2015年4月30日木曜日

Xavier Dolan グザヴィエ・ドランの"Mommy/マミー"鑑賞

ひょんなことからグザヴィエのカンヌの授賞式のスピーチを見て、グザヴィエの"Mommy"について知り、(そう、実は私、最初に知ったグザヴィエの作品はなぜかMommyだったりする笑。)、とりあえずすごいという話を耳にし、これまでの作品を見て(Tom à la fermeだけ未見。)、その作品の鮮烈さに衝撃を受けて以来、グザヴィエを心の中でこっそり応援している。

このチラシ傑作。何種類か種類があるのですが、
このチラシはカンヌのスピーチのことが裏に
書いてあります。

日本版の予告編にはカンヌのスピーチの
場面も挿入されているVerもある。

物語を追ったVer
グザヴィエの映像力。。。

去年のあの感動的な授賞式のスピーチから1年経ち、やっとMommyが日本で公開された。最近はあまり映画館に行かなくなってしまったのだが、久々に初日に映画館訪問。

グザヴィエのマミーに関するインタビュー(日本語)→http://natalie.mu/eiga/pp/mommy 
グザヴィエがマミーについて語るインタビュー(音声/英語)→こちら
なかなか面白い。

初日の最後の回に行ったのだが、結構な人だかり。そして、「グザヴィエって、○○」みたいな会話をしている人をいっぱい見かける。単館系のシアターとあって、来ている観客の人たちもやっぱり眼が肥えた方たちといった印象。

開場まで少し時間があったので、ロビーでくつろいでいると、前にいた青年が電話口で先ほど見たMommyの感動を誰かに熱く語っていた。すごいな、グザヴィエ。とここでまた認識する。

今回、本編上映前にグザヴィエの映画レクチャーのような、ミニクリップが上映された。これが良かった。グザヴィエ作品好きにはたまらない。

そこで取り上げられていたXavier映画の特徴:

①後姿のショットが多い
②前からのショットでも登場人物が伏し目がちだったりして、表情がほとんど読み取れないことが多い
③廊下のショットのシーンが重要な役割を担っている
④どんなに接近したショットでもフレームの人物とかならず距離がある 
⑤スローモーションの多用

ほかにもあったような気がするけれど、とりあえず覚えているのがこんな感じ。
スローモーションについては、Xavierのインタビューで本人も好きと語っていたのを聞いたことがあったので、何となく気づいていたが、バックショットが多いというのは言われるまであまり意識したことがなかった。このレクチャビデオではそれぞれのテーマのシーンがいろいろなXavierの作品から抽出されていて、あーほんとにそうだ、とまさに納得できる笑。

さてマミー本編の感想。

一応、フラ語学習者的視点から、言語について。

出演者も舞台もケベックというかカナダなので、バリバリのケベコワ・フレンチだということはわかっていたが、これが想像以上だった。すごい。とにかく何を言っているかさっぱりわからない。アクセントがとりあえず強烈。。。普通のフランスのフランス語でも映画や日常会話になると、途端に自分の聞き取り能力は落ちるのだが(汗)、今回の映画は10%くらいしかたぶん言っていることが理解できなかった。字幕を見てもどんなフランス語か全く想像ができない。。。でも、ケベコワ特有の罵り言葉であるTabarnakが多用されていたり、anglicismeと言われる英語化した表現やボキャブラリーが随所に見られ(やたらOKと登場人物が言ってた気が。)、いろいろな言語を行き来するのが結構好きな自分としてはケベコワ・ワールドをすごく堪能できた。

実は、自分、再見用にフランスで既に発売されているDVDを取り寄せていた(笑) ので、改めて耳が不自由な方向けの字幕つきで見てみたのだが、実は、フランスで発売されているDVDはフランスのフランス語で字幕が付けられているため、驚くほど言っていることと聞こえる音が一致しない(笑)。Tabarnakはご丁寧に全てmerdeやbordel(全くお行儀のよい言葉ではない。。。)などに置き換わっており、もはや方言というより違う言語の翻訳か?といったレベルだった。そして当然英語の部分はフランス語に置き換えられている。個人的には、オリジナル・テキストで台詞が知りたかったのだが、よく考えるとこれってケベック版のDVDでしか実現できないことなのかもしれない。。。(ケベコワ映画のワナ。。。)

さて、ストーリーについて。 

去年のカンヌのときから追いかけているので、予備知識を詰め込みすぎたのか(汗)、実は、あまり驚きなく最後まで見終わってしまった(でも、周りはすすり泣きの嵐。)。ストーリーも「親子の愛」という意味では、意外とシンプルなメッセージな気がした。

会話もダブル・ナラティブ(2つの物語が並行して進む形)で進むJ'ai tué ma mère、Les amours imaginaires 、Laurence Anywaysなどと比べると、大分シンプルになった気がした。台詞自体の量も減ったような気がするし、独白やインタビュー等、言葉による「説明」が減った分、逆に映像で「見せて」理解させるという部分が増えてより感覚的な、エモーショナルに直に訴えかける映画になった気がした(右脳的映画?笑。)。

台詞にしても、罵りっぽい台詞が続いた後に、ポッと心をえぐるような台詞が出てくるといった感じで、わりとメリハリが利いていた印象だった。これまでの作品の独白やインタビュー部分のシニカルで哲学的なセリフも自分は結構好きだったが、人によってはある意味奇を衒ったというかちょっとお高く止まっているように見える部分もあった気がする。が、今作では、そういう挿入部分がないので、ひたすら泥臭い、というか、登場人物の感じるままに荒削りな言葉たちのぶつかり合いで物語が展開するという感じがした。

ただ、自分は主人公の少年スティーブの感覚に寄り添うにはちょっと年を取りすぎており(あと、残念ながら自分はあんな純粋な心というものをとっくのとうに失っている(苦笑)&思春期の男の子の気持ちというのも女の自分には今ひとつピンときにくいところがある。)、 母の愛の深さ、大きさを等身大で理解するにはいろいろ足りなかったということもあり、今ひとつストーリーにがっつり入り込めなかった。スティーブの天使のような無邪気さ、しかしADHDで抑えることのできない暴力的な側面の対比も「残酷な現実」の設定としてはすばらしいと思ったものの、やっぱりこれも身近に感じるの は少々難しかったというのが自分の本音だった(どちらかというと自分はJ'ai tué ma mèreの母像のほうが自分の経験に重なることが多かった。)。たぶん、中高生の男のお子さんを持つお母さんが見たら、一番物語としては共感できるのではないかなという気がする。

しかし、グザヴィエの苦さと甘さが絶妙に混じったストーリー展開はやはり健在。エンディングもハッピーエンドなようなそうでないような味のある終わり方になっていた。 そして改めて、救いようのない現実に、希望を見出そうと格闘する人々の描き方がグザヴィエはほんとうまいなと感じた。希望といっても甘っちょろいフワフワしたような希望ではなく、現実としっかり向き合い地がついた希望というか、エグいまでの現実を描きながら、本当に闘った人にしか見えない一筋の光のようなものを今回の作品でも感じることができた。だからどの登場人物もある意味かっこわるい、というかがむしゃらに、必死に生きようとしている、希望を見出そうとしている、そういう姿が感動を呼ぶのかなと思った。

特に、自分も結局はなんだかんだで泣いてしまったシーンが最後の母ダイアン(フラ語だとディアンヌというような発音なんだけど。。。)とカイラとの「希望」についての会話。1年前のグザヴィエのスピーチの本当の意味がこの台詞でわかった気がした。会場にあったチラシにもあったけれど、「希望をあきらめないこと」はまさに「勇気」なんだと思った。最後にカイラが去ることを知った後、自らを奮い立たせるために泣くのを必死にこらえるダイアンの姿、実に名演だと思う。

この映画の物語の中心はもちろん息子スティーブとダイアンの「母と息子の愛の物語」であるけれども、そこにカイラという隣人が入ることで新たな「家族」の物語が生まれる。映画を観るまではカイラの立ち位置がイマイチよくわからず「?」と思っていたが、血のつながりでない(心のつながりと形容すればいいのだろうか。)新しい家族像をグザヴィエは提示しているのかなという気がした。

というかもはや「家族」という概念で人と人とのつながりは捉えきれないものなのかなという気もした。心に傷を持った者たちの共同体。自分の世代からすると懐かしいガラケーを手に3人で楽しそうに写真を撮るシーン。観客は何となく悲しい結末を予期しながら、このシーンを見ることになるのだが、3人のこの本当に幸せな様子と結末との対比に胸が本当に痛む。このヒリヒリするような痛み、やっぱりグザヴィエだ、、、と思った。幸せなシーンなのになぜか残酷。

これまでの作品(Tom à la fermeは見てないけど、知る限りでは) でグザヴィエの作品ではいろいろな形での「不可能な愛(l'amour impossible)」がテーマになっていたけれど、マミーもなんとなく希望が持てる終わり方をしているように見えつつも、やっぱり不可能な愛の映画であることは間違いないと思う。先日見たインタビューでも確か、グザヴィエはこのテーマが非常に好きと言っていた。そしてその理由が"humain(人間らしい、人間臭い)"だから、と答えていた。

報われない愛(Les amours imaginairesはまさにこのパターンだし、J'ai tue ma mereは、お母さん側からすればそういうことになると思う。)、お互い愛し合っているが「世間」の枠に最後は敗北してしまう愛(Laurence Anyways)等、つながりそうででもつながれない愛がグザヴィエの作品には多く登場する。Mommyもやっぱり愛を求めて勇敢に闘うけれどもhappily ever afterみたいな終わり方にはなっていない。

そういう意味で、グザヴィエの映画は何となく後味が苦い。でも、そこになぜか必ず感動、味わいがある。 実は、そういった人生の苦さが人間の深みだったりを作り出すものなのではないかという気がする。どんな人も、と言うと言いすぎになってしまうけれども、思い通りにいかないことも含めて人生を愛することの大切さを自分はグザヴィエの作品にいつも感じる気がする。

さて、話題となっていた1:1のインスタグラムのようなアスペクト比について。

最初、自分が思ったのは、何だかやたらと窮屈に見えるなということだった。周囲の様子が見えず、とにかく大抵の時間人物が画面の大半を占めている。特にアップだと本当に人間の顔しか見えない。顔でなくても、それぞれのパーツがとにかくフォーカスされる。表情にしろ物のディテールにしろ、とにかく全てが「見えて」しまう。

グザヴィエはカンヌのプレスコンフェレンスでemprisonner (英語のimprison)と笑いながら解説していたが、確かに、観客はグザヴィエの世界に、スティーブ、ダイ、カイラの生きる空間に閉じ込められる。そして何が起きてもそこから、逃げられない。ある意味息苦しい世界だなと思って最初の方は見ていた。

ここからは若干ネタバレになるが、実は、この映画、全部のシーンが1:1で描かれているわけではない。普通のアスペクト比に戻る瞬間が2回やってくる。これもウワサに聞いていたのでいったいどういうことなのだろうと思ったが、なるほど、、、と思った。ある意味このスクリーンの画面は、登場人物たちの心の窓の役割も果たしていたのだとこのとき気づいた。多分、多くの観客がこの横長のアスペクトになる瞬間に、おー!と思ったに違いない。とにかく映像+音楽のシンクロが美しい。スティーブが「Liberté」と叫ぶ瞬間。すがすがしいまでの「自由」がそこにある。

そして、逆にアスペクトが1:1に戻る瞬間もあるわけだが、こちらもあまりにナチュラルで映画館で見たときは実はいつ元に戻ったか気づかないほどだった。これも登場人物たちの心の揺れ動きに完全にシンクロしている。この演出本当に面白いなと思った。

そして、いつもの通り色使いがグザヴィエの映画は綺麗だと思った。特にこの映画は「青」がすごく綺麗な映画だと思う。

そして、音楽。こちらも前々からオアシスのWonderwallが挿入歌として使われたことが話題になっていた。これ、べたすぎじゃね?疑惑だったが、、、驚くなかれ、このチョイス素晴らしかった。本当にぴったり。

グザヴィエは、音楽の歌詞に物語を語らせることが結構ある。まさに、音楽が「言葉」になっている。MommyでもWonderwall以外の曲にしても、びっくりするほど曲とシーンがシンクロしていた。。。ありがたいことに日本では、ちゃんと歌にも字幕がつく(フランス語のDVDは、挿入歌はBGMの位置付けなので字幕が出ない。)。今回はほとんど英語の曲だったので(記憶にある限りでは、フランス語だったのは、セリーヌ・ディオンのOn change pasぐらいだった気がする。)、聞き取れることは聞き取れるのだが、それでもやっぱり字幕は有難い。感動が2倍になった。

Xavier監督作品のミュージック・リスト。
http://1overf-noise.com/xavier-dolan/xavier-dolan-sound-track/
私、エンドクレジットから書き起こしてたよ笑。

 On ne change pas - Céline Dion 

Wonderwallのシーンはもちろん良かったが、個人的には予告編等でもよく使われていたCounting CrowsのColorblindのシーンのほうが印象に残った気がする。曲、映像の醸し出す透明感がすごく美しかった。

 Counting Crows - Colorblind

そして、エンディングのLana Del ReyのBorn to Die。これも良かった。これも再見して気づいたのだが、最初のイントロが見事なまでに映画のエンディングとシンクロしている。そして、「愛だけではどうにもならないことがある、でも愛さずにはいられない」というこの映画の一番大きなテーマを端的にまとめている。

Lana Del Rey - Born To Die

そして、1990年代後半〜2000年代前半に青春を過ごした人たちにとっては、音楽、小道具、ファッション、雰囲気、そのどれもがすごくノスタルジックだと思う。あの頃の甘酸っぱさを自分も思い出しながら映画を見ていた。

さて、いろいろ書いたが、全体としては、いろいろな観点から見て楽しめる映画だったと思う。そして、改めて「愛」とは、「希望」とは?と考えさせられた。

グザヴィエの次の作品は英語("The Death and Life of John F. Donovan")とのことだったらしいがその前?にマリオン・コティヤールなどが出る作品"Juste la fin du monde"(たぶんフランス語?)が制作されるらしい(こちら)。

しかも、今年のカンヌでグザヴィエは審査員を務める。ほんとにenfant terribleだ。
この快進撃がさらに続くことを願ってやまない。

グザヴィエのカンヌでのスピーチの言葉、「Tout est possible a qui reve, ose, travaille et n'abandonne jamais(夢を持ち、挑戦し、頑張り、諦めない人にはどんなことも可能である。)」は、1年経った今でも常に私の傍にある。携帯の待ち受けもこの言葉だし、職場のパソコンにもこの言葉(笑)。

この言葉は、実にシンプルで、実に正論、かつ一つ一つは目新しい言葉ではない。だが、これを実践して、本当に夢を叶え、人々にインスピレーションを与え続けるグザヴィエの言葉だからこそ、大きな意味を持ち、確かにこの言葉が大きな「希望」となるのではないかと思う。

自分を奮い立たせようと思う時、自分も常にこの言葉を思い出していた。

ティーンエイジャーだった頃、「希望」なんて甘っちょろい言葉だと思っていた。何か幻想のようで、うそっぽいというか偽善を感じる言葉だと思っていた。

でも、グザヴィエのまっすぐなまでの希望のスピーチを見ていて、なぜだかわからないがその純真なまでの熱い思いにすごく心を動かされた。そして、「希望」の持つ大きな力に気づくことができた。希望こそが自分を信じる力を人々に与え、前に進む勇気を与えてくれるものなのだとグザヴィエは教えてくれた。年など関係ない。大事なことはその人がどんな生き方をした人であるか。そういうことなのだと思う。

これからも陰からグザヴィエを応援しつつ、いつかリアル・グザヴィエを日本で拝める日が来ないかと祈ってみたりする。

2015年4月19日日曜日

祝!宝塚上演記念: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜登場人物、あらすじ まとめ〜

いろいろ書いてきたのですが、記事がバラバラしてしまっていたので、ここに、「1789バスティーユの恋人たち」関連の記事のまとめをしておきます。よろしければ、宝塚公演の際にレファレンスとしてご覧ください。



■主な曲紹介
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/08/1789-les-amants-de-la-bastille-1789.html

■登場人物紹介
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/08/1789-les-amants-de-la-bastille.html

■CD/DVD情報(曲名の一覧(宝塚版のタイトルも併記あり。)を載せています。)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/09/1789-les-amants-de-la-bastille-cddvd.html

以下、フランス語の曲名の後の括弧の中は、宝塚版の邦題です。

■あらすじ①(Acte 1 その1)
Sur ma (la) peau(肌に刻み込まれたもの) / Le cri de ma naissance(叫ぶ声) / Je mise tout (全てを賭けて)/ Au Palais Royal (パレ・ロワイヤル)/ La nuit m’appelle(夜のプリンセス) / Maniaque(耐えてみせる) / La Sentence(許されぬ愛)     
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/01/1798-les-amants-de-la-bastille.html

■あらすじ②(Acte 1 その2)
Hey ha(デムーランの演説) / La guerre pour se plaire(この愛の先に) / La Rue Nous Appartient 
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/01/1798-les-amants-de-la-bastille_26.html

■あらすじ③(Acte 2 その1)
A quoi tu danses ?(誰の為に踊らされているのか?) / Je suis un Dieu(私は神だ) /Le cauchemar / Je veux le monde(世界を我らに) / Ca ira mon amour (サ・イラ・モナムール)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/03/1798-les-amants-de-la-bastille.html

■あらすじ④(Acte 2 その2)
Nous ne sommes(国王陛下の名の下に) / Je vous rends mon âme(神様の裁き) / Tomber dans ses yeux(二度と消せない) 
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/04/1789-les-amants-de-la-bastille.html

■あらすじ⑤(Acte 2 その3)
Sur ma peau(肌に刻み込まれたもの) / La prise de la Bastille / Fixe / Pour la peine(悲しみの報い) 
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/04/1789-les-amants-de-la-bastille_6.html

■宝塚観劇の感想
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/07/1789.html

■仏版との違い(人物について)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/07/1789_12.html

■追加曲、日本語訳の感想
Pic et Pic et Amstramgram(自由と平等)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/05/1789-les-amants-de-la-bastille.html

■追加曲その2。
Les Mots Que L'On Ne Dit Pas(声なき言葉) / Pour un nouveau monde(三部会)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2015/05/1789-les-amants-de-la-bastille_61.html

■プロデューサーのコーエンさん、アチアさんのインタビュー映像(フランス語)
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/09/dove-attia-albert-cohen-interview-1789.html

■パリの観劇録
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2013/09/mon-histoire-3.html

■DVD撮影に遭遇した思い出
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2013/12/1789-les-amants-de-la-bastille-dvd.html

■2013年に起きた爆発事故について
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2013/11/1789-les-amants-de-la-bastillesaison-2.html

■事故からの復活/このミュージカルを1年追いかけての感想
http://cestlaviecestmaviee.blogspot.jp/2014/01/1789-les-amants-de-la-bastille-saison-2.html




Petite interview with... Richard Charest (Part 2) @ Seoul (ENGLISH) - Notre Dame de Paris Tour 2015

**The first part of the interview is here.**
**日本語版はこちらです。**

Ouf... It's almost two months but... here is the second part of the interview of Richard (Charest). Korean tour has already ended and now the Taiwanese tour has just begun! I imagine that four-month-period tour would be quite tough, but I really wish great success of the show.

In the latter half of the interview, I asked about the return of the original French version of Notre Dame de Paris, recent trends in French musicals and Richard's own musical "Rimbaud". My English translation is not so good, but I do hope you will enjoy it.
(Thank you my friend S and K for correcting my poor French!)

On y va!

Notre Dame de Paris Tour 2015
Good luck with Taiwan Tour!


******************* 

Firstly, I asked about how he felt about the return of the original French version and what the French language means to him. 

-   Cette fois, c'est en version originale c'est-à-dire française. Y a-t’il des différences en jouant en français et anglais? En tant que Québécois, que représente la langue française pour vous?  

‐ This time, it's in the original version, that is, French. When you play the role, is there any difference between in English and in French ? And, as a Quebecois, what does French language mean to you? 

R: Le spectacle a été créé en langue française donc toutes les paroles ont respecté la mélodie et les mélodies ont respecté les paroles donc ça a été créé pour que ça sonne de cette façon. Non seulement c'est agréable à entendre parce que la langue française est quand même une très jolie langue, mais pour un interprète de langue française c'est encore plus important de pouvoir défendre le spectacle dans la langue originale... Et pour avoir l'occasion de le faire en anglais pendant deux ou trois ans, ça a été un bonheur de revenir, on se rend compte à quel point le spectacle original est de bonne qualité. Donc c'est très important. En plus en tant que Québécois, sur un continent où il y'a très peu de francophones, il y'a la présence américaine et Canada anglais donc on n'est pas très nombreux en français donc on met encore plus d’importance à défendre la langue. Donc effectivement c'est très très important.  

R: The musical was created in the French language so all of the lyrics respected the melody and the melodies respected the lyrics so it was created to sound in such way. Not only is it pleasant to hear, because the French language is indeed a very beautiful language but for a performer of French language, it's even more important to be able to protect the musical in original language... And as we had an occasion to perform it in English for two or three years, it was really fortunate to return (in original language), I realized how great the quality of the original musical was.  So it's very important. Moreover, as a Quebecois, on the continent where there are very few francophones, there are the presence of the States and the anglophone Canada so there are not so many people who speak French so we put even more emphasis on protecting the language. So actually it's very very important. 

I cannot agree with him more about what is said above about Notre Dame. When I watched it at Sejong Centre, I felt that the music and lyrics (language) were complementary and almost  inseparable. I believe every language has its own "aura" or "unique world" and personally, the French language is really eloquent when one tries to express his/her own emotion. Like I have written in the previous post, it was almost like the language talked to me with full of emotions and penetrated myself. It was something that I had never felt when I watched the English version.  

The question about Quebecois was in fact just out of my curiosity, but I always had an impression that Richard had a deep respect for his mother tongue French. And I was also curious about the unique Quebecois culture, which is a mixture of French and Anglo Saxon culture, so I continued to ask about what it means to live in two languages.

Richard during the interview (Photo Credit: Binna)


-   Vous êtes Canadien, donc vous pourriez jouer un rôle en anglais. Mais est-ce que vous préférez jouer des rôles en français?   

- You are Canadian, so you could play a role in English. But do you prefer to play the roles in French?

R: D'abord, c'est une opportunité professionnelle, c'est curieux parce que j'avais cette conversation  a tout à l'heure dans la loge : quelqu'un qui me demandait si je souhaitais commencer à travailler en anglais à Toronto… donc Canada au anglais. C'est quelque chose que j'aimerais faire pour découvrir mais quand l’opportunité de faire Notre Dame de Paris se présente, on saisit l'occasion et on y va. En plus le rôle est magnifique, la langue aussi... moi j'écris en plus des chansons, j'écris des pièces de théâtre et livrets de spectacle... c'est capital la langue française pour moi. Donc avoir cette possibilité-là de venir dans des pays non-francophones et de présenter et défendre un rôle pareil c'est une chance incroyable.

R: First, it's a professional opportunity. It's curious because I had a conversation in the dressing room a little while ago that I was asked if I wished to start to work in English in Toronto... so anglophone Canada. It's something that I would like to do for discovering (a new opportunity) but when the opportunity to play Notre Dame de Paris is presented, I took that opportunity and here I am. Besides the role is great and the language too... In addition, I myself write songs, I write the play and the script of musical... The language is capital, for me. So having such possibility to come to the non-French speaking countries and to present and protect the same role is incredibly fortunate.      
    
-  A l’avenir, est-ce que vous souhaitez jouer d'autres rôles en anglais, comme à Broadway ou au West End?   

- In the future, do you wish to play other roles in English, like in Broadway or in West End? 

R: Oui, oui. J'aimerais beaucoup parce que je découvre que le répertoire francophone de comédie musicale est beaucoup plus limité que celui anglophone avec Broadway ou West End... Donc il y'a des rôles sublimes dans Les Misérables ou Phantom of the Opera ou Jekyll et Hyde. Il y'a tellement des jolis rôles pour des hommes donc j'aimerais bien. En plus quand on vieillit, il y'a beaucoup plus de possibilités en anglais qu’en français. C'est-à-dire que dans les rôles comme Notre Dame de Paris, je pourrais pas faire Gringoire encore très très longtemps, d'ailleurs je ne pourrai plus vraiment faire Phœbus non plus, on a besoin d’un jeune soldat donc il y'a pas beaucoup d'autre possibilités après. Ici je suis encore trop jeune pour faire Frollo, et je serais bientôt trop vieux pour faire Gringoire, donc il y'a un genre d’espace où en anglais ils appellent ça le "No man's land". En comédie musicale, le "No man's land" c'est vraiment l’endroit où en tant qu’interprète tu sais plus si t'est trop vieux ou pas assez vieux, mais en anglais il y'a quand même pas mal d'autres possibilités donc j'aimerais explorer aussi de prochains lieux.   

R:Yes, yes. I would really love to because I find that the francophone repertories of musicals are much more limited that of anglophone with Broadway or West End... So there are sublime roles in Les Misérables or Phantom of the Opera or Jekyll and Hyde. There are so many beautiful roles for the people so I would love to. Besides, when you get old, there are much more possibilities in English than in French. That is, in the roles of Notre Dame de Paris, I would not be able to play Gringoire forever, besides I would not really be able to play Phœbus any more -because we need a young soldier- so there are not so many possibilities after that. Now, I'm still too young to play the role of Frollo and soon I will be too old to play Gringoire... There is a kind of place where in English it's called "No man's land (laugh)".  In the world of musical, "No man's land" is really a place where as a performer,  you don't really know you're too old or not old enough. But in English, there are still other possibilities that are not so bad.  So I would also like to explore the next place.   


Credit Photo: Binna

I believe it was a bit nosy question (Desolée Richard!) but I was always wondering how he thinks about playing the role in English. I was a bit surprised at his answer but like he had said, the works, audience and market of French musicals are by far not comparable to that of Anglophone musicals. So it was a quite natural answer I guess. In fact I would love to see him in other roles either in English or French in the future.

And when I hear him saying "when you get old..." I was petrified! I mean... I know everyone gets old. No exception. But probably this is the last word that I had expected from Richard lol As a fan, it was quite heartbreaking to think about "the last time", but his remark reminded me of the famous saying in Japanese "Ichi-go ichi-e" meaning "treasure every encounter, for it may never happen again (so you have to make most of it)". Every show appears just once, because each performance is actually a unique one, so in fact it will never happen again. Each scene, each moment is just precious. So it made me feel that I had to engrave every moment in my heart and feel grateful for being there.



Richard talked about playing the role of Frollo, and of course he is still too young to play the role (besides, now M. Robert Marien is just spectacular!!!), but if he ever plays the role Frollo in the future, I bet he is going to be a quite handsome (and perhaps hot) Frollo! Aside from the jokes, I think he will be able to play Frollo's troubled yet complex persona beautifully (I imagine that his rendition of "Tu Vas Me Détruire" will nail it!). Besides, if this will come true, he will probably become the first singer who plays the three roles in Notre Dame de Paris!

His reference to "no man's land" was also quite interesting for me. I have a huge respect for the artists. Because, as you know, it is quite different from the life as 9-5 worker like me.  It is quite a tough world to make one's own life just by his/her talent. I simply admire their strong passion, will and the power/courage to believe in his/herself.

Next, I asked about the recent trend of French musicals. I am just a fan of French musicals so probably it was a bit arrogant to say this, but in general I believe that the recent commercially successful French musicals have a tendency that the "showiness" is much valued than the "story telling". Richard often talked about the importance of the story in his musical (Rimbaud Spectacle) so I asked a little bit about it.

Richard at Singapore tour in 2013


-  La prochaine question concerne la récente tendance des comédies musicales françaises. Quand j'étais à Paris, je parlais avec Arnaud de ce sujet mais je crois que les Comédies musicales françaises concernent de plus en plus les ados ou les enfants. J'ai vu par exemple 1789, où  les effets spéciaux, le décor, les costumes et la danse sont magnifiques mais où l'histoire n'était pas assez transmise. Les chansons sont également plutôt tournées vers la variété française. J’ai l’impression qu’il s’agit d’un "concert with the costumes"... Vous comprenez?   

- The next question is concerned with the recent trend of French musicals. When I traveled in Paris last year, I talked a little bit about it with Arnaud (*Arnaud Kerane. Co-writer of the Rimbaud Spectacle Musical. I met him in Paris last December for asking about their musical.). I believe that French musicals concern more and more young people and children.  For example, I saw 1789 (*French musical about French Revolution performed in 2012 and 2013. I watched this musical in Paris.), and I was quite impressed with the special effects, costumes and dance but I had an impression that the story was less payed attention. And the songs are also more like French pops. For me, it looked like a "concert with the costumes"... Do you understand what I'm saying?

R: Oui, oui oui. Vous avez raison. Absolument. Parce que après cette question de goût, on peut aimer ou ne pas aimer les spectacles francophones, mais c'est un tour de chants pop avec une histoire qui est souvent pas très mis en évidence, ce qui importe c'est pas nécessairement que les gens dans la salle comprennent toute l’histoire, comment ça se passe, les personnages et interaction… il faut avoir de très bonnes chansons qui passent à la radio, il faut avoir des jeunes interprètes qui arrivent d'émissions de variété et qui sont un petit peu connus, des gens qui ont des fan clubs assez massifs… c'est une autre façon de faire, c'est vrai qu'avec Arnaud, on privilégie l’histoire, comme dans Rimbaud.    

R: Yes, yes. You're right. Absolutely. Because after all it's the question of the taste. Whether you like the French musicals or not, it's the pop music performance with the story which is often not very clearly demonstrated. What is important is not necessarily that the audiences understand all of the story or what is going on, the characters and interaction... You need good songs which can be broadcast on the radio or you need young performers who appear in the pop music programs who are a little bit famous or the people who have fairly big fan club... That's another thing to do and it's true that with Arnaud, we privilege the story like in "Rimbaud".  


 Great memories, but...

Just let me make it clear. I LOVE French musicals. And I LOVE entertainment and French pops. Otherwise I would never have been all the way to Paris to see the French musicals! Indeed, watching the "1789 Les Amants de la Bastille" was one of the greatest memories for me. I really enjoyed this musical. I was mesmerized by the level of its perfectionism as an artistic entertainment. Nonetheless, from the perspective of the "story telling", compared with the pioneers of French musicals such as Starmania or Notre Dame de Paris, the philosophical essence is apparently weakened.

It is quite understandable when you think of the fact that the main audiences are young people and families (yes, we need a cool hero and a beautiful heroine!), but it would be nice if we could see more musicals intended for mature audiences and plus, French is the country of philosophy so it would not be a bad idea to shed the light on such aspect, I believe (which I think quite distinctive aspect of French musicals.  It is phenomenal given the fact that the Notre Dame de Paris make a good balance between entertainment and such philosophical aspects.).  And speaking of the songs, there is no problem for French pop (indeed very hip and I love them), but sometimes I feel like it's too pop for musical numbers (that's why I said in the question "Concert with the costumes".). But it is all about the question of the "taste" so this is just my personal opinion.   

And once again, Richard articulated the importance of the story in his musical. Personally I really admire such artistic posture that they put emphasis on the story and the words (lyrics.).

He wrote the lyrics of his own musical "Rimbaud" 


After that, Richard talked about his own musical "Rimbaud Spectacle Musical"

- Arnaud m'a dit que c'est pour ça qu’on a créé le spectacle de Rimbaud.   

- Arnaud said to me that that's why we created the musical of Rimbaud.

R: Oui, pour l’histoire, pour mettre l'histoire en avant. Le personnage est fabuleux, Rimbaud historiquement c’est fabuleux l’importance qu'il a eu dans l’histoire de la littérature. Il y a tellement de jolies petites histoires derrière la grande avec la maman, le professeur, le meilleur ami avec Verlaine... Voilà nous, c'est notre orientation : on veut que les gens, après deux heures, aient entendu de jolie mélodies et qu’ils puissent s'identifier à certains personnages et ressortent de là en se disant "Ah, tiens,  j'ai appris quelques chose." Je me suis souvenu que (surtout pour les francophones) Rimbaud est un objet d’'étude à l'école, même si on ne le connaît pas très bien, tout le monde sait, tout francophone sait qui est Arthur Rimbaud. Donc on essaye de profiter de tout ça.  

R: Yes, for the story, we put the story first. This person (Rimbaud) is legendary, Rimbaud is historically incredibly important in the history of the literature. There are so many beautiful little stories behind the great story, with the mother, the teacher, the best friend, with Verlaine... So, that's our orientation; we want people, after two hours, to have heard the beautiful melodies and to be able to identify oneself with certain characters and go out from the hall thinking: "Ah, well I learned something". I remembered that (especially for the francophone) Rimbaud is an object of the study at school. Even if they don't know him really well, everyone knows, every francophone knows, who Arthur Rimbaud is. So we try to make most of it.  


Arnaud Kerane, co-writer of "Rimbaud"
I met him in Paris last December.


When I saw Arnaud in Paris, he said that he created this musical because the story was so interesting. So I asked Richard about it. One of the interesting things was "many little stories behind the great story", I guess. In fact I thought the exact the same thing as Richard. Such petites histoires are really touching and poignant and often really "dramatic" (The avanture with the poet Verlaine is quite well known but the confrontation with his mother Vitalie, the strong bond and subsequent rupture with his teacher/mentor Izambard, friendship with the best friend Ernest as well as the pride as a woman (Vitalie and Mathilde (Verlaine's wife)) are also the episodes that should be sheded light on.) Over all, the real life story of Rimbaud is "stranger the story" but when you look at each of these little stories, I think you can identify yourself with at least one story or another (In my case, the conflict between Vitalie and Arthur was quite familiar to me.). In another post I wrote about the lyrics of "Vitalie" (I added a bit of annotation of the lyrics.), so if you are interested, please see here. You will have a glimpse of such little story in the musical.

In addition, as Richard said, in French speaking regions, Rimbaud is quite famous, but in Japan or other Asian regions, I assume things are a bit different. Last year (2014) a play "Total Eclipse" was performed in Japan (Directed by a famous Japanese stage director Yukio Ninagawa. This play is based on the famous film "Total Eclipse" in which Rimbaud was played by Dicaprio.)  so the works and the life story of Rimbaud were not "minor" story (in fact for certain people, he seems to gain cult popularity) but it is not the story that "everyone knows", I believe. To tell the truth I myself, before learning about the musical, I scarcely knew about him except for the fact that he was a French poet. 

But when I searched a bit about him on the Internet, his works were quite sensational (although it is difficult to understand) and his life was utterly interesting. Everything is so dramatic and complicated. And I believe, such profoundness of the human story will transcend the frontier and language, and eventually be transmitted to the heart of the people. So I think there is a good reason that the musical should be shown to the public.

If you are interested, I put some photos when I made a trip to his home town called Charleville (Here).

"Charleville Mon Soupir" written by Arnaud


The next question was about the double sided nature of Rimbaud. Because Arnaud said to me that Rimbaud was really smart but he was canny and sometimes even dubious as well. That was quite interesting remark for me, so I asked Richard about it.

-  Arnaud m'a raconté que Rimbaud avait beaucoup de talent et était très intelligent mais utilisait également ses facultés pour manipuler les autres (comme ce fut le cas pour sa mère ou son professeur). On peut penser qu’il avait deux personnalités. Qu'est-ce que vous en pensez?   

- Arnaud told me that Rimbaud had a lot of talent and very intelligent but he also used these abilities for manipulating others, as was the case of his mother and his teacher. Can we say that he had a double personality? What do you think about it? 

R: Bah, oui, c'est ce qui arrive souvent quand les gens sont très très intelligents, ils ont toujours la possibilité de manipuler les autres pour arriver à leurs fins. Dans le cas de Rimbaud, il avait un objectif en tête et peu importe les moyens, il était prêt à prendre toutes les dispositions nécessaires pour y arriver, quitte à ce que ça soit un petit peu compliqué au niveau des relations personnelles.   

R: Well, yes, that's something that often happens to very intelligent people. They always have a possibility to manipulate others for achieving their goals. In the case of Rimbaud, he had an objective in his head and the way (how to achieve it) was of little importance. He was ready for making every necessary arrangement to succeed and he leaves behind the things that are a little bit complicated at the level of the personal relationships.




This particular "who cares" attitude of Rimbaud can be interpreted as arrogant but at the same time, this attitude of "detachement" is perhaps what everyone secretly dreams of, because Rimbaud is in a sense, ultimate free person (actually he uses the word "liberté libre (free freedom)"). He always followed his instinct and desire, which only mattered for him, perhaps. For most of the people, I believe, it is quite difficult to behave like Rimbaud: "I don't care what other people think, I'll do what I want". And the frictions caused by such attitude would often cost a lot. Nevertheless, this "wickedness" or "mischievousness" is also seductive and appealing to some extent.

Musée Rimbaud

Lastly, I asked Richard why he was so drawn to the charm of Rimbaud.

-  Pour vous, qu'est-ce qui vous attire le plus chez Rimbaud?  

-  For you, what is the most attractive point about Rimbaud?

R: Moi ce qui m'a toujours séduit (j’en ai parlé plusieurs fois avec Arnaud) dans le personnage, c'est le fait qu’un si jeune homme, un si jeune garçon prenne la décision de devenir un génie, ou une figure importante de la littérature… il avait une théorie et il croyait… et au bout de quelques années il se rend compte que ça ne tient pas : il prend la décision d'arrêter d'écrire. Cette faculté qu’avait un jeune homme de 20/21 ans de prendre cette décision de faire "non, c'est non, je change d’idée je fais autre chose"... J'aurais rêvé avoir ce pouvoir-là, même sur ma propre vie de dire "ça c'est bon pour moi " , " ça ne l’est plus, je pars. "... Ce détachement,  je l'ai toujours admiré chez Rimbaud en dehors de la partie littéraire et de la beauté de ses textes et de la figure de précurseur qu’il a représenté, d'avoir inventé des formes nouvelles et tout ça… Cette capacité-là de prendre la décision : "qu'est-ce qui est bon pour moi ? Même si ça déplait à tout le monde même si c'est ça blesse tout le monde je m'en fous, J'y vais." C’est vraiment ce que je préfère chez lui.

R: For me, what always seduced me  (I talked about it with Arnaud many times) in the personage was the fact that such young man, such young boy takes a decision to become a genius or important figure in the literature... he had a theory and he believed it... and after a few years, he realizes that he doesn't care about it; he takes a decision to stop writing. This ability of a 20-21 year-old boy to take a decision to do "No, no, I change ideas, I'll do other things." ... I had dreamt of having that ability even in my own life to say "that's good for me.", "that's not good for me any more, I'll quit"... this detachment, that's what I always admired about Rimbaud except for the literary part and the beauty of his texts and the precursor figure that he represented and having invented the new forms and so on... This capacity of taking a decision: "What is good for me? Even if it offends everyone or hurts everyone, I don't care. I'll do it." That's really what I prefer about him.  


   

When I asked about Rimbaud, Richard gave me an answer with his bright eyes. His eyes told me how passionate and enthusiastic about his own musical "Rimbaud".

Rimbaud abruptly abandoned his literary career despite the fact that he had huge talent. He embarked on new life and traveled all over the world until he had become fatally ill. Like Richard said, it is quite stunning that a just 20 year-old boy  makes such big decision without any hesitation. Rimbaud was a true "rebel" and lived life to the fullest as his instinct led him. Listening to Richard's answer, I felt this is also exactly what I loved about Rimbaud. I really hope that one day, I could see "his story" through the musical "Rimbaud".

According to the article in Huffington Post (Here), Richard will probably play the role "Verlaine" and maybe it will be a good opportunity to discover his new talent as an artist.

Thank you Richard for such an interesting story!

2015年4月11日土曜日

Le petit entretien avec... Richard Charest (Partie 2) @ Séoul ~Notre Dame de Paris Tournée 2015~

*If you prefer to read in English, see here.
*英語版にはフランス語のテキストもつけています。興味がある方は英語版をご覧ください。

インタビュー第一弾(ノートルダム・ド・パリについて)はこちら

気づけば、昨年(2014年)末からスタートしていた韓国ツアーが釜山で終了し、もうすぐ台湾公演が近づいているという。。。時が経つのは早いですね。。。釜山公演では、10年ぶりの短髪グランゴワールもあったようですが(笑)、今年最後のアジア公演のラストスパートも頑張って欲しいです^^ 休みがあるとはいえ、4ヶ月の長丁場。キャストもスタッフも大変だと思いますが、最後の公演まで無事に終わって欲しいなあと思います!

そして、ばたばたしていて、更新できていなかったリシャール(・シャーレ)のインタビューのパート2を載せて行こうと思います。すでにインタビューから2ヶ月近くが経とうとしていますが(汗)、インタビュー後半は、主にフランス語、昨今のフレンチ・ミュージカルについて、リシャールの製作するランボー・ミュージカルについて伺ってみました。

というわけで、C'est parti!



まず、最初に昔から興味があった、フランス語で演じること、について伺ってみました。

‐ 今回、オリジナル・バージョンであるフランス語での上演ですが、演じていて英語版との違いはありますか。また、ケベック人として、フランス語はどのような存在ですか?

R: ミュージカル(ノートルダム・ド・パリ)は、フランス語で作られたから歌詞はみんなメロディーを尊重するように作られているし、メロディーは歌詞を尊重するように作られている。だから、そういう風に音が響くように作られているんだ。フランス語はとても美しいことばだから、聞いていてすごく心地いいというのはもちろんだけれど、フランス語で演じる者としてオリジナルの言語でミュージカルを守り続けていくということはいっそう大事なことだと思うんだ。2年か3年、英語版を上演する期間があったけれど、(フランス語版 で)こうしてまた戻ってこれてすごくうれしいし、このミュージカルがいかにクオリティーが高い作品であるか改めて気づいたよ。だから、フランス語 というのはすごく重要だよ。

それから、ケベック人として、ということだけれど、カナダはアメリカやカナダの英語圏の存在がすごく大きくて、フランス語話者はすごく少ないから、フランス語を守っていくということはとっても大事なことなんだ。だから、もちろん(ケベック人として)フランス語は大事だよ。

以前の記事にも書いたのですが、リシャールの言うように、音楽と詞というのは本当に不可分な存在なのだなあと改めて思いました。どの言語にもその言語独特の世界観があって、フランス語は特に感情を表すのにすごく秀でた言語だなと個人的には思います。

そして、もう一つ、ケベック人として、という質問をしたのは、私の個人的な興味からです笑。大学時代、多言語における人々、みたいなことを勉強していたので、ケベックについては、カナダ(アングロサクソン文化圏)の中にありつつもフランス語圏であり、アングロサクソン文化ともフレンチ文化ともまた違うハイブリッドな文化が魅力ということで興味を持っていました。

実際、リシャールやほかのケベコワ出演者の方とお話をすると、お洒落なフランス文化とフレンドリーなアメリカ大陸気質がミックスされた不思議な魅力を持った方たちだなあと思いました(あくまで私の感覚&もちろん、彼らだけでケベック人を一括りにはできませんが苦笑。)。

あと、これは特にリシャールについて当てはまると思うのですが、やはりフランス語話者として、すごくそのことに誇りを持っているなあと思います。ケベコワとして、という部分については、今回、リシャールが何か付け足そうとしてたのを自分が遮ってしまったということもあり、あまり掘り下げられませんでしたが(汗)、やはりマイノリティーとして、「言葉」というところにはすごく自覚的なんだなあと思いました。

(Photo Credit: Binna)
お話を伺っていたときのリシャール。丁寧に1つ1つの質問に答えてくれたのが印象的でした。

- あなたはカナダ人なので、英語でも役を演じるという選択もありますが、やはりフランス語で演じるほうが好きなのですか?

R: まず第一に、(フランス語で演じられるということは)仕事の機会(が広がるということ)になるね。ちょっと興味深いんだけれど、実はさっき楽屋で英語でトロント、つまり、カナダの英語圏で仕事をし始めたいかって聞かれたんだ。新たな挑戦をするためにそういうことをやってみたいとはもちろん思うけれど、今、ノートルダムに出演する機会が目の前にあって、演じる機会を得ることができたから、こうして、出演しているんだ。それに、演じる役も、言語もすばらしいしね。あと僕は自分でも(フランス語で)歌や劇作品、ミュージカルの台本なども書くから、自分にとってフランス語は財産なんだ。だから非フランス語圏の国にきて、同じ役を(観客に)紹介して、(その役を)守っていくことができる、というのはものすごくラッキーなことだと思うんだ。  

- 将来的には、英語で他の役を演じたいと思いますか。ブロードウェーとかウェスト・エンドとかで。

R: もちろん、もちろん。是非やってみたいと思っているよ。フランス語のミュージカルのレパートリーはブロードウェーやウェストエンドといった英語圏の それと比べると全然限られているから。レ・ミゼラブル、オペラ座の怪人、ジキル&ハイドなどにはすばらしい役があるし、そのほかにも演じるのにすばらしい役はあるから、(英語の役は)すごくやってみたいと思っているよ。それから、年齢を重ねると、英語での方がフランス語よりも、もっともっと可能性が広がるんだ。つまり、ノートルダム・ド・パリでの役でいうと、グランゴワールの役は、これからもさらにすごくすごく長い間演じ続けることはできないかもしれないし、それにフェビュスの役ももう正直できないだろうし(ほら、若い衛兵が必要だから。)、今後、あまり多くのその他の可能性というのがないんだ。それに、フロロの役をやって歌うにはまだ若すぎるし、じきにグランゴ ワールの役をやるには年を取りすぎてしまうことになるだろうし、だから、No man's land (ミュージカル業界で、演じる者として年を取りすぎているのか、それともまださらに年を取る必要があるのかわからなくなってしまう状態のことを言うんだけど。)- 英語ではこう言うんだけど - 状態になってしまうんだ。でも英語だったら、そんなに悪くないその他の可能性があるから、次の新天地も探っていきたいと思っているよ。

若干不躾な質問で、ちょっと今から考えると、申し訳なかったかなあという気もするのですが、実は、この質問も、前からちょっと聞いてみたかったことでした。。。フランス語が母語といえ、カナダ人だし、英語圏のミュージカルとかどう思っているんだろう、、、と考えていたのですが、やっぱり、リシャールもフランス語というベースがあっても、英語圏のミュージカルという選択肢は全然あり、と思っていたというのは、ちょっと意外なような気もしましたが、リシャールが言うように、フレンチミュージカルの規模が英語圏と比べれば全然小さいことを考えれば、当然の発想といえば発想なのかなあと思いました。

フロロ役もぜひ観てみたい。
そして、また違った役に挑戦する姿もぜひ観てみたいです!

そして、聞いててファンとしてちと切なくなったのが「年齢を重ねると…」のくだり(苦笑)。まさかリシャールから「年を取ると…」なんて言葉が出てくるとは夢にも思いませんでしたが(爆)、よく考えれば、誰しも年を取るのは事実。リシャールもいつまでもグランゴワール役をやれるわけではない、ということはわかっていましたが、それでも本人から、これからもずっとできるわけではないしねーと言われると、なかなか切ない。でも、だからこそ、1回1回の公演が一期一会であり、すばらしい時間になるのだよなあと改めて思いました。そして、公演を観れたことにまず感謝し、一瞬一瞬を大切に目に焼き付けておかなければ、、、と思いました。

リシャール、フロロにはちょっと自分は若い、と話していましたが(笑)、もし、将来フロロを演じることになったら、初の3役達成歌手になると思うので、それはそれで見てみたい気がします^^美形神父、、、なぜエスメラルダは恋に落ちないんだろう?という疑問が湧きそうですが(笑)、冗談はさておき、wikiのフロロのページを読んでた時、実は、リシャール・フロロ結構いけるのでは?と思いました。このページの写真、何年後かのリシャールに重なりそう(笑)だし、インテリな感じとかまさにリシャールっぽいし、エスメラルダへの欲望との間で心乱れるTu Vas Me Détruireとか「苦悩」するフロロをきっと情感豊かに演じてくれる気がします。

10月のガラコンにて。

No man's land(笑)のお話も、show biz界に生きる人ならではの悩みだと思うのですが、自分の声、そして表現力だけで役を勝ち取っていくという厳しい世界に生きる彼らへ改めてリスペクトを感じました。。。(後半のランボーの話ではないけれど、自分の才能を信じてそれに賭けて生きて行くという姿は真似はできなくとも、まさに自分が憧れる姿であったりします^^)

でも、リシャールが言うように、昨今のフランス語圏のミュージカル出演者は、10代〜20代の若者が大半(観客層が、若者、ファミリーが多いということが大きいんだと思うのですが。)で、渋い演技ができる30後半-40代〜の歌手というのは出番が限られているというのが実情なのかなと思います(こういったことはフランス語圏に限らずなのかもしれませんが、特にフランス語圏の大型ミュージカルではそれが顕著な気がします。)。

ノートルダムでのリシャールはもちろん好きですが、リシャール自身も言っているように新たな役(bad guyを演じるリシャールとかぜひ見てみたい!)に挑戦する彼も個人的にはぜひ見てみたいなあと思います。

韓国のガラコン(2013)のとき


さて、次の質問は、さきほどちょっと述べたフレンチミュージカルのトレンドについて伺ってみました。自分もフレンチミュージカルのエキスパートでは全くないのでこんなこと言うのもおこがましいのですが、、、最近のヒット作みたいなフレンチミュージカルは割合、ショーの見た目が重視されていて、story tellingの部分が少々弱いのではないかなあという印象を自分は持っていて、実際に演じている役者さんからするとどうなのだろう?という素朴な疑問がありました。

あと、リシャールと彼が作るランボーのミュージカルについて話をしたときに、感じたことの一つに彼の「物語」や話のフィロソフィーへのこだわり、といったものが感じられたので、そういった意味でも興味がある質問でした。

- 次の質問は、昨今のフレンチミュージカルの傾向についてなのですが、数ヶ月前パリでアルノーさん(*ランボーのミュージカルの共同製作者。パリ旅行に行った時に少しお話を伺いました。そのときの話はこちら。)にお会いした時、アルノーさんともこのことについて話したのですが、最近、フランスで演じられているミュージカルは、なんというか…若者や子供向けになってきてるような気がするんです。たとえば、私は1789 Les Amants de la Bastilleを観ましたが、スペシャル・エフェクトやセット、コスチュームやダンスは本当にすばらしいと思ったんです。でも、物語はそれに比べて、あまり重視されていないような気がしたんです。曲もどちらかというとフレンチ・ポップといった感じで、まるで、「衣装を着たコンサート」のような印象を受けました…。私の言いたいことがわかりますか?

R: うん、うん。君の言ってることは一理あると思うよ。もちろん。というのも、テイストの問題について、ということだけれど、フランス語圏のミュージカルを好きかどうかにかかわらず、フランス語圏のミュージカルというのは、話の筋が多くの場合、あまり明確ではないポップ・ミュージックの公演なんだ。だから、重要なのは必ずしも観客がすべての物語、あるいは何が起きているかや登場人物や(出演者の)やりとりをすべて理解することではないんだ。(宣伝のために)ラジオでかけるのに適した音楽でなければならないし、音楽番組に出演して多少知られていたり若い出演者や熱烈なファンクラブを持っているような人が必要だしね。でも、それは(僕らのやり方とは)また違った方法であって、「ランボー」もそうだけれど、アルノーと僕は物語をとても大事にしているというのは事実だよ。

なんだか、フレンチ・ミュージカルをこき下ろしてる、、、みたいに見えてしまって、お前ほんとにフレンチミュー好きなのかよ??と言われてしまいそうなのですが(汗)、愛するが故に、ちょっと書いてみます(笑)。

私自身、良質なエンターテイメントは大好きです。特に、フレンチミュージカルのライティングや最新の音響効果は驚きの連続で、すごい!!!の一言しか言えません。特に最近の作品はその進歩が著しいように思います。1789や去年の12月に見たLe Bal des Vampires(ダンス・オブ・ヴァンパイアのフラ語版)で見た演出にはこんなこともできるの?!と感激のしっぱなしでした。ですが、これは個人の好みもあると思うのですが、スターマニアやノートルダムと比べると最近のミュジージカルはやっぱり考えさせられる部分というのがどうしても弱いなあという印象があり、音楽についても、フレンチポップは大好きなので、それ単体で聞いている分には全然良いのですが、1789を見た時、これミュージカルっていうより、どっちかっていうと普通のコンサートに近くないか?と私は素朴に思ったのでした(笑)。

これも、多分、若者や小さな子にもとっつきやすい&盛り上がりやすい作りにしようとした結果なのかなあという気がします。やっぱりjeunes filles(ヤング・ガールズ)がキャーキャー言う美形男子(!)やキュートな女子、小さな子がわくわくするようなヒーロー、というのは、外せない(笑)。さらに言えば、集客できなければ、そもそも興行自体成り立たないわけで、「エンターテイメント」に比重がシフトしてきている、というのは、ある意味当然の方向性であるといえば、そうであるともいえます。でも、個人的には、フランスって、哲学の国なので、もっと大人向けのいろいろ考えさせる作品もあって欲しいなあというか、見てみたいなあという希望はあったりします(そういう意味で、ノートルダムはエンターテイメント性と哲学性という得てして対極にあるものをうまく融合させていて、ほんと奇跡的な作品です。)。


1789より。イケメンと素敵女子<3
ポップな演出。
これは盛り上がります、確かに。

Le Bal des Vampires。会場の様子。ほんと、技術は半端なかった。。。
そして、主役の男女はやはり美男、美女でした^^
といってもこの演目は翻訳版なのでちょっと意味合いが違うかも
(少なくとも音楽はポップミュージックではない。)。
で、リシャールの反応ですが、やっぱり、リシャール、アーティスティックでした笑。そういう商業的側面を重視するやり方ももちろんあるけれど、やはり物語が僕らにとっては大事、と目を輝かせながら話してくれたリシャールが印象的でした。個人的には、そういう風に物語、そして言葉を大事にするそういうリシャールやアルノーさんの姿勢にすごく共感します。ぜひ上演に漕ぎ着けてほしい^^

さて、ここから本格的にランボーについてリシャール話してくれました。

- アルノーさんは、だから僕たちはランボーのミュージカルを作ったんだとおっしゃってました。

R: うん、物語について言えば、物語がまず全面にでてくるよ。登場人物が伝説の人だからね。ランボーは、歴史的に見て、文学史上、とてつもなく重要な人物なんだ。 (文学的な巨人としての)すごく大きな物語の背後には、彼のお母さんや先生、そして親友や、ヴェルレーヌといった人々との小さな美しい物語がすごくたくさんあるんだ。それがぼくらの目指しているものなんだ。

つまり、僕らが目指しているものというのは、(ミュージカルを)2時間ほど観て、美しいメロディーを聞いてもらい、願わくば、登場人物の誰かに自分を重ね合わせてもらいたいということなんだ。そして、「あ、何か学ぶことができた!」と思いながら会場を後にしてほしいと思ってるんだ。自分も覚えているのだけれど特にフランス語圏の人たちにとってランボーは昔、学校で勉強する人物なんだ。だから、みんながみんなランボーについてすごく詳しく知っているわけではないけれど、少なくとも、フランス語圏の人たちはアルチュール・ランボーがどんな人物であるかは知っている。だから僕たちはそれをうまく使おうと思っているんだよ。


アルノーさん@パリ。リシャールの書いたヴィタリーの詞の
ページとパチリ。

アルノーさんにもランボーの作品の一つの
"Charleville Mon Soupir"
の歌詞を書いてもらいました。

パリでアルノーさんにお会いした時、アルノーさんがランボーの人生は物語としてすごく面白いからこのミュージカルを作ったんだとおっしゃっていて、そのことをリシャールにも振ってみました。そして、ここでもまた物語が重要、とリシャールは話しているのですが、もう1つここでリシャールが言っている偉大な詩人としての大きな物語の背景にある周囲の人との小さな物語の数々、、、これほんとそうだなあと思いました。

ヴェルレーヌとのアバンチュールはもちろんですが、母ヴィタリーとの対立、イザンバールとの絆そして決別、親友であるエルネストとの友情、そして、ランボーを巡り苦しむヴィタリーとヴェルレーヌの妻マチルド、それぞれの物語がどれもドラマチックです。ランボーの人生は全体として見ればもちろん、これって小説以上のリアル・ストーリーじゃ?!という感じがするのですが、物語一つ一つを取ってみると、母と子の物語であり、自由を渇望する若き青年の物語であり、先生と生徒の物語であり、女の矜持の物語であり、いろいろな形の愛の物語でもある…。というわけで、実は私たち一人一人の人生にも重なる部分あるいは共感できる部分が必ずあるのではないかという気が自分はしています(リシャールとアルノーさんが作詞作曲した"Vitalie"の歌詞に関する記事はこちら。リシャールのいう「小さな物語」をちょっと垣間見れます。)。そういった意味で以前、リシャールがいっていたヒューマン・ストーリーとしての要素という点で、ランボーの物語は本当に魅力的だと思います。

ミュゼ・ランボーにあった等身大の写真


そして、確かにフランス語圏ではリシャールの言うように、「あー、ランボーね。」となるわけですが、日本やその他のアジア圏ではきっとこうはいかない(苦笑)。昨年蜷川さんの舞台で「皆既食」をやったように、ものすごくマイナーな話ではないのかもしれないけれど、それでもやっぱり誰もが知っている話、というわけではないと思います。かくいう自分も、恥ずかしながら、リシャールがランボーの舞台を作っているという話を聞くまでは、そういえばそういう詩人いたかも、ぐらいの認識しかありませんでした(アルノーさんにも、「日本ではランボーって誰?」って感じでしょ?きっと(笑)と言われました。)。

フレンチ・ミューガラコンにて。
Vitalieの詞を書いてもらっているところ

でも、Wikiやネットで調べたり、ちょっと本を読んだりしたら、確かに彼の詩は難しいけれど、彼の人生は本当に面白い(笑)。とにかくすべてがドラマです。そして、どの話も一筋縄ではいかなそうなものばかり。。。人間の奥深さというか、複雑さ、そういったものは言葉を超えて、文化を超えて、共感する部分がきっとあるんじゃないかという気がしました。そういう意味で、彼の物語が、ランボーにあまり馴染みのない国々で演じられるというのはすごく意義のあることなんじゃないかなあと個人的には思います。
→ご興味がある方は、ランボーの故郷であるシャルルヴィル探訪記もご覧ください(こちらです。)。

ランボーが少年時代を過ごした部屋

さて、次に聞いたのはランボーの二面性について。アルノーさんとパリでお話しした時、確かに彼はすごく頭がよかったけれど、同時にすごく悪賢い側面もあったと思うんだ、とお話をしていたのがすごく印象的だったので、そのことについてリシャールはどう思っているのか聞いてみました。

- アルノーさんは、ランボーは、すごく頭が良かったけれど、同時にその才能を、自分が欲しいものを手にいれるために、お母さんや先生であるイザンバールといった周囲の人たちを操るために使ったというある意味悪魔みたいな側面もあったと思うとおっしゃってたんです。そういった二面性についてどう思われますか?

R: うん、とても頭のいい人が、そういう風に他の人々を自分の目的を達成するために利用するということは往々にしてあることだと思うんだ。ランボー の場合、いつも彼の頭の中には(はっきりとした)目的があって、(それを達成する)手段というのは、あまり重要ではなかったんだ。彼は、自分の目的を達成するために必要なすべての才能を使う心の準備ができていたから、人間関係といったレベルの少々込み入ったことからは眼中になかったんだ。
目的のためには手段を選ばない、人間関係とか面倒なことには、ほとんど興味がなかった、というのは最後の質問でリシャールが言う"détachement"に通ずるところだと思うのですが、周りなんてどうでもいい、という見方によっては、かなり傲慢とも言えるそういったランボーの側面ってひょっとすると、誰もがみんな持つちょっとした憧れのような部分なような気もするんです。ある意味究極の自由人なわけですから笑。

実際に周りなんかどーだっていい、俺は俺のやり方でやるさ、っていうのは、この複雑な人間社会で実際にそういった行動を取るのはかなり難しい(苦笑)し、実際にそうしたら、いろいろとまずいことが生じることも事実(笑)。でも、こういうちょっと突き抜けた「悪さ」というのは、実際にここまでフリーダムな行動を取ることは難しくても(いや難しいからこそといえるのかもしれませんが)、ちょっと甘美な魅力がやっぱりある気がします。何となくジェームズ・ディーンの「不良っぽさ」がかっこよく見えるのとちょっと似てるかな。。。

ランボーと一緒に旅したトランク


さて、この日、リシャールは、ソウルで上演中だったキンキー・ブーツを見る予定があり、本当にもう行かなきゃいけないんだ、、、と言われたので(いやあ、なのに引き止めしまいほんとうにごめんなさい(汗))、最後の最後に改めてランボーの魅力をリシャールの言葉で語ってもらいました。

- ランボーでもっとも魅力的な部分はどんなところですか。

R: ランボーという人物に関して、いつも僕が魅了されてきた点 − これはアルノーとも何度も話したことなんだけれど  − それはこんなにも若い人間、若い少年が、文学的に重要な人物そして天才になるために、決断をしてきたということなんだ。彼には理論があって、それを信じていたのに、やがて数年後、彼はこれはもう好きではないと気づき、書くことを止める決断をする。当時まだ20〜21歳だった、こんなにも若い人間が 「やめた、やめた!考えを変えよう、他のことをしよう!」と決断をしたこうした能力…僕にも自分の人生で「これは自分にとって重要だ」あるいは「もうこれはいい、次にいこう」と、(こんな風に決断できる)能力があったらなあ!と夢見たものだよ。ランボーのそういった超然とした態度を僕はずっと尊敬してきたんだ。文学的な側面や文章の美しさ、そして新しい文学様式を代表し、発明した先駆者である、という点以外ではね。そういった決断をする能力−「何が自分自身にとっていいのだろう?たとえ、みんなに不快な思いをさせたり、傷つけたりしても、そんなことは気にしない、とにかく自分はこれをやる。」と決断していくそういった能力 − 僕はそういった(ランボーの考え方)が本当に好きなんだよ。


ランボーのお墓。

ランボーの魅力は?と聞くと少年のように目を輝かせながら、その魅力について語ってくれたリシャール。ランボーに対する熱い想いがこちらにも本当にすごくよく伝わってきました^^

ランボーは、才能があるのにもかかわらず、ある日突然、さー、やめたやめた!と詩作を放棄して新たな人生の旅に出るわけですが、自分に何が必要なのか考え、迷いなく決断する、というある意味超然とした態度(détachement)に魅力を感じる、というのは、私も激しく同意(笑)です。特に、いつもとにかく悩んでばかりの自分にとっては、ランボーのこの決断力は、まさに私に必要なことだわ、、、とリシャールの話を聞きながら思いました(笑)。どこまでも反逆者、自分の意志のままに風のように駆け抜けた人生を送ったランボー。近い将来、ランボー愛に溢れたリシャールの舞台で、彼の「物語」が見れるといいなあと思います。

ハッフィントン・ポストのリシャールの記事によるとたぶん、またヴェルレーヌの役を演じることになると思う、とのことなので、新たなリシャール発見となるかもしれません。公演をすること自体結構いろいろ大変なようで、どうなるのかしら、とファンとしても余計な心配をしてしまうのですが、、、ソウルで会ったときは、今までで一番公演に漕ぎ着けそうな雰囲気を感じました(といっても、やはりどうなるかはわからないですけどね。。。)。

ファンとしては、見守ることしかできないのですが、ぜひぜひ公演実現に漕ぎ着けるよう日本からお祈りしています^^

そして、リシャール、お忙しいところ、丁寧に質問に答えていただき、貴重なお話ありがとうございました!

2015年4月6日月曜日

祝!宝塚上演: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜あらすじ⑤ 〜

さて、いよいよ二幕も最後のあらすじです!いやはや長かった。。。宝塚版を観劇して少しでもフランス語圏発のミュージカルにより多くの人が関心を持ってもらえたらいいな、と思います。そして、日本でさらにフランス語のミュージカルの翻訳版、招聘版が上演されることを願ってやみません。

さて、最後のシーンはこのミュージカル最大の見せ場、そうバスティーユ監獄の襲撃です。バリバリネタバレをしておりますので(爆)、、、エンディングを知りたくないという方は宝塚版ご鑑賞後に、ご覧ください。

ここまで散々、嗚呼フレンチ、とか言ってきましたが(苦笑)、最後のこの回だけは真面目にいろいろ書いていきたいと思います。若干重い話も入るかもしれませんが、最後までおつきあい頂けると幸いです。

では2幕最後のパートです!

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★カバーしている曲:Sur ma peau(肌に刻み込まれたもの) / La prise de la Bastille / Fixe / Pour la peine(悲しみの報い)★

あらすじ④からのつづき。

- 革命家そして市民が集結している。
パリ郊外では、軍が市民に銃口を向け始めている、とロベスピエールがみなに報告する。革命家や市民も次々と集結するが、武器が足りず、革命家たちは頭を悩ませる。そこにロナンが、バスティーユなら武器がある、と言い出す。よし、王の権力の象徴である、バスティーユを打ち倒そう!と革命家たちが号令をかけ合う。「いざ、バスティーユへ!」<Sur ma peau>。

<Sur ma peau>
(肌に刻み込まれたもの)
(和訳:肌の上に)

"この肌に
俺は言葉の花が刻みつけられた
自らの約束を記した
俺の青春の誓い"

権力の象徴であるバスティーユ監獄を襲撃を前にロナン、そして、民衆たち(ダンサー)が新たな時代への決意を胸に歌う一曲。若者の革命への熱い想いが凝縮されています。この歌の見せ場は何と言ってもダンサーたちの気迫のこもった表情。一段下がったところから這い出てくるシーン、そして、曲の途中で歌手のルイも含め自ら茶色の顔料を塗りつける演出等、虐げられた者達が果敢に這い上がっていく様子がまさに革命の精神を物語っているように私には思えました。そしてこの歌からこのミュージカル最大の見せ場、バスティーユ監獄襲撃のダンスへと続きます。

ここからは文字で書いても野暮なだけなので、素敵な映像でご覧ください(笑)ただし、バリバリネタバレしておりますので、ここからは最後を知りたい方だけご覧ください。

***ネタバレ注意***

<La prise de la Bastille >
(和訳:バスティーユ奪取)

***ネタバレ注意***

***しかし、このダンス、そして最新の音響効果を使った演出はすごかったです。全身をめいっぱい使った一糸乱れぬダンサーたちの動きも目を見張りますが、なんというか、ダンサーたちの気迫がすごかったです。本当に一人一人がrevolutionaire(革命家)になり切ってました。撃たれて、一度倒れてもまた這い上がる、という演出も革命精神をまさに表した振りなんだと思います。演出としてもロープの壁登りもすごかったですし(宝塚版でこれはさすがにやらないだろうなあ笑。)、映像とはいえ、牢獄が崩れ落ちる様子はまさに迫力満点でした(大砲とか出てきちゃうし。)。そして最終的には壁が倒れてきて穴が開く瞬間はおーーー!といった感じでした(もうこれしか言えない。)。日本の持ってきてこのシーンがどれほど再現されるのかわかりませんが、できるだけオリジナルと近い形がいいなあと期待しております。。。***

民衆の力により、バスティーユ監獄のあの高い壁がついに崩壊する。そこから飛び出してくるロナン。が、銃声がし、ロナンはその場に崩れ落ちる。

デムーランが倒れるロナンを抱きかかえる。デムーラン、俺たちは自由だ…と力なく言うロナン。そうだ、我々は自由だ、とデムーランもうなづく。そこにオランプも駆けつける。「ロナン!死なないで、私のほうを見て、お願いだから、愛する人!」「オランプ、僕のオランプ… 。」

 オランプの叫びも虚しく、ロナンは息を引き取るのだった。号泣するオランプ。呆然自失のソレンヌ<Fixe>。そこに人権宣言の一節を唱えながら市民たちが集まってくる。<Fin (終わり)>

***ネタバレ注意***

<Fixe>
(和訳:頑なな(心)→解説は以下をご覧ください。)

我々は脆くて
我々は神によって粘土から創られ
我々は不確かな未来であり
我々は役に立つ存在で
我々は無益な存在で
我々は自らの手の中にある運命である

この歌、このミュージカルの歌の中で一番難解だと思います。聖書を下敷きに していると思われるところがいくつかあったり(これは理性を崇拝し、教会を破壊したりしていたフランス革命をテーマにしていることを考えると結構不思議。)、言葉の使い方が結構難解。。。フレンチミュー師匠のMewさんとこの歌詞について以前、話し合ったことがあったのですが、その時もやっぱりこの歌詞意味が取りづらいよね、という話になりました。ちょっとその時の議論も交えつつ、書いていきたいと思います。

タイトルの"Fixe"は 英語のfixedと同様、固定されたという形容詞、もしくは、軍隊用語の「気をつけ!」という号令を指す言葉だと思います。私は最初、このFixe、そしてそのすぐ後ろに出てくるce regard fixe(直訳は「その固定された視線/まなざし」)の意味がかなり謎でした。この曲は、最初、お父さんが死ぬシーンで、次はロナンが死ぬシーンで登場す るので、「固定された視線」=「生気がなくなった瞳」=「死」をまず自分は連想しました。ですが、師匠のMewさんに、physicalな視線、見ること、というよりさらに意味を広げて、「固まったものの見方」という考え方もできるのではないか、と言われ、ああ!と思いました。冒頭のシーンはソレンヌが、そ して最後のシーンはデムーランが、情感を込めて歌い上げるのですが、二人とも、大切な人を理不尽な理由、不条理な方法で殺されたことへの怒り、悔しさ、やるせなさを自分としては一番聞いて感じたので、この読み方をすると全体としてしっくり来るように思います。ロナンの死というのは、アンシャン・レジームという枠組み=凝り固まった考え方の犠牲になった人たちの象徴なのかもしれません。

全体としては、Fixeというタイトルが指すように、こういった凝り固まった考えによって大切な命が無残にも失われることの不条理さ、そしてそういった悲劇を繰り返す人間の愚かさ、争いの無益さを批判する歌といった感じなのではと思います。また、我々は役に立つ存在で/我々は無益な存在で/我々は自らの手の中にある運命である、という歌詞が示す通り、我々は新しい歴史を切り開いていく大きな力を持った存在であると同時に、愚かな過ちを繰り返す存在である、という二面性もテーマなのかなと思います。

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このシーンを見るとなぜか毎回ゾクっとする(いい意味で)のですが、見る度にやるせなくなります。新しい時代はもう目の前にあったのに、若くして死ななければいけなかった命。ロナンの死は、そういった、革命の中、自らの命を賭して、新しい考え、時代を信じ、犠牲となった人たちを象徴しているのだと思います。

と、同時に命の儚さ、尊さについても考えざるを得ません。新しい時代のため、とはいえ、花火のように散っていく命…。Fixeの歌詞を見ても、犠牲となった人々をヒーローとして讃えるというよりは、新しい時代が来るたびに多くの命が失われる無情さ、悔しさ、そして、歌詞の中にもあるように命の尊さを訴えているように思います。Vive la France!みたいな感じで、革命側の大勝利としてストーリーを終わらせるのではなく、むしろ、革命側も王族側もどちらにも勝利なんてない、残るのは虚しさ、そして犠牲となった人々を悼む気持ちだけ…そんな風にも聞こえる詞のような気がします(これは、この後の恐怖政治の混乱状態を思い起こすと、非常に納得がいきます。)。

革命のお膝元のフランス発のミュージカルが、最後このような結末、テーマを持ってくるというのは、意外でもあり、でも、「自由」「人権」という人間の存在にとって非常に重要な概念が、様々な人々の犠牲の下に成り立っているということをエモーショナルに切々と訴えかける美しい曲なような気もしました。

最後、人権宣言の一節を唱えながら会場の四方八方から歌手やダンサーたちが出てきて、舞台に向かって歩いてくるのですが、各々の声が最後どんどん重なり、背景の人権宣言とつながっていき、そして、最後みんなのFixeの大合唱でフィナーレ、という演出は本当に心揺さぶられました。とにかく、やるせないです(会場で、なんて悲しいの!と心の中で叫んでいました。)。

おまけ、ではないのですが、、、実はSaison 2の終わり方は、Saison 1と真逆です。何が真逆かは映像をご覧ください。個人的にはこちらのほうが話の筋としてはしっくりくるような気もします。宝塚版では、どちらが採用されるでしょうか?

***ネタバレ注意***

Saison 2のエンディング

そして、最後は、カーテンコールです。
このミュージカルの最後の公演のときのカーテンコールの映像です。観客とキャスト、スタッフの一体感+盛り上がりがなんともフランスっぽいので、入れてみます。


<Pour la peine>
(悲しみの報い)
(和訳:犠牲に報いるために)

"僕らは僕らを鼓舞してくれる夢が欲しい
僕らが苦しみの中ににあるとき花が欲しい
僕らは純粋であることの感覚が欲しい
自由な思想家という名の下に
僕らの頑な心を解きほぐす涙の名の下に
僕らは歴史を 変えることができなければいけない
犠牲になった者たちに報いるために"

さて、カーテンコールのこの曲、タイトルのPour la peineですが、 英語のpainと同様、peineは苦労、骨折り、または、苦痛、心痛、悲しみ、苦しみなどの意味があります。犠牲になった者たちのためには結構飛躍してしまっていますが、要するに、人権にしろ、自由にしろ、私たちが今当然だと思っている権利も、誰かの犠牲、そして、努力、痛みによって築かれたものであり、ロナンのように志半ばにして、命を落とした者たちの想いを引き継いで行かねばならないということを歌った歌なのだと思います。曲調もちょっと悲しいというか、心に静かに染入るような、ある意味鎮魂歌のような曲調になっています。

というわけで、全体としては、禁じられた愛の物語を主軸としつつも、そこに民衆の蜂起、革命家の活躍といった内容が入り、最後は、フランスの精神を 静かに物語るという感じでフィナーレを迎えます。

途中までの話の展開は、若干まとまりに欠けるというか、どういう方向性に持っていくのだろう?と観劇をしているときは思っていましたが、最後にラストスパート、と言う感じで一気に革命のストーリーをまとめあげたな、という印象でした。

個人的な感想としては、最後のシーンはとっても良かったけれど、そこまでの持っていき方にもうちょっと流れが欲しかったなあという印象でした。革命の話なら、革命にもっとスポットライトを当てるべきだったような気がしますし(振り返ってみると、主人公であるはずのロナンの革命家としての描き方が少々弱いように思います。。。(一瞬あれ、主役誰だっだったけ?デムーラン?あ、ロナンだった!となる(苦笑))、  アントワネットの話を差し込んだり、ちょっとごちゃっとした感じに自分には思えました。。。というわけで、その変を宝塚版はどう改変していくのか興味があります。

とグダグダネガティブなことを書いてしまいましたが、 全体としては、フランスが描くフランス革命という意味のミュージカルとしては、すごく興味深いミュージカルなのではないかなと思います。特に後半は、フランス革命の精神、引いては人間の尊厳みたいなものを描いている部分は自分としてもすごく勉強になった気がします。

実は、このミュージカルを創作、プロモーションをしていたと思われる時期は、アラブの春の時期と重なっています。下記のインタビューで実はプロデューサーのアチアさんとコーエンさんが、冗談交じりに僕たちが革命をテーマにしたミュージカルを作ったから革命が広がっていったのかなと言っていますが(聞き間違えでなければ)、こういう民衆の「抵抗スピリット」というのは、1789年から200年以上たった今でも、変わらずあるものなのだなという気がします。


プロデューサーたちのインタビュー映像(仏語)

そして、今年の1月7日。シャルリー・エブドの襲撃事件が起きました。そのとき、実は、私の脳裏に浮かんだのがこのミュージカルの"Sur ma peau","Fixe"そして"Pour la peine"のシーンでした。ご記憶にある方もあるかと思いますが、このとき、"Je suis Charlie"という言葉が、SNSを通じてフランス語圏そして、全世界に瞬く間に広まっていきました。そして、Place de la Républiqueでの行進も非常に記憶に残るものだったと思います。(実は、私は事件のちょうど1ヶ月前、パリにミュージカル遠征旅行をしており、まさにこの広場も休憩がてら訪れていた場所だったので、人で埋め尽くされたPlace de la Républiqueというのは、とても衝撃的でした。。。)

Place de la République。
このときは、全然平和だった…。

シャルリ・エブドーの風刺画に問題がなかったかと言われれば、カルチャーの違いはあるとはいえ、これほど挑発的に描く必要はあったのだろうか?と私自身も思うところもありますし、この議論について、浅はかな私の知識でどうこう言うのは憚られるのですが、人々が自然発生的に言論・表現の自由に対する暴力に"Non"と表明する"solidarité(団結)"を示す光景は、やはりpeople's powerの大きさを示しているのではないかと思いました。

Place de la Républiqueの行進の写真をネットで見ているとき、暴力で踏みにじられても絶対に立ち上がるのだ、という強い意志を示したSur ma peauのシーン、そして、人権宣言の一節を読みながら、次々とキャストたちが舞台に上がるシーン、さらには、鎮魂、そして淡い希望という意味ではpour la peineのシーンと重なり、この精神は現代にも息づいているんだなとふと思いました。

と同時に事件の1ヵ月後に襲撃事件からかろうじて生き延びたイラストレーターのLuzの取材インタビュー(こちら。フランス語ですが、英語の字幕がついています。)を見ていて、Fixeのテーマである無力感というか、なぜ悲しい歴史はこうやって繰り返されるのだろう、、、というやるせなさといったものも同時に感じました(Luzは、実は、Place de la Républiqueでの行進についても、言論の自由を抑圧する国々の首脳が行進に参加していたことを批判しています。。。)。

この事件に関する議論は当分の間尽きることはないと思いますが、 このミュージカルを観ながら、日々忘れがちな人間の尊厳、自由といったことについて考えるきっかけになればなあと個人的には思います。

革命について考える…。


以上、長々と書いてきてしまいましたが、「1789バスティーユの恋人たち」のあらすじでした。
読んで頂きどうも有難うございました!

ギリギリ宝塚の公演に間に合ってよかった(汗)。。。

宝塚の公演では、シーズン2にしか登場しないPic Et Pic et Amstramgram(自由と平等) Les Mots Que L'On Ne Dit Pas(声なき言葉)も使われていたようだったので、そちらについては別の記事にしました。