~すばらしき冒険-ノートルダム・ド・パリ ② 東京公演 ストーリー編~
このシリーズすっかり間が空いてしまった。。。
リシャール関連のことは別の記事ですでに載せたので、ここでは、それ以外のことで、NDPについて感じたことを書きます。
ダサいタイトル再び。というわけで、期待値が低いまま観劇日まできてしまうかと思いきや、それを180度転換する映像を初日の数日前に発見する。
e+がプロモ用に作成した対談の映像。対談されているのは、
渡辺諒先生/早稲田大学教授(『フランス・ミュージカルへの招待』著者)
藤倉深幸(MEW)さん/「月歌館」サイト管理人
亀谷遊香さん/ダンス・アーティスト(『ノートルダム・ド・パリ』出演経験有)
というかなりDeepにNDPを知っている方たち。
Part1~Part5まであって、このPart3の話に自分はすごく惹きつけられた。
この回で出てくるのが、"sans-papiers(サン・パピエ)"の話。文字通りだと書類(身分証明書)がない人、つまり、不法滞在者/移民のこと。
NDPには、"Les Sans-Papiers"という歌があり、もちろん、ユゴーのNDPの話の筋上は、エスメラルダやクロパンたちロマ(ジプシー)の人々がノートルダムに庇護を求めるというシーンで出てくるのだが、映像の中でもあるようにこの話は、実は、現代のsans-papiersの問題にリンクしている(というより、映像の中で解説されているようにsans-papiersということば自体、現代の話だし。)。
全く恥ずかしいことだが、それまでは、WikiのNDPのあらすじだけとりあえず読んで、ドロドロの4角関係の恋愛話(実際そうといえば、そうだけど(苦笑))、とだけしか思っていなかったので、この話は、すごく意外だった。また、自分自身、昔、言語政策や移民たちの言語等に関して勉強していたため、こういった話題はすごく興味があり、それが歌でどう表現されているのか非常に気になった。
というわけで、それまで、1789効果でしぼんでいた興味が一気に↑(単純。)。
元々、最初に行くはずの日が待ちきれず、結局、初日の次の日に2階席から観劇する。
結果…。
おもしろすぎる!!!
このときに観劇して一番記憶に残ったのは、やはり現代の移民問題を連想させるクロパンが歌うナンバーだった。特に、"Condamnés (Castaway)"は、排斥されるロマの人々がその思いをストレートにぶつける歌。不条理に対する怒りがビシビシと伝わってくる。けっこうどぎつい意味を持った動詞や名詞が歯切れよく並ぶので余計にこの歌はパワフルに聞こえるのかもしれない。
2013年日本公演のときにクロパン役をやっていたイアン・カーライル。
声もすごい良かったなあ。
この歌のシーンを見ていて思い出したのが、Mathieu Kassovitzの"La Haine"のTrailerで見たイメージ。郊外(バンリュー)に住む若者たちの鬱屈した日常を黒白で描いていたのがすごく印象的だった。(実は、映画はまだ未見(汗))。
サビの
Comment faire un monde
Sans misère
Et sans frontières?
は特に印象に残った。
(実際には、舞台では英語で聞いたので、
Can't we make a world, to which everyone belongs?
Can't we make a world, without fears without frontiers?)
misèreはここでは、貧困、悲惨なこと、苦しみなどいろいろな意味が含まれている気がする。どうすれば、苦しみや境界のない世界を作ることができるのだろうか?という意味だと思うのだが、この問いは、NDPができてから10年以上経ってもなお、パワーを持った言葉だと思う。
最初に観劇したとき、イアンがこの歌を歌っているのを聴きながら、なぜか涙が出そうになった。(Danse mon Esmeraldaとか、もっと泣けるはずのナンバーはいっぱいあったはずなのに苦笑。)。
また、同時に印象に残ったのは、このCondamnésたちは、単なる虐げられる人、というだけではなく、メインストリームの人たちとは別のパワーを持った存在として描かれている点。特にLa Cour des miracles はそれが顕著だと思う。あの庭では、メインストリームの人たちの価値観はむしろ通じず、ロマの人たち独自の世界/秩序が築かれている。
また、最後の方のL'attaque de Notre-Dame では、彼らは、ある種のニューウェーブあるいは、脅威として描かれている。(この歌の詞、本当にすごい。)印象に残ったグランゴワールがコーラス部分で歌う歌詞。
Ils sont bien plus de mille
Et bientôt ils seront
Dix mille et puis cent mille
Le monde va changer
Et va se mélanger
彼らは1,000人を超え、
間もなく1万、10万人となるだろう。
世界(人々かな?)は変わり、
混じり合うだろう
このシーンは、舞台だとフェビュス率いる兵隊たちにクロパンやエスメラルダたちが最後の聖域であったはずのノートルダムで追い詰められて、最終的にクロパンは殺され、エスメラルダも絞首刑に結局なる、というある意味ロマの人たちの決定的「敗北」のシーンであるように見えるシーンであったりする。
でも、歌詞は、こんな風によく見ると、必ずしも「敗北」ではなく、それでも彼らは生き続け、共に生きていく運命にあるのだ、とある意味ロマの人たちの根源的な力強さを歌っているように私には感じられた。
グランゴワールがナレーション的にこのように歌っているという点もそういう意味で、興味深い。(フェビュスとかの歌詞だったら、この人たちは脅威だ!という糾弾に聞こえるきがするけど(特に最初の2行。)。)
ちょっとずれる気もするけど、昔大学で勉強していた社会言語学で、非メインストリームの人たち(社会的に虐げられている人たちであることも多い)というのは、実際のところ単なる「犠牲者(victim)」であるわけではなく、敢えて与えられた不名誉な地位を逆手にとってそこに新たな価値を見出し、メインストリームに反撃をして、それがときにメインストリーム化する、ということがある(Rapはそのよい例。)という話がたびたび出てきた。
舞台を見ながら、何となくそんな話をおぼろげに思い出した。こういう、サブカルチャーではないけど、ちょっとアンダーグラウンドな感じの力強さって野性味というか反骨精神があって、個人的にけっこう好きだったりする。
単なる四角関係の物語でなくて本当に良かった^^
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