2015年4月11日土曜日

Le petit entretien avec... Richard Charest (Partie 2) @ Séoul ~Notre Dame de Paris Tournée 2015~

*If you prefer to read in English, see here.
*英語版にはフランス語のテキストもつけています。興味がある方は英語版をご覧ください。

インタビュー第一弾(ノートルダム・ド・パリについて)はこちら

気づけば、昨年(2014年)末からスタートしていた韓国ツアーが釜山で終了し、もうすぐ台湾公演が近づいているという。。。時が経つのは早いですね。。。釜山公演では、10年ぶりの短髪グランゴワールもあったようですが(笑)、今年最後のアジア公演のラストスパートも頑張って欲しいです^^ 休みがあるとはいえ、4ヶ月の長丁場。キャストもスタッフも大変だと思いますが、最後の公演まで無事に終わって欲しいなあと思います!

そして、ばたばたしていて、更新できていなかったリシャール(・シャーレ)のインタビューのパート2を載せて行こうと思います。すでにインタビューから2ヶ月近くが経とうとしていますが(汗)、インタビュー後半は、主にフランス語、昨今のフレンチ・ミュージカルについて、リシャールの製作するランボー・ミュージカルについて伺ってみました。

というわけで、C'est parti!



まず、最初に昔から興味があった、フランス語で演じること、について伺ってみました。

‐ 今回、オリジナル・バージョンであるフランス語での上演ですが、演じていて英語版との違いはありますか。また、ケベック人として、フランス語はどのような存在ですか?

R: ミュージカル(ノートルダム・ド・パリ)は、フランス語で作られたから歌詞はみんなメロディーを尊重するように作られているし、メロディーは歌詞を尊重するように作られている。だから、そういう風に音が響くように作られているんだ。フランス語はとても美しいことばだから、聞いていてすごく心地いいというのはもちろんだけれど、フランス語で演じる者としてオリジナルの言語でミュージカルを守り続けていくということはいっそう大事なことだと思うんだ。2年か3年、英語版を上演する期間があったけれど、(フランス語版 で)こうしてまた戻ってこれてすごくうれしいし、このミュージカルがいかにクオリティーが高い作品であるか改めて気づいたよ。だから、フランス語 というのはすごく重要だよ。

それから、ケベック人として、ということだけれど、カナダはアメリカやカナダの英語圏の存在がすごく大きくて、フランス語話者はすごく少ないから、フランス語を守っていくということはとっても大事なことなんだ。だから、もちろん(ケベック人として)フランス語は大事だよ。

以前の記事にも書いたのですが、リシャールの言うように、音楽と詞というのは本当に不可分な存在なのだなあと改めて思いました。どの言語にもその言語独特の世界観があって、フランス語は特に感情を表すのにすごく秀でた言語だなと個人的には思います。

そして、もう一つ、ケベック人として、という質問をしたのは、私の個人的な興味からです笑。大学時代、多言語における人々、みたいなことを勉強していたので、ケベックについては、カナダ(アングロサクソン文化圏)の中にありつつもフランス語圏であり、アングロサクソン文化ともフレンチ文化ともまた違うハイブリッドな文化が魅力ということで興味を持っていました。

実際、リシャールやほかのケベコワ出演者の方とお話をすると、お洒落なフランス文化とフレンドリーなアメリカ大陸気質がミックスされた不思議な魅力を持った方たちだなあと思いました(あくまで私の感覚&もちろん、彼らだけでケベック人を一括りにはできませんが苦笑。)。

あと、これは特にリシャールについて当てはまると思うのですが、やはりフランス語話者として、すごくそのことに誇りを持っているなあと思います。ケベコワとして、という部分については、今回、リシャールが何か付け足そうとしてたのを自分が遮ってしまったということもあり、あまり掘り下げられませんでしたが(汗)、やはりマイノリティーとして、「言葉」というところにはすごく自覚的なんだなあと思いました。

(Photo Credit: Binna)
お話を伺っていたときのリシャール。丁寧に1つ1つの質問に答えてくれたのが印象的でした。

- あなたはカナダ人なので、英語でも役を演じるという選択もありますが、やはりフランス語で演じるほうが好きなのですか?

R: まず第一に、(フランス語で演じられるということは)仕事の機会(が広がるということ)になるね。ちょっと興味深いんだけれど、実はさっき楽屋で英語でトロント、つまり、カナダの英語圏で仕事をし始めたいかって聞かれたんだ。新たな挑戦をするためにそういうことをやってみたいとはもちろん思うけれど、今、ノートルダムに出演する機会が目の前にあって、演じる機会を得ることができたから、こうして、出演しているんだ。それに、演じる役も、言語もすばらしいしね。あと僕は自分でも(フランス語で)歌や劇作品、ミュージカルの台本なども書くから、自分にとってフランス語は財産なんだ。だから非フランス語圏の国にきて、同じ役を(観客に)紹介して、(その役を)守っていくことができる、というのはものすごくラッキーなことだと思うんだ。  

- 将来的には、英語で他の役を演じたいと思いますか。ブロードウェーとかウェスト・エンドとかで。

R: もちろん、もちろん。是非やってみたいと思っているよ。フランス語のミュージカルのレパートリーはブロードウェーやウェストエンドといった英語圏の それと比べると全然限られているから。レ・ミゼラブル、オペラ座の怪人、ジキル&ハイドなどにはすばらしい役があるし、そのほかにも演じるのにすばらしい役はあるから、(英語の役は)すごくやってみたいと思っているよ。それから、年齢を重ねると、英語での方がフランス語よりも、もっともっと可能性が広がるんだ。つまり、ノートルダム・ド・パリでの役でいうと、グランゴワールの役は、これからもさらにすごくすごく長い間演じ続けることはできないかもしれないし、それにフェビュスの役ももう正直できないだろうし(ほら、若い衛兵が必要だから。)、今後、あまり多くのその他の可能性というのがないんだ。それに、フロロの役をやって歌うにはまだ若すぎるし、じきにグランゴ ワールの役をやるには年を取りすぎてしまうことになるだろうし、だから、No man's land (ミュージカル業界で、演じる者として年を取りすぎているのか、それともまださらに年を取る必要があるのかわからなくなってしまう状態のことを言うんだけど。)- 英語ではこう言うんだけど - 状態になってしまうんだ。でも英語だったら、そんなに悪くないその他の可能性があるから、次の新天地も探っていきたいと思っているよ。

若干不躾な質問で、ちょっと今から考えると、申し訳なかったかなあという気もするのですが、実は、この質問も、前からちょっと聞いてみたかったことでした。。。フランス語が母語といえ、カナダ人だし、英語圏のミュージカルとかどう思っているんだろう、、、と考えていたのですが、やっぱり、リシャールもフランス語というベースがあっても、英語圏のミュージカルという選択肢は全然あり、と思っていたというのは、ちょっと意外なような気もしましたが、リシャールが言うように、フレンチミュージカルの規模が英語圏と比べれば全然小さいことを考えれば、当然の発想といえば発想なのかなあと思いました。

フロロ役もぜひ観てみたい。
そして、また違った役に挑戦する姿もぜひ観てみたいです!

そして、聞いててファンとしてちと切なくなったのが「年齢を重ねると…」のくだり(苦笑)。まさかリシャールから「年を取ると…」なんて言葉が出てくるとは夢にも思いませんでしたが(爆)、よく考えれば、誰しも年を取るのは事実。リシャールもいつまでもグランゴワール役をやれるわけではない、ということはわかっていましたが、それでも本人から、これからもずっとできるわけではないしねーと言われると、なかなか切ない。でも、だからこそ、1回1回の公演が一期一会であり、すばらしい時間になるのだよなあと改めて思いました。そして、公演を観れたことにまず感謝し、一瞬一瞬を大切に目に焼き付けておかなければ、、、と思いました。

リシャール、フロロにはちょっと自分は若い、と話していましたが(笑)、もし、将来フロロを演じることになったら、初の3役達成歌手になると思うので、それはそれで見てみたい気がします^^美形神父、、、なぜエスメラルダは恋に落ちないんだろう?という疑問が湧きそうですが(笑)、冗談はさておき、wikiのフロロのページを読んでた時、実は、リシャール・フロロ結構いけるのでは?と思いました。このページの写真、何年後かのリシャールに重なりそう(笑)だし、インテリな感じとかまさにリシャールっぽいし、エスメラルダへの欲望との間で心乱れるTu Vas Me Détruireとか「苦悩」するフロロをきっと情感豊かに演じてくれる気がします。

10月のガラコンにて。

No man's land(笑)のお話も、show biz界に生きる人ならではの悩みだと思うのですが、自分の声、そして表現力だけで役を勝ち取っていくという厳しい世界に生きる彼らへ改めてリスペクトを感じました。。。(後半のランボーの話ではないけれど、自分の才能を信じてそれに賭けて生きて行くという姿は真似はできなくとも、まさに自分が憧れる姿であったりします^^)

でも、リシャールが言うように、昨今のフランス語圏のミュージカル出演者は、10代〜20代の若者が大半(観客層が、若者、ファミリーが多いということが大きいんだと思うのですが。)で、渋い演技ができる30後半-40代〜の歌手というのは出番が限られているというのが実情なのかなと思います(こういったことはフランス語圏に限らずなのかもしれませんが、特にフランス語圏の大型ミュージカルではそれが顕著な気がします。)。

ノートルダムでのリシャールはもちろん好きですが、リシャール自身も言っているように新たな役(bad guyを演じるリシャールとかぜひ見てみたい!)に挑戦する彼も個人的にはぜひ見てみたいなあと思います。

韓国のガラコン(2013)のとき


さて、次の質問は、さきほどちょっと述べたフレンチミュージカルのトレンドについて伺ってみました。自分もフレンチミュージカルのエキスパートでは全くないのでこんなこと言うのもおこがましいのですが、、、最近のヒット作みたいなフレンチミュージカルは割合、ショーの見た目が重視されていて、story tellingの部分が少々弱いのではないかなあという印象を自分は持っていて、実際に演じている役者さんからするとどうなのだろう?という素朴な疑問がありました。

あと、リシャールと彼が作るランボーのミュージカルについて話をしたときに、感じたことの一つに彼の「物語」や話のフィロソフィーへのこだわり、といったものが感じられたので、そういった意味でも興味がある質問でした。

- 次の質問は、昨今のフレンチミュージカルの傾向についてなのですが、数ヶ月前パリでアルノーさん(*ランボーのミュージカルの共同製作者。パリ旅行に行った時に少しお話を伺いました。そのときの話はこちら。)にお会いした時、アルノーさんともこのことについて話したのですが、最近、フランスで演じられているミュージカルは、なんというか…若者や子供向けになってきてるような気がするんです。たとえば、私は1789 Les Amants de la Bastilleを観ましたが、スペシャル・エフェクトやセット、コスチュームやダンスは本当にすばらしいと思ったんです。でも、物語はそれに比べて、あまり重視されていないような気がしたんです。曲もどちらかというとフレンチ・ポップといった感じで、まるで、「衣装を着たコンサート」のような印象を受けました…。私の言いたいことがわかりますか?

R: うん、うん。君の言ってることは一理あると思うよ。もちろん。というのも、テイストの問題について、ということだけれど、フランス語圏のミュージカルを好きかどうかにかかわらず、フランス語圏のミュージカルというのは、話の筋が多くの場合、あまり明確ではないポップ・ミュージックの公演なんだ。だから、重要なのは必ずしも観客がすべての物語、あるいは何が起きているかや登場人物や(出演者の)やりとりをすべて理解することではないんだ。(宣伝のために)ラジオでかけるのに適した音楽でなければならないし、音楽番組に出演して多少知られていたり若い出演者や熱烈なファンクラブを持っているような人が必要だしね。でも、それは(僕らのやり方とは)また違った方法であって、「ランボー」もそうだけれど、アルノーと僕は物語をとても大事にしているというのは事実だよ。

なんだか、フレンチ・ミュージカルをこき下ろしてる、、、みたいに見えてしまって、お前ほんとにフレンチミュー好きなのかよ??と言われてしまいそうなのですが(汗)、愛するが故に、ちょっと書いてみます(笑)。

私自身、良質なエンターテイメントは大好きです。特に、フレンチミュージカルのライティングや最新の音響効果は驚きの連続で、すごい!!!の一言しか言えません。特に最近の作品はその進歩が著しいように思います。1789や去年の12月に見たLe Bal des Vampires(ダンス・オブ・ヴァンパイアのフラ語版)で見た演出にはこんなこともできるの?!と感激のしっぱなしでした。ですが、これは個人の好みもあると思うのですが、スターマニアやノートルダムと比べると最近のミュジージカルはやっぱり考えさせられる部分というのがどうしても弱いなあという印象があり、音楽についても、フレンチポップは大好きなので、それ単体で聞いている分には全然良いのですが、1789を見た時、これミュージカルっていうより、どっちかっていうと普通のコンサートに近くないか?と私は素朴に思ったのでした(笑)。

これも、多分、若者や小さな子にもとっつきやすい&盛り上がりやすい作りにしようとした結果なのかなあという気がします。やっぱりjeunes filles(ヤング・ガールズ)がキャーキャー言う美形男子(!)やキュートな女子、小さな子がわくわくするようなヒーロー、というのは、外せない(笑)。さらに言えば、集客できなければ、そもそも興行自体成り立たないわけで、「エンターテイメント」に比重がシフトしてきている、というのは、ある意味当然の方向性であるといえば、そうであるともいえます。でも、個人的には、フランスって、哲学の国なので、もっと大人向けのいろいろ考えさせる作品もあって欲しいなあというか、見てみたいなあという希望はあったりします(そういう意味で、ノートルダムはエンターテイメント性と哲学性という得てして対極にあるものをうまく融合させていて、ほんと奇跡的な作品です。)。


1789より。イケメンと素敵女子<3
ポップな演出。
これは盛り上がります、確かに。

Le Bal des Vampires。会場の様子。ほんと、技術は半端なかった。。。
そして、主役の男女はやはり美男、美女でした^^
といってもこの演目は翻訳版なのでちょっと意味合いが違うかも
(少なくとも音楽はポップミュージックではない。)。
で、リシャールの反応ですが、やっぱり、リシャール、アーティスティックでした笑。そういう商業的側面を重視するやり方ももちろんあるけれど、やはり物語が僕らにとっては大事、と目を輝かせながら話してくれたリシャールが印象的でした。個人的には、そういう風に物語、そして言葉を大事にするそういうリシャールやアルノーさんの姿勢にすごく共感します。ぜひ上演に漕ぎ着けてほしい^^

さて、ここから本格的にランボーについてリシャール話してくれました。

- アルノーさんは、だから僕たちはランボーのミュージカルを作ったんだとおっしゃってました。

R: うん、物語について言えば、物語がまず全面にでてくるよ。登場人物が伝説の人だからね。ランボーは、歴史的に見て、文学史上、とてつもなく重要な人物なんだ。 (文学的な巨人としての)すごく大きな物語の背後には、彼のお母さんや先生、そして親友や、ヴェルレーヌといった人々との小さな美しい物語がすごくたくさんあるんだ。それがぼくらの目指しているものなんだ。

つまり、僕らが目指しているものというのは、(ミュージカルを)2時間ほど観て、美しいメロディーを聞いてもらい、願わくば、登場人物の誰かに自分を重ね合わせてもらいたいということなんだ。そして、「あ、何か学ぶことができた!」と思いながら会場を後にしてほしいと思ってるんだ。自分も覚えているのだけれど特にフランス語圏の人たちにとってランボーは昔、学校で勉強する人物なんだ。だから、みんながみんなランボーについてすごく詳しく知っているわけではないけれど、少なくとも、フランス語圏の人たちはアルチュール・ランボーがどんな人物であるかは知っている。だから僕たちはそれをうまく使おうと思っているんだよ。


アルノーさん@パリ。リシャールの書いたヴィタリーの詞の
ページとパチリ。

アルノーさんにもランボーの作品の一つの
"Charleville Mon Soupir"
の歌詞を書いてもらいました。

パリでアルノーさんにお会いした時、アルノーさんがランボーの人生は物語としてすごく面白いからこのミュージカルを作ったんだとおっしゃっていて、そのことをリシャールにも振ってみました。そして、ここでもまた物語が重要、とリシャールは話しているのですが、もう1つここでリシャールが言っている偉大な詩人としての大きな物語の背景にある周囲の人との小さな物語の数々、、、これほんとそうだなあと思いました。

ヴェルレーヌとのアバンチュールはもちろんですが、母ヴィタリーとの対立、イザンバールとの絆そして決別、親友であるエルネストとの友情、そして、ランボーを巡り苦しむヴィタリーとヴェルレーヌの妻マチルド、それぞれの物語がどれもドラマチックです。ランボーの人生は全体として見ればもちろん、これって小説以上のリアル・ストーリーじゃ?!という感じがするのですが、物語一つ一つを取ってみると、母と子の物語であり、自由を渇望する若き青年の物語であり、先生と生徒の物語であり、女の矜持の物語であり、いろいろな形の愛の物語でもある…。というわけで、実は私たち一人一人の人生にも重なる部分あるいは共感できる部分が必ずあるのではないかという気が自分はしています(リシャールとアルノーさんが作詞作曲した"Vitalie"の歌詞に関する記事はこちら。リシャールのいう「小さな物語」をちょっと垣間見れます。)。そういった意味で以前、リシャールがいっていたヒューマン・ストーリーとしての要素という点で、ランボーの物語は本当に魅力的だと思います。

ミュゼ・ランボーにあった等身大の写真


そして、確かにフランス語圏ではリシャールの言うように、「あー、ランボーね。」となるわけですが、日本やその他のアジア圏ではきっとこうはいかない(苦笑)。昨年蜷川さんの舞台で「皆既食」をやったように、ものすごくマイナーな話ではないのかもしれないけれど、それでもやっぱり誰もが知っている話、というわけではないと思います。かくいう自分も、恥ずかしながら、リシャールがランボーの舞台を作っているという話を聞くまでは、そういえばそういう詩人いたかも、ぐらいの認識しかありませんでした(アルノーさんにも、「日本ではランボーって誰?」って感じでしょ?きっと(笑)と言われました。)。

フレンチ・ミューガラコンにて。
Vitalieの詞を書いてもらっているところ

でも、Wikiやネットで調べたり、ちょっと本を読んだりしたら、確かに彼の詩は難しいけれど、彼の人生は本当に面白い(笑)。とにかくすべてがドラマです。そして、どの話も一筋縄ではいかなそうなものばかり。。。人間の奥深さというか、複雑さ、そういったものは言葉を超えて、文化を超えて、共感する部分がきっとあるんじゃないかという気がしました。そういう意味で、彼の物語が、ランボーにあまり馴染みのない国々で演じられるというのはすごく意義のあることなんじゃないかなあと個人的には思います。
→ご興味がある方は、ランボーの故郷であるシャルルヴィル探訪記もご覧ください(こちらです。)。

ランボーが少年時代を過ごした部屋

さて、次に聞いたのはランボーの二面性について。アルノーさんとパリでお話しした時、確かに彼はすごく頭がよかったけれど、同時にすごく悪賢い側面もあったと思うんだ、とお話をしていたのがすごく印象的だったので、そのことについてリシャールはどう思っているのか聞いてみました。

- アルノーさんは、ランボーは、すごく頭が良かったけれど、同時にその才能を、自分が欲しいものを手にいれるために、お母さんや先生であるイザンバールといった周囲の人たちを操るために使ったというある意味悪魔みたいな側面もあったと思うとおっしゃってたんです。そういった二面性についてどう思われますか?

R: うん、とても頭のいい人が、そういう風に他の人々を自分の目的を達成するために利用するということは往々にしてあることだと思うんだ。ランボー の場合、いつも彼の頭の中には(はっきりとした)目的があって、(それを達成する)手段というのは、あまり重要ではなかったんだ。彼は、自分の目的を達成するために必要なすべての才能を使う心の準備ができていたから、人間関係といったレベルの少々込み入ったことからは眼中になかったんだ。
目的のためには手段を選ばない、人間関係とか面倒なことには、ほとんど興味がなかった、というのは最後の質問でリシャールが言う"détachement"に通ずるところだと思うのですが、周りなんてどうでもいい、という見方によっては、かなり傲慢とも言えるそういったランボーの側面ってひょっとすると、誰もがみんな持つちょっとした憧れのような部分なような気もするんです。ある意味究極の自由人なわけですから笑。

実際に周りなんかどーだっていい、俺は俺のやり方でやるさ、っていうのは、この複雑な人間社会で実際にそういった行動を取るのはかなり難しい(苦笑)し、実際にそうしたら、いろいろとまずいことが生じることも事実(笑)。でも、こういうちょっと突き抜けた「悪さ」というのは、実際にここまでフリーダムな行動を取ることは難しくても(いや難しいからこそといえるのかもしれませんが)、ちょっと甘美な魅力がやっぱりある気がします。何となくジェームズ・ディーンの「不良っぽさ」がかっこよく見えるのとちょっと似てるかな。。。

ランボーと一緒に旅したトランク


さて、この日、リシャールは、ソウルで上演中だったキンキー・ブーツを見る予定があり、本当にもう行かなきゃいけないんだ、、、と言われたので(いやあ、なのに引き止めしまいほんとうにごめんなさい(汗))、最後の最後に改めてランボーの魅力をリシャールの言葉で語ってもらいました。

- ランボーでもっとも魅力的な部分はどんなところですか。

R: ランボーという人物に関して、いつも僕が魅了されてきた点 − これはアルノーとも何度も話したことなんだけれど  − それはこんなにも若い人間、若い少年が、文学的に重要な人物そして天才になるために、決断をしてきたということなんだ。彼には理論があって、それを信じていたのに、やがて数年後、彼はこれはもう好きではないと気づき、書くことを止める決断をする。当時まだ20〜21歳だった、こんなにも若い人間が 「やめた、やめた!考えを変えよう、他のことをしよう!」と決断をしたこうした能力…僕にも自分の人生で「これは自分にとって重要だ」あるいは「もうこれはいい、次にいこう」と、(こんな風に決断できる)能力があったらなあ!と夢見たものだよ。ランボーのそういった超然とした態度を僕はずっと尊敬してきたんだ。文学的な側面や文章の美しさ、そして新しい文学様式を代表し、発明した先駆者である、という点以外ではね。そういった決断をする能力−「何が自分自身にとっていいのだろう?たとえ、みんなに不快な思いをさせたり、傷つけたりしても、そんなことは気にしない、とにかく自分はこれをやる。」と決断していくそういった能力 − 僕はそういった(ランボーの考え方)が本当に好きなんだよ。


ランボーのお墓。

ランボーの魅力は?と聞くと少年のように目を輝かせながら、その魅力について語ってくれたリシャール。ランボーに対する熱い想いがこちらにも本当にすごくよく伝わってきました^^

ランボーは、才能があるのにもかかわらず、ある日突然、さー、やめたやめた!と詩作を放棄して新たな人生の旅に出るわけですが、自分に何が必要なのか考え、迷いなく決断する、というある意味超然とした態度(détachement)に魅力を感じる、というのは、私も激しく同意(笑)です。特に、いつもとにかく悩んでばかりの自分にとっては、ランボーのこの決断力は、まさに私に必要なことだわ、、、とリシャールの話を聞きながら思いました(笑)。どこまでも反逆者、自分の意志のままに風のように駆け抜けた人生を送ったランボー。近い将来、ランボー愛に溢れたリシャールの舞台で、彼の「物語」が見れるといいなあと思います。

ハッフィントン・ポストのリシャールの記事によるとたぶん、またヴェルレーヌの役を演じることになると思う、とのことなので、新たなリシャール発見となるかもしれません。公演をすること自体結構いろいろ大変なようで、どうなるのかしら、とファンとしても余計な心配をしてしまうのですが、、、ソウルで会ったときは、今までで一番公演に漕ぎ着けそうな雰囲気を感じました(といっても、やはりどうなるかはわからないですけどね。。。)。

ファンとしては、見守ることしかできないのですが、ぜひぜひ公演実現に漕ぎ着けるよう日本からお祈りしています^^

そして、リシャール、お忙しいところ、丁寧に質問に答えていただき、貴重なお話ありがとうございました!

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