2015年3月1日日曜日

Notre Dame de Paris Tournée @ Seoul - Version Originale (française) 〜Distribution(配役編)〜

さて全体の感想に引き続き、配役等の感想です。
入り口にはポスターが。
今回、結局4回(苦笑)公演を観たのですが、気づいたら、全キャストが全役回るという奇跡?のローテーションでした。今回のソウル公演は、2ndキャストといっても、2013年の日本公演のときより2ndの歌手の出現率が高く、もはや2ndというよりローテーション公演。おそらく、全員が1stの歌手という日はほとんどなかったのではないかと思います。

ただ、そういった意味で、2nd層も結構いい人を入れていた、と取ることもできるかなと思います。

Robert Marien (Frollo) / Stéphanie Bédard (Esmeralda) / Matt Laurent (Quasimodo) / Myriam Brousseau (Fleur de Lys)
今回の配役は次の通り。


Quasimodo: Matt Laurent / Angelo Del Vecchio  

マットは説明不要かとも思いますが(カジモド1,000回出演おめでとう!)、日本公演にも2ndとして出演していたアンジェロは、英語版公演に続き、唯一の非仏語母語話者としての参加。   

Gringoire: Richard Charest / John Eyzen  

リシャールも、日本公演を観た方にはおなじみだと思いますが(こちらも、フェビュス+グランゴワール出演700回おめでとう!)、2nd はロミジュリのジョン!ロミジュリのマキューシオ役のハマりっぷりったらなかったので、今回どんなグラゴワに?!(あ、髪だけは準備万端なのはわかって
いたけれど笑)とワクワクしながらの観劇となりました。  

Frollo: Robert Marien / Jérôme Collet  

こちらも1st、2ndともに日本公演と同じ顔ぶれ。ジェロームさんは、去年のシンガポールは不参加だったので、なんだか久しぶり感がありました。  

Phœbus: Yvan Pedneault / John Eyzen  

イヴァンも実はシンガポール公演に出演していなかったので、久々の再会。Yvanの高音と短髪(シンガポール公演のフェビュスはルカさんだったので、長髪だったのです。。。)が結構好きだった私としてはちょっと楽しみでした。そして、ジョンは、フェビュスも今回2ndをしていたわけですが、こちらはヘアスタイルのこともありますが、ジョンフェビュスが全く頭の中で想像がつかず、どんな感じだろうと思いながらの鑑賞でした。 

 Esmeralda: Stéphanie Bédard / Myriam Brousseau  

2ndのミリアムは英語版の頃から引き続きの2nd。(ずーっと出演しているのでちょっとかわいそうだなあとも思ったり。)。1stはRobin des Boisにも出演していたステファニーさん。NDP初参加なので、事前に一応彼女が歌う姿をチェックしていたのですが、ロックな彼女がジプシーガールをどう演じるのか興味津々でした。  

Fleur de Lys: Stéphanie Schlesser / Myriam Brousseau  

こちらも1stは、ステファニーちゃん。年齢も二十歳ぐらいでミュージカル出演もそれほどなかったような。。。というわけでフレッシュさ+リスの背筋がゾクッとする怖さをどんな風に表現してくれるか、期待、でした。  Clopin: Gardy Fury / Angelo Del Vecchio  ガルディーさんは、以前NDPの公演に出ていたようですが、かなり久しぶりの NDP出演だったようです。アンジェロはこちらも2ndを担当。
John Eyzen (Phœbus) / Jérôme Collet (Frollo) / Stéphanie Bédard (Esmeralda) / Angelo Del Vecchio (Quasimodo) 
  Richard Charest (Gringoire) / Stéphanie Schlesser (Fleur de Lys) / Gardy Fury (Clopin)
さて、それぞれの役の感想です。  

Matt カジモド:月並みな言い方ですが、安定していました。やっぱり年の功というか役の厚みを感じさせるのがマットのカジモドかなという気がします。

Anjeloカジモド:これ、今回の観劇で大発見(笑)でした。アンジェロの歌の歌い方がカジモドにマッチしていたということがまず一つ(マットのようなロックなクラッキングヴォ イスではなく、オペラティックなクラッキングヴォイス(若干矛盾してますが。)。その声が純粋で不器用なカジモドの心をすごくよく表現していたと思いま す。)。そして、彼は若いので、フロロとの絡みのときに、最初の方の彼を本当の家族のように慕うシーンでは、まさに親子のように見えました。  

Stéphanie Bédard / Matt Laurent
Richardグランゴワール:こちらもまた月並みになってしまいますが、安定感がありました(このブレない感が好きなのよね。。。)。カテドラルやノートルダム襲撃シーンのリードは、やっぱりリシャールの声映えます!3階から聞いていたときも、舞台を引っ張ってるのがびんびん感じられました。あと、リシャールのユーモラスなグラゴワの真骨頂だったのはやはり、La fête des fous でしょうか。リシャール自身、出待ちのとき、ダンサーやアクロバットとのインターアクションがすごく気に入っていると言っていましたが、毎回、毎回ちょっとずつ確かに振りが違っていて、おもしろかったです。愛されキャラのリシャール・グラゴワはやはり健在でした^^


Stéphanie Bédard / Angelo Del Vecchio / Stéphanie Schlesser /
Richard Charest / 
Gardy Fury 
John グランゴワール:これは、ひょっとすると、今回のツアーでの一番の発見だったかもしれません。リシャールの演じるグランゴワールとはまた別のグランゴワールでとってもよかったです。特に、Les Portes de Parisがわたし的にツボでした。ロミジュリのマキューシオのときもそうでしたが、やはりジョンの声のすばらしさは艶っぽさ、セクシーさにあると思います。というわけで、Les Portes de Parisのような艶っぽい音色の曲にジョンの声はすごくマッチしていました。


Robert Marien / John Eyzen
3階席から。
特に高音は、それが際立っていたかなあ。そして、リシャールには申し訳ないが、やはり、若々しさ。全体的に舞台にフレッシュ感がありました。走り回るシーンとかはやっぱり、若いわーと見ていて思いました(爆)。カテドラル等のいわゆる朗々と歌うグラゴワナンバーもよかったですが、ジョンは低い音程が苦手?なのか、これらのナンバーはまだ伸びしろの余地あり、という気がしました。  

Robertフロロ:やっぱりロベールさんのフロロは何度見ても見飽きません。というか見るたびにこのフロロというキャラクターが悪役なのに好きになります。ロベールさんのこのフロロを単なる悪人として見せない演技力には本当にいつも脱帽です。今回、出待ちのときにロベールさんにフロロを演じる魅力を尋ねたところ、彼の複雑な側面、そして、人間らしさを表現できるという点とおっしゃっていたので、ロベールさんのこの言葉を思い出しながら、舞台を見ていたのですが、改めて、このキャラクターの奥深さ、複雑さを感じることができました。そして、念願のロベールさんのJe t’aime!もいただきました。でも思ったより、t’aime!のところで加速度的にクレッシェンドがかかるので、Jeのところでは自分が思っていたよりも迫力がない感じでした(→細かい。)。
Robert Marien / Richard Charest 
Jeromeフロロ:ロベールさんの比較になってしまうので、ちょっと申し訳ないのですが、ジェロームさんのフロロは、ロベールさんのフロロとは対照的にとにかく冷たい印象を与えるフロロです。割とこのタイプのフロロは、多い気がしますが、やっぱり私は、同情の余地があるロベールフロロに惹かれてしまいます。。。



NDPバスが走ってた。
Yvanフェビュス:ツアーも半ば過ぎたから?かちょっと疲れが見えた気がしました。東京のときは、もうちょっときれいな声をしていた気がしたのですが、今回ちょっと声が潰れ気味だった気が。そういう意味で、ちょっと大人になったフェビュス(笑)な気がしました。そして、私が見た1回目の回では、デシレだったかの入りを飛ばしました笑。おいおいおい、私でも入りわかったよ?と思わず心で突っ込んでしまった笑。でも、個人的にイヴァンのちょっとヘタレな感じ&ダメ男感は、見ている側としてやっぱり結構面白い気がします笑。



Yvan Pedneault / Angelo Del Vecchio 
Johnフェビュス:わたし的には、グランゴワールのジョンの方が推しですが、見た目は、長髪だけど、確かにフェビュスでした!!!マキューシオのときは、その壊れっぷりにばかり目が行っていましたが(笑)、ジョンって美男子だったんだなーと今回気づいた自分(→遅い。)。リスと並んでいるとかわいいカップルでよかったです。ただ、ジョン、また低音が苦手なのか(私、気づいてなかったのですが、意外とフェビュスって音域が低い部分もあったりするんですね。。。)、低音になるとなんだか歌いにくそうでした。そういう意味では、やっぱりフェビュスはイヴァンのほうがしっくりだったかなあ、という気がしなくもありませんでした。

懐かしのロミジュリのジョン。
Stephanie エスメラルダ:まず、舞台に出てきて思ったのは、細い!&背が高い!笑。今までの英語版のエスメラルダがアレッサンドラだったので、これは、あまりないパターンで新鮮でした。そして、さすがロックガール。ジタンの踏まれてもただでは起きないたくましさはハマってました。そして、歌い方が確かにジタンでした。ステファニーさん、結構こぶしが効いてたのですが、個人的にはそれがエキゾチックっぽくて、好きでした。あと、声の質もいつも安定していました。   

が、これはいろいろ仕方ないことなのかもしれませんが、見た目がちょっとやはり、私のエスメラルダ像には合わなかったので、そこがやっぱり残念でした。フェビュスがイヴァンやジョン、クロパンがガディーさんやアンジェロなので、どうしても年齢が(爆)。オリジナルのセガラさんも初演時10代とかではなかったはずなので、まあ、これは別に変なことではないのですが、私としては、エスメラルダは妖艶さと同時に無邪気さを併せ持ったところがツボなので、そういうエスメラルダ像を持っている人にとっては、ちょっと、んー、となるかもしれないです。。。あと、ステファニーさん、細いので、やっぱりボディーのグラマラスさがもうちょっと欲しいかなあーというのが個人的な感想でした(特にBelleとか。)。。。でも、歌手としてはすごく好きな方なので、酷評してしまうのが本当に申し訳ない。。。

Robert Marien / Stéphanie Bédard / Matt Laurent / Myriam Brousseau /
Richard Charest / 
Angelo Del Vecchio
Myriamエスメラルダ:去年のシンガポール公演でも彼女のエスメラルダを1回見ているのですが、ミリアムはやはり、Belleですねー^^ 美しい。何となくですが、、、シンガポールのときよりジタン度が増した気がしました。そして、Ave Maria païenで私、涙しました。。。Vivreも良かったなあ。やっぱりずっと公演を重ねているからか、その積み重ねた経験が滲み出ていた気がしました。そして、声がきれい。(でも、出待ちで実は今日調子悪かったのーとミリアム自身は言っていました笑。)。透き通るような美しいエスメラルダです。でも、これもステファニーさん評と被るところなのですが、、、きれいすぎる笑。ジタンのなんというか野生根性みたいなところがやっぱりちょっと足りないかなあと思いました(たぶん、英語版のアレッサンドラが私のエスメラルダ像にドンピシャすぎなのだと思います。。。)。
ダンサーたち。そういえば、韓国人ダンサーの割合が
結構高かったです。
Stephanieリス:見た目はまさにリス <3 ちっちゃくて、若くて、とにかくかわいい^^ 歌い方ですが、悪くはない&これまた英語版の比較になってしまうのですが、私、リスの高音のキンキンしてる感じが好きなので、英語版のエリシアと比べるとその辺がちょっと重い感じがして、個人的にはエリシアのほうが好みでした。La montureも、リスの背筋がゾクッとする嫉妬の感じがちょっと弱かったかなあという気もしました(オリジナルのJulieの舐めるようなねっとり感がちょっと薄い?と思いました。)。でも、若いのに他のベテランズたちの間で堂々と演技していたところは、やっぱりリスの強さみたいなものを感じられた気がして、今後に期待<3です! 

Myriamリス:今回初めてミリアムのリスを見ました!地毛が金髪ということもあるのですが、見た目はエスメラルダよりもしっくりした感じ。正統派美女のミリアムはやはり美しかったです^^ そして、透明感のある声がリスにぴったり^^が、ステファニーと同様、リスの嫉妬メラメラ感がやっぱりミリアムもちょっと足りないかなあという気がしました。
ロビー。開演前はこんな感じで結構ごった返してました。
Gardyクロパン:ダンスというか振りに彼はすごく特徴があります。たぶん、昔ブレークダンスとかをやっていたんだと思いますが、ところどころそれっぽいクネクネした動きが出てきます。(カメハメハポーズも登場します笑。)。これは新鮮でした。Les sans-papiersやCondamnés等、力強いナンバーは、別に気にならなかったのですが、、、彼、フランス語にケベコワ訛りがけっこう残っているからか、Esmeralda tu saisやOù est-elle?などのナンバーでは妙にゆったり聞こえる&間が抜けて聞こえて個人的にそれがすごく気になりました。ケベコワ訛りは別に嫌いではないのですが(いや、むしろ親しみが持てて大好きなのですが!)、この場合はちょっと逆効果な気がしました。だからなのか、全体的にクロパンの兄貴的な感じは薄く、ちょっと優雅というか、なんだかしなやかな感じのクロパンでした。というわけで、彼も観客によっては好みが分かれるような気がします。。。  

Angeloクロパン:彼のクロパンは、シンガポール公演でも見たことがあったのですが、やっぱり体格がドーンとしているので(笑)、頼れる兄貴感はけっこうあるかなーと思います。でも、声がきれいなので、やっぱり個人的にはカジモド役のほうが推しですw  

以上、若干マニアックですが、配役レポでした。

Notre Dame de Paris Tournée @ Seoul - Version Originale (française)

さて、先日、実はソウルのあの懐かしのセジョン・センターへノートルダム・ド・パリのフランス語版を見に行ってきました!私にとって、ノートルダム・ド・パリのオリジナルのフランス語版を見ることは、2年前の日本公演のときからの夢だったのですが、実際見てみて、やはりフランス語版良かったです!聞いててすごくナチュラルに聞こえたし、これは言語の性質もあるのかもしれませんが、すごくemotionalに感じるというか、心に訴えかける舞台になっていました。やはり、音楽と言葉は切っても切り離せない関係なのだと改めて思いました。


セジョン・センターでついにノートルダム仏語版を見ることができました!

日本の公演ではアクロバットの鐘やダンス、美しい光の演出等、ビジュアルや「スペクタクルさ」により目が行っていた私ですが、今回、より歌詞がわかるようになったからか、その曲の世界にすっと入って行けた気がします。曲そのものも、何というか、私の体の中に曲が染み込んでいく、そんな感覚を覚えました。

ところどころ歌詞が聞き取れるところがある度に、本当にのっそりしたスピードであるとはいえ、2年前の公演を見ていた頃の自分からは少し進歩した気がして、ちょっとうれしかったです。


去年もガラコンを見に同じ時期にセジョンセンターに来ていたのですが、
あのときは、その次の年にここでまたリシャールたちと再会できる
とは思ってもみませんでした。


また、今回は、それぞれの登場人物の心理ゲームのようなドラマ的部分にも注目して舞台を見ることができました。そして、改めて、この舞台は不思議な魅力を持つ舞台だと思いました。
なぜこれほどまでに自分が、Notre Dame de Parisの物語に惹かれるのか、ちょっと考えてみたのですが、ふと思ったのが、ヒーローが一人も出て来ない物語だから、ということが挙げられる気がします。   
登場人物はどれもどこかに欠点や負の側面を持っていて、とにかく「人間臭い」。そして、それぞれの登場人物は、その人生に苦悩し、もがきつつも(まあ、その苦悩の内容がときどき、あららーな訳ですが笑)、とにかく「生き」ようとする、そんな生き様に自分はきっと惹かれるのではないかという気がします。   
そして物語の「普遍さ」。1482年という設定でありつつも現代に通ずる要素はいっぱいあって、以前のシンガポールの記事でも書きましたが、モダンな演出等で、舞台そのものは、どの時代と特定できない、あるいはどの時代と捉えてもいいような不思議な空間になっています。それぞれのキャラクターの苦悩は、設定が全く現代とは違うとはいえ、どんな人もそれぞれの登場人物に自分や身近な人の経験を重ね合わせられることができるのではないでしょうか。

なんとなく、今回の役別に思ったことを書き留めてみます。


今回2ndキャストというよりローテーションに近かった配役。
奇跡的?に配役を一巡りしました笑。この回はジョンのグランゴワール。
<グランゴワール>

彼の役どころは、他の役と比べて、ナレーターという立ち位置を与えられているからかちょっと不思議。よく考えると他のキャラと比べると、際立ったキャラ設定を与えられているわけではない気がします。でも、気づくとどこにでもいて、ときに、物語の語り部となり、他方、他の登場人物の心情を代わりに述べたり、祭りの司会者になったり、エスメラルダの相手にされない旦那になったり(笑)、、、他の登場人物の間を縫うように、全てを観察し、見届け、言葉にとどめていきます。

一緒に鑑賞したミュー友の方が、舞台を見ているとときどき、グランゴワールの頭のなかの物語、というか陰謀に巻き込まれているかの感覚になる、と言っていたのですが、なるほどーと思いました。確かに舞台を改めて見てみると、彼の登場の仕方はまさに神出鬼没笑。歌ってないシーンでも実はそこかしこに彼がいます。

リシャールに舞台後、お話しした際に、グランゴワールは、歌っていないけれど、舞台に出ているシーンが結構あって、それが自分は結構好きなんだ、と言っていたのですが、今回それを頭の中に入れながら舞台を見てみると、本当に、彼は物語の媒介者、仲介者なのだと感じました。

<フロロ>     

出待ちのとき、ロベールさんとフロロのキャラについてちょっとお話をすることができたのですが、記憶が正しければ、ロベールさんはそのフロロの魅力を確か多面性だ、とおっしゃってた気がします。       

そのことを考えながら舞台を見ていたのですが、舞台の中では明らかなBad Guyという立ち位置を与えられているフロロですが、(自分の中でも、堕落神父やエスメラルダを絞首に送って高笑いするイメージがやっぱり印象深かった苦笑。)、ロベールさんの言う通り、実際には、カジモドを虐待しているとはいえ、匿い、育て上げたというある意味優しさを持った人物でもあり、また、エスメラルダを愛してしまったときも、そんな自分を発見して自分に戸惑ったり、最後には嫉妬から自らエスメラルダを絞首台に送ってしまうサディスティックさを持っていたり、多面性や矛盾を併せ持った非常に複雑なキャラだったんだなあということに今更気づきました。この複雑な機微に富んだ感情を繊細に演じるロベールさんには脱帽の一言しかありません。 


公演のカーテンコール。
Richard Charestのグランゴワール。

<エスメラルダ>

ミエンヌは聴くたびに、国を持たないデラシネ(根無し草)である彼女が、運命に導かれるままその日その日を生きていくの、という歌詞にいつもなぜか心惹かれてしまいます。国がないことはある意味、物語の最後に描かれるように、悲劇であると同時に、どこにも属さない自由な存在であることの証でもあります。私もこんな風に自由に生きれたら、、、といつも思う一曲です。

そして、個人的にミュージカルの中でなぜかいつも非常によく記憶に残るのが、Ave Maria païen。異端であるエスメラルダが、ひざまずき方もわからないけれど、どうか私を護ってくださいとマリアさまにお祈りする歌。元々、自分はスピリチュアル人間ではないのですが、この歌を聴いていると「祈る」という行為の普遍性というか、その行為の本当の意味を考えさせられます。ロミジュリのon prieにもありましたが、人は絶望し、人生の道標を見失ったとき、最後に行き着くのがこの「祈り」の行為なのではないかと曲を聴きながら思っていました。曲は基本的に短調ですが、最後長調で終わるところにいつも希望を感じて、本当に心が洗われます。そして、今回の公演でもやっぱり私、ミリアムのこの歌で泣きました笑。

そして、Vivre。今回、3階席で鑑賞した回があったのですが、あの最後の黄色い光が会場に広がる瞬間は、本当に神々しいとしかいいようがありませんでした。愛すること、自由であること、これはエスメラルダの二大テーマであると思いますが、まさにその二つの本質をすべて凝縮した歌。そして、生きることへの渇望を率直に叫ぶこの歌はやはり心を打たれずにはいられません。妖艶さで男たちを次々と虜にするエスメラルダですが、同時に、この歌にも描かれるように、自分の人生、愛に真っ直ぐひたむきに生きる本当に純粋な心を持った女性というギャップもやっぱりすごく惹かれるところであったりします。
NDPを見てから2年経って、改めてこの歌を聴いて、素敵なラブソングだなあと思いました。

<クロパン>

歌の中で一番好きなナンバーは何気にクロパンのCondamnésだったりするのですが、Les sans-papiersもそうですが、クロパンの曲はとにかくかっこいい!特に今回フランス語版だったので、インパクトがある動詞がすべて韻を踏んでエ音で終わるのが小気味よくて、びんびん心に響いいてきました^^

"Comment faire un monde où il n'y aurait plus d'exclus?
Comment faire un monde sans misère et sans frontières?"

という実に社会的な問いも、すごく心に刻まれました。
Les sans-papiersの鬼気迫るダンサーの表情もすごくよかったなあと思います。


John Eyzenのグランゴワール。

<カジモド>

なぜか最後になってしまった。。。今回、なぜか印象に残ったのが、前半のフロロを救世主、主人と崇めていたカジモドの悲しいまでの従順さ、でした。L'enfant trouvé はそれが一番ストレートに出ている歌だと思うのですが、この2人確かに歪んだ関係ではあるのですが、この歌を聴いていると何だかそれでもこの2人にしかわからない何か、があるような気がしました。そして、その絶対的な存在であったフロロを最後カテドラルから突き落とすシーン。まさにカジモドのインディペンデンスデー(笑)だと思うのですが、観客として見ていて、本当にカジモドの成長記のような感じがしました。

カジモドというと、一般的にはエスメラルダから愛されなくてもひたむきに彼女を愛し続ける姿が感動を呼ぶのだと思いますが、自分ももちろんその点に惹かれるものの、私は実は、それよりも、常につまはじきにされてきたカジモドがときに自虐的に告白する姿にすごく彼の人間らしさを感じて、いつも、彼の一人の人間としての生き方に親しみを感じてしまいます。彼の誰からも相手にされない嘆きも、かわいそうというよりむしろ哀愁を感じて愛らしいと思ってしまう自分がいます。


カジモドの全て、のノートルダムドパリ。
昨年の12月パリ行きのときここだけは
外せないとお祈りをしました。

もう一つ印象に残った歌詞。Ma maison, c'est ta maisonの一節。カテドラル(というか鐘つき部屋)は自分の全て、と言うシーンがありますが、このかたまり、最後のフレーズは、ノートルダムドパリは牢獄であり、祖国(故郷)である、で終わっています。ノートルダムドパリはあらゆる悪いものからカジモドを守るものであると同時に、この歌詞の通り、文字通り牢獄でもあります。何だかその現実が妙に哀愁があって、やるせない、、、と感動してしまいました。


フルール・ド・リスとフェビュスは、、、なぜか今回も印象が薄かった。。。ので、割愛します笑。


そして、物語全体として、今回フランス語版で一番強く印象に残った言葉はやはりこのミュージカルを象徴する言葉である"Fatalité(宿命)"でした。一幕最後のFatalité、英語ではOh destiny〜とちょっとカッコ悪い詞になっていましたが、フラ語版はダイレクトに「ファタリテー」と繰り返されててほんとかっこよかったです。最後のフレーズ、

Fatalité
Tu tiens nos vies dans ta main

我々の人生は宿命の手の中にある、という言葉で終わっていますが、自分もここ2年間、よく考えると宿命とは言わないまでも、何かの糸に引かれてここまでやってきたんだという気がし、舞台を見ながら、この2年間について思いを馳せてしまいました。

でも本当に、不思議な縁、力でここまで気づいたら来てしまったという気がします。そこで、いろいろな人と出会い、いろいろ学び、いろいろ考え、いろいろな場所に行き、そういう意味でノートルダムドパリは私にとって「運命」というか本当に大きな出会いだったなと改めて思いました。

配役の感想等は次の回にまとめました。

2015年1月26日月曜日

祝!宝塚上演: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜あらすじ②〜

★カバーしている曲:Hey ha(デムーランの演説) / La guerre pour se plaire(この愛の先に) / La Rue Nous Appartient★

第1幕のあらすじ後半編です。
前半はこちら

マラーの家。印刷機が絶え間なく動いている。そこには革命家たちが集まり、パンフレットの印刷の作業をしていた。そこにロベスピエールがやってくる。ロベスピエールは、聖職者、貴族、平民、の全3つの身分に平等に発言権があり、自由で独立した国民議会を作るべきだ、と声高に他の革命家たちに自身の演説原稿を読んで聞かせる。

「ロベスピエールよ、実にすばらしい!」とデムーランが褒め称える中、ロナンは、皮肉交じりに、「なんて、すばらしい演説なんだ。そんな演説をしている間に国民は飢えで貧窮している。どうせあんたたち議員は、金持ちで堕落しているんだ。」とデムーランに食ってかかる。売り言葉に買い言葉の口論の末、デムーランはうっかり「たかが農民の夢だ。」と口を滑らしてしまう。さらに憤ったロナンは「どうせ、俺は農民だ!農民の息子だ!あんたたちは、自由を声高に叫んでいるが、結局のうのうと暮らしているだけなんだ。こっちは命を懸けて闘ってるんだ!」と吐き捨て、口論は収拾がつかなくなる。

そこに、ダントンが割って入り、「喧嘩はやめるんだ!なぜ、ここで喧嘩をしなければいけない?我々が求める革命はお互いの尊敬の念、そして相手への尊敬の念を持ってこそ始まるんだ。言い争いは止めて仲直りするんだ!」と二人を諭す。歩み寄った二人は固い握手を交わし、和解する。

「さあ、仕事だ、仕事だ!」と印刷作業に入る革命家たち<Hey ha>。


<Hey ha>
(デムーランの演説)
(和訳:エイ・ヤー(註:掛け声なので…。))

"Hey ha 我々は進歩を夢見ていた
Hey ha 我々は革命を夢見ていた
Hey ha さあ、友よ
栄光の日がやって来た
Hey ha
機運の高まりを夢見ていた
Hey ha 我々は革命を夢見ていた
さあ、子どもたちよ
栄光の日は、栄光の日は、夢見るためにある"
***この歌、フランスの国家のLa Marseillaiseの歌詞をなぞっているところがいくつかあります。
さあ、仕事しよう、というのに、なんだこのゆるい感じ、と個人的に思ってしまった私。しかし、上記のように、さあみんな、革命の夢を見よう!という希望にあふれた曲です笑。***

そこに、アルトワ伯の手下のラマーが押し入ってくる。「さあ、パンフレットを見せるんだ!」と詰め寄るラマー。革命家たちは散れ散れにその場を逃げ出す。そこにシャーロットが現れ、ロナンを手招きする。シャーロットが自分の居場所を知っていることに驚くロナン。自分についてくるようロナンに言うシャーロット。

シャーロットはロナンをどこかの街外れに案内する。そこでオランプが二人を待っていたのだった。オランプは、アルトワ伯がロナンの命を狙っており、できるだけ早くパリを脱出するようロナンに忠告する。なぜ自分に構う?と問うロナンにオランプは、ロナンがこんな不幸な状況になってしまったのは自分のせいだから、と答える。惹かれあう二人。だが、オランプは自分のことは忘れてほしいと言い残し去ってしまう。ロナンはオランプを追いかけようとするが、彼女の姿は既にどこにもなかった。

ロナンはシャーロットに、オランプに再び会えるよう手助けしてくれ、と懇願する。すると、シャーロットは、自分が言ったことは内緒にすることを条件にして、オランプが先日亡くなったルイ16世とマリーアントワネットの子息の葬式にアントワネットの付き添いとして彼女も出席するはずだという情報を伝える。

− 教会。悲しい音楽が流れる中、ルイ16世とアントワネットの前には小さな棺が安置されている。悲嘆にくれるアントワネット。アントワネットの慟哭だけが教会に響き渡る。アントワネットはその場に泣き崩れる。

教会の扉が閉まり、一人そこで祈りを捧げるオランプ。そこにロナンがやってくる。お互い敵同士でありつつも、その立場の違いを超えて禁断の愛を確かめ合う二人 <La guerre pour se plaire>。二人は、熱い抱擁と口づけを交わす。

<La guerre pour se plaire>
(この愛の先に)
(和訳:愛し合うための戦い)

"私たちを惹きつけるものは私たちを引き裂き
私たちを惹きつけるものは私たちを惑わせる
私たちを結びつけるものが
私たちを近づける(似通わせる)"

***立場の違いを超えて二人はここでようやく結ばれます。人のお葬式で再会しようという設定自体ええっ???と思った自分ですが、そう、これはフレンチ・ミュージカル笑 愛よ、万歳。***

舞台が切り替わり、アルトワ伯が兄であるルイ16世と会話を交わしている。息子を失ったばかりのルイ16世は心ここにあらずであったが、弟のアルトワ伯は、国民議会が唯一の正当な国民の代表であることを宣言し、このままでは国民全体が王に牙を向き、王座からあなたを引き摺り下ろすだろう、と告げ、国民議会を力で潰すべきだと進言する。ルイ16世は、国民が血を流すのは見たくない、と弱気な発言をするが、アルトワ伯はあなたには、祖先から連綿と続く王家を後世に伝える義務があると諭す。あなたは、フランス国民への愛を失ったのですか?とたたみかけるように聞くアルトワ伯。ルイ16世は、そんなことはない、私は国民を愛している!と憤る。そして、もともと王になどなりたくなかったのだ、とつぶやく。アルトワ伯は、王に第三身分の議員が結集することを禁ずる命令書に署名するよう迫る。

− パレロワイヤル。そこには、来る革命に向かって集合する革命家たちの姿があった<La Rue Nous Appartient>。

<La Rue Nous Appartient>
(和訳:我々の通り(我々が属する通り))
まさに革命前夜、静まりかえった朝に革命家たちは
「新しい世界」を夢見、革命への想いを誓います。
個人的には第1幕ではこの歌のシーンが
一番好きでした。まさに革命の精神を美しく歌っている曲だと思います。

"明日がまた再びやってくる限り
人はまた新たな夢を見ることができる
友よ、拳を掲げよう
街は我々のものだ"

ここで、かっこよく革命家たちが、ユニゾンで歌を歌って、第一幕は終わります。
二幕のパート1はこちらです。

2015年1月17日土曜日

祝!宝塚上演: 1789 Les Amants de la Bastille バスティーユの恋人たち 〜あらすじ①〜

大分間が空いてしまいましたが、気づいたら既に宝塚の公演の告知が(汗)…。
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/425/index.shtml

そして、配役も決まっていた汗汗汗。。。
http://kageki.hankyu.co.jp/news/detail/2fb4acd60ffe6e58dcb9a02f3b671797.html 

というわけで、あらすじ。。。とりあえず第一幕途中まで、です。。。
ただ、私もフランス語にとっても堪能というわけではないので、あくまでご参考程度に読んでいただけると幸いです。誤訳等していたら、すみません(先に謝っておく(爆))。

このミュージカルのベースとなるフランス革命の時系列のおさらい(ヅカファンにはもはや不要な気がしますが、、、。) → こちらにコンパクトにまとめてあって物語を振り返るときにとっても便利でした。 

なお、あらすじはSaison 1のものです。 Saison 2は結末が異なっていたり、新曲が追加(逆に消えた曲もある)されたり、結構改変が加えられていたようですが、自分はSaison1しか見てないので、こちらのほうについて書きます。
 C'est parti!

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★カバーしている曲:Sur ma (la) peau(肌に刻み込まれたもの) / Cri de ma naissance(叫ぶ声) / Je mise tout(全てを賭けて) / Au Palais Royal(パレ・ロワイヤル) / La nuit m’appelle(夜のプリンセス) / Maniaque(耐えてみせる) / La Sentence(許されぬ愛)★

1789年春。フランス王国は度重なる負債のため、財政状態は破綻し、危機的状況にあった。飢饉や重税に苦しむ地方では暴動が続発していた。

将校のラザールはロナンの父やその他の農民らに、今日、税を払わなければ土地を没収すると言い渡す。しかし、税を支払えなかった理由は、旱魃で作物が収穫できないことによるものであり、これは不当だ、とロナンの父は憤慨する。圧政で全てを奪おうとしても、魂だけは我々から奪うことはできないのだ、とラザールに訴えるロナン。<Sur ma (la) peau>そこで兵士と農民の間で小競り合いが起き、その混乱の中、ロナンの父は、兵士らの発砲により命を落とす。悲嘆にくれるロナンと妹のソレンヌ<Cri de ma naissanace>。土地を没収され、住む場所を失った2人は、父を殺された復讐、そしていつか自らの土地を取り戻すことを胸に誓い、パリへと向かう。

<Sur ma (la) peau>
 (肌に刻み込まれたもの)
(和訳:肌の上に)

主人公の農民の青年ロナンは父を
将校であるラザールに殺される。

"我々に残されたものは、
背中にペストのように張り付いた
貧困だけ
肌に刻まれたもの(*註:出自?)は一切消えることはない
飢えが我々を脅かす
我々の財産をどうしても奪いたいというのなら
最後の最後まで我々は闘う"

後半にもこの歌がでてきますが歌詞が違います。

<Le cri de ma naissance>
(叫ぶ声)

父の死を嘆き悲しむ兄妹。
最後の場面に出てくる"Fixe"と歌詞は同じです。
詳しくはFixeの歌詞をご覧ください。

その頃ベルサイユでは、マリー・アントワネットが享楽的な生活を謳歌しつつも、そんな生活にでさえ、退屈さを隠しきれずにいた<Je mise tout>。王であるルイ16世も政治には無関心であり、マリー・アントワネットや家来たちと遊びに興じていた。そこに、宰相であるネッケルが現れる。ネッケルは、国の財政が破綻状態にあり、王や王妃も含め全ての者が質素倹約を行う必要があると説くが、王は耳を貸さない。王の弟であるアルトワ伯爵もネッケルの王族や貴族らの特権を制限し、「公正さ」を唱える政策にいい顔をしない。

<Je mise tout>
(全てを賭けて)
(和訳:全てを賭けるの)
マリー・アントワネットは宮廷生活に
退屈さを隠せない。
"夜、私は退屈してしまうの
踊って、忘れて、
欲望が私を突き動かすの
何に賭けてるの?
まあいいわ!全部に賭けちゃうから。"

まず、小林幸子顔負けの仕掛けが目を引きますが、
旦那(ルイ16世)に対する欲求不満から
私は賭けごとに走ってしまうの、というデス妻的告白
がちょっと面白い詞(私の読みが間違いでなければそんな感じ。)。

そこに病弱である息子の王太子がポリニャック伯爵夫人とオランプと共に部屋に入ってくる。ルイ16世とアントワネットは息子の健康を気遣う。アントワネットの腹心であるポリニャック夫人は、彼女の愛人であるフェルゼンとの逢瀬の計画について打ち明ける。ポリニャック夫人は、ヴェルサイユは敵だらけであるため、人目につきにくいパレロワイヤル*で、フェルゼンと会う手はずを整えたと話す。アントワネットはその提案に驚くが、承諾する。

*Wikiによると、パレロワイヤルは当時、「ここは繁華街となったばかりではなく、警察の立ち入りを禁じたので、革命家のたまり場となっていた。民衆の政治論議の中心となったり、娼婦や怪しげな商売をする人たちで溢れてもいた。」ということらしいので、王妃様が行くような場所ではなかったということのようです。

一方、王の弟であるアルトワ伯爵は、手下であるラマーに、フェルゼンが絡んだ何か悪い企みから王妃を是が非でも守るため、オランプとポリニャック夫人を尾行するよう指示する。

パレロワイヤル。そこは、娼婦や道化、あらゆる怪しげな者たちが蔓延る楽園。ここは、警察の目も届かず、革命家のたまり場となっていた。<Au Palais Royal>そこには、デムーラン、ダントンといった革命家たちの姿もあった。そこにロナンが書類(おそらく革命関連のパンフレット)を携えやってくる。デムーランとロナンは、今夜マラー(医師、革命家)の家で印刷するパンフレットの手筈について話をし、その内容にまだ見ぬ共和国へと思いを馳せる。

<Au Palais Royal>
(パレ・ロワイヤル)
(和訳:パレ・ロワイヤルにて)

"パレ・ロワイヤルでは、道化が王様
パレ・ロワイヤルでは、快楽がすべてを支配する
大胆不敵さがもっともっと必要だ
底辺を生きる市民たち
なんとかなるさ"

パレ・ロワイヤルの混沌とした中にある
生き生きとした人々の様子が
よく伝わってくる歌。

そこにダントンが着飾った女性たち(恐らく娼婦)を従えて登場する。デムーランはロナンをダントンに紹介する。ダントンは、ある女性と約束があるから、と熱い想いを告白する。そこに美しい娼婦が現れる。果たして、それは、ロナンの妹、ソレンヌであった。ロナンは、娼婦に身を落とした妹をなじり、なぜ突然消えたりしたのだと問いつめる。が、ソレンヌも革命への夢へと傾倒する兄に、革命だけでは食べていくことはできないのだ、と吐き捨てる。少なくとも、今は、自分は食べていくことはできる、だから、二度と自分の前に現れるなと兄に告げる。<La nuit qui m'appelle>

< La nuit m'appelle>
(夜のプリンセス)
(和訳:夜が私を呼んでいる)

"夜が私を呼んでいるのが聞こえるわ 
夜になると私は自分がもっと美しくなるのを感じるの
日が沈むとき私の魂は輝く
私のすべての過ちは影のためにあるの"
ダンサーの振りもさることながら、歌詞も、夜になると
すべての悲惨な状況から私は解放され
夜の女王になれるの、というかなり官能的な詞。
すごいフランスっぽい笑。

真夜中のパレロワイヤル。オランプがシャーロットの手を借り、アントワネットとフェルゼンの密会の手助けをしていた。熱烈な抱擁を交わす二人。アントワネットは、ヴェルサイユでの生活は周りは敵だらけで苦痛に満ちたものであり、フェルゼンだけが自分の希望だと吐露する。しかし、フェルゼンは、スキャンダルを恐れ、王のことを思うべきだとアントワネットを諭し、明日、パリを発つことにしたと告げる。逆上したマリーアントワネットは、他に女がいるのだろう、とフェルゼンをなじる。

と、そこにたまたま傍でうたた寝をしていたロナンが目を覚ます。女王の密会が発覚することを恐れたオランプは、ロナンが自分のかばんを盗んだと一芝居打つ。その間に、オランプは女王とフェルゼンをパレロワイヤルから脱出させる。そこに騒ぎを聞きつけたラマーがやってくる。こんな真夜中にいったい何を?とオランプを問いつめるラマーだったが、オランプは友人との食事の帰りに、この男(オランプ)が自分を襲ったと作り話をする。

ラマーは、ロナンの身体検査をし、共和国を礼賛し、王制を否定する文章が書かれたパンフレットを発見する。ロナンは、恐れること無く、自分の名前を名乗り、「共和国、万歳!裏切り者(*恐らく国民を裏切る者たち=国王や貴族ということ)に死を!」と告げる。ラマーは、ロナンをバスティーユ牢獄の独房へと連行するよう手下に指示する。

ラマーは、オランプに、(牢獄の看守をしている)お父様はさぞ娘の行動をお喜びになるだろうと、言い、素敵な部屋、ワイン…等々を用意しているから、、、とオランプの気を引こうとするが、オランプは意に介しない。

バスティーユ牢獄。独房に引き立てられるロナン。牢獄の扉が閉まり、彼は捕われの身となる。<Maniaque>。その陰には、捕われたロナンを、父が殺されて、土地を奪われてもなお、まだ懲りないのか、と嘲笑うラザールの姿があった。それでも、屈しないのだ、と述べるロナン。

<Maniaque>
(耐えてみせる)
(和訳:マニアック(心囚われし者))

"(ロナン)夢だけで十分で、突然、俺は逃走する
(ラザール)お前の独房はお前の脳の中にある
(ロナン)復讐心のために俺は連行された
(ラザール) 復讐心、それがお前の鉄格子だ"
最初のIl suffit d´un rêve et soudain je m´évadeが
謎ですが、、、たぶん、全体としては、ラザールが
性懲りもなく不謹慎な思想(アンチ王政)を抱き続けるから
こんな牢獄にぶちこまれるのだ、とロナンを嘲笑い、ロナンは
それこそ自分の望みなのだ(自分の信ずるもののため、復讐のために
牢獄に入るのならそれは本望だ)ということを返している歌だと思います。
標題のManiaqueはフランス語では普通潔癖症の意味だと思いますが、
ここでは、英語と同じ感じで、あるものに取り付かれたように熱中する人
(ロナンの場合は復讐ですね。)の意味だと思います。

その頃、オランプは自らの芝居が元でロナンが投獄されたことを悔やみ、アルトワ伯にロナンは無実であり、釈放するよう懇願していた。ラマーもアルトワ伯とオランプの間に入り、とりなそうとするが、アルトワ伯は王制や貴族政治の転覆を目論むロナンを今晩、抹殺するようラマーに指示し、その場を後にする。ラマーはオランプを再び口説こうとするが、失敗する。

再びバスティーユ牢獄。オランプの父が所長(もしくは看守)として、仕事をしている。そこにオランプが駆けつけ、父にロナンを牢獄から逃がす手助けをしてほしいと懇願する。しかし、所長である父は、それは立場上できない、と拒否する。そして、彼の名前は名簿に載っているから勝手に殺されたりすることはないだろうとオランプを諭す。そこに、ラマーがやってくる。父が、ラマーの方に気を取られている隙にオランプは牢獄の鍵を父から奪い、ロナンを探しにいく。

ようやくロナンの独房を探し当てるオランプ。「またきみか!」と怒るロナン。部屋の鍵を開け、自分に付いてくるよう言うが、ロナンは、自分は政治犯であり、自由のために死ぬ準備はできており、ここを出るつもりはない、とオランプの申し出を拒否する。あきれるオランプ。ロナンはオランプに名前を尋ね、名前を教えてくれなければ、ここを動かない、と言う。オランプは名前を告げ、ロナンの頬をひっぱたく。オランプの腕を引き寄せるロナン。見つめ合う二人。が、他の囚人が騒ぎだし我に返った二人は急いで独房を脱出する。

牢獄の外へ脱出した二人。そこにはパリの街のすべてを知り尽くすシャーロットが二人を待っていた。ロナンに道順を指示するシャーロット。そして、ロナンはパリの闇の中へと消えていった。

一歩遅れて、出てきたオランプ。すでにそこにロナンの姿は無かった。「言いたいことがあったのに、、、。」と残念がるオランプ。「え、何が言いたかったの?」とふざけるシャーロット。「後は、自分でがんばりな、ミッション終了!」と言い残し、シャーロットも夜の街へと消えていった。

一人残されたオランプは、道ならぬ恋と知りながら、けれどもロナンの魅力に抗えない我が身を憂い、ロナンへの恋心を吐露する<La Sentence>。

<La Sentence>
(許されぬ愛)
(和訳:裁き)
"こんな考えを持ってしまった慎みの無さに対して
どんな宣告を受けるかはわかっているわ
かつて私は無垢だった
厚かましくも私は行動に移してしまった
その結果がこの苦しみ
私はあなたを見つめるという
過ちを犯してしまった"
こんなきれいなメロディーかつキュートな女の子が
爽やか(?)に歌っておりますが、、、意外と詞は
ちょっとセクシーめだと思います笑。嗚呼フレンチ。

ベルサイユ、宮廷。巨大な椅子にちょこんとルイ16世が座っており、ネッケルからの報告を退屈そうに聞いている。王の態度はまるで子どものようで、だだをこねたり、銃を突然発砲したり、常軌を逸しっており、ネッケルはそれを止めようとするが、王はまったく意に介さない。

アルトワ伯とラマーが会話をしている。アルトワ伯は、ロナンの脱獄についてラマーを叱責する。もし、ロナンを今すぐに連れ戻すことができなければ、そのツケを払うのはお前だと警告され怖じ気づくラマー。アルトワ伯は、ラマーに、パンフレットの作者であるマラーの家を急襲するよう指示する・・・。

あらすじ②はこちらです。

つづく・・・
このあと息が続くでしょうか。。。
そして、間違いだらけの訳であることが心配でならない汗。