人がどう言おうと君といると最高(はーと)。→もう勝手にしてくれ、と思わず思ってしまった自分笑。フランスの若い子たちはこういう王子様に逆に「はーと」、となるのかなあ?!

→舞台ではアレンジも歌詞も全く変わっていたようです。サビのQu'ils me traitent d'idiot(たとえ人々が僕のことを愚か者だと思っても)がそもそもL'amour quel idiot(愛なんて、なんて馬鹿げたことなんだろう)に変わっていたようで、意味が真逆になっているっぽい(驚愕)。というわけでアーサー王とグィネヴィアを前に(衣装からして2人の結婚式?)叶わぬ思い(この時点では)を切々と語る感じに変化しているようでした。それに合わせてか、アレンジもbreezyポップからストリングスの切ないメロディーに変わっていました。私は割と舞台版のアレンジの方が好きだなあ。

11. Rêver L'impossible (不可能を夢見て) - Camille Lou (グィネヴィア

愛の神様 
自分で選んだ男性と 
結婚することは許されないのでしょうか 
この調べだけを たった一人の友と
していかなければいけないのでしょうか

私は自由になりたい 
不可能な夢を見るために

ハープの音色が美しい民謡のようなしっとりバラード。自分の望む相手と結婚できない悲嘆をグィネヴィアが愛の神様に語る歌です。さて、ここでの相手、というか不可能な夢、とはなんだろうと思ったのですが、結婚云々と言っていたり、歌詞全体も初めて愛する男性ができたと取れるような部分も多いのでアーサー王のことを言っているような気が自分はします(マーリンはアーサー王にグィネヴィアと結婚するとよくないことが起きると彼らの結婚に反対したらしいので。結局結婚してそれみたことか、となったわけですが。)。「これが私が待っていた、私が待ち望んでいた男性なの?」とか言ってしまうシンデレラモードなグィネヴィアです(爆)。という冗談はさておき、政略結婚が普通だった時代の女性の悲哀が「私は自由になりたい」という一言に込められているのかなと思います。

→映像を見る限りでは、マリアガンスと戦って傷ついたアーサーを手当てするシーンで出てきたようなので、やはりアーサーと初めて出会って心惹かれる乙女なグィネヴィアの気持ちを歌った歌のようです。

12. A L'enfant (子どもよ)- Zaho (モーガン)

Ce Que La Vie A Fait De Moiのrepriseのようなのですが、モーガンの子ども時代のトラウマや自らの悲しい生い立ちを詩の朗読で語る部分があります。たぶん最後の部分は、不貞で生まれた子、それがあんただよ、とアーサーに言うという感じで終わってる気がします。

13. Il Est Temps (時が来た) - Camille Lou & Charlie Boisseau (グィネヴィア&ランスロット

目覚めるときだ 
試してみるときだ 
そうだ、大胆になることにだけ価値がある 
私たちを恐れさせるものはもはやない 
まだ時間はある

ランスロットとグィネヴィアのデュエットということになっていますが、、、タイトルの「時が来た」は一体どんな時が来たのかはちょっと歌だけでは謎。メロ ディーの曲調やサビ↓の感じだと、さあこれから戦いだ、みたいな感じなのかと思いきや、禁断の恋に落ちる二人のデュエット曲であること、また、その他の部 分を見ている限りだとどうやら他の人たちは私たちのことをよくは思わないだろうけど、そんなこと私たちは気にしない(あららーな展開w)もうこれからは愛 する人を愛していくわ(キラキラ)みたいな曲に聞こえます。愛のジェットコースターは止まらない<3、な一曲、のような気がします。。。

→舞台では何かのお祭り?のようなところでランスロットとグィネヴィアが加速するメロディーに合わせて意気投合するが、、、(ちょっとロミジュリの舞踏会シーンを思い出した^^)といった感じで使われているように思いました。

14. Mon Combat (Tir Nam Beo*) (俺/私の闘い) - Zaho & Florent Mothe (モーガン&アーサー王)
* Tir Nam Beoは、ゲール語(アイルランド語)のTír na mBeo(The Land of the Living)のことのようで、病も老いも死もない幸せが永遠に続くパラダイスのような夢の地のこと。→「あの世」の概念に近いのかと思ったのですが、実は違うよう?(まあ、英訳が「生ける者の国」ですもんね苦笑)。→師匠Mewさんのブログより。

1st singleとしてリリースされた曲。全体的にはタイトルが示すようにモーガンとアーサー王が交互に自分の考えを言い合い、バトる感じの曲だと思います。そして、イマドキのノリノリミュージックでありながら、この曲も意外と哲学的(このギャップなんなのだろう。。。)。

1歩の間違い、でもそれでも多すぎる 
高いところから落ちてはいけない 
私は自分が苦しんできた悪 
お前のアリバイは崩れている 
自分の出自は選べない 
いや自分がどんな風になるかは選べる 
誰のせい?そう人生のせいね 
私(俺)のせいじゃない、でも物事とはそういうもの

きみは愛するものをすべて破壊する 
私はあなたが蒔いたものを破壊しているの 
愛は悲劇ではない 
あなたの無言が私に重くのしかかっている
無駄な傷などない 
私はずっと引きずってきた過去 
私(俺)のせいじゃない、でも物事とはそういうもの

この地上で Tír na mBeo(生ける者の国)
闘いは Tír na mBeo(生ける者の国)  
そう私たちの本性を露わにする 
すべて成すがままにしなければ / 全てはどこに向かうのだろう?
ダンダディ ダンダディ ダンダディ ダドゥエ

シチュエーションがわからないので結構謎な部分も多いですが、モーガンはまさに「悪」を体現していて、アーサー王はそれに対して「善」を体現しているという感じはします。そしてモーガンは運命にすべて決められる、としているのに対し、アーサー王はいや人生は選び取るものだと反論。愛に絶望するモーガン、に対し、いや愛はすばらしいものだというアーサー王。とにかく噛み合いません笑。しかし、2人の恋愛関係を連想させるような部分もあり、、、うーむ、やはりよくわかりません。

→舞台でもプロモと同様2人の歌のバトルが見られたみたいです。しかし、この歌もシチュエーションはイマイチわかりません。

1. Promis C'est Juré (約束する、そう誓う)  - Florent Mothe, Zaho, Fabien Incardona, Camille Lou & Charlie Boisseau (アーサー王、モーガン、マリアガンス、グィネヴィア&ランスロット

我々の甲冑の下にはこんなにも愛がある
我々の傷の下にはこんなにも勇気がある 
たった一度視線で 
どうして私たちは離れ離れにならなければいけないのだろう
我々の痛みの中にはこんなにも陶酔があり 
我々の過ちの中にはこんなにも高貴さがある 
やってみるかどうかは我々次第 
約束する、そう誓う

何となく軽快な感じ、そして、みんなで歌ってるので、カーテンコール曲かなあ?とちょっと想像。
そして、詞も「これが私の物語」と始まるので、物語のまとめ的役割を果たす歌な気がします。全体としては、アーサー王を含めたファイターたちを静かに称える歌。でも1789 バスティーユの恋人たちのときと同様、過ちや苦い部分も含めてそれが人間、人生というもの、といったニュアンスも感じます。こういうところはやっぱりフランスっぽいなあと思います。

→やはり、カーテンコールとして使用されていたようです。

2. Tu Vas Le Payer(お前は代償を支払うことになるだろう) - Zaho (モーガン)

お前は代償を払うことになるだろう
お前は代償を払うことになるだろう
お前は高いところから転げ落ちるだろう
お前は代償を払うことになるだろう
とても高い代償を
お前はもう気取った態度を取ることなどできなくなるだろう

この曲面白くありません。。。タイトルそのままです。どうやらモーガンが誰かに(曲中では「お前」になっていますが、アーサー王?)代償を払うことになるだろう、自業自得、もうお前は終りだ、ハハハハ、と高笑いする、みたいな曲な気がします。何となくですが、グィネヴィアに姿を変えてアーサー王と床を共にしたモーガンが、寝てしまった(しかも子供までできてた。。。)ことに気づいて愕然とするアーサー王を嘲笑しているのかな、という気がします。女って怖い。。。

→これもコンテクストは謎なままですが、女性ダンサーたちの振りがちょっと面白い^^

3. Nos Corps à La Dérive (漂う私たちの身体) - Camille Lou & Fabien Incardona (グィネヴィア&マリアガンス

俺はお前を追いかけ
お前は逃げる
希望などまったくなく
俺はお前の視線に釘付けだ

私は何も言っていないし
何も約束なんてしていない
でもあなたは意図せず
私を溺れさせる
あなたの絶望の中に

涙の海に
私たちの身体は漂うのだろうか
私たちにこんなにも苦しみを与えるために
いったい私たちに(これから)何が起こるのだろう

ファンの人たちから結構よい評価を得ていたっぽい曲。サビの2人のデュエットが確かにエモーショナルで美しい。どうやら、自分を受け入れてくれと懇願するマリアガンスに対して、それはできない、私を自由にしてと頼むグィネヴィア、といった感じな気が。。。マリアガンスがグィネヴィアを誘拐したときのことを言ってるのでしょうか??サビの「涙の海に漂う私たちの体」という表現がなかなか詩的で美しい。

→ネタバレですが、、、マリアガンスの顔が何だかすっごいことに。。。そして、グィネヴィアは鎖でつながれています(これもなんかノートルダムのエスメラルダを思い出した笑。)。なのでやっぱりグィネヴィアは誘拐されるのかな。。。マリアガンスの顔の変化も相まって、マリアガンスの「哀しい男/愛」全開な曲のようでした。

4. Délivre-Nous (私たちを自由にしてくれ)  - Julien Lamassonne

私たちを自由にしてくれ 
この戦いから 
聞いてくれ 
私たちの祈りを 
私たちを自由にしてくれ 
鉄の枷から 
ユーサー(*アーサー王の父)の子である 
私の王よ

これ一番謎ソングだったのですが(誰が歌ってるかすらわからない。。。)、どうやら人民または円卓の騎士がアーサー王に我らの王よ、私たちを救ってください、と懇願している歌のよう。私、このジュリアンさんの声結構好きなのですが、、、彼はメインのキャラとしては出ないらしい。。。岩から剣を易々と抜いたアーサーにわが王よ!と助けを求めているという感じで出てくるのかなあという気がします。


→やっぱり人民の人がアーサー王に何か歌ってるような感じの曲になっていました。そして、CGってこんなことができるのね!という演出も。壮大な1曲。

5. Dors, Morgane Dors (眠れ、モルガンよ、眠れ) - Zaho & Julien Lamassonne 

タイトル通り、曲のはじめは子守唄のような感じで始まります。Julienは、アーサー王の代役の歌手の人なのですが、、、曲を聞いてる限りでは、冒頭はマーリンがモーガンが子どもだった頃に彼女に父や母について語って聞かせているといった内容のように思います(マーリン役の人は他の人よりかなり後になって発表されたので、ひょっとするとCD作成時にマーリンの曲全部を彼の声で録音できなかったのではないか、と予想。)。後半は現代のモーガンがこのときのことについて回想しているという感じなのかなという気がします。

6. Un Nouveau Départ (新たな旅立ち) - Fabien Incardona (マリアガンス)

光の中へと入っていくための
新たな旅立ち
勝利を目指し
そして伝説となるのだ
後悔も恐れもなく
1番となり
頂点を手中に入れ
過ちは葬り去ろう
新たな旅立ち

マリアガンスの曲ですが、他のマリアガンスのダークな感じの曲とは打って変わってタイトルが示すようにとっても明るい前向きな曲。ちょっと悟りを開いちゃった感もある気がします。復讐の先にあったものは?といったことについて語っているのかな、と最初思ったのですが、歌詞をよく見ると1番になろう、とか自分が勝者であることを確信するような歌詞だったので、ひょっとすると、岩にささった剣を抜くコンテストへと向かう(本物の後継者となる者だけがこの剣を岩から抜くことができる。)マリアガンスの思いを歌った曲かなという気がしました(そう、この後に若造のアーサーが剣を易々と岩から抜いてしまうという悲劇が彼には降りかかるのです!笑 そう考えると、ほんと人生ってわからない、と思ってしまった苦笑。)。

7. Qui Suis-Je ? (私は何者だ?) - Florent Mothe & David Alexis (アーサー王、マーリン)

自分の出自を知らないで 
どうして運命を自分の手で 
築きあげることができるというのだろう? 
自分が何者であるかわからずに 
人生にどんな意味があるというのだろう?


英語のWho am I?に当たるタイトル。というわけで、自分の出自がわからないアーサー王がそのことを思い悩む歌(だからなのかちょっとメランコリーな三拍子。。。)。真ん中らへんで転調して、突然長調になるところは、おそらくマーリンが聖杯について説明している箇所です(脈絡が全然つかめん。。。)。アーサー王は不義の子として誕生した後、別の人に預けられ育ったため自分が王家を継ぐ資格がある人間だと知らずに育ったようなので、そういうことと関係があるのかなという気がします。その当時のモヤッとした思いを告白?ただ、これは自分の偏見かもしれませんが、このメランコリーな三拍子とタイトルの「キ・スイジュ」の音が相まって、すごく幼稚に聞こえる(ぼくちんは誰なんだろう?みたいな(爆))。。。30代男性が歌うのは(汗)。アーサー王役のフロランが髪をバッサリ切ったのは、かなり若いときのアーサーを演じなければいけなかったからなのかなとこの歌を聞いて思いました(長髪のときは、長髪の時でキマっていたけれど、明らかにどっしり貫禄があり過ぎた笑。)。

→映像を見ている限りでは、やはり自分の出自に迷うアーサーにマーリンが聖杯について説明している、という歌のようでした。マーリン役のアレクシスさんの歌声がとっても素敵でした。

8. A Nos Voeux Sacrés (聖なる誓いに) - Zaho & Fabien Incardona (モーガン、マリアガンス)

我々を結びつける絆の
聖なる誓いに
俺の痛みを消すためにお前は何をしてくれる?
打ち砕かれた運命
消えた愛
お前はいつか彼女が俺の物になると誓えるか?

我々を結びつける悪の
聖なる誓いに
服従するのだ
そうすれば私はお前の武器となる
私の魂を与え、お前に忠誠を誓おう

ファビアンの高音がすごすぎる1曲(彼の歌う曲ってキーが高い曲が結構多い気が。。。)。 悪役2人が結託する誓いの曲のようですが、どちらかというとマリアガンスがモーガンに助けを要請してる感じのように見えます。そして、マリアガンスまたグィネヴィアへの愛を語っちゃってます。

→映像を見ている限りだと、モーガンがやはり自分に協力させるためにマリアガンスを釣っている(苦笑)という感じに見えました。

9. La Danse Des Guerriers (戦士たちのダンス) (Instrumental)

ケルトミュージック定番のパイプで始まる1曲。イントロが若干、ロミジュリの舞踏会のイントロに似ている気がしないでもない。。。戦士たちのダンスということで切れ良くかっこいい1曲。instrumentalなので、きっとダンサーたちが華麗なるダンスを披露してくれるんだと思います。

→映像を見ていたら、この楽器曲の前にマーリンの歌が入っていました。素敵なのですが、、、聞き取れない。。。

10. Le Monde Est Parfait (世界は完璧だ) - Charlie Boisseau (ランスロット)
 
もう独りで歩くことはない 
やっと僕にも風が向いてきた 
もう決して独りで夢見ることはない 
今夜、地が 激しく揺れるかもしれない 
今日、僕の人生が始まる 
戦うことになったとしても 
平和を築くことになったとしても 
ここから世界は何と完璧に見えるのだろう

ランスロットが予期せずグィネヴィアに出会い、心奪われ、僕の世界は180度変わってしまった、そして、世界は何と完璧なんだ!とハッピー度マックスで歌う1曲。若いな~(笑)。まさに恋の始まりみたいな曲のようです。

11. Le Chant Du Dragon (ドラゴンの歌) (Instrumental)

途中でコーラスも入って荘厳な曲。このミュージカルのinstrumentalの曲って結構よい曲だと思います。映画のテーマソングみたい。

12. Jeux Dangereux (危険な遊び) (Instrumental) 

美しいクラシック+ちょっと中世を感じさせる楽器曲。

13. Il Est Temps (Version Troupe) (時が来た(チーム・バージョン)) - Florent Mothe, Zaho, Fabien Incardona, Camille Lou & Charlie Boisseau

たぶん、カーテンコールの2曲目でみんなが盛り上がるため用に収録?

14. Tant De Haine (多くの憎しみ) - Fabien Incardona (マリアガンス)

俺の中にはこんなにも多くの憎しみが燃えている 
法則をも超えたものへと私を押し流す風 
私が背負う十字架の下にある 
重い罰 
俺にすべての権限を与える薄汚い苦悩 
俺の中で燃える あまりにも多くの憎しみ 
人生に奪われたこんなにも多くの愛がある 
人生に奪われたこんなにも多くの愛が 

グィネヴィアに横恋慕し、ついに彼女を誘拐までしてしまうマリアガンスの歌。悪役ということもあって詞もなかなかエグい&ちょっと偏執愛チックです。が、 同時に憎しみに支配される哀しい愛、という意味ではちょっと切ない、繊細な「悪」の姿も垣間見える歌でもあるように思います。邪悪な存在ではあるけれど、 報われないマリアガンスがちょっとかわいそう(笑)

15. L'ouverture D'Excalibur(エクスカリバーの序曲) (Instrumental)  

アーサー王の剣の名前を冠した序曲なので、舞台の幕開けにテーマ曲として使われる曲なんじゃないかなあと思います。ミュージカルの壮大さが伝わるような素敵な曲。


2015年9月6日日曜日

仏版 ロミオ&ジュリエット 韓国ツアー リハ写真

さて、こちらも気づけばもうすぐ開幕。

私は、残念ながら今年は日本脱出不可となってしまい、、、参加はできないのですが、すてきな写真がいっぱい 出回ってます。

ロミジュリのプロダクションのFBページのアルバム↓。

 https://www.facebook.com/romeoetjulietteofficiel?fref=photo&sk=photos

見れば見るほど、残念無念、、、な気持ちになるわけですが、やはりロミジュリの特にダンサーたちの表情はほんと好きです。

そして、大公役のステファヌ・メトロさんがピアノで弾き語る"Vérone"。舞台冒頭のエネルギッシュな歌い方が印象的な曲ですが、こんな風にメロディアスに情感を込めて歌うのもまた違う趣があって、すてき(2幕にはこんな感じで歌うところも確かあったはず。)。


こちらも、どんな新しいチームになるか、楽しみですね。

フランス版 アーサー王(La Légende du Roi Arthur) プレミアまであとわずか!

気づけは、今年のフレンチミューで一番の目玉の「アーサー王の伝説 ~愛が歴史の流れを変えるとき~」(La Légende du Roi Arthur: Quand l'amour change le cours de l'histoire)のプレミア(9/17)まであとわずか。

プレミアを前に衣装や舞台リハっぽい映像や写真が出回り始めました。

まずは、"Auprès d'un autre"を熱唱するFlorent Motheのプロモ映像。舞台の様子もチラホラ。
なかなか迫力がありそうな舞台。

写真。
衣装は、かなり豪華。プロモのときの全体的に黒っぽい衣装とは大分違い、色使いも鮮やか。衣装が違うだけで舞台のイメージが全然変わります。

舞台もスモークいっぱい焚いてるみたいなものもあったりして、かなり大がかりなものになりそう。

Roi Arthur FBの写真アルバム。いろんな写真が。
https://www.facebook.com/lalegendeduroiarthur/photos_stream

集合写真
https://www.facebook.com/lalegendeduroiarthur/photos/pb.781860558540394.-2207520000.1441530368./958932364166545/?type=3&theater
左から、 ランスロット(仏読み:ランスロ)、マリアガンス(メレアゴン)、グィネヴィア(グニエーヴル)、アーサー王(ロワ・アルチュール)、モーガン・ル・フェイ(フェ・モルガン)、マーリン(メルラン)。

ソロショット。
アーサー王(Florent Mothe)。アーサー王役のフロラン・モット。Mozart l'Opera Rock時代のやや長髪をばっさり刈り上げに。最初見たときわからんかったよ、私。さらに、舞台のためのトレーニングで痩せた、とのことなので、さらにすっきりしたシルエットに。サリエリ時代とかなり印象が違います。甲冑もお似合い。
https://www.facebook.com/lalegendeduroiarthur/photos/pb.781860558540394.-2207520000.1441530350./960847647308350/?type=3&theater

グィネヴィア(Camille Lou)
アーサー王と一緒の時のグリーンの衣装、ランスロットと一緒のときの白い衣装。どちらのドレスも刺繍やビーディングがあったりとってもきれい。ヘアもプラチナブロンドっていうかもはや白髪?な勢いですが、編みこみがあったり結構複雑。中世ということもあってか、所謂ティアラがあって金髪カールふわり、みたいなお姫様、な感じではありませんが、女王に相応しい華やか+艶やかな衣装。下記の映像でカミーユも、こんな衣装を着れたらと少女時代夢見てたの、と言っていますが、納得。
https://www.facebook.com/lalegendeduroiarthur/photos/pb.781860558540394.-2207520000.1441530350./962822507110864/?type=3&theater

モーガン・ル・フェイ(Zaho)
妖姫、ということですが、、、プロモのとき以上に、ゴス度の高まりがすごい笑。頭の飾りの鳥といい、ダークレッドのルージュと言い、、、。魔法にかけられてイチコロになってしまいそう笑。
https://www.facebook.com/lalegendeduroiarthur/photos/pb.781860558540394.-2207520000.1441530368./957805557612559/?type=3&theater

マリアガンス(Fabien Incardona)
こちらもゴス路線。顔半分にドクロメイク?が。悪役ですが、なかなか怖いっす。
https://www.facebook.com/lalegendeduroiarthur/photos/pb.781860558540394.-2207520000.1441530350./960848480641600/?type=3&theater

ランスロット(Charlie Boisseau)
おー、王子様!白い、白い、白い。 キツネ?っぽいファーが印象的な衣装。
この王子様ビームにグィネヴィアはやられちまうのか。うん、納得笑。
https://www.facebook.com/lalegendeduroiarthur/photos/pb.781860558540394.-2207520000.1441530368./957757630950685/?type=3&theater

マーリン(David Alexis)
割と最近に、キャストとして合流しました。演じているのは、私も昨年パリで見たLe Bal des VampiresでProfesseur Abronsius役だった方。大変貌だなあ笑。確かに魔術師な感じ。
https://www.facebook.com/lalegendeduroiarthur/photos/pb.781860558540394.-2207520000.1441530368./957845474275234/?type=3&theater

そういえば、写真にはどうやら入ってないようですが、追加キャストでガウェイン(ゴーヴァン)(Thomas Ronzeau) も加わったようです。
 
その他の映像。動きが加わるとワクワク感が。1789のときより、スペクタクル性が高まっているかも。。。

衣装合わせの様子。最後にアーサー王のフロランが衣装を着て楽曲を歌う姿も。
http://www.programme-tv.net/news/musique/70637-exclu-la-legende-du-roi-arthur-florent-mothe-camille-lou-decouvrent-leurs-costumes-video/ 

リハと思われる舞台映像が一部見られます。演出のジュリアーノ・ペッパリーニさんのインタビューも。
http://www.wat.tv/video/telematin-legende-roi-arthur-7l9ct_747pj_.html 

衣装担当のFrédéric Olivier さんが、舞台衣装のコンセプト等を説明。衣装のスケッチ等も見れます。中世の世界を想像、歴史の世界に留まらない現代的なものに魅せる衣装を目指したと言っているような。 だからなのか時代物のようでそうでない不思議な感じがする衣装が多いように思います。それぞれの人物に動物のシンボルがあるようで、アーサー王はドラゴン、フェイは、鳥とのことです。





そして、プレミアを前に、フレンチ・ミュー十八番(笑)の全曲盤CDが発売です。ネタバレ必至です(爆)。

発売は9/11。amazon.jpでも一応予約が可能なようです。

おそらく、iTunesで日本からも購入が可能になるんじゃないかなと思います(コンセプト版も本国フランスと同日に日本でも発売になったので。)。
 
Amazon.jp
amazon.co.jp/dp/B012E018WW
Amzon.fr
http://www.amazon.fr/dp/B012E018WW

曲数は全部で29曲の2枚版です。曲目はこんな感じ↓。一応日本語訳も入れてみましたが、曲の詞をきちんと見てみないと正確な意味はわからないので、あくまで参考程度に。。。現在youtube上で音源が聞けるものにはリンクを貼っておきました。ケルティック音楽とポップロックが混じったノリのよい曲が多いです。

1. Quelque Chose De Magique(何か魔法のようなもの) - Florent Mothe & Camille Lou
2. Auprès D'un Autre (別の者の傍に)- Florent Mothe
3. Wake Up (目覚めよ(→しかし、なぜに英語?笑)) - Charlie Boisseau
4. Faire Comme Si (何食わぬ顔をして)  - Camille Lou & Charlie Boisseau
5. Advienne Que Pourra (何が起ころうともかまわない) - Fabien Incardona
6. Au Diable (とっとと消えうせて) - Camille Lou
7. Ce Que La Vie A Fait De Moi (人生が私にもたらしたもの) - Zaho
8. Si Je Te Promets (もし君に約束するなら) - Florent Mothe, Camille Lou & Charlie Boisseau
9. Je Me Relève (俺は立ち上がる)- Florent Mothe
10. Qu'ils Me Traitent D'idiot (彼らが俺を愚か者扱いすること)- Charlie Boisseau
11. Rêver L'impossible (不可能を夢見て) - Camille Lou
12. A L'enfant (子どもよ)- Zaho
13. Il Est Temps (時が来た) - Camille Lou & Charlie Boisseau
14. Mon Combat (Tir Nam Beo*) (俺/私の闘い) - Zaho & Florent Mothe
* Tir Nam Beoは、ゲール語(アイルランド語)のTír na mBeo(The Land of the Living)のことのようで、病も老いも死もない幸せが永遠に続くパラダイスのような夢の地のこと。
1. Promis C'est Juré (約束だ、絶対に)  - Florent Mothe, Zaho, Fabien Incardona, Camille Lou & Charlie Boisseau
2. Tu Vas Le Payer(お前は代償を支払うことになるだろう) - Zaho
3. Nos Corps à La Dérive (漂う私たちの体) - Camille Lou & Fabien Incardona
4. Délivre-Nous (私たちを解放してくれ)  - Julien Lamassonne
5. Dors, Morgane Dors (眠れ、モルガンよ、眠れ) - Zaho & Julien Lamassonne
6. Un Nouveau Départ (新たな旅立ち) - Fabien Incardona
7. Qui Suis-Je ? (私とは何者か?) - Florent Mothe & David Alexis
8. A Nos Voeux Sacrés (聖なる誓いに) - Zaho & Fabien Incardona
9. La Danse Des Guerriers (戦士たちのダンス) (Instrumental)
10. Le Monde Est Parfait (世界は完璧だ) - Charlie Boisseau
11. Le Chant Du Dragon (ドラゴンの歌) (Instrumental)
12. Jeux Dangereux (危険な遊び) (Instrumental)
13. Il Est Temps (Version Troupe) (時が来た(チーム・バージョン)) - Florent Mothe, Zaho, Fabien Incardona, Camille Lou & Charlie Boisseau
14. Tant De Haine (多くの憎しみ) - Fabien Incardona
15. L'ouverture D'Excalibur(エクスカリバーの序曲) (Instrumental)  
 
Julien Lamassonneというのは、アーサー王の代役の人なんですが、、、CD入りしてますね。どういうことだろう。

→曲の内容等はこちらにまとめました。

ミュージカルのプロダクションのHPに行ったら、かなり長い「ストーリー」が書いてあったので読んでみたのですが↓(仏語)、、、 どうやら聖杯探求の話はあまり出てこず、モルガンとメルワスがタッグを組んで惹かれあうグィネヴィアとランスロットが不倫するように仕組み、アーサー王を破滅させようとするが、、、というプロットのようです(私が読んだ原作のあらすじとちょっと違う。。。)。

http://www.lalegendeduroiarthur.com/Le-spectacle/L-histoire

というと、なんだか完全にソープオペラですが、、、もう少し美しい感じで言うと、アーサー王を愛していたはずのグィネヴィアは、ランスロットと禁断の恋に落ち、2人の男性の愛の間で苦悩する。一方ランスロットもアーサー王への忠誠とグィネヴィアへの想いに苦悩する、という愛のトライアングルがやはり中心のラブストーリーということなんだと思います。

モーガン・ル・フェイも、妖姫というだけでなく、アーサー王の父ウーゼルに嵌められて(ウーゼルはモーガンの父ゴルロイスに姿を変えてモーガンの母イグレーヌを寝取ったらしい。。。こわ。)妻となった母、そして、妻を寝取られ亡くなった父の復讐を果たす(でも悪いのはアーサーじゃなくって、ウーゼルだと思うんだが。。。)、ことを常に胸に生きている女性、というちょっと複雑なキャラのよう。

少年時代の岩から剣を抜くエピソードや半分きょうだいのモーガンと寝て(これまたグィネヴィアに化けてアーサー王を嵌めるという。。。子どもができるエピソード(しかし、これも原作ではモーガンではなく、モルゴースという別の姉っぽいですが。。。)等も上記のストーリーに書いてありますが、これが舞台にも出てくるのかなあ。

もう一つ人物紹介のページ(フランス語)を読んで思ったのは、「人間は運命に定められるまま生きる存在なのか?それとも、 運命に抗い自ら道を切り拓く存在なのか?」という古典的&哲学的なテーマも大きなキーになりそうということ。。。

アーサー王自身も、不義の子として誕生し、 けれども王様になるまで登りつめる(ただ、これは、もって生まれた才能と見るのか、努力と見るのか、あるいはその両方と見るのかはいろいろだと思いますが。。。)という意味でもそうですし、 グィネヴィアと結婚する際に、マーリンに反対されていたにもかかわらず結婚し、結果的にはやっぱり災いが、、、となるけれども、さあこの決断ははたして間違いだったのか?とか。

モーガンも、家族を 滅茶苦茶にされて復讐の鬼(という設定になってるっぽい)、になっているけれど、それだけが果たして運命なのか?あるいは、それ以外の道はあるのか(彼女が歌うことになっている"Ce Que La Vie A Fait De Moi "のテーマはそういう運命論に関係があるもののようです。)?

原作(といってもこれもいろいろあるみたいですが。。。)とは人物設定や話の筋がちょこちょこ違うようですが、フレンチミュー(っていうかアチア・コーエン組のミュー)は結構お話を大胆に改編することはザラなので、まあ、これも想定の範囲かなあと言う気はします。。。 

何か思ったよりドロドロなドラマになりそう笑。サブタイトルの愛が歴史の流れを変えるとき、ってポジティブな意味なのかなと思ってたのですが、そうでもなさそう?!いつものことだけど、こんなの、キッズたちが見ていいんだろうか?(笑)PG12路線まっしぐらな予感(苦笑)。
 
とはいえ、舞台映像等を見ても、ミュージカル、スペクタクルとしてはかなり見ごたえがありそうなので、プレミアが待ち遠しい。。。

2015年7月12日日曜日

1789 バスティーユの恋人たち フランス版と宝塚版の違い <人物編>

前回の感想に続き、オリジナルの仏版と宝塚版の違いについて引き続き書いていきたいと思います。

とりあえず、人物設定から。

<ロナン>
オリジナルでは、デムーランや他の革命家に混じって、存在感が若干薄かったロナン。彼が父をラザールによって理不尽に殺された、ということ以外、実は、原作ではそれほど人物像は掘り下げられていませんでした。革命家としての成長も、革命のパンフレット作りには関わっていたみたいだけど、デムーランのように演説の草稿を書いたりしていたわけでもなく、まさに「名もなき一青年」として、最後に命を落とす、という設定だったので、ヒーローらしさやカリスマ性といったものもほとんどない役でした。したがって、ミュージカル内では、きっと主役、、、なんだろうけど、ちょっと主役としては弱いなといった感じの役でした。

対して、宝塚版では、ちゃんとヒーローになっていましたw そして、きちんとどの場面でも舞台を引っ張っていく役になっていました。特に宝塚版の演出でよかったと思ったのが、バスティーユ監獄で、彼が吊り橋の鎖を切り、それを突破口に襲撃がなされた、という設定の変更。彼が主人公であること、そして革命の中での意義がはっきりわかってすごくよい変更だったと思います。でも、オリジナルの、カリスマ性を持ったヒーローではなく、「一市民」としての「名もなきヒーロー」という点はしっかり踏襲されていて、うれしかったです。

聞くところによれば、一般市民が宝塚の主人公として取り上げられるのは非常に珍しいのだとか。でも、キャラ設定がはっきりしているような偉人ではない人を主人公にするのって、すごく大変だったと思います(オリジナルでもこの辺はいろいろ迷走感がありました。。。)。そういう意味で、ここまで名も無き主人公をうまくまとめ上げたのはやっぱりすごいなあと思いました。

また、もう一つ宝塚版ではっきりとなった部分が革命家の中でも彼は農民、つまり下層市民であったという点。無学だけれど、ハートだけは熱いロナンとデムーラン、ロベスピエールといった「プチ・ブルジョワ」な平民の間でも対立があったことは、オリジナルでも描かれますが、オリジナルでは印刷所での口論は、ダントンの「喧嘩は止めるんだ!」の一喝で事態は丸く収まります。そして、その後デムラーンとロナンはあれだけ喧嘩してたのに堅い握手を交わし一件落着してしまいます笑。

これもうちょっと深く描いても良かったんじゃないかなあと私は思っていたのですが、宝塚版では私が思っていた以上にこのエピが掘り下げられていました→っていうか、一曲この件についてだった(笑)(自由と平等(原題:Pic et pic et amstramgram))。この歌元々は、どっちかっていうと、我々の団結は堅い!みたいな曲だったんですが笑。

でも、実は革命側だって一枚岩じゃない、という視点は非常に大事なことだと思います。宝塚版の歌詞ではないですが、リアルに社会の不条理を自分の目で見てきている「この身体の肌一枚」のロナンにとって、リアルを知らないちょっとスノッブなデムーランたちはやっぱり「どうせお前たちは上から目線で、本当に苦しんでる人達のことなんかわからないんだ!」と憤りたくなる気持ちは非常によくわかります。それが宝塚版ではより丁寧に描けていたかなという気がします。

ただ、、、うーんと思ったのは、前回の記事にも書いたように、やはり彼の死に方。これは、、、オリジナルにやっぱり忠実であって欲しかったです。。。

あと、カーテンコールで(あ、でも宝塚はその後レビューがあるので、エンディングって感じかな。)、さっきまで薄汚れたロナンがいきなり宝塚の白い衣装でせり上がってきたのは、、、宝塚のスター様登場なので仕方ないのでしょうが、革命へ静かに思いを馳せる曲なので、自分としては違和感が無きにしもあらず。ちなみに、オリジナルでは、ロナンは襲撃シーンの汚いメイクのまま(仏版は、Sur ma peauのシーンで歌いながら顔に茶色の顔料を塗る演出があるのです。)、最後にオランプと手をつなぎ登場するのですが、このほうが、「革命」の意味を考える上では良かったんだんじゃないかなあ、やっぱり。。。

あと、これは全くどうしようもない話なのですが、、、オリジナルで演じていたルイくんは20代そこそこのあどけなさが残る青年。周りのデムーラン、ロベスピエール、ダントンを演じてた役者は30代くらい。明らかに彼が一人若造(笑)だったので、若さゆえの無鉄砲さや一徹さが大人に混じってがんばってる感が出てて、なかなかいい感じだったのでした。が、宝塚版は、、、やっぱり若く見せてる感じが(汗)。東宝版に出演予定の小池くんはそういう意味では、童顔なので、この辺は意外とぴったりくるかもしれません。

<アントワネット>
仏版ならオランプが次に来るはずですが、宝塚版は間違いなく、アントワネットがロナンに次ぐ主人公になっていたと言えるでしょう。そして、フェルゼンがメインキャストへと格上げされ(仏版ではダンサーが片手間で演じてたのに、歌まで歌ってたよ(驚き)!)この二人の愛も物語の大きな主軸になっていました。が、前回の記事のとおり、宝塚版は、本当にフェルゼンを心から愛していたけれど、国のために、家族のために、夫であるルイ16世のために、泣く泣く諦める、という純愛+耐える女、というストーリーになっています。

仏版との一番大きな違いは、このフェルゼンとの恋が物語のもう一つの主軸になったこととも関連していますが、マリーアントワネットが改心した理由です。

宝塚版では、フェルゼンとの許されぬ恋に身を焦がしたため、その罰として愛息である王太子が亡くなったとアントワネットが自分を責め、改心する、という設定になっていますが、オリジナルでは、フェルゼンは冒頭の逢引のシーン以外では登場せず、この恋愛が直接王太子が亡くなったこととは関連付けられていません。

神様の裁き(原題:Je vous rends mon âme)は原曲と同様、マリー・アントワネットが改心し、神の赦しを請うというコンセプトは同じですが、宝塚版は良妻賢母になることを誓う(爆)曲になっているのに対し、オリジナルは、冒頭は自分の贅沢三昧の生活が、平民の生活を犠牲にしたと言うのなら、私を許してください、と始まり、後半は、もう二度と帰ってこない息子への愛、懺悔、を語ってはいつつも、やっぱりそれが恋愛によるものだとは言っていません。私個人の解釈ですが、、、仏版の改心した理由はやはり、アントワネットも最後は全てを失って、ちょっとだけ平民の痛みに気づき、人間としての改悛の情が湧いてきたということなんじゃないかと思います。

しかし、どうしてこんなにも「良妻賢母」をプッシュするのかなあというのは自分の中で疑問に残りました。オランプに暇を出すときも、仏版では、国のために、という話以前に、自分は愛する人(フェルゼン)を追いかけられなかったけれど、あなたなら追いかけられる、と「恋する女」として、オランプを応援するという設定になっています(プロデューサーさんは、王妃、妻、母である前にアントワネットもやはり恋する女だったのだ、ということを言いたかったのかなと思います。)。宝塚版はこのシーンでは「女」なアントワネットがそこまで強調されてなかったような。

不義の恋ということについても、多分ベルサイユ・ワールドにおいて、愛人がいるなんてことは、日常茶飯事で、仏版では不義を後悔するなんて発想自体なかったんだと思うんですが(笑)、好きな人を諦め、貞淑な妻に戻る、という設定が、個人的にはすごく日本的な「ザ・清い人」な感じに見えました。。。

こういうところは、やっぱり日仏のモラル観というかそういう文化的背景が影響を受けているのではないかと推察。。。

でも、宝塚版でアントワネットを演じていた愛希さんは、その佇まいがまさにアントワネット。王妃としての威厳、そして凛とした美しさがぴったりハマっていました。あと、個人的に、全てを賭けて(原題:Je mise tout)以外の(笑)衣装がオリジナルより上品で高貴な感じがして素敵だったと思います。オリジナルは割と若めのかわいい子がアントワネットを演じていたのですが、私としては、愛希さんのほうが落ち着きがあって、ハマっていたかなあという気がします笑。

<オランプ>
配役の掲載順ではかなり格下げされていたオランプですが、、、舞台を見ている感じではそれほど存在感が薄れた、という感じはしませんでした。そして、ロナンとキスしてた回数、、、多分、仏版より多かった気がする笑。

キャラ設定もオリジナルからほぼ変更がありませんでした。良家の子女で、王妃様のためなら体張ってでもがんばる真面目ガール。でも敵であるロナンに恋してしまう。。。

ただ、彼女が1人で歌う曲がアントワネットに取られてしまったり、ロナンとのデュエット曲がロナンのソロ曲になってしまったり(Tomber dans ses yeux(邦題:二度と消せない))、歌うシーンは減った印象でした。

あともう1つ原作との違い、として思ったのは、「神」の存在が宝塚版ではロナンとオランプとの恋の焦点にあまりなかったことかなと思います。2人が別れてしまった理由は、革命に生きるvs王家に仕えるという任務という感じだったと思うのですが、実はオリジナルでは「神」が結構絡んでます。こういうところがやっぱりフランスっぽいような気が自分はしました。

宝塚版では「思いが違うの」というややわかりにくいセリフで2人の世界観の違い表現されていましたが、仏版ではもう少し細かいやりとりがあって、革命=神なぞいない、人間はすべて平等、人間が中心というパラダイムに生きるロナンと王家サイド=神を信じ、王権神授説の下、王を絶対化した存在として畏怖しているオランプが「愛を持ってしても超えられない(ように思える)決定的な違い」を巡り、口論になるという設定になっています。

あと、宝塚版でもやっぱり何故2人が恋に落ちたのかは、よくわからなかった気がしました。オリジナルはオランプが救出したときに一目惚れ、だったのか??ぐらいで全くの謎、、、でしたが、宝塚版もやっぱりそんな感じ??ぐらいでした笑。この部分はオリジナルのストーリー・ラインが弱くてどうしようもなかったのかなあと自分は思いました苦笑。

私が観劇した日は海乃美月さんがオランプを演じていましたが、真面目ガールな感じがぴったりですごくよかったです。

<アルトワ伯>
この役は、一番仏版と違うのではないでしょうか。役回りとしては、仏版のアルトワ伯(腹黒、策略キャラ)とラマール(オランプを囲おうとする)の役を合体させたような感じ。そして、そこにお耽美俺様キャラの要素が加わり、なんだかすごい魅力的な(笑)悪役キャラになっていました。これだけ悪役が美形なのも悪くないなあと思わず思ってしまったほど。オリジナルにはない、確固たるキャラにいい意味で変貌していました。

Je suis un dieu(邦題:私は神だ)は、オランプに迫る曲という意味では仏版と同じですが、仏版はラマール(宝塚版同様、ヘマばっかりしていつも空回り、でも威張りくさっている器の小さい男、という設定)が歌っていたので、むしろこの曲は、何だか滑稽な歌だったのですが、、、宝塚版は魅惑の媚薬ソング(笑)になってました。媚薬設定にはビビりましたが、これも、ありかなあと思わず思ってしまいました笑。

が、その変更のせいで、トゥルヌマンとロワゼルはまだしも、ラマールの存在が結構無駄っぽい印象を受けました。宝塚版でも、観客の笑いを取るために登場している役回りですが、どうも冗長というか、、、ラマールは潔く切っても良かったんじゃないかなあという気が自分はしました。あと、宝塚版はそんなこんなでアルトワ伯のキャラが独り立ちしてしまったので、ラマールとの軽妙な掛け合いが少々減ったような気がしました。そういえば、マイナーなところでは、宝塚版でラマールは死なないのでした。

<デムーラン、ロベスピエール、ダントン>
この3人の使い方が宝塚版では一番残念だったかなあ。オリジナルでは、見た目もキャラ設定も明確に違っていますし(デムーラン→理想家、ロマンティック、ロベスピエール→熱い、情熱家(恐怖政治の部分は出てこない)、ダントン→おおらか、女好き、3枚目)、それぞれミュージカルの鍵となる曲をソロで歌っているので(デムーラン→サイラモナムール、Fixe、ロベスピエール→A quoi tu danses、Hey ha、ダントン→Au Palais Royal)それぞれ非常に魅力的なキャラクターになっていました。が、宝塚では、衣装は違うのに、どうもみんな「同じ美形な感じ」に見えてしまって、しまいには、誰が誰だかわからなくなってしまいました、自分苦笑。というわけで、彼らは基本常にセットでプチブルジョワな革命家ズに見えてしまったのでした。。。

ただ、これは、明らかにロナンを主役として引き上げるために、行われた演出の変更によるものなので、仕方のないことなのかもしれません。でも、もう少し、3人の違いがよりはっきりしたら良かったのになあと思いました。特に割りを食ったのはデムーラン。サイラモナムールはロナンがリードを歌いバックコーラスに、Aux armes!(武器を取れ!)のシーンも連呼していた割りに、仏版ほどドラマチックなシーンにはならず(っていうか、テーブルに立っていたのはひょっとしてロナンだった??いや、さすがにそれはないよね。。。)、、、。ほんと、one of themに埋没してました。仏版は彼の存在が主役のロナンを食ってしまうほどに大きかったのですが、彼の持つ「理想の国」を目指そう!というロマンティックな雰囲気が少々宝塚版では弱まっていたかなという気がします(まあ、その役割をロナンが担っていた、と考えることもできるのですが。。。)。

あと、個人的にお、と思ったのが、デムーランの妻リュシーの登場。仏版にはない役なのですが、デムーランについて、自分が調べていた時に偶然この2人のラブ・ストーリーを知り(2人とも恐怖政治のときに処刑されてしまいます。)いたく感動したので、この改変ちょっとだけうれしかったです。

<ソレンヌ>
すでに前回ほとんど書いてしまったのですが、やっぱりフランス版との一番大きな違いは、オリジナルでは悲しみ、脆さを胸に秘めつつも、娼婦として生きる誇り、したたかさ、強さ(言葉はあまり素敵ではないけれど、何があったって生きてやる!みたいな雑草魂を感じた。)が全面に出ていたのに対し、宝塚版はロナンの妹という点が重視されていて、ちょっとかわいいキャラに変更になっていた点でしょうか。

変更点で一番大きかったのは、彼女の代名詞とも言える歌、Je veux le mondeを歌わないこと。この歌がなくなったために、彼女の存在感が一気に薄まり、舞台の中における「女性」の役割が一気に減ってしまいました。

オリジナル版ではかなり存在感があった役ですが、宝塚版ではかなり脇役に格下げの印象でした。ここは本当に残念。

<ラザール>
一言。う、美しすぎる。2階席からの観劇でしたが、はっきりとその美しさがわかりました笑。演じてらっしゃった星条さん、彫りが深いお顔立ちが際立っていました。オリジナルを演じていたマチューは、どちらかというとフランス人にしては薄い顔立ちをしていた(爆)+ロッカーなので、こんな眩いキラキラ感はなく、そのギャップに慣れるのに時間がかかりました笑。

ロナンの父を殺す仇役という点や無慈悲なサディスティック・キャラという点はオリジナルと同じでしたが、ロナンと歌うManiaque(邦題:耐えてみせる)とNous ne sommes(邦題:国王陛下の名の下に)の演出は結構違ってました。宝塚版はまさに美しいサディスト(爆)。

一番の違いは、Maniaqueで彼が実際にロナンに拷問を指示する役になっていたということ。これは、びっくりでした。が、、、私としてはこの演出はあまり好きではなかったかな。これは、仏版のコンセプトからちょっと外れていた気がします。。。フィジカルな暴力シーンは物語の設定上必要であれば、全然構わないのですが、、、個人的にこの場面で拷問を持ってくることが果たして必要だったのかな、、、と自分は疑問に思いました。前回の記事で、仏版の良さはエグさと書きましたが、こういうフィジカルなエグさを持ってきて、なんか残酷〜、と観客に思わせるのは、ちょっと安易な気がします(実際に拷問とかはあったのかもしれませんが…。)。精神vs肉体としたかったのはわかるのですが。

仏版も確かに、どんな仕打ち(父を殺されたり、土地を没収されたり)を受けても人間の「考え」だけは奪うことはできない、と訴えるロナンをラザールが嘲笑うという設定は一緒ですが、Maniaqueの歌の元々の意味は、フィジカルな痛みに耐えてやる、というよりも、マニアック(偏執者=取り憑かれた人)という言葉が示す通り、取り憑かれてしまうくらい強い復讐への怒り、また、「考え」によって体はどんなに捕らえられても自由でいられる、と主張するロナンとその「考え」によってお前は囚われているのだ=早くそんな馬鹿な考えを捨てろ、と嘲るラザールとの対比がメインテーマだったのですが、この辺、単純化されちゃって残念、と自分は思いました。

Nous ne sommesは、ラザールが指揮者のようになって(オリジナルでは実際に指揮をする振りがある。)軍隊を奏でる(笑)という演出があったのですが、それが確か宝塚版ではなかったか、あんまりよくわからない設定になってた気が。ここで星条さんがすごい声を潰してドス声で歌ってたのがそういえばこの曲では印象的でした。が、オリジナルですごく印象的だった「イっちゃってる」顔はやはり美の宝塚では無理でした苦笑。しかし、マチューに星条さんのお写真見せてあげたいわ笑。

<その他>
・フェルゼン
宝塚版ではアルトワ伯に次ぐ出世をしたキャラと言えるでしょう笑。これはやっぱり、ベルばらの影響なのかなあと思いますが。

前述のように、オリジナルでは半ばどーでもいいキャラでしたが、宝塚版では、アントワネットの相手役として、アントワネットへの純愛を貫き、最後は美しく身を引き、王家を守ると誓うまさに「王子様」キャラでした。そして、宝塚用の書き下ろし曲である「世界の終わりが来ても」のデュエットにも参加。振り返ると、フェルゼンぐらいしかザ・王子様キャラはこの作品にはいなかったな。。。

・ルイ16世
オリジナルではかなり幼稚でおバカなキャラ全開でしたが(笑)、宝塚版は政治に関心がなく趣味に走っていたとはいえ、かなり人格者だけど優柔不断な人、というやや救いようがある人物に改変されていました。

・オランプの父
オリジナルでは、ロナンの解放を訴えるオランプに対し、父は鍵を渡そうとしません!笑。なので、オランプは父がよそ見をした時を見計らって、バスティーユ監獄の鍵を奪取し、ロナンを助け出します。宝塚版でお父さんが、娘を信じよう、と言い、あっさり鍵を渡したのはかなりずっこけました。え?お父さん、あなた監獄の監視役でしょーが!笑。というわけで、医者を装ってオランプと一緒にロナンを救出するシーンもオリジナルにはありません。穿った考えかもしれませんが、オランプが一人でロナンを救出できないという改変もやっぱり宝塚だから?と思ってしまいました。

そして、前回の記事にも書いた通り、最後のシーンでオランプ父が救出されるといったエピソードもオリジナルにはありません。

・シャーロット
ロナンとオランプの恋のキューピッドという設定は同じですが、オリジナルは、2人の恋を応援しつつも、おしゃまな面もあり、ある意味小生意気な感じの女の子だったのが、宝塚版は本当に2人の恋を心から応援するかわいい女の子という感じにちょっとだけ変更されていたように思います。

オリジナルでもはっきりとは言及されていませんが、「パレロワイヤル」というおよそ子どもがいるべきではない場所を1人でうろついていたり、パリのあらゆる場所に精通しているところを考えると、シャーロットは、何らかの理由で孤児になった子だと思われるのですが、そういったたくましく生きる子ども、という部分が宝塚版は薄れたかな、という感じでした。もう1つ、シャーロットの見せ場だった、ダントンとの軽妙な歌の掛け合いがあるAu Palais Royalでの登場場面がカットされたこともあり、やはりキャラとして格下げされた印象でした。

・印刷所の人々
オリジナルでマラーは辛うじて、出てきてたと思いますが、それ以外の印刷工はダンサー1,2…といった感じで名前は全く付いてませんでした笑。なので、宝塚版でかなりの人に名前が付いてたのは新鮮でした。

・ギヨタン博士
これ、宝塚版の完全オリジナル・キャラですが、、、個人的に彼の役回り、というか、何度も何度もギロチンの機械が出てきて、repriseされる理由が私には全く謎でした。アントワネットたちがこの後、褒めちぎっていたこの機械で自ら命を落とすことになる皮肉、もしくは忍び寄る死の影を表したかったのではないかと想像するのですが、イマイチ話に関係ないし、あの小さなギロチンの模型が出てくる都度、私はイラっとしてしまいました笑。

全体として、ポリニャック夫人等、オリジナルでは歌を歌わないキャラもみんな歌に参加していたり、同じ人がいろいろな役を兼任したりといったことは無くなっているといった変更がありました。

こうやってまとめてみるとやっぱり結構変更があったなあと思うのと同時に、やっぱり文化の影響って大きいんだなと思いました。



2015年7月11日土曜日

1789 バスティーユの恋人たち 宝塚公演、観劇しました!

さて、1789 Les Amants de la Bastilleのオリジナルをわざわざパリまで見に行ってから早3年。
ついに、日本で上演される1789を見に行くことができました!そして、記念すべき初宝塚観劇。ドキドキでした。

初めて宝塚の劇場に来ました!やはり女子、女子、女子笑

作品の潤色度については、いろいろな噂をちょくちょく耳にしていたので、かなり改変が加えらえれていることは知っていましたが、いやあ、変わってましたね笑。全く違う物語に仕上がっていました。「恋人たち」が2組になってたよw、から始まり、アルトワ伯がお耽美神様キャラに格上げされていたり笑。。。話し出したらきりがなくなるのでここら辺で止めておきますが…。

でも、予想通り、宝塚版のほうが、ロナンを中心とした革命群像劇そしてオランプとロナン&アントワネットとフェルゼンの愛の物語という筋書きがはっきりとしていて、起承転結も仏版よりわかりやすくできていたんじゃないかなと思います。

仏版は先に音楽ありきで、物語がそれを追っているって感じで、「革命に散った若い命」、「人間の尊厳」、「命の重さ(あるいは軽さ)」といった主題はかなりはっきりと伝わるんだけど、そこに辿り着くまでの線がどうも曖昧で(四方八方にいろいろ散った挙句、強引に収束、と見えなくも無い展開。。。)、見終わった後、若干きつねにつままれた感がありました笑。それが、宝塚版では、すごく緻密にストーリーが線として作りこまれていて、見終わった後に、いろいろ納得しました(仏版とは全く別の新たなストーリーとしてですが笑。)。でも、こうやって観客をきちんと納得させられるのはやっぱり演出家さんの手腕なんだと思います。

が、その反面、そういった緻密な文脈を作るにあたってかなり大胆な改変が加えられたため、オリジナルでは活きてた設定が、意味不明になっていたことも。でも、まあ、これはある意味仕方のないことな気がします。

セリフは意外と仏語版のセリフを忠実に再現しているものもあり、歌もJe mise tout等はそのまま曲の内容を踏襲していました。が、やはり、大部分が全然違うコンテクストで歌われていたり(La sentence、Je veux le monde etc...)、全然違う歌になっていたり(Pour un  nouveau monde)、、、様々でした。

あと、宝塚版ならでは、と思ったのは、やはり歌。使われた曲をチェックしてみたのですが、宝塚版では、オリジナルから1曲削られた曲(La Rue Nous Appartient)があったものの、シーズン2でしか使われなかった曲が2曲、CDにのみ採用されている曲から1曲、宝塚版の書き下ろし曲1曲が加わっていたので、オリジナルよりも実は、3曲も多い構成でした。これはやっぱり「歌劇団」だからなんじゃないかなと思うのですが。。。

しかもジェンヌさんたちは全員歌が歌えるので(オリジナルはダンサーと歌手は別々なので、実は舞台に立ってる人の大半は歌が歌えないというか、マイクをつけていない笑。したがって、コーラスも全て録音。。。)合唱シーンがすごく良かったなと思いました。これは多くの人も思ったのではないかと思うのですが、「声なき言葉  (原題:Les mots que l'on ne dit pas )」は、実は、元の曲のコンテクストとは全く違うものの(元々は、オランプが、ロナンに伝えられなかった言葉について思いを馳せる歌。)、ハミングの合唱の部分の重層的な響きがこの歌にスケール感を生み出していて、宝塚版のオリジナル曲として華麗なる 変身を遂げていました。

特に歌で自分の中で印象に残ったのは、アントワネット役の愛希れいかさん。透き通るような高音は宝塚ならでは、だと思います(基本的に、フランスではミュージカルに出演する歌手はポップやロックを歌う人たちなので、こういうクラシカルなザ・高音を聞くことはあまりない。)。お美しさも相まってうっとり。

お芝居についても、 宝塚の方がやはり発声等、ザ・舞台といった感じがしました。そもそも、フレンチ・ミュージカルは音楽を中心にしてそれをつなげるために台詞がつくといった感じであることが多く、歌に対する比重が高めなので、台詞部分はそれほど細かくないことが多い気がします(ノートルダム・ド・パリなんて、台詞がそもそもないし。)。

対して、宝塚は、台詞一つ一つが、細かめで、説明的な部分が多いように感じました(分量自体も多かったのかな。。。)。しかも、仏版は、舞台で歌を歌う人はメインの職業は歌手という人が多いので(コンサートやったり、シングルとか出す普通の歌手=舞台とはおよそ無縁な人ということです笑。)、人によっては演技をしたことがないという人もいるので、演技としては、もうちょっと荒削り、ナチュラル目な気がします(決して大根というわけではないですが。)。

あと、上記に関連していることでもありますが、仏版よりも宝塚版は、状況設定が非常にわかりやすくなっていました。これ、実はパリで見ていたとき、私かなり混乱していたので、フランス革命の細かな点に詳しくない私のような人間に は非常に親切だなと思いました。場面が変わるごとにちゃんとどこか文字で示されるし、「三部会」という歌が追加になっていましたが、こういった形でところ どころ解説してくれるシーンがあったり、テニスコートの誓いのシーンではちゃんとテニスコートがセットになっていたり(仏版は何もなかったので、何の シーンかさっぱりわからなかった。)、迷うことなく話の筋を追うことができました。

宝塚でもう一つ忘れてはいけないのは、ダンスだと思いますが、こちら、レビューはさすが!!!でした ^^ 物語の暗いエンディングから一転、突然キラキラ純白お衣装、ミラーボールになるので、ちょっと頭の切替は必要でしたが笑。ラインダンス、羽、羽、羽、はやっぱりフランスって感じがしました!

ですが、劇中のダンスは、オリジナルで筋肉隆々の男性ダンサーが演じていた振りをそのまま持ってくることはできないので、やっぱりその辺はちょっと迫力としては仏版のほうに軍配が挙がるかなという印象でした。Maniaque(邦題:耐えてみせる)やNous ne sommes (邦題:国王陛下の名の下に)等の男臭さ満載の力技が結集されている振り付けはやはりなくなっていたので、その辺の雄雄しさはやはり影を潜めていた気がしました(いや、むしろ、そういう汗臭さは宝塚には求められていないとも言えるでしょう。)。やはり女の子ということもあるのだと思いますが、どうも衛兵の格好も何となくかわいいコスプレにしか見えず(ごめんなさい)、、、ここはやっぱり男性ダンサーのほうがいいんじゃないかなと個人的には思いました。

あと全体的に宝塚のダンスは、綺麗にまとまっていて、確かに美しいのですが、フランスのオリジナルのような迸る感情、エネルギーというのはちょっと薄かったかなという気がします。その影響もあってか、Sur ma peau(邦題:肌に刻み込まれたもの)から最後のバスティーユ監獄のシーンにかけての盛り上がりがイマイチだった気が。あのシーンは民衆の怖いまでの怒り、魂の叫び、新しい世界への想いが渾然となった一種の「カオス」的なシーンなので、もうちょっとそういう観客を圧倒するぐらいのメラメラとしたものを見たかった気がしました。

娘役さんが いっぱい出てくるLa nuit m'appelle (邦題:夜のプリンセス)は割とセクスィーな振りや表情もいっぱいあったのですが(おー、ここまで宝塚でもやるのね、と私は、結構驚きました。)、仏版の女性ダンサーのような匂い立つような妖艶なセクシーさ、加えてガールズ・パワーというか女性としての矜持を高らかに歌い上げるといった要素がやや弱いように思えました。。。(やっぱり、ところどころ、良家の子女っぽさが見え隠れしていて、悪い女を「演じている」感じがした。。。)。

でも、こういうちょっと危険なファム・ファタルなセクシーさというのは、努力して醸し出すものというより、自然に滲み出てきてしまうもの(セクシーな人って、何してもセクシーじゃないですか笑)だと思うので、これはやっぱりl'amourな国フランスで活躍する女子たちと比べると酷かなという気はします。。。さらにいえば、それこそ、そういう露骨なセクシーさというのは、やっぱり宝塚に求められているものとは別物なのかなという気もしました。



さて、観劇後、劇場を後にしたわけですが、、、。


お話の作りも良かったし、歌も上手だったし、演技も良かったし、周りの人の反応も「良かったわね~」で満場一致だったのに、なぜか一人劇場入口で悶々としている自分がいました。。。

その理由を考えてみたのですが、つきつめたところ、細かな変更も含めて、いろいろな面で仏版の「リアルさ」、「エグさ」がなくなって、「美しさ」だけ残っている作品になっていたから、な気がしました。

でも、これは、宝塚の公演ということを考えれば必然的な帰結な気はします。ネットで宝塚の魅力、というのを検索していて、多く挙がっていた理由の一つに「リアルな世界には存在しない夢のような世界に出会えるから」というものがありました。実際、舞台を見てみて、舞台人として洗練された女性たちによる伝統と歴史に裏づけされたまさに粋を集めた舞台であると思いました。ですが、、、ここからは、完全に私の解釈にはなってしまうのですが、、、同時に、あまりに完璧すぎて、「隙がない」というか、「美しすぎる」気が私にはしました。。。

特にそれぞれのキャラクターの解釈がみんな、「いい人」になっていて、お話自体も「イイ話」に変更になっていたのが個人的には気になりました。確かに、仏版も、プロデューサーが、インタビューで革命の最もロマンティックな時代を描きたかった、だから1789年より後の血みどろの恐怖政治の時代は描いていないとおっしゃっていた↓ので(宝塚版にはロナンが拷問されるシーンがありますが、実は、多分こういう背景からか仏版にはロナンが直接暴力を受けるようなシーンは出てきません。)、1789年という人々の理想に燃えた「美しさ」を描こうということではあったんだと思いますし、最後の人権宣言のシーンなどはほんとに心揺さぶられるものがあります。

1789のプロデューサーであるアチアさん、アルベールさんのインタビュー
https://youtu.be/9cPKuI-aWIM

ただ、私が宝塚版を見て思ったのは、宝塚版はやっぱり型がきっちり決まっているというか、とにかく見せ方をかっこよくすることに比重が置かれている気がしました。それに対して、仏版は、同じ「美しい」であっても、その意味合いはちょっと違うように思います。

もちろん、仏版も振付け、衣装、舞台装置は華麗です。でも、それ以上にこの舞台が見せようとしていたもの、それは、人々の「リアルな感情のぶつかりあい」だったのではないかと思います。怒りは怒り、悲しみは悲しみ、憎しみは憎しみ、喜び(悦び)は喜び(悦び)、どの感情もリアルで人間味が溢れています。そして、悲惨なものはとことん悲惨で、無慈悲です(ほんとに、misérable ...)。

例えば、アントワネットの死のシーンは、なかなかエグい演出でしたし、前述のとおり、襲撃のシーンのダンサーの表情には鬼気迫るものがありました。La nuit m'apppeleのダンスの振りには明らかに営みを連想させ、女性が傷つくことを表している振りがあります。革命家同士の喧嘩のシーンも、本気でロナンがデムーランに食ってかかり、ダントンがどうして、憎しみ合わなければいけない?と諭します笑。そして、王太子のお葬式で2人が再会するシーンは、お葬式なのに、オランプの衣装はスケスケシースルー、抑えきれない想いをバトルのように掛け合いで歌い、そして最後にがっつりと抱擁 笑。愛にモラルは関係ありません(爆)。

設定にしても、主人公のロナンの妹のソレンヌは、宝塚版では、兄と仲直りもしますし、最後の方では、昼はカフェで働いており、どうやら娼婦の道から足を洗いつつあるような感じの設定になっています。しかし、仏版の設定では、娼婦のままで、ロナンが置き去りにしたことを謝罪するにもかかわらず、彼女はそれを受け入れず、パンを求め、武器を手に行進へと向かいます。そして、そのまま、ロナンは死にます。

これはオランプの設定にも言えます。仏版では、アントワネットに任を解かれ、ロナンを追いかける、というところまでは同じですが、ロナンと再会してハート<3みたいなシーンはありません。(壁を隔てて、愛を告白する白昼夢のようなシーンが挟み込まれるだけ。。。)その後ロナンに出会うときは、やはりバスティーユ監獄でロナンが凶弾に倒れるところです。やはりこの二人も最後に言葉を交わしたのは、「生きる世界が違う」と認識し、半ば喧嘩別れをしてしまうシーンです。

だからこそ、最後のロナンの死の悲劇性が増すわけですが、宝塚版は、どうも最後にみんな人はいい人になるし、がんばる人はどこかで幸せになることができる、みたいな設定になってたのが、私には安直すぎに思えました。

アントワネットの恋も、宝塚版は、フェルゼンとの純愛、そして、最後はフランス王妃としてルイ16世の貞淑な妻に戻ることを決心する、という些か古風というか、日本人にとって受け入れやすい設定になっていますが、、、仏版は、フェルゼンとの恋が物語の中心でないこともありますが、、、フェルゼンへの恋が宝塚版ほど純粋な愛には見えませんでした(まあ、確かにオランプに私は愛する人を追いかけられない、でもあなたは追いかけなさい、とは言うんですが、フェルゼンが出てくるシーンは、パレロワイヤルの密会シーンだけで、あなた、どうせ女ができたんでしょ!で、終わっているので、やっぱりアバンチュールな恋だったのかしら?という印象は拭えませんでした苦笑。。。)。しかも、浮気をルイ16世に指摘されたときは、「そんな噂を信じるなんて侮辱だわ!」と怒り心頭で、ルイ16世の元に戻る気配もありませんでした。。。というわけで、アントワネットも間違いを犯したけれども、貞淑な妻に戻る、というより感情移入しやすい「いい人」キャラに設定が変更。。。

仏版は、話の筋は突っ込みどころが満載ですし、演技自体は宝塚と比べればだいぶ荒削りだったと思いますが、役者本人がほんとに役を通して、革命を舞台の上で確かに起こしてました。 一人一人の想いが本当に世界を動かすんだ、そう信じさせてくれる舞台でした。

宝塚の演技は手足の隅々まで気が配られていて、発声もくっきり、はっきり。演技の基礎がやっぱりみんなきちんと舞台人として完成しているなあと感心したのですが、拷問のシーンや人々が窮状を訴えるシーンでさえも、なぜかかっこよく見えてしまい(貧しい若者が鞭打たれてるんじゃなくて、スター様が鞭打たれちゃってるー、みたいな感じ。)、、、全てがキラキラに見えてしまいました。。。それがなんとなく、私の中では違和感として残ってしまったような気がします。

新しい時代への理想も、仏版の場合はそういう、妥協のない(苦笑)救いようのない悲惨さ、怒りから、こういう美しい理想が生まれたんだという地に足のついたベクトルを肌で感じることができたのですが、宝塚版は、どうもその辺りが、キラキラ感も相まってか、美しい理想だけが燦然と輝いていて、その裏にある人々の惨状や涙、怒り、憤り、不条理さがどうしてもはっきりと見えてこないなという印象でした。

私はどちらかというと、キラキラ感だけでなく、ドロドロでもリアルな人間の「生」を見たい、というタイプなので(ある意味泥臭い感じ)、宝塚版には宝塚版の良さがありつつも、やっぱり仏版のほうが自分の考える「革命」のイメージにしっくりくるかなあという気がしました。

でも、これは、宝塚と仏版では目指す舞台が違う、ということももちろん関係あると思いますし、フランスと日本の文化の違いということもあると思います。また、単純に何を舞台に求めるのか、で、舞台の見え方も自ずと変わってくるのではないかという気がします。

そして、もう一つ気になったこと。。。これは、自分がフェミニスト寄りな人間だからなのかもしれませんが、、、やっぱり「女性」の役割が極端に抜け落ちていたことがすごく残念でした。

フランスがフェミニストの国なのか、、、というとこれはこれで難しいですが、、、少なくとも、仏版のオリジナルでは、男から見た革命と女から見た革命の両方が半々ぐらいで描かれています。男の見せ場がバスティーユ襲撃なら、女の一番の見せ場は、パンを求めて立ち上がり、惨めな思いはもうたくさん、さあ、みんな革命を起こすわよ!とソレンヌが歌うJe veux le monde(邦題:世界を我らに)だと思うのですが、宝塚版ではこのシーンは男たちが革命後の新しい世界を夢見て歌うという設定に変わっており、女が立ち上がることを明確に示した歌はなくなってしまいました。

この歌は、元々は、新しい世界を求める歌であると同時に、世界を握っているのは女なのよ、男ってのはバカなんだから、という「女王様」ソングでもあります笑。歌詞も中々辛辣で、おー、これは男もビビるわね(笑)、みたいな歌です。そう、女だってファイターなのだ!と私は感激しながら頷いていたわけですが(笑)、この歌のコンセプトが宝塚版ではごっそり消えてしまったために、宝塚版では女性の強さ、したたかさ、ファイティングスピリットが全く描かれない事態となってしまいました。

そのため、なんだか非常にアンバランスな仕上がりになったように思います。これは、男性トップを魅せる演出をする宝塚にとっては仕方のないことなのは重々承知しているのですが、、、私個人としては、この部分は仏版の大事なエッセンスの一つだと思うので、これを落としてしまうと、仏的エスプリが抜けた舞台になってしまうと思います。。。

あと、前述のLa nuit m'appelleは、仏版は、普通は眉をひそめて捉えられがちな「娼婦」という職業を「美」と捉え、そこに見える女として生きる誇りを感じさせる曲なのですが、宝塚版はタイトルが「プリンセス」になってしまっている辺り(どっちかっていうと女王だよなあ。。。なんか一気にかわいくなってしまった。)からして、どうもキラキラ感が拭い去れず、そういった底辺で生き抜いている人の美しさ、したたかさ、たくましさが、どうも伝えきれていない気がしました。やっぱり、典型的な姫キャラではない女性を描くのは、宝塚では難しいのでしょうか。。。「夜に私は自分自身が一番美しいと感じるの。」という歌詞が持つ艶かしさ、誇り、でもその裏側にある脆さ、、、そういう人間の多面性がもう少し見えたら、と思いました。。。

そして、一番、むむむ、と納得いかなかったのは、主人公のロナンの最期。

最後、宝塚版は、オランプのお父さんを守るためにロナンが代わりに死ぬことになっています。これは、、、、確かにイイ話、だけれど、正直、演出として仏版の大事なコンセプトを台無しにしてしまった残念なシーンでした。

上記の仏版のプロデューサーのインタビューに、「なぜ、ロナンを死なせてしまう設定にしたのですか?」という質問があるのですが、彼らは、ロナンの死は、「(革命で犠牲になった人々の)象徴なんだ」と答えています。これは、ミュージカル鑑賞時に私も強く感じたことでしたし、このミュージカルが一番伝えたかったことなのではないかと思います。

ロナンが死ぬシーンは、「ロナン」という個人の死を超えて、もっと普遍的な「犠牲」を意味しており、そういった多大な犠牲と引き換えに、私たちが現在享受する人権だったり、自由といった大事な権利があるということを象徴的に表しているシーンだと思うんです。この仏版のあっけないロナンの死のシーンは、その悲劇性、不条理さを示すと同時に神々しさも感じさせる重要なシーンになっていると思います(プロデューサーさんは、このことを人類の罪を背負って死んでいったキリストにたとえていますが、そういう目で見ると、確かにね、と思うシーンでした。)。

が、宝塚版では「お父さんのため」という完全に個別的な「死」にすり替えられてしまったため、ロナンは愛する人を守るために戦った人という個別具体的な死に留まってしまい、そういうフランス版の大きな背景が見えづらくなってしまったように思いました。これ、東宝版でぜひ変えて欲しい苦笑。そうしないと、この物語単なるラブストーリー&青春物語になってしまうもの。。。

以上、雑感、、、でした。
次回、なんとなく、仏版との違いを羅列してみようかなと思います。


2015年6月24日水曜日

2016年秋 仏新作ミュージカル Marie-Antoinette Et Le Chevalier De Maison Rouge (赤い館の騎士)

検索していてふと気づいた&思い出したのですが、、、そういえばアントワネットの新作がどーのこーのと聞いた気が、、、と思ったら結構もうすでにこのプロジェクト走り出してました汗。

↓発見した記事。タイトル「"ミュージカル"の戦いの火蓋が切って落とされる」。この記事ではこのミュージカルとアーサー王が対決!、といった内容になっています。

PVは、結構作りこんであるので、わりと大き目のミュージカルなのだと思うのですが、三銃士と比べると、全然情報をゲットできていなかった。(マーケティングの差?!)。

さて、このミュージカル、アントワネット+革命モノです!

日本に輸出という構想は全くなさそうだけど(笑)、でもこれ輸入されたら絶対注目されるんじゃないかなあ。

タイトルは、"Marie-Antoinette Et Le Chevalier De Maison Rouge(wiki(仏))(FBページ)"。アレクサンドル・デュマの「赤い館の騎士(あらすじ)」 からインスピレーションを受けたミュージカルのようです。フランスで有名な(だと思われる汗)作詞家、作曲家、歌手であるDidier Barbelivien(ディディエ・バルベリヴィアン)さんという方が製作するということが話題のミュージカルっぽいです。上記記事によれば、この小説が原作のテレビシリーズが60年代にフランスで放送されており、ディディエさんはそれの大ファンだったらしく、ずっとこのミュージカルの構想が心にあったとか。

すみません、この小説を読んだことがないので、あらすじを見聞きした程度になってしまうのですが、どうやらアントワネットがテンプル塔に幽閉されていた最後の数週間の間の話のよう。アントワネットの脱出計画、禁断の愛、、、となかなかサスペンス=ミュージカル向きな物語のような気がします。

そしてよく考えると、2016年は三銃士も上演される年。ということは、2016年はデュマ・イヤーなんですね笑。それだけ、デュマは、フランス国民に愛されている作家だということも言える気がします。

フランスでしか買えないみたいだけど、CDもすでに発売になっているらしい(視聴可)。

いくつか曲の映像も出てます。

"La France"
この映像の最初の方に出てくるロマンスグレーのおじさまが多分、ディディエさんご本人(本人も出演されるっぽいです。)。
ちょっとメランコリックで、でもきれいでドラマチックな曲。「ラ・フランス」って繰り返すからもあるのかもしれませんが、脳裏にトリコロールがひらひらしている映像が思い浮かびました笑。歌詞も、最近のポップのように「きみに恋しちゃった<3」みたいなひねりがない(爆)ものではなく、もうちょっと抑制の利いたポエティックな歌詞のような気がします。こういう詞ってフランスの言葉の豊かさを感じられて好き。

"L'amour secret"
タイトルどおり、秘密の恋の歌っぽい。

すでに、テレビ等でもパフォーマンスは披露されているようです。

最近、アーサー王とか、三銃士とか、ミュー曲っていうか、ほとんどポップみたいな曲ばかり聞いていた自分は、びっくり。これこそミュージカルの曲、という感じの曲(まあ、ちと歌謡曲っぽいという言い方もできるかもしれない。)。ちょっとロミジュリの繊細な美しい曲たちを思い出しました。 ディディエさんがキャリアの長い歌手、作り手だということも影響してるのかなあ。

PVも、ミュージック・ビデオではあるけれども、ちょっとストーリーを感じさせるところがいい感じ。
というわけで、フレンチ・ミューだからといってみんながみんなポップで、ロック、、というわけではない、、、ようです^^

→追記:

ちょっと詳細を探そうと思い、記憶に残ってた批評家さんの記事(1月5日付のFB記事)を探して読んでいたのですが、、、批評家さんからは、かなり酷評されてました。コメントもうん、これは酷い、といったものが大半。

え?私、何かまずいもの紹介しちまった?!(笑)かと思い、ちょっと焦って、見てみたのですが、、、酷評されていた理由は主に2つのようでした。

1つは、同じ革命ネタである1789 Les Amants de la Bastilleの直後であること、また、フランスにはもう1つ仏革命を題材にしたLa Révolution Françaiseという有名な古いミュージカル(1973年製作)があり、これらミューの二番煎じ+便乗してるだけで想像力がなさすぎ、という批判。

もう1つは、歌が70年代からそのまま出てきたみたいでダサすぎる、、、というもの。こんなものをミュージカルと呼んでほしくない、とまでコメントを書いていた人がいたので、いったいどんな詞なんだろうと思ったのですが、、、見てみたところ、ダサい、古臭い、陳腐、と言っていた人の言いたいことは何となくわかりました。

最近のポップなミュージカルと比べると、ちょっとお高く留まっているというか、poshというか、詞の言葉自体ポエティックだけれど、まあ、確かにきれいに響く言葉を並べただけと言えなくも無い詞でした。La Franceは特に、おおフランスよ、みたいな感じなので、フランス人からすると、こういうの聞き飽きた&お説教はよしてくれ、、、と言いたくなるのかもしれません(まあ、ある意味、外国人が似非ジャポニズム(芸者、チャンバラ、フジヤマ系のやつ)を絶賛されているのを見ても、日本人の自分からすると、むむむ、、、と思うのとちょっと似ているかなあと自分は思いました。)。

でも、逆に外国人からの視点だと、ある意味それこそ「ラ・フランス(ザ・フランス)」という感じがして、スーパー・ステレオタイプではあるけれど、ミュージカルとしては受け入れやすいんじゃないかなあという気がします。その辺、やっぱりフランス人とはちょっと期待するものが違うかもなあと思ったりしました。

そして、安心要素も。確かに批判している人のほうが圧倒的に多かった気はしますが(爆)、それでも、美しいと思う、と言っていた人も中にはいたので、まあ、大きな枠で考えるとテイストの好き嫌いが結構分かれる、といったところなのかもしれません。


2015年6月22日月曜日

ノートルダム、秋にも公演があるらしい。。。

さてびっくり情報。

祝、ロミジュリ公演<3と思っていたら・・・

なんと!ノートルダム・ド・パリ、10/15~11/15という日程で韓国でまた公演があるらしい。。。
ただし、場所は世宗センターではなく、ブルースクエア サムスン電子ホールのよう。

今年の頭のノートルダムの公演を取り仕切っていたマスト・エンターテイメントのFBの6/18付のポストをG翻訳すると、9/12~10/11 のロミジュリ公演に引き続き、ノートルダムの公演がある、ということになっているようです。ちなみに、ロミジュリもブルースクエアでやることになっている模様。
https://www.facebook.com/MASTENTER?fref=nf
Interparkの韓国版ではチケット情報も見れるみたいです。世宗よりちょっと安い。
http://ticket.interpark.com/Ticket/Goods/GoodsInfo.asp?GoodsCode=15007052

ブルースクエアのHPにもロミジュリと一緒にちゃんと載ってました。
http://www.bluesquare.kr/Goods/AllPerformanceList.asp?m_menu=performance&s_menu=all

MERSのこともあったり、この先のことはまだ未知数なことも多いですが、、、2か月連続で招聘版を持ってくるって、韓国すごいわー。そして、同じ年に同じ公演を2回やるってのもまたすごい。

日程的に2つの演目がつながっているので、滞在をちょっと伸ばせば、ロミジュリ→ノートルダムという、なんだか想像もつかない楽しみ方ができる日程にはなっています(飛行機代も2回出さずに済むしね笑。)。

でも何故こんなに詰まったスケジュールなのだろう。。。舞台の仕込みとか間に合うのかな。。。と勝手な心配をしてみたり。

いずれにしろ、アジアでまたオリジナル版の公演が見れるというのは、すばらしいことです。
日本まで足を伸ばしてくれればいいのになあ。


2015年6月20日土曜日

フランス版 三銃士の楽曲が発表になりました!

先日キャスティングが発表になりましたが、三銃士の楽曲も発表になりました!

最初のシングルはやはりダルタニアンから。

ダルタニアン役のOlivier Dionくんがセーヌ川沿いのパリの街を背景にとっても爽やかなダルタニアンを演じています。三銃士と言えば、鮮やかな剣さばきですが、そちらもちらり。愛するコンスタンスやアトスも少しですがでてきます。

Les 3 Mousquetaires (Olivier Dion) - Je t'aime c'est tout(訳:君を愛している、ただそれだけ)


英語とフランス語の字幕付き。
https://www.dailymotion.com/video/x2ujasi_l3m-jtct-eng-sub_travel?start=114

"それを言いたい
それを言うことはできる
きみのためならできる
呼吸をするようにきみを愛してる
救いようがないほど君を愛してる
きみのことを、とくに何よりも愛してる"

フランスの音楽の祭日(6/21)であるLa fête de la Musiqueで、この歌、観客に初披露されたようです。ちゃんとみんなで、剣を持ってプチ演技をしています笑。アトスは、、、やっぱり踊り専門で歌わないよう(苦笑)

https://youtu.be/mbv4TSVefwA


というわけで、歌の内容は、タイトルにバーンと書かれているように、ストレートにコンスタンスに対する愛を語ったもの。

こんな爽やかにかつストレートにきみのこと好きなんだ(キラキラ)と言えるのは、やっぱり若さの為せる技 笑。まぶしい、まぶしすぎる。

とにかく、君のことが好きで仕方ない、この気持ちを君に伝えたい、だけれど男ってのは、愛を伝えるのが苦手なんだ、でも君のためならできる気がする。。。というツンデレ?な曲な気がします。というわけで、君のことがすごく好き、ちょっと好き、、、すごく好き、ちょっと好き、、、といった花びらをちぎりながら好き、嫌い、好き、みたい(笑)な歌詞も登場します。

映像もそんな歌詞に合わせて、ダルタニアンが木にハートを彫り込んだりするシーンも。コンスタンス役のMeganも衣装がお似合いでかわいい。バックにたまに写り込んでいるのはなんとノートルダム。懐かしいなあ。。。

ただ、やっぱりロビンフッドのプロダクションということで、ミュージカルというよりは、普通のポップに近い仕上がり。PVを見なければ、ミュージカルの楽曲だと気づく人はたぶんいないでしょう(汗)。。。歌詞も、ありきたりと言えばありきたり。三銃士っぽさは、、、ぶっちゃけどこにも感じられないという(苦笑)。

ファースト・シングルなので、キャッチーさを意識しているのだとは思いますが(まあ、ある意味オリヴィエくんのかっこよさアピール・プロモ曲よね、と思えばそういう意味では、彼の魅力を余すことなく表現していて、それはそれですばらしい気が。)、やっぱりロビンフッド路線まっしぐらなのかなあ、とこの先ちょっとだけ心配。。。でも、FBのコメントとかを見てると、若者の反応はやっぱり良かった気がします。

というわけで、私としては今後の楽曲に期待かなあと思っています。

6/10のキャストお披露目のプレス・コンフェレンスでは、他の楽曲、ダンスもちょっとお披露目されたようです。

アラミス役のDamian Sargue。どうやら"Un jour(いつか)"というタイトル、のよう。
ところどころしか聞き取れないないのですが、何となく、三銃士の道程を振り返るあるいは、これからの旅路に向けて静かに思いを巡らすといった曲な気がします。結構、三銃士のテーマが出てるいい歌な予感。

とりあえず、最初のサビは多分、"un jour tous les espoirs sont permis, que le passé reprenne la vie(いつか希望が叶って、過去が命を取り戻せますように)"と言っているような気がする。。。

https://youtu.be/n6o7U3zbf1c

やはり歌うまし。。。

アンヌ・ドートリッシュ役のVictoria。こちらの曲のタイトルは"Face à Face"のよう。

https://youtu.be/Ph69D7SovSU

彼女もやっぱり歌うまし。。。

この2人はこのミュージカルで一番気になります!

アトス役のBrahim Zaibat によるダンスのデモンストレーションも。三銃士だから剣のデモかと思いきやマントを手にダンスを披露していました。身のこなしが、すばらしい、、、というのはあるんですが、それよりびっくりしたのが体の柔らかさ。。。これ、雑技団級じゃね???笑。いずれにしても卓越したダンサーなんだな、ということはよくわかります^^

https://youtu.be/7m5qvbKexfg

またCD等が出たら情報をアップしていきたいと思います。